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第9話

第九話

 俺は今、職場でゲームをしている。もちろんサボっているわけではない。まだ今日の勤務時間は始まってないから。

「ポケッタブルモンスターズ。略してポケモン。この星の、不思議な不思議な生き物たちと出会えるゲーム、海に森に町に、その数は1000万、2000万、3000万、いやもっとかもしれない。そしてこの少年、そんなポケモンが大好きな、警察省の園福寺。ドキーオはか、」

「一人で何危なっかしいナレーションやってるんですか。もうすぐ始業時間ですよ」

「この少女、暴君トカゲの遠藤、」

「誰が暴君トカゲですか! そんなこと言ってたら、ゲーム機噛み砕きますよ?」

「ちょっと待って〜や。もうちょっとで(ゃ)が進化するんや」

「なんですか(や)って」

「小さい方の(ゃ)やで。適者生存ポケモンのスペンサーに俺が(ゃ)って名付けたんや。それがもうすぐダーウィンに進化すんねん。やから邪魔せんといてくれ」

「ネーミングセンスが規格外ですね。そんなことより、規則は規則です。早くやめないと強制的に切りますよ」

「やめてくれ! そんなことしたら死んでしまう!」

「はい、時間切れで〜す」

「ああ〜! ……まあオートセーブやからいいねんけど」

「踏み潰していいですか?」

 暴君トカゲの猛攻をなんとか生き延び、

「なんですか? なんか失礼なこと考えてますよね?」

「すいません」

 始業時間になったから、今回の事件、事件って言っていいもんなんかわからへんけど、の情報共有を始めた。

「今回亡くなった方は、……名前も家族構成も職業もわからない方なんですね。精神病院に入院していたと」

「多重人格やったんや。それで入院してたら、最近いきなり倒れて亡くなった。健康診断の結果が異常なかったから、ていうか異常のない健康診断の結果の紙を持ったまま突然死したから、司法解剖して、そしたら、左心房と右心室部分が腐ってて、左心室と右心房部分はボロボロになってたと。その上心臓の真ん中の所にはダイヤモンドが生成されてた、なるほど。ナノマシンでしかない事件やな」

「そうですね。でも、身元が何もわからないんじゃ、ナノマシンの発動原理も動機も見つけようがないんじゃないですか?」

「どうやろな。とりあえず精神病院に行って、担当の先生とかに聞いてみるか。……なんや、どうしたんや、そんな暴君トカゲらしくない顔して」

「暴君トカゲらしい顔なんてしたことありませんよ。いやただ、精神病院って怖そうだなって思って」

「そんなホラー映画とかホラーゲームみたいなのはないよ。ああいうのは怖がらせるためにデフォルメされてるからな。ただちょっと話通じひん人おるとか、変なことしてる人おるぐらいや」

「その言い方だと、中に入ったことあるんですか?」

「患者としてな。昔に周りの人間が俺を異常者呼ばわりして無理矢理入れられたんや」

「そうだったんですか。こんなまとも……な人が、信じられないです」

「ちょっと悩むなや。まあ正しい人間っていうのは普通の人からは不気味がられるもんなんや」

「自分で言いますか」

 俺らは精神病院へと足を運んだ。ちなみに、俺が昔無理矢理入れられてた精神病院とは全く別の病院や。あれは確か鬼ヶ島精神病院って名前やったはず。強制的に規則正しい生活させて逆に体調悪くさせてきたと思ったら、お前はここにいる必要はないとか言って追い出されたっけ。今となっても悪い思い出や。

 被害者が入院してた病院は最近できたみたいで、外観も内装も、俺が入院してた病院より比べ物にならんほど綺麗で、オシャレとさえ言える代物やった。白い壁も茶色い床も、光を反射して空間をより明るいものにしてるし、共用スペースの部分には壁の一部にチョコレート色が使われてて、おっ、ってなりました。それで入院してる人も、すごい視線は感じたけど見てすぐに身震いしてしまうような空気感を出してる人はおらんかった。まだ軽度な人らが入院するエリアやったんかもしれんけど。

 個室とか共用スペースを抜けたところに担当の先生の部屋があった。ドアを開けると、眼鏡かけた初老の、普通の人そうな先生が座ってた。俺も遠藤も、診察に来た患者みたいな感じで遠慮気味に椅子に座った。

「それで、この前亡くなった目白さん、ああ私たちはそう呼んでるんだけど、目白区で見つかったから。あなたたちはその目白さんのことが知りたくて来たと」

「はい、その件で伺いました」

「もう二年前になるかな、目白さんは見つかった時、自分のことが全然わからなくなっててね。逆に自分以外のことはわかってたんだけど、さすがにそのままはいさようならっていうわけにもいかないから、うちで預かってたって感じかな」

「そうでしたか。その、目白さんは多重人格だったそうですが」

「そうそう。初めの頃は気付かなかった、ていうか僕たちは初めの頃は多重人格じゃなかったと思ってるんだけど、ある日カウンセリングしたら急に石田鉄平が憎いんだって言い始めて、次の日聞いたら誰ですかそれ、って。かと思いきやまた別の日には榎本良一が妬ましいって言い出したんだよ。もちろん次の日には忘れてるんだけどね。それで、ここからが驚きで、なんと今度は自分は石田鉄平だって言ったんだよ。僕たちは、最初はついに自分のことを思い出したのかって喜んだんだけど、自分が石田鉄平だってこと以外何も知らないみたいで。それで、あなた恨まれてますよって言ったら、ああ知ってますよ、あいつは何されても仕方のない奴なんですけどね、って言って。いや自分のことだろって思ったんだけど。それで、目白さんの場合はまだ終わりじゃなくて、次、何があったと思う?」

「もしかして、自分が榎本良一だと言い始めたとかですか?」

「その通り。僕は榎本良一だ、って。これも石田鉄平の時と似てて、榎本良一だってこと以外何も覚えてないわ、だけど自分が妬まれてることは知ってて、なんならある意味力ある者の証明みたいなものですよね、とか誇らしくしてて」

「ということは、目白さんには合計四つの人格があったということですか?」

「いや五つだね。その嫉妬とか恨みの関係性を何も知らない人格もあるから。その人格は逆にそういう感情とは無縁な人格者みたいな感じだったよ。みんなに優しくて読書好きで。基本的にはその人格でいることが多かったかな」

「なるほど。他に目白さんについて、何かありますか?」

「そうだね〜。他には、あ、そうだ、なんか誰かと文通してたみたいだよ。身内とかではなかったみたいだけど」

「文通、ですか。相手は、わからないと」

「そう。わからないんだけど、ある時目白さんの入院費用三年分ぐらいのお金を一気に送ってくれて。それでお礼の手紙を出したら返ってきちゃったんだよね。そんな住所は存在しないって」

「そんな方が。手紙などは残っていますか?」

「いやそれがね〜、目白さんが亡くなって私物の整理してたら、もうその時には全部捨ててあったんだよね〜。一体何が書いてあったんだろうね」

「気になりますね。目白さんの私物は今どちらに?」

「それならとりあえず倉庫に保管してあるけど、よかったら全部持って行ってくれない? 置いててもしょうがないから」

「……わかりました。ありがとうございます」

 警備員に案内されて倉庫に行き、目白さんの私物を受け取った。って言っても中ぐらいのダンボール一箱分ぐらいしかなかったわ。中には目白さんが発見された時に着てた服と、目白さんが書いてたと思われる一冊の日記と、後は目白さん御用達らしき文房具が入ってた。

 日記には目白さんについてわかりそうなことが書かれてたから、持って帰ってじっくり読むことにした。

 俺は倉庫室Bの前に来たら、一度立ち止まった。遠藤に心構えをしてもらうために。

「ちょっと新しいバージョンの部屋に入ってもらうわ。まあ俺にとってはお馴染みの部屋やねんけど」

「え、なんですか、まだこの部屋にバリエーションがあったんですか?」

「そもそものレイアウトは無限大やからな。ゆっても俺も何通りかしか使ってないけど」

「とりあえず見てみたいです」

「じゃあ開けゴマって言ってくれたらいいよ」

「面倒くさ、あ、間違えた。え~恥ずかし~」

「言い切ってるやん。わかりましたよ開けますよ」

 俺は失意のままにドアを開けた。心なしかいつもより埃っぽくてじめっとしてる感じがする。電気を点けると、いつも通りの場所にいつも通り臓器製造機と精神世界再現装置と非物質計測器と水槽が置かれていた。

「へぇー、先輩ってこんなのも持ってたんですね~」

「まあね」

「この部屋はどういう風に使うんですか?」

「向かって左側にあるのが臓器製造機。臓器を製造することができるんだ! そして向かって右側にあるのが精神世界再現装置。精神世界を再現することができるんだ! 凄いでしょ!」

「貼られた名札に書かれてる以上のこと言ってなさ過ぎて凄いです」

「あと、真ん中の机に置かれているのが非物質計測機。これはこのコンピューターから自分の心にアクセスすることで非物質世界の扉を開き、そこから形の無いものを採取して絶対的な尺度を持つこの計測機に取り込むことで形の無いものを数値化することができるんだ! 凄いでしょ!」

「早口でやり返さないでくださいよ~。はい凄いです~。じゃあそのもう一つ手前の机に何個も置かれている水槽は何ですか?」

「あれは水槽やな」

「何の水槽ですか?」

「ただの水槽や」

「なんじゃそりゃ。何に使う水槽なんですか?」

「それはもちろん精神世界再現装置で精神世界を再現する時の容器やんか。そこに臓器製造機で製造した臓器を入れんねん」

「よく噛まずに言えますね。なるほど、それで、どうして今日になってここを紹介してくれたんですか?」

「それはやな、そろそろ紅葉の色が動脈血っぽい赤から静脈血っぽい赤に変わってきたからや、っていうのは全然関係なくて、単純にそろそろ自分にも手伝ってもらいたいなって思って」

「頼み事する心の準備ができてないのを誤魔化さないでください。それで、今まで先輩が一人でやってた、事件の全容が正しいか実験で証明するのを協力してくれってことですね」

「そうです。それに今回は謎解きにも実験が必要やろうからちょうどいいと思って」

「そうなんですか?」

「おそらくな。まあとりあえず先に日記見よか。とにかくそれ見ないと何もわからんから」

 俺らは水槽が置いてある方の机に日記を置いて二人で仲悪く見た。こっちの机に付属してる椅子はなぜか、小学校の図工室にある、空気砲の骨格みたいな椅子で、すぐにお尻が痛くなって嫌やねんけど、なんか今は失われた青春を取り戻したみたいで悪くない痛みやわ。

「どれどれ。(四月一日。若くしてこの世を去った天才の言葉にこんなものがある。『自然は互いに模倣する。よい土地に蒔かれた種は、実を結ぶ。よい精神に蒔かれた原理は、実を結ぶ』、と。私にはどうやら私以外に四つの人格があるらしい。それぞれ、怒り、冷酷さ、嫉妬、高慢さに飲み込まれているようだ。これは天才の言葉を証明するいい機会じゃないだろうか。私は後世の人々のため、その実験台となろうじゃないか。)。これは人格者の人格ですね。人類のために命を使おうとしている……」

「そうやな。自分に囚われた人間やったら自分のことで頭が一杯で、わざわざ日記にこんなこと書かへんやろうし」

「ここからしばらく人格者の日記が続いてますね。(人間はどうして精神を病んでしまうのか。それはきっと、人間が苦しむ運命にあることを知ってしまったからだろう。私もその一人だ。だが私は信じたい。苦しむだけの運命ではなく、それを乗り越えて幸福になるところを含めての運命であると)(ここの多くの人は、他人の話や自分の話したことをほとんど覚えていない。彼らは今しか見えていない。いやきっと、今すら見えていないのだろう)(ああ、なんて人という生き物は、こう醜くも、尊くもある存在なのだろう。一方ではできる限り他人を傷付けることで自分を保とうとするが[もっとも、そんなことをしている時点で自分という存在は消えてなくなってしまっているのだが]、もう一方は我が身を投げ打って他人を助けることで生きる糧を得ようとする。いつまでエコノミックアニマルたちは彼らを同じ人としてしか計測しないつもりか知りたいものだ)。病院生活で体験したことを元にした考察が多いですね。あ、ここからは人格が変わったようですね。誰なんだろう。(誰だ、こんな世界を知った風に語る高慢ちきな奴は。書くなら自分のノートに書くがいい。どうせお前は榎本良一なんだろう? しょせん人間なんて自分の欲望に振り回されるだけの、自分の尻尾を追いかける犬とさほど変わらない動物なんだ。それでいて自分のことは自分が一番わかっている、自分は知性ある人間だ、なんて思ってやがる。ちょっと社会に認められたぐらいでここまで高慢になれるお前が何よりの証拠だ。知っておくがいい榎本良一、高慢は欲望の産物なんだと)。これは、榎本良一さんに嫉妬している人ですかね?」

「そうっぽいな。それで次の日はその榎本良一なんちゃうか。(まったく馬鹿馬鹿しい。私がこんな日記なんて時間の無駄なことをするわけがないだろう。だから君はいつまでもそう指を咥えながら頓珍漢な小言を吐くことしかできないんだ。そんなに人が妬ましいのならば努力して見返してみろ。まあでも、君みたいな人間に妬まれるのは、勝者が背負う一種の税みたいなものだと思っているから、そう悪いものでもないがね。まあせいぜい、貧弱な脳みそで鍼灸代わりの鋭い指摘とやらを考え続けてくれ)。合ってそうちゃうか、高慢やし」

「そうですね。確かに高慢です。あれ、人格が変わるのは、一度起きたら短期間に連続して起こるんでしょうか。次もまた別の人になってますね。(今度はこんなつまらない悪戯で私を傷付けるか。私は多重人格でもなければ榎本良一でもない。こんなことをしてからかってくるのは石田鉄平だろう。あれだけ私を侮辱しておいてまだ貶めようとしてくるとは。私は決してお前を許さない)。かなり怒ってますね。一体何があったんでしょう」

「どうやって別々の人格同士で揉めるんやろな。次はそのお相手みたいや。(君をいたぶって楽しもうとしているのは事実だが、残念ながらそんなことをしているのは私ではない。私ならもっと君の心をえぐるようなことをする。なぜなら君が君だからだ)。こっちもこっちでめっちゃ殺意抱いてるやん。石田鉄平もなかなか残忍やな」

「これら全てが一人の人間の人格だとは驚きですね。それで、どうやら一周すると元に戻るみたいです。(私が見ない数日の間に、この日記もだいぶ賑やかになったようだね。こうでなくっちゃ)。元の人格はかなり楽しんでますね」

「そうやな。そこからまたしばらく目白さんのままで、あ、ここからまた目白さんじゃなくなってるみたいや。(文脈を見る限り、どうやら私のフリをしている者がいるようだ。まったく、強者にはいつも弱者がまとわりつく)。これは榎本良一か?」

「お医者さんも目白さんも、人格は四つあるって言ってたので、それは榎本さんっぽいですけど……。翌日もちょっとおかしいですね。(なんだこのノートは。私はこんなことした覚えはないぞ。どうせ榎本良一だろう。こんなつまらないことをするなんて、お前も堕ちたな)。前の方に榎本さんが私じゃないって言ったの書いてあったと思うんですけどね」

「ていうかそれ以前に前に自分がこの日記に書いたことも忘れてない? なんかこれ読んでたらこっちまでおかしなってきそうやねんけど」

「安心してください。先輩は元からおかしいです」

「……。(勝手に私のノートで小競り合いをしている連中は誰だ。決めた、貴様もなぶり殺しにしてやる。早く名乗り出るがいい)。決めた、貴様もなぶり殺しにしてやる」

「なんでそこだけ繰り返し読むんですか。怖いです。(お前はまた過ちを繰り返そうというのか。彼らは何も悪いことはしていない。それなのにお前は。石田鉄平、私は貴様を決して許さない)。なんかわけがわからなくなってきました。なんで四つの人格の方々はこの日記を掲示板みたいに使っているんでしょうか。自分が前に書いたことは忘れてるし」

「最初の方にあった、(彼らは今しか見えていない。いやきっと、今すら見えていないのだろう)っていうのが答えなんちゃうかな。その時々の思いつきで書いてるだけで、前のこととか置かれてる状況とかは頭から消えてるんやと思うわ」

「なるほど。でも、だとしたらなんでそうなってしまうんでしょう」

「それは心の中に過去とか未来とか、客観性を司るものが入ってるやな。彼らは心に蓋がされた状態やから断絶されてるんやろ」

「非物質計測器が心にアクセスするのと関係がありそうですね」

「そうや。まあ今回はそれを使うことはないやろうけど、とりあえず実験始めてみよか」

「どんな実験をするんですか?」

 俺は立ち上がり、臓器製造機と精神世界再現装置の前に立った。

「これとこれを使うんや。精神世界再現装置で目白さんが持つ全部の人格の精神状態を水槽の中で再現して、その中に臓器製造機で製造した心臓を入れる。それで後は水槽の中の時間を早送りしてどうなるかを観察する。以上!」

 どうやら遠藤は俺の時間の速度について行かれへんかったみたいや。ポカンとした表情してる。

「……。えっと、とりあえずやりましょう」

 まずは二つの装置の間にある水槽をはめ込む専用の場所に水槽をセットして、次にその下にあるモニターで水槽に精神世界再現装置と臓器製造機を接続する。それで色々と設定を入力する画面で臓器の種類とか、誰の臓器にするかとか、誰のどんな精神状態を再現するかを入力する。人物の欄は基本的には死んだ人やったら誰のでも選べる。一部生きてる人のも選べるらしい。知ってる範囲では俺とあと……、まああの人は生きてるわけではないか。あれ? じゃあ俺だけ? え? 俺って生きてる、よな?

「俺って生きてるよな?」

「どうしたんですか急に」

「ちょっと深刻に気になってんけど。どうなん?」

「いや、私にはわからないです」

「この、人でなし!」

 入力が済んだら、決定ボタンを押して装置を稼働させる。装置が動いてる間に、手前の机の引き出しの中に入れてある時間遠隔操作モーターを必要な個数だけ、リモコンと一緒に取り出した。

「そんなとんでもないものこんなぐちゃぐちゃな引き出しの中に入れていて大丈夫なんですか?」

「今回たまたま開いたらぐちゃぐちゃやっただけやって」

「じゃあ次開けたら時には整頓されてるって言うんですか?」

「次開けたら別な感じでぐちゃぐちゃになってる」

「いや駄目じゃないですか」

 そうこうしてるうちに装置からお呼びかかかったのでモニターの前に戻ると、もう完成してるみたいやった。モニターを操作して無を透明に着色したら、水槽の中に心臓が浮いてるのがわかった。これを装置から取り出して、机の上に慎重に置いた。以下、一連の操作を目白さんの残りの人格の数だけ繰り返した。

「無って、本来は何色なんですか?」

「無色やな。どんな生物にも認識できひん色や」

「そうなんですか。それを透明にしたってことですね。心臓が浮いてるから水みたいに見えます」

「そうやな。でも水とは違うから、上を開けっぱなしにはできひんくて、今は見えへんけどフィルムがされてるんや」

「どんなフィルムなんですか?」

「無と有を隔てるフィルムや。ちなみに、そのフィルム自体は無でできてる」

「なるほど。じゃあそれも今は透明になってるんですね」

「せや。ほんなら時間遠隔操作モーターを入れよか。やって」

「あ、私ですか。わかりました」

 遠藤が、ただの真っ黒い石みたいな時間遠隔操作モーターを持った。

「これ、手突っ込んじゃ駄目ですよね?」

「それはあんまり良くないな。上から落として。あ、心臓には当たらんようにしてや」

「当たるとどうなるんですか?」

「いや別にどうもならへん。なんか可哀想やから」

「……はい。じゃあ落としますね」

 水槽の端の方に時間遠隔操作モーターを落とした。

「うわっ、なんか水面みたいに波紋が広がりましたけど、大丈夫ですか?」

「それは大丈夫。別に無と有が混ざったわけじゃないから」

「あれ? ていうかフィルムはどうなってるんですか?」

「フィルムは今も健在や。エンドサイトーシスみたいな感じで、くびり切れて時間遠隔操作モーターにまとわりついてる」

「大福包むみたいな感じですか?」

「まあそんなところや。じゃあ残りの四つもやって〜」

 遠藤は、一列に並んだ水槽に、コイン落としみたいに無意味に慎重になってモーターを落とした。無意味に慎重になって。

「よし、ほんならリモコンの出番や。この下に付いてるつまみで時間を前と後ろに動かせて、他のボタンで感度を調節したり、動画の再生バーみたいに時間を掴めるようにしたり、必要やったらホログラムモニターを出して部分部分で時間の流れを変えたりもできる」

「こんなに凄い機械をあんなに雑に入れていてほんとに大丈夫なんですか?」

「だから大丈夫やって。引き出し開けてない時は時間止まってるから」

「じゃあなんで引き出し開ける度に配置が変わるのかは気になりますけど、キリがないので始めましょう」

「よっしゃ!」

 俺は、水槽の中が普通の時間速度の525600倍の速さになるように調整してつまみを回した。

「ん? まだ何も起こらないですね」

「一分で一年経つぐらいの速度やからな。まあでもそろそろちょっとずつ変わってくるはず」

 二分ぐらい経ったところで少しずつ変化が現れ始めた。

「あれ? なんか今冷酷の水槽の心臓から何かが落ちたような」

「恨みの水槽もや。剥がれ落ちたみたいやわ」

「あれ? ていうか高慢の水槽の方も心臓が色褪せてきてるような気が」

「ほんまやな、言われてみれば。もうちょっと加速させよか」

 今の5倍の速さに加速させた。

「あ! 冷酷の心臓にどんどん亀裂が入って破片が落ちていく! 高慢の方はどんどん黒くなっていく!」

「いい反応やな。こっちも同じような感じで進んでるわ」

 二分ぐらい経ったらどっちも真っ黒になってあんまり何も変わらんようになったから、つまみを真ん中に戻して加速を止めた。

「とりあえずまとめると、嫉妬と高慢の水槽は同じような感じで心臓が腐っていき、恨みと冷酷の水槽は心臓がボロボロになっていった、っていう感じですか。人格者の水槽は、これだけはあんまり変化がないですね」

「そうやな。司法解剖の結果と照らし合わせるなら、人格者の水槽の心臓はダイヤモンドになってるはずやけど」

「あ、そうか、目白さんの心臓が五つの領域に分かれてたのって、人格の個数が五つだからだったんですね!」

「ああそうやで。知らんかったん?」

「その一言要らなくないですか?」

「そう怒るなって。心臓ボロボロになるで」

「決めた、貴様もなぶり殺しにしてやる……」

               *

翌日、俺らは小説家の張本の家に行った。もちろんアポなしで。別に親しき仲には礼儀は要らないとか言ってるんちゃうで? あいつの家のインターホンは押したら張本がおる時間に繋がって、必ず出てくれるからやで。

 いつも通り、不味くもなく美味しくもないお茶が出てきた。

「なるほどな。精神状態を心臓に反映させたというわけか」

「そうやな。それで実験の結果、恨みと冷酷、嫉妬と高慢は同じような精神状態であるってわかったんや」

「ような、というのは、少しは違うということか?」

「それは、心臓が最終的には完全に同じ状態になることはわかるけど、精神状態まで完全に同じかはわからへんからやな。まあ肉体と精神は時間が経つほど一体化していくものやから、同じやとは思うねんけどな」

「そうか。……二人は、言葉と言葉の因果関係については考えたことがあるか?」

 張本は、特に遠藤の方を見てそう言った。後輩やから話に入りづらくて疎外感を抱かせへんようにっていう、孤独な者のぎこちない優しいやな。

「因果関係、ですか?」

「言葉が示す対象は同じでも、言葉自体は別の言葉に変わってしまうような」

「あーそれなら、恋と憎しみとかはどうですか? 恋も憎しみも、他人を自分に都合良く解釈する心は同じですけど、名前は違います。感情としても違うけど」

「珍しく鋭いな」

 突然、脇腹に貫かれたような感覚を覚えた。俺は状況を理解できないまま、恐る恐るゆっくりと、目線を脇腹に向けた。そこには、この世で見たことのあるどの刃物よりも鋭利な、遠藤の指があった。

「心と感情は、宝石と、それに光が差して反射屈折し輝いている状態に似ている。もちろん宝石のカットの仕方にもよるが、宝石自体は同じでも、光を当てる角度を変えれば、輝き方は変わるものだ。感情も同じで、時と場合によって、たとえ心が変わらなくても、それが一見真反対のものに思えるほど違って見えることがある」

「そもそも感情は、心と肉体が見せる幻やからな。心と感情は若干別物なんや」

「なるほど。じゃあ恋と憎しみは、同じ心が見せた別の姿ってことですね。それは置かれている状況によって変わる……」

「恋があるから憎しみが生まれ、憎しみがあるから恋に変わる。まあ恋とか憎しみは、宝石で言ったらあんまり綺麗に輝いてない状態なんちゃうかな。なんなら輝いてすらないかも」

「採掘場で掘り出したままの宝石のような感じだな。もちろん、嫉妬や恨みもそれと同じような状態だ」

「じゃあ、人によって人間性が違うのって、宝石の磨き具合とか磨き方みたいなことなんですか?」

「その通りだ。磨き具合や磨き方によってはどこから光を当てても眩いほどに輝くように、心も、苦しみと向き合い続けることで美しい感情を描き出すようになる」

「苦しみ……」

「目白さんの話に戻すけど、嫉妬と高慢、恨みと冷酷は、それぞれ同じ状態の心が生み出した感情ってことやねんな?」

「そうだな。嫉妬が高慢に変わり、恨みが冷酷に変わる。その逆も同じだ。まあ、逆はそんなに起きないだろうが」

「そうなんですか?」

「ああ。高慢とか冷酷な感情は快楽を伴う。だから、一度味わうと、なかなか手放すことができないんだ。若い頃に美人でチヤホヤされて高飛車になった女性が、老化でその美しさを失ってもなお変わらない態度で居続けるのをよく見るだろう? そんな感じだ」

「やってさ」

 俺は、またしても脇腹に貫かれたような痛みを感じた以下同文。

「嫉妬と高慢と恨みと冷酷の四つの感情はいいとして、最後の人格者の感情はどういうことなんでしょうか」

「人格者の感情って、具体的にはどんな感じだったんだ?」

「優しさが過去から未来の人々まで照らしてて、真理を見通す洞察力と、普遍性のある思想を持ってる状態やな」

「そういう人は無限の可能性を引き出すことができる状態でもあると言える。思いのままになんだってできるということだ。だから、ダイヤモンドになったのは、一種のユーモアみたいな感じじゃないのかな」

「なるほど。じゃあまとめると、ナノマシンで精神状態を表す言葉を心臓に具現化して、人格者のそれだけはなんでもできたからダイヤモンドに変えたってことですね」

「ダイヤモンドに変えるってとこは味わい深すぎるな」

 事件の話題が終わって、張本の小説の話に変わった。

「張本さんの小説って、表現が独特ですよね。無が有る、とか、正論を武器にするなという言葉を使う者は正論を武器にしているのではないか、とか」

「自己矛盾したことに対して気持ち悪いと感じてしまうだけだよ。自分の理解できないことはなんでもかんでも無いことにしたり、自分のことを棚に上げたりするのはもはや動物のやることだからな。人間は普遍性があるものを美しいと感じる。自己矛盾しているということは、普遍性の道を一歩目で踏み外しているのと変わらない」

「獣臭いのが苦手なんやな」

「今回の事件の目白さんが、よい精神に蒔かれた原理は実を結ぶ、っていう言葉を使っていました。よい精神は美しいと感じますから、そんな精神は普遍性があって、そこから生まれた原理だから、普遍的で正しいと実証されるってことなんですね」

「真理は普遍的だからな。相対的な意味の正しさじゃなくて、絶対的な意味で比較的正しいものを掴めるんだろう」

 相対的じゃないのに比較的。こいつはわざと自己矛盾するユーモアを使いがちや。それができるのは、普段から自己矛盾に気を付けて生きてるからなんやろうな。

「そうだ。因果関係のある言葉って、今回の事件に出てきたもの以外でもまだあるんですか?」

「どんな話をしていてもすぐ事件の話に戻ってしまうのは刑事の性なのか?」

 やって。っていう顔を遠藤に向けた途端、またまたしても脇腹に〃。

「そうだな。勇気と優しさとか、臆病さと残酷さとかじゃないか。不可逆的なもので言えば、苦しみは愛に進化するし、敗北は勝利へと反転するし、絶望は希望に変わり、不幸は必ず幸福になる。まあそれは全部、同じことを言っているんだがな」

「希望と幸福は、絶望と不幸に逆もどりしたりしないんですか?」

「希望と幸福っていうのは、一時的な幸運とか気分の高揚のことじゃない。そういう諸行無常の支配下にあるような相対的なものじゃなくて、目に見えない絶対的なもの、そしてそれを掴んでいる状態のことだ」

 強い言葉を正しく使えるのは、苦しみを乗り越えて強くなった証拠や。いつか知りたいわ、こいつがどんな人生を歩んできたんか。

 話がひと段落ついて、さあ帰ろかって立ち上がろうとした瞬間、腹部に痛みを感じた。俺は反射的に遠藤の方を見たけど、別に何もしてなかった。まさか、このお茶の中に?

「張本、このお茶の中に、なんか入れた?」

 視界がぼやけていく中、お腹を押さえながら俺は、力を振り絞ってかすれた声を出した。

「入れたが、それがどうかしたのか?」

「何を入れたんや~?」

「何だと思う?」

「今はそういうのいいから! はよ教えて!」

「愛情だが……」

「それや! ちょっとトイレ貸して!」

               *

 次の日、目白さんが入院してた病院には真実を伝えた手紙を送った。今回はナノマシンじゃなくて、精神状態を肉体に落とし込む薬ってことにして、目白さんは偶然それが心臓に集中してしまって暴走したっていうふうに説明した。手紙には目白さんの心臓から出てきたダイヤモンドも入れといた。目白さんもそれを一番望んでるやろう。

 いつも通り、喫茶店に集まった。

「あの後張本さん、これからも愛情を入れ続けて、少しずつ弱らせてやる、って言ってましたよ。さすがに酷いですよ~。愛情が入ってるせいでお腹壊すって。私だったら次来た時に致死量の愛情を入れて、すぐに殺してるところです」

「なんでさっきから愛情を毒物みたいに扱ってんの?」

「元凶は先輩ですよ。あそうだ。結局、目白さんの実験はどういう結果になったと言えるんでしょうか」

「よい精神に蒔かれた原理は実を結ぶっていう原理を、身をもって実験しようってやつやな。それは、まだ実験中なんちゃう?」

「でも、もう亡くなっちゃいましたよ?」

「善人だけは永遠に生きれるんや。永遠を通しての実験なんやろう」

「う~ん。そういうのありなんですか~? マスターはどう思いますか? 先輩の話」

「そうですね~。どうなんでしょうね~。まあ私は永遠に生きられますから、結果を見られるわけなんですが。あっはっはっはっ」

「先輩、これはジョークなんですか? マジなんですか? マスターのキャラ的に全くわからないんですけど」

「こればっかりは俺にもわからん。直接聞いてみたら?」

「わかりました。……マスターは本当に、永遠に生きれるんですか?」

「どうでしょう。あっはっはっはっ」

「超越者の不敵な笑みなのかただギャグに一人でツボってるだけなのかわからない……」

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