第4話
第四話
八月某日、お盆休み明けの遠藤が倉庫室Bの前に立っていた。今日が下半期初出社だ。約一週間振りに来た遠藤は、自分がどういうキャラだったのか、どう振る舞えばいいのか、わからなくなっていた。
いつまでも入り口の前で踏み止まっていると、後ろから園福寺がやって来た。
「おはようさん。そんなとこで何してんの?」
「おはようございます! 本日もよろしくお願いします!」
「おいどうしたんや。最初に戻ってるやん」
園福寺は動揺しながら鍵を開けた。部屋の中には、いつも通りの書斎の景色が広がっていた。
「今日も大変貴重で有意義な経験ができると思うと、感謝の想いで一杯になります!」
「いや全く思ってないやつやん。一週間空いて色々と忘れたんか? 今度から休み減らすか」
「いえ、休むのもれっきとした業務の一つだと思っていますので、これからもどんどん休みをください!」
「それは本心やな」
*
気を取り直して、今回の事件の事情聴取に向かった二人。被害者は栗野康昭、嘘発見機に使用される矛盾検知装置を販売する会社の営業職に就いていた。
事件は取引先に営業を行っていたところで起こった。いつも通り相手と話をしていたら、突然鎖が切れるような音が部屋に響いたのだ。すると、栗野は魂が抜けたようにぐたっとなり、そのまま亡くなってしまったらしい。
まずは被害者の勤めていた会社の上司に話を聞いた。パーテーションで仕切られた簡易的な応接室で行われた。
「栗野くんね。彼は途中から吹っ切れたのかな、最初は実績全然駄目だったんだけど、ある日急に結果を残すようになって」
「そうだったんですか。その理由が何かはわかりますか?」
「そこまではわからないけど、この仕事は吹っ切れるのが大事だからね、その辺のコツを掴んだんじゃないかな」
「なるほど。では、最後に栗野さんがどんな方だったか教えていただけますか」
「どんな方か〜。いや実は営業職の人はほとんど会社にいないから、あんまりわからないんだよね。今は飲みに行くみたいな文化もなくなっちゃったし、まあ優しい感じではあったと思うよ」
「わかりました。お忙しい中、ありがとうございました」
二人は会社を出て、最寄りの駐車場に停めていた車に戻った。
「あんまり動じてないようでしたね、部下が亡くなっても。今の会社ってそういうものなんでしょうか」
「社員は会社の部品でしかないからな。特に営業は使い捨て要素が高いし。人間疎外や」
「病める国ですね。結局栗野さんのことはほとんどわかりませんでした」
「そうやな。その人がどんな人間かよりも、パラメーターの方が重大な関心事やからな」
「そうですね。じゃあ次はどこに行きますか?」
「いやだから目的地わからんのにハンドル握ったらあかんやん。経験値リセットされてない?」
「すいません、これやらないとチューニングにならなくて」
「こんな部下絶対忘れへんな」
結局、栗野が亡くなった営業先の会社に車を進めた。
栗野が最期に訪れた会社は、矛盾検知装置を尋問用に使おうと考えている、外務省や警察と深い関係のある会社であった。
二人が招かれた部屋は、深く沈み込める真紅のソファに、緑でよく反射する机が挟まれた、潜在的に身構えてしまう部屋だった。遠藤は部屋の空気と強面な対面者の雰囲気に飲まれてしまったため、珍しく園福寺が話を聞いた。
「それで、栗野さんのことで来られたんですよね? 事件性はないって前に来た刑事さんが言ってたんですけど、まだ何か?」
「我々が解き明かそうとしてるのは、栗野さんの死因の方であって、掘り返して事件にしようとかは思ってないんで安心してください」
「そうですよね、良かったです。うちのお客さんには正義のバッジを身に着けた方々もいるので、困るんですよね、あらぬ疑いをかけられるのは」
「じゃあ早速、栗野さんのこと聞いていいですか?」
「どうぞどうぞ」
「ありがとうございます。営業相手のあなたから見て栗野さんってどんな人に見えてました?」
「どんな人ですか。そうですね、営業の人によくある、張り付いた笑顔の底に何を考えているのかわからないような人でしたね。まあビジネスの利害関係ならそれで問題ないんですが。私たちの仕事にはそうした浅い繋がりでは成り立たないこともありますから、様子を伺いながら関わってましたね」
「なるほど~。本音と建前で言えば、建前だけではやっていけない業界なんですね。じゃあその何を考えているかわからない栗野さんの心の中をどんなものだと予想してました?」
「栗野さんの場合は、その見えない腹の底が決して黒いものではなさそうという感じはしていました。大体何か良からぬことを企んでいる人というものは、視野が狭くなるものですからね、話していくうちにそういう狭量さが伝わってくるんですけど、栗野さんからはあまりそうしたものは感じられなかったです。なので、何か善意からくる企てがあるのかもしれないなと」
「善意からくる企てですか〜。善意であっても警戒心を持って接する必要があるんですね?」
「そうですね。目的が異なると計画に齟齬が生じてしまうので。ところで、どうして栗野さんの人物像を知ることが、彼の死因の究明に繋がるんですか?」
「僕らが解き明かそうとしてる死因っていうのは、肉体的なものではなくて精神的なものなんで、彼の人となりを知ることが重要になってくるんですよ」
「なるほど。精神の死からあの不可解な出来事を明らかにしようとしていると」
「そうなんですよ〜。ちなみに、栗野さんが亡くなった時って、どんな状況でした?」
「表面的ではあれ、双方の利害のすり合わせがかなり進んでいたので、具体的な契約の話をしていましたね。確か、彼が(約束します)と口にした時に、例の鎖が切れたような音がした気がします」
「約束します、ですか〜。その言葉からは何が感じ取れましたか?」
「ビジネスマン特有の綺麗事だと受け取りました」
「ほぼほぼ嘘ってことですか?」
「そうなりますね」
「なるほど、貴重な情報をありがとうございました」
得た情報を整理するため、二人は一旦、倉庫室Bに戻って来た。
冷蔵庫からドーナツのチョコオールドファッションを人数分取り出し、食べつつ話を始めた。
「なんだか難しいですね〜。ビジネスの世界って」
「土台が人間への疑いでできてるからな」
「損得の色眼鏡で見ていたら、人間のことを正しく理解することができないんだなって思いました」
「そうやな。相手の考えてることを知るのが大事で、その人がどういう人間か、とかは無駄なこととして切り捨てられるから、人間を正しく知ることはできひんな」
「栗野さんって、どんな人なんでしょうか」
「何かしらの善意を隠し持って営業の仕事してる人ではあるんやろな」
「それで、ナノマシンはどうしてあんな振る舞いをしたんでしょうか」
「俺はもうわかったで。教えへんけど」
「えっ! どうして教えてくれないんですか!」
「簡単に答えを知ってしまったら成長せえへんやんか」
「なんで急にいい先輩らしくなってるんですか〜」
「俺は前からいい先輩や! とにかく、自分で考えてみなさい」
「わかりました。取り敢えず、(約束します)っていう言葉に反応したんですよね。それを具現化したら、何故か鎖が切れたような音の後、栗野さんは亡くなってしまった。何かと何かを繋ぐものが切られた……」
遠藤が熟考に入ったところで、タイミングを伺っていたかのように天野が部屋に入ってきた。
「やあ二人とも! 捜査は順調かい?」
「被害者の意図がわからんとこや、って何しに来たんや? 呼んだ覚えはないぞ?」
「僕は君の召喚獣じゃないんだから、呼ばれなくても来るさ。今日来たのは情報提供の報酬を貰ってないなと思ってね」
「なんで同じ組織の情報交換に報酬が必要やねん。……冷蔵庫から取って~」
「ありがたく!」
天野は自分の家のものであるかのような滑らかな動作でチョコオールドファッションを取り出し、園福寺の隣に座った。
「遠藤さんは集中するとかなり入り込むタイプなんだね」
「まあマルチタスクが出来そうな感じではないわな」
「もしかして、栗野さんが断ち切られた鎖が繋いでいたものは、心と体なんじゃないでしょうか」
遠藤が、もはや人に聞いてすらいない、独り言を呟くように言葉をこぼした。
「なんでそう思ったんや?」
「鎖が約束を表しているとしたら、それが切れるということは約束が破られるということになります。それが言葉を発した瞬間に切られたということは、誰かとの約束というよりは、それ以前の、約束は守るという自分との約束が破られたことを意味するのだと思います。自分との約束というものは、自分の心と体が交わすものです」
「遠藤さん、どうしちゃったの?」
「久しぶりの出勤やから前の自分を忘れてもうたんかもな。今日ずっと変やねん」
「え? いつも通りの私ですよ?」
「じゃあ僕から一つ質問なんだけど、どうして自分との約束、心と体との約束が破られたら死んでしまうんだい?」
「それが破られたとしたら、もうほとんど生きながらに死んでいる状態になりますから、ナノマシンの性質上それを表しているんですか?」
「疑問文やったんかい。まあそうやな。ナノマシンは言葉を具現化するものやけど、それは心の深いところにある想いから発せられたものが対象やから、ある意味では真に心の心である部分を表現するものやとも言えるわけや。自分との約束を破るっていうのは心の死を意味するからな、それを表現したら肉体の死になる」
「ですよね」
「えらい強気やな」
「あ、天野さん、いらっしゃってたんですね」
「会話してから存在に気付かれたのは初めてだな」
「でもやっぱり、栗野さんの思惑がわからないですね。どうしたらいいんでしょうか」
「とりあえず今ある情報をまとめよか。天野、もう一回情報教えて」
「人使いが荒いな君は。まず、ナノマシンの所有者は栗野さんで間違いなくて、だけどその入手経路は完全に不明で。肉体的に見れば瞬時に生命活動が停止していたみたいで。あと、そうだ、ご家族が遺体のことでこっちに来てるみたいだよ」
「それなら会ってみましょうか。栗野さんがどんな人かわかるかもしれません」
「指揮官になってるやん」
「彼女の潜在能力は未知数だね」
*
翌日、栗野康昭の件で警察省内に来ていた両親に、小会議室で話を聞いた。
「この度は、息子さんのことで心を傷まれている中、ご協力ありがとうございます」
「いえ、とんてもないです」
母親が生気の弱まったように返事をした。
「息子さんがどういう人物だったか、お教えいただけますか?」
「わかりました。康昭はとにかく、約束を守る子でした。小さな約束だけでなくて、必死に働いて私たちの生活を楽にする、みたいな大きいものも」
「そうでしたか。では、傷付く姿もたくさん見られたのではないですか?」
「そうですね。子供の頃から裏切られることもよくあって。社会に出るのが心配ではありました。その上、かなり割り切らないといけない仕事に就いて」
「初めの頃は、なかなかうまくいかなかったそうで」
「ええ。その頃はひどく悩んでいたみたいです、自分の心を偽ることが許せなくて」
「それでも、途中からは営業成績も良かったそうですね。その変化のきっかけは何だったんですか?」
「なにか、自分の中で答えを見つけられたみたいです」
「その答えというものが何かは話されていましたか?」
「そこまでは。ただ、私たちもよくわからないんですけど、いつか自分のことを聞く人がいたら、ある言葉を伝えてほしいって」
「言葉、ですか?」
「はい。『あなた方の仕事、あなた方の意志こそ、あなた方の最も近い「隣人」なのだ』っていう言葉みたいです」
「なるほど……。どうしてその言葉を?」
「それもわからないんですけど、とても大事なことだからと」
「そうですか……」
聞き取りの後、園福寺の先導で、とある場所に向かった。それは、今回は倉庫室Bの隣にあった。
「この扉って前からありました?」
「ないな。そして次来た時はまたないかもしれへん」
「これも超常的なものなんですね? 看板を見た限りカフェのようですけど」
「そうそう。場所がコロコロ変わるだけで、別に普通の喫茶店やねん」
「どうして場所を転々としてるんですか?」
「人が動くより空間が動いた方が早いからやな」
「なる、ほど」
「じゃあ部屋戻ろか」
「そうですね」
そう言って二人が隣の扉の前に移ろうとした瞬間、入れと言わんばかりに扉が独りでに開いた。
「これは、入った方がいいやつですかね」
「しゃあないな、入ろか」
不思議な喫茶店の中は、深い木の色を基調とした内装で重厚な空気を漂わせており、カウンターにはスーツ姿の、その部屋の気分と調和した雰囲気をまとった初老の男が、コーヒーカップを拭きながら立っていた。
「お邪魔しま〜す」
「久しぶりですね。白鳥先輩」
「ご無沙汰しております、園福寺くん。さあ、お座りください、遠藤さんも」
二人は店主の前の席に座った。
「いつから開店してはったんですか?」
「本当はまだ開店日ではないのですが、皆さんには特別にと思いまして」
「ああ、ありがとうございます。じゃあ準備はもうほとんど終わってるんですね?」
「そうですね。もうとっくの昔に終わっています」
「え、じゃあなんで早く開店しないんですか?」
「そもそも下半期にしかやらないことにしているので」
「そうなんですか。ちなみになんでなんですか?」
「暑いのが嫌だからです」
「そういえば昔からそうでしたね。この人はな、元刑事で俺の先輩やってん」
園福寺は自然な流れで遠藤に白鳥の説明をした。
「そうだったんですか。先輩がお世話になりました!」
「ええ。園福寺くんがお世話になっております」
「はい!」
「俺お世話になり過ぎちゃいます?」
園福寺はアイスティーを、遠藤はココアを注文し、マスターが手際良く用意した。
「まだ一応警察には籍置いてるんですよね?」
「ええ。超常的アドバイザーとして在籍しております」
「その名前だと、なんだか超常的なアドバイザーみたいですね」
「ある意味その通りやわ」
「ですから、何でも相談してくださいね」
店主の優しい表情に、遠藤もすぐに胸襟を開いた。そして、今回の事件の話が始まった。
「なるほど。自分との約束というものが鍵を握る事件だったのですね」
「そうなんです。そこまではわかっているんですが、亡くなった方の真意がわからなくて」
「ナノマシンに関わる今までの人らも、根本的な動機はまだわかってないんですよ」
「根本的な動機ですか。そうですねえ。皆さんは、自分の行動の動機がどこから生じているか考えたことはありますか?」
「動機の動機みたいなもんですか」
「ええ。例えばですが、お二人はどうして刑事になりたいと思ったのか。そしてさらに、なぜそれが動機たり得たのか。そのようにして、自分のあらゆる行動の根源を探ってみてください」
「私の場合は、両親を不可解な事件で亡くしたことが刑事になりたいと思った理由ですね」
「それは悲しい出来事でしたね。ですか、必ずしも皆が同じ出来事からそのような志を抱くとは限りません。遠藤さんがそう思ったことにも理由があるのです」
「その理由、ですか。両親の死を無駄にしたくないからですかね。それでまたそう思った理由、は、命が尊いものだからで、またまたそう思った理由は、……あれ、なんでなんだろ」
「どこまで行ってもいずれはわからんくなるもんなんちゃいますか?」
「その通り。必ずそのうちに元からそうだったからというような運命的な、人智を超えたものと私たちを隔てる壁にぶつかることになります。根本的な動機とは、その向こう側にあるのです」
「確かにそうですよね。ということは、もうお手上げなんでしょうか」
「そんなことはありません。その壁というものは、信じるということによって超えることができるのです。ですが、我々の仕事はその壁の近くまで行くことですから、全く手をつけられないというわけでもないのです。ただ、どんどん超常性の霧が濃くなっていくということです」
「どうすればそこまで迫れるんでしょうか」
「奥深くまで進むほど、後になってみないとわからないという風な様相を呈していきますが、どこまで進もうと人の浅知恵は推し量ることのできるものです。気長に、少しずつ手探りで歩いていけばいいのではないでしょうか」
「時間が必要なこともあるってことですね」
「そうですね」
「とりあえずダメ元で被害者の家行ってみるか」
「賛成です! 何か少しでもわかるかもしれませんからね!」
「できる限り努め続けるのがいいと思います。ただ、わからないものはわからないままにしておくことを忘れないでくださいね。それが真実へ至るのに必要不可欠な要諦です」
「決めつけるのは愚の骨頂やってことですね」
「ありがとうございます! そういえば、昔の園福寺さんってどんな感じだったんですか?」
程良かった緊張が緩み、思い出話に芽が出始めた。
「昔の園福寺くんですか。そうですね。驚くほど今と変わっていませんでしたよ、会った時から」
「そうなんですか〜。でも確かに、この姿以外の先輩なんて想像もつきませんね〜」
「俺にも赤ちゃんの時はあったんやで?」
「絶対嘘ですよ」
「嘘をついて自分の過去を煙にまくのも変わっていませんね」
「狼少年の初期症状出てる?」
二人はマスターに別れを告げた後、喫茶店の扉を開けた。扉を開けると、被害者が住んていた社宅のエレベーターホールが見えた。二人がそこに出て扉を閉めると、壁と同化するように消えていった。
「帰りは自分で帰れということですね」
「甘やかすのを優しさやとは考えてない人やからな。……砂漠とかに置き去りにされんくて良かったわ」
「そんなことあるんですか?」
「あの人やったらやりかねへんな」
「超常的な人ですね……」
管理人に鍵を借り、被害者の部屋に入った。
部屋は白い壁に明るい黄土色の床で、照明の光をよく反射し、強い明るさを演出していたが、持ち主のいないその部屋は、二人にどこか冷たさを感じさせた。
「蛇行していく間取りなんやな」
「そうですね。猪突猛進な私には住みにくいかもしれないです」
「確かに」
「たしかに……」
風呂場を確認し、使用感のないキッチンを通り過ぎ、奥の部屋に入った。
「布団ぐらいしかないですね」
「そうやな。自分はどんな部屋を想像してた?」
「私は、壁に地図が広げられていて、付箋がたくさん貼られているような部屋を想像してました」
「ザ・何か企んでる奴の部屋やな。まあドラマの世界やったらそういう、期待通りの結果が得られることがあるんかもしれへんけど、大体真実隠してますよ~って顔した箱の中身って何もないんねんな」
「この世界って、勝手な期待に厳しいですよね」
「まあその期待に応えるような世界やったら人は化け物になってしまうからな」
二人は部屋の真ん中に立った。
「今までのナノマシンの使用者は、動機の中で私的なものが占める割合が大きかったと思うんですが、栗野さんはそうではないように思います」
「そうやな。彼の場合は何かわからんけど大いなる動機、今までの人らもそれは含まれてたんやろうけど、彼の場合はその動機が大半を占めてるんやろな」
「その動機、意志や信念とも言い換えられるそれは、先輩の先輩が話していた人智の限界を超えたところにあると」
「深くまで(なぜ)を遡ればそうなるんやろうけど、ナノマシンはマシンだけあって人工のものやからな。それに関わる事件を起こしている動機は人智の限界を超えてはないと思うわ」
「なるほど。じゃあ私たちは、そのナノマシンを創り出した動機を掴まなければいけないということですね」
「そうなるな。そしてその動機は、人智の限界のすぐそばにあるんやろな」
「となると、より一層超常的なものを受け入れないといけなくなりますね」
「やったらその前に、今までの事件をその大いなる動機的な見方で振り返ってみよか」
「そうしますか。それなら最初の大山さんの事件からですね。大山さんは(無理)とか(できない)、みたいな人を縛り付ける言葉を具現化させていましたね」
「人智を超えてるものは普遍的で形而上的で抽象的やからな。そうしていこか。拘束、限界、制限、限定、有限……」
「なんかコペンハーゲンみたいなのが必要なんじゃないですか?」
「アウフヘーベンのことか? まあ最高次元のものが対象やから、次元を上げれるしその考え方を使った方が良さそうやな。それやったら対立するものとして、開放、無限、無制限」
「無尽蔵とか広大無辺とかも入れられそうですね。ということはこの場合、言葉には広げる力と狭める力がある……ってことを?」
「伝えようとしてるんかな。それにしては俺らだけって、伝わる人の範囲狭い気がするけど」
「一旦そこは置いておいて、次の田中さんの事件に移りますか。田中さんの事件は愛と命が釣り合って、というものでした」
「等価交換、ていうか言葉そのものが示すものに価値があるっていうことになるかな。それでそれを?」
「次いきましょう。足立さんの事件では、言葉が表す範囲の外にも効果が及んでいるみたいでした」
「言葉には表の意味だけじゃなくて裏の意味もあるってことやったな。これは捻くれ者がよく考えるやつっていうイメージがあるけど、考えられる時点で裏側もあるってことやからな~。表とか裏とか、一面だけしか見いひんのじゃなくて、多面的に観ることを心がけて真実を見通せるようにならないとあかんのやろうな」
「なるほど、確かに真実は最高次元ですからね。平面的な見方をしているうちは辿り着けないものです」
「そ、そうやな。じゃあ今回の事件の場合は?」
「約束しますと言いながら、心の中では初めから破るつもりでいたってことは、言葉それ自体と言葉が表す対象というものは必ずしも一致しないことが言いたかったんですかね」
「それもあるやろうし、言葉と意味を分離させたかったんかもしれんし。そうすれば言葉の奥にある真実に目を向けられるようになる」
「誰にそうなって欲しいんでしょうか。私たち?」
「四人の死と関わった人らの中で共通してるのは俺らやからな。もしかしたら、もう既に蜘蛛の巣に引っかかってるんかもしれん」
「だとしたらどうして私たちなんでしょう」
「いい操り人形なんか、それとも……」
「それとも?」
「……今更やけど、一つ自分に聞きたいことがある」
「なんですか?」
「自分、進化し過ぎちゃうか? 卵から一気に蝶が孵化して飛び立ったみたいやで」
「美しさで言えばその通りだと思います」
「やっぱ蛾に変えよ」
「蝶でいいじゃないですか〜」
「ほんまにこのお盆休みの間に何があったん?」
「話せば長くなります。それだけで小説が一冊書けちゃうかも」
「じゃあそれ本にして、表紙だけちょうだい。そこから察するわ」
「なんですかそのフライドチキンの皮だけ食べるみたいな読み方は」
*
その後二人は電車を使い、最寄り駅への乗り換えのために別々の路線になるタイミングで別れた。
園福寺が最寄り駅に到着し、地下の改札を出て地下街を歩いている時、ふと通り過ぎようとした通路の方を見ると、地上に上がる階段に通じる両開きのガラス戸の片方が、例の喫茶店の扉になっていることに気付いた。すると、(先輩今日めっちゃ登場するじゃないですか)と思いながらそちらに向かって歩き始め、導かれるように喫茶店の中に入った。
中には店主と、その前の席に座っている天野がいた。
「これはこれは園福寺じゃないか。奇遇だな〜」
「まあそういう店やから」
「これはこれは園福寺くんじゃないですか。先ほど振りですね。どうかしましたか?」
「先輩が呼んだんじゃないですか。こっちのセリフですよ」
「実はお二人が店を出てしばらくした後に天野くんが来店してきたのですよ。それで二人で思い出話をしているうち、君を呼びたくなったというわけです」
「ほんま先輩風吹かせ過ぎですよ先輩」
園福寺は天野の隣に座った。
「それで、何の話してたんですか?」
「君たち二人と三人で挑むことになった事件の話をしていました」
「あー懐かしいですね、あの時の話すんの初めてですよ」
「あ、もうしなくて結構ですよ」
「え? なんでですか?」
「十分話しましたから」
「もしかして、俺が電車に乗っててしばらくの間自然に扉を置ける場所が近くになかったからですか」
「その通りです」
「じゃあ今はなんで呼んだんですか」
「遠藤さんのことだよ。これからどう関わっていくのか聞いておきたくてね」
「それね。そのことやったらめっちゃ考えてますよ」
「教えていただけますか?」
「もちろんですよ。……、成り行きに任せようと思います」
「ちゃんと考えたのか?」
「考えたって! 毎日寝る前に」
「大丈夫なのか? 遠藤さんのナノマシンのこととか、知る順番によっては関係性に亀裂が生じることになるんだぞ」
「それは大丈夫やって。遺体は異空間の別の部屋に隠してるし」
「君のナノマシンについてはどうするおつもりなのですか?」
「それは遠藤のナノマシンのこと打ち明ける時に一緒に話そうと思ってます」
「まあ、それが適切かな」
「そうやろ? やから言ったやん、考えてるって」
「考えた上で自然に委ねるということですね」
「それが一番健康的ですからね」
「甘いものばかり食べている君が健康を語るとはね」
「まあな!」