第3話 補集合人類
「先輩を串刺しにしろ! ……。やっぱり駄目です。言うことを聞いてくれません」
「いや発動せんでよかったわ。もうちょっと優しいのにして? 血が流れへんような」
「血が流れないようにですか。わかりました! 先輩を毒殺しろ! ……。また駄目だ」
「なんでそんなに俺を殺したがるんや……」
*
赤いスポーツカーがいまにもぶつかりそうになった時、遠藤が車に向かって叫んだ。
「止まりなさい!」
すると、車は園常寺に先端が触れたところで急停止した。ブレーキが間に合ったというような止まり方ではなく、映像を一時停止するように、瞬時に止まっていた。
「自分も操れたんかいな。はよ言ってや」
特にナノマシンに何かをされていたわけではないのに、同じ姿勢で固まったままの園常寺が安堵とともに言葉を漏らした。
「え? 今のって私がやったんですか?」
力が抜けてその場に座り込んだ遠藤が言った。
「そうやで。俺はもう年やから反射神経間に合わへんかった」
「先輩よく嫌味っぽく年の差のこと言いますけど、そんなに変わらないですよね?」
「いやいや、その少しの差がでかいんやって」
「あの、大丈夫ですか?」
車の運転席からプリン化している金髪の若い男が慌てて出てきて、刑事二人に声をかけた。
「自分どうしたんや? 急ハンドル切って」
「いや、普通に運転してたら、急に目の前に何かが飛び出してきて……」
「なんでしょうね。人とか動物の気配はなかったですけど」
「幽霊の仕業ちゃうか?」
「幽霊なんていませんよ~。脅かさないでください」
「いや、今の場合おらん方が怖くね? 彼は何を見たん」
*
あの夜の翌日、二人は遠藤のナノマシンについて色々実験をしていた。書斎モードの部屋の、園常寺の机と応接用机の間の狭いスペースで。
「前に言ったやろ? 本心やないとナノマシンは作動せーへんって」
「おかしいな、本心なんだけどな……」
「ちょっとこの子怖い~。なんでこんな危ない子が刑事なれたん~?」
「でも刑事って危ない人ばっかりですよね」
「確かに。ってそんなことはええねん。実験再開や」
「そういえば、私が命令しても先輩のナノマシンが作動しないのは、オーナーじゃないからってことでいいんですよね?」
「そうそう。所有者しか操られへんから、あの時車を止めたのは自分のナノマシンやな」
「まさか私もナノマシンを持ってたなんて。あれ? じゃあ今はどこにあるんですか? あの車にくっついてたらどうしよう」
「それは気にせんでいいよ。あれ質量小さすぎて存在が曖昧やから、いざという時は瞬間移動すんねん」
「へえ~。なんか風来坊なヒーローみたいでかっこいいですね!」
「そうそう。やからこそ、自分が命令を出せば戻って来るから早く成功させてって話やねん」
「なるほど! わかりました! 先輩を、」
「もうそれはええから! スノードームになれ、みたいなのにしよ? 平和的に行こ?」
園常寺は遠藤の命令を慌てて制止し、両手でハートマークを作りながら言った。
「今日も暑いしちょうどいいですね! よし! スノードームになれ! ……」
時間が止まったように全く何も起きず、遠藤は静かに肩を落としてしまった。
「まあまあそう落ち込むなって。まだ気付いて一日二日やねんから」
「でも~。私も先輩みたいにこき使えるようになりたいです~!」
「俺そんなひどい使い方してないと思うねんけどな……。よし、そんだけ言うんやったら、強行手段やな。刀になれ」
園常寺のナノマシンがどこからともなく現れ、右手の辺りに集まって日本刀になった。そのまま遠藤を真っ直ぐ見つめ、一歩ずつ、ゆっくりと近づいた。
「え? 冗談ですよね? ちょっと最近一言一言が強すぎてました? ごめんなさい! 今度からは手数で稼ぐようにしますから~!」
遠藤は後ずさりしながら園常寺から遠ざかった。背中に本棚が当たるまで下がっても、本棚にめり込むように無理やり足を動かし続けている。そうこうしているうちに、とうとう刀の間合いに入ってしまった。園常寺は立ち止まり、ゆっくりと刀を振り上げた。
「それあんまり変わってへんやろー!」
その言葉とともに刀を振り下ろし、遠藤に斬り掛かった。
「誰か助けてー!」
遠藤が両手で頭を守りながら叫んだ。その直後、ドン、と鈍い音が部屋中に響いた。それからしばらくして、自分が生きていることに気づくと遠藤は、目を開け、恐る恐る手をどけた。すると、向こうまで吹き飛ばされて地面に倒れている園常寺の姿があった。
「寸止めにしようとしてたのにやりすぎや……。おとう、さん……」
そう言い残し、園常寺は気を失ってしまった。
*
なかよし広場と呼ばれる、とあるショッピングモールの一角には、中央に噴水があり、その周りに滑り台やジャングルジムや、多数のベンチが設置されており、家族連れ、カップル、若者グループなどが大勢利用していた。噴水や遊具の側面、ベンチの上面には、「みんななかよし!」や、「みんななかま!」や、「なかよくたのしく!」などのキャッチフレーズが書かれていた。
子どもが遊具で遊んでいるのを座って嬉しそうに眺める親子。噴水の近くに隣り合って座り、じゃれ合うカップル。ベンチに座って集まって勉強したり、お喋りしたりしている若者たち。
そんな中、一人のスーツ姿の男が足に重りをつけられているようにトボトボと歩きながら、虹を模したゲートをくぐった。髪はボサボサ、ネクタイも乱れていて、ジャケットを引きずって歩いている。男はそのまま重すぎる足取りで、一つの看板の前まで歩いた。その看板には、「ここはともだちだけのせかい!」と書かれていた。
男は、咲くことなく枯れた花のような悲しい目で、その看板を見た。そして、そのまま目を閉じて、音もなく消えた。
*
遠藤と園常寺は、そのショッピングモール内にある警備員室で、男が消える一部始終を防犯カメラ映像で確認していた。
「正直私もリアルタイムでは発見できなかったんですが、防犯カメラに搭載されている人工知能が異変を検知しまして」
モニターの前に座り、二人に映像を見せていた警備員が言った。太い体に細いフレームの眼鏡をかけているが、クールで芯のある声をしている。
「この映像は、何か細工がされていたりとかはわかりますか?」
「いや~、その痕跡はないですね~。これは、当時起こったことがそのまま記録されたものです」
「何かトリックがあったりとかは?」
「そこまではわからないですけど~、複数の角度から同時に撮られてたんで、なかなか難しいんじゃないかな~」
「そうですか。この映像のデータを頂くことは可能ですか?」
「ええ、構いませんよ。ちょっと待ってください」
「ありがとうございます」
「いえいえ~。この人、なんかの凄いマジシャンとかですか?」
警備員がキーボードをカタカタ、マウスをカチカチ鳴らしながら聞いた。
「それはまだわかりませんが、行方不明になってまして」
「え! ほんとに消えちゃったんですか! なんだか怖いな~」
映像データはホログラム化されて空中を飛び、遠藤のスマートフォンの中に入った。
「ご協力、ありがとうございました」
二人は警備員室を出て、そのままなかよし広場に行くことにした。双子用のベビーカーを押すお父さんとその隣を歩くお母さん、半袖半ズボンで足早に通り過ぎていく少年たち、真っ赤な口紅をつけてフローラルな香水をまとって歩く少女たち、脚と肩を全開で出して歩く女性とその腰に手を置いて歩くブレスレットをつけた男性。この世の悲惨なこととは無縁な人々の中を、ワイシャツの袖をめくった状態の二人が進んでいく。JoysRus、おかしのまちだ、icity、モノクロ、ENIGUMA、Eli Eli lema Sabachthani……。
「ショッピングモールってちょっと怖いんですよねー」
「なんで? 敷地の下に自分の骨が埋まってるから?」
「それならもう私の存在の方が怖いじゃないですか。渋屋のショッピングモールが凍ったの、まだ子供の頃だったんですよ」
「あの事件か。あそこいまだに凍ってるもんな」
「ええ。中にいたお客さん、全員亡くなったんですよね。私も行ってみたいなーって思ってたんで、一歩間違えてたら私もそうなってたのかもと」
すぐそばで少女三人が自撮りをしようとポーズを決めていた。そして二人が前を横切る瞬間にシャッターを押した。パシャッと大きい音が鳴ったので、園常寺は横目で一瞬そちらを見たが、またすぐに目線を正面に戻した。
「まだみんなあの建物の中で凍ってはるしな」
「はい」
「あの時は大変やったわー。チョウジリができたばっかりで対応に追われてなー」
「えっ、あれって二十年くらい前の話ですよね。先輩って何歳なんですか?」
「俺は永遠の十歳やで」
「怖っ」
なかよし広場に到着した。虹のゲートの前で立ち止まった二人を、クマのぬいぐるみを持った三歳ぐらいの男の子が追い越して中に入っていった。
「なんかあの映像を見てから来ると、ちょっと怖いですね」
「ほんまにな。人間一人消えても誰も気付かへんって、どこがみんななかよしやねん」
「いやそういう意味じゃないんですけど。でも確かにそうですね。仲睦まじい様子が不気味に感じてきました」
「そうやろ? よし、じゃあいってらっしゃい」
園常寺は手で(どうぞ)のジェスチャーをした。
「え? どういうことですか?」
「いや、もし入って消えたら怖いから、一人で行ってきてって」
「そんなことを恥ずかしげもなく言える先輩が怖いです。さあ、行きますよ」
遠藤が園常寺の手首を掴んで無理やり中に入った。
「ちょっともう、強引なんだから~。その手、離さないでよね。……ほんまに頼むで。消えんのも消えられんのも怖いから~!」
二人なかよく、男が消えた看板の前まで歩いた。よく見たら、元からピンクや水色や黄緑色なのではなく、赤や青や緑が色褪せて今のようになったとわかる。
「(ここはともだちだけのせかい)。子どもの頃は、こういう言葉で温かさを感じられてたんだけどな~」
「たかがショッピングモールの広場ごときでこの思想いるか?」
「あんまりそんな辛辣なこと言わない方がいいですよ。消されるかもしれませんから」
「ほんまや! ここの広場はみんな一心同体どすな~」
遠藤はカバンから携帯型の空間把握装置を取り出した。ルービックキューブのような見た目で、白い面の真ん中のマスを押すと、そこから球状に光が広がっていく。空間内に欲するものがあればそこだけ光が残る。今回は被害者の足跡だけだったようだ。
「にしても、トリックの仕掛けらしきものも全く見当たらないですね」
「そうやな。地面にも周りにも何もないし」
「そもそも、ここで不審な動きをしている人を、人工知能は検知してないんですもんね」
「なんかのショーなんやったら、もっと見せびらかすようにやるはずやからな。見てもらうんじゃなくて、消えること自体が目的やったんかもしれん」
「そうかもしれませんね。やっぱり天野さんの言う通り、ナノマシンによるものと見て間違いなさそうです」
「あいつの勘は必ず当たるからな。悔しいけど。感じる直感も観る直観も、どっちも鋭いからな。悔しいけど」
園常寺は両方の人差し指でもう一方をツンツンと差しながら言った。
「そうなると私たちがすべきなのは、消えた足立文雄さんの精神状態を調べること、になりますよね?」
「そうやな~。そっちも大変そうやけど。とりあえずクレープ食べて帰るか」
「いいですね。さすがにあの倉庫室も、クレープみたいな手作りのものは出せないですもんね」
二人はここに来る途中で通り過ぎたクレープ屋に向かって歩き出した。ちょうど、近くのベンチに座っている白いワンピースの女性がツッコむ体で隣の男の肩に触れた。それを見て園常寺は返答が一拍子遅れた。
「いや、出せるけど」
「そうなんですか? もしかして、またマナー的な話ですか?」
「よう分かったな。俺は警察の威信にかけてクレープを食べなあかんのや~。すごいやろ~」
「経費で落とすくせに威張らないでください」
フードコートの入口近くにあったクレープ屋に並ぶと、前にはピッタリのサイズのジーンズを履いた男とくすんだ茶髪の女が大声で何やら話しながら注文しているようだった。
「なあなあ、もしここが小説の中の世界やったらどうする?」
「どうしたんですか、急に」
「質問しているのは俺の方だ! 疑問文に疑問文で返す文法があるか!」
「そういうのはシリアスな状況でやらないと」
「で、どうなん?」
「そうですねー。私だったら作者を訴えますね」
「なんでなん?」
「だって、出演料貰ってないじゃないですか」
「なるほどな。それはいい考えや」
前の男女はまだレジの前で何かを話している。女の方は高そうなパステルピンクのスマホで誰かに電話をかけ始めた。園常寺は突然斜め上を向いて、一人で話し始めた。
「ここでクエスチョンです。僕は今何を思っているでしょうか」
「どうしたんですか、急に。あっ」
「読者に問いかけてたんや。俺という登場人物の心情を」
「あー。で、読者は何て答えたんですか?」
「大いなる理想」
「じゃあ不正解ですね」
「なんでや」
ようやく前の客が受け取りスペースの前に移動した。二人は各々食べたいものを注文し、受け取ってから近くの空いている席に座った。座るとすぐ、乾杯する振りをしてから食べ始めた。
「あのメニューの中でチキン南蛮クレープ選ぶとはな」
「私クレープはお惣菜のしか食べたことないんです」
「変わってんな~。前から思ってたけど」
「おかず系のクレープって、クレープの中では肩身が狭そうだから、可哀想で」
「まあデザートっぽくないもんな。仲間外れ感は否めんわ」
「特に甘い系のクレープが卑しいんですよ。誰にでも優しそうな雰囲気出しておいて、実際はすごく排他的なんですよね」
「もしかして、学生時代なんかあった?」
「なんのことですか?」
「いや、なんでもありません」
二人共が包み紙を破らないと食べられない領域まで来たところで、ようやく今回の事件の話題に変わった。
「足立さん、どこ行っちゃったんでしょうね」
「そうやな~。世界中のどの防犯カメラにも映ってないし、そもそも生体GPSの位置情報も消失してるらしいからな~。地球外に出たか、完全に消滅したかやな」
「地球外って出れるものなんですか?」
「そらナノマシンにできひんことはないけど、それだけ強く地球外に出たいって思ってないとあかんからな。やから、何かしら生活の中に痕跡が残るはずや」
「例えばどういうものですか?」
「宇宙に関する本が山ほど家にあるとか、宇宙飛行士の試験を受けたことがあるとか」
「なるほど。周りの人が気付けるぐらい行動に現れてるってことですね」
「そうそう。壱課が調べた感じやと、そんなことはなさそうやけどな」
「そうですね。じゃあもう一つの完全に消滅っていうのは、どう操ればできるんでしょうか」
「それは単純に消えたいって心の底から思ってたらできるわな。まあなかなか難しいと思うわ」
そう言って、園常寺は紙コップの水を一口飲んだ。
「そうなんですか? 現代なら希死念慮の一種で多くの人が思ってそうですけど」
「希死念慮の一種って言っても今ある苦痛から逃れたいっていう思いを表現したうちの一つやからな。根本的には苦しみから開放されたいのであって、別にほんまに消えたいわけじゃないし、死にたいわけでもないから、それやったらナノマシンはあんなふうに反応せえへんわ」
「人を消すってよほどのことですもんね。心の奥深くの思いでないといけない……」
二人ともクレープが残り僅かになった辺りからは、無言になって食べるのに集中した。
「ごちそうさまでした。いい三時のおやつになりましたね」
「いやおかず系のはおやつじゃないやろ」
「あ! またそうやって仲間外れにして!」
この後は、捜査と称してショッピングモール内の店を見て回って、それから書斎に戻ったのだった。
「あ、遅かったじゃないか。何してたんだい?」
部屋の中には、応接用の椅子に座ってコルシカクルーラーを食べながら話しかける天野がいた。
「お前こそ何してんねん。どうやって入ったんや」
「僕ピッキング得意なんだよ。勘が鋭いから」
「こいつ犯罪者にしたら大変なことになるな」
遠藤と園常寺も応接用の席に座った。今回は二人とも同じ側だ。そんなことより、なぜか二人ともビニール袋を持っている。
「それで、収穫はあったかい?」
「あったで~。これや」
園常寺が、持っていたビニール袋から黄色くて丸い生き物のぬいぐるみを取り出した。
「大収穫やろ~」
「先輩これ一発で獲ったんですよ! あと、私もお菓子大量に獲れました!」
遠藤は袋の中を机の上にぶちまけた。小さなカルパスやマシュマロ、黒雷、蛸やっ君、マーブルチョコ、小カマ、千口ノレチョコ、タバコシガレット……。
「いや、ゲームセンターの収穫じゃなくて、捜査の収穫を聞いてたんだけど……」
「捜査の収穫も含めてこれだけや」
「君たちは一体何しに行ってたんだ……。もしかして、それも経費で落とすんじゃないだろうね?」
「もちろんしませんよ! だって他人のお金でやるUFOキャッチャーなんて達成感半減するじゃないですか!」
「まったく……」
「まあ強いて言うなら、収穫がなかったっていうのが収穫かもしれへんな」
「そうですね! 足立さんが消えた場所には行きの足跡以外何もなかったので、ナノマシンによって瞬間移動したか消滅したということで間違いなさそうです!」
「だから言ったじゃないか。そろそろ僕の勘を信用してほしいもんだ」
「そんなに言うんやったら、そっちはなんか収穫あったんかいな」
園常寺が自分の膝を叩いて言った。その言葉を聞いて天野は腕を組んで目を閉じた。
「こっちも何もなかったのが収穫だよ。被害者以外にナノマシンのことを知ってる人は誰もいなかったし、そもそも被害者についての情報を知ってる人もいなかった」
「会社の同僚なのにですか?」
「会社内での付き合いだからね、そもそもどんな人間かを知ることはできないよ。その上、被害者は決して孤立していたわけでもないけど特定の誰かと親しいわけでもない、完全に印象のない人だったようだ」
「うわっ、学生時代の俺やん」
園常寺は胸の辺りを押さえながら言った。
「完全に印象がないってどういうことですか? 一人ぼっちで誰とも関わってないから印象がないっていうのとは違うんですか?」
「一人ぼっちやったら一人ぼっちっていう印象が残るやん。普通に誰かと関わるから、そういう印象もないねん。かといって誰かと親しくなれるわけでもないから、相手にも何も思われへん。おってもおらんでも誰にも気付かれへん存在や……」
そう言うと、園常寺は魂が抜けたように色褪せてしまった。それを見て、天野は特に反応しなかったが、遠藤は動揺しながらマーブルチョコレートを取って、園常寺に与えた。
「どのグループにも分類されないってことですか……。一人ぼっちでよかった……」
「僕も一人ぼっちだったよ……」
「……お前は人気者やったんちゃうんかいな」
「僕の能力に集まってただけだよ。人間と人間の関わり合いをしてくれる人はいなかった……」
「冷たい時代や……」
三人とも色褪せてしまった。しばらくしてマーブルチョコレートが効いてきたのか、園常寺がはじめにに色を取り戻した。
「それじゃあ家族とかは?」
「家族どころか近しい親戚も全員亡くなってるよ。あと、友人らしい友人もいないようだった」
「どうしましょう、これじゃあ足立さんのことが何もわからないままですよ」
「家ん中入るか」
「どうやって入るんですか? 持ち主は行方不明なのに」
「ピッキン……、じゃなくて令状が必要だね」
「俺は天野が心配や」
*
翌日、真夏の太陽に見下ろされる中、遠藤と園常寺と天野は被害者の住むマンションの管理人とエレベーターに乗っていた。薄いグリーンの作業着を着た白髪の管理人は、一人の男の写真を見ている。被害者の履歴書用の証明写真を拡大したものだ。短い頭髪に、優しさを含んだ瑞々しい目をしている。
「管理人っていっても、今時住人と親しくなったりとかはほとんどなくてね〜」
「人付き合いしたがらない人も多いですからね」
管理人の質問に天野が反応した。被害者は四階に住んでいたため、管理人が返事をしようとしたタイミングでエレベーターのドアが開いた。四人は歩きながら話を続けた。
「あ、そうだ。確か引っ越してきた時に挨拶しにきた人じゃないかな~」
「といいますと?」
「いやね、最近はもう引っ越してきてもわざわざ挨拶に来るような人はいないんですけど、一年ぐらい前だったかな、地元のお土産持って挨拶に来てくれた人がいたんですよ。多分あの時の人が足立さんだったような~」
「引っ越した時期と合っているので、そうかもしれませんね」
部屋の前に到着し、管理人は持っていた鍵を使った。老人はドアノブを回してほんの少しドアを開けることで、鍵が開いたことを確認した。
「それじゃあ私は戻ってますんで、終わったら呼んでください」
「ありがとうございます」
管理人は帰っていった。天野は根本が少し錆びたドアノブを回してドアを開け、二人に入るのを促してから自分も入った。部屋はワンルームで、明かりを点けるとまず右側にキッチンが見えた。
「綺麗に使ってるみたいやな」
「そうですね。洗い物も溜まってない」
「靴も揃えてあるし、大雑把な生き方の人じゃないのかも」
扉に近い順番で、トイレ、風呂場を見てから奥の部屋に入った。便器の中に黒ずみはなかったし、浴室にもカビの痕跡はなかった。
「物とか部屋を大事に使っていた感じがしますね」
「一人暮らしの部屋やのにな」
「君の部屋は汚過ぎて新種の細菌が誕生してしまったんだっけ?」
「してないわ! 強いて言うなら綺麗過ぎて新種の天使が舞い降りてしまったかな〜」
遠藤が無反応のまま奥の部屋の電気を点けた。大きな本棚が印象的な部屋で、反対側の机にはデスクトップのパソコンがあり、近くに深みのある茶色のアコースティックギターが立てかけてあった。
「音楽と文学が趣味だったんですかね」
「暑いからとりあえずエアコン付けよ? 俺の頭コンピューターみたいに熱持つのあんまり良くないねん。優秀やから」
「同感だ。高性能なほどデリケートだからね」
「二人とも自分で言いますか」
窓際に置かれたベッドの側の机にリモコンがあったので、遠藤が早足で取りに行き、電源を点けた。その間、流れ星が割れて放射状に別々の方向へ飛んでいくように、園常寺は本棚へ、天野はパソコンの方へ歩いて行った。
園常寺は並べられた本を流すように見ていき、天野はデスクトップパソコンの上に投影式内視機を置き、ホログラムで空中にホーム画面を表示した。投影式内視機は園常寺の発明品で、赤と青の半円が合わさった小さな円盤で、それが二つのボタンになっている。セキュリティが強固でアクセスできない機械もこれを置いてボタンを押すと、自動的に内部の情報がホログラムによって表示される。またホログラム上の操作は仮想のものなので、痕跡が残ることもない。
「世界の古典がメインみたいやな。お、しかも世界的な文豪の名言集まであるやん。ちゃんと作者の思想まで読み取ろうとするタイプの人なんかも。『君の中には、君に必要なすべてがある。「太陽」もある。「星」もある。「月」もある。君の求める光は、君自身の内にあるのだ。』。良い言葉やな。線引く気持ちがわかるわ」
「内省的な人だったのかも。パソコンも、攻撃的な使い方だったり危険な使い方はしていないようだ」
天野はGargoyleの検索履歴を見ていた。(彗星のカービィ グッズ)(彗星のカービィ ぬいぐるみ)(融合せよ動植物の森 住民)(着ぐるみ ショート)(プルタルコス英雄伝)……。
「危険な使い方はなんとなくわかりますけど、攻撃的な使い方って例えばどういうのがあるんですか?」
「人の悪口を書き込んだり、そういう投稿を好んで見たり、とかかな」
「自分を少しでも顧みてたら、人を傷付けたりなんかできひんし、それを見て面白がったりもせえへんからな。人に強く当たれるほど立派な人間なんか自分は、ってな」
「なるほど。確かにそう考えると自分の支離滅裂さに吐き気がすると思います」
天野は次に、Spotifiedのプレイリストを眺めた。ピアノアレンジやオルゴールアレンジされた曲やクラシックが大半を占めていた。
「音楽アプリのプレイリストも、流行りのものはほとんど入っていないね」
「それも内省的な性質に関係があるんですか?」
「最近の流行りは刺激的で、無理矢理興奮させるようなものばかりだからね。内省的な人なら、自分の心が置き去りになっていることに耐えられなくなるはずだ」
「なんか流行に乗ると疲れるのって、そういうことだったんですね」
「そうそう。それと内省的っていうことは、表に出てる以上に広い自分の世界を持ってる場合が多いから、彼のことは彼のみぞ知るってことになるかもしれん」
「お手上げってことですか?」
「まあもう少し色々見てみようよ」
しばらくの間、三人は黙々と被害者の情報を集めた。遠藤はクローゼットや食器棚を開けて持ち主の好みを探り、園常寺は個人的な興味で引き続きあぐらをかいて名言集を読み、天野は黙って遠藤の後をついて回っていた。
一通り見終わって戻ってきた遠藤と天野が、床に座ったままの園常寺の近くに座った。それに合わせて、園常寺は読んでいた本を棚に戻した。
「さあ、どうや? 被害者のどんな人間像が出来上がったんや?」
「私的には、こだわりがない人なのかなって思いました。服はお洒落さよりも機能性を重視したものが多かったし、食器も超シンプルなものしかなかったし」
「ほうほう」
「服も食器も、並べ方にも規則性は見られなかったしね」
「そうですね。あ、あと、柔軟剤はフローラルな香りのものを使っているのに、消臭剤はソープ系のものを使っていました」
「こだわりがないっていうよりは、五感に関わるものの中にはないっていう方が正しいんちゃうかな」
「そうだね、特にこの部屋の住人の場合は」
「なるほど。確かに言われてみれば、全くこだわりのない人なんて想像できないです」
「せやろ?」
「はい。先輩はどうでした? 本から何か見つかりましたか?」
「え? 俺は〜、これ良い本やな〜って」
園常寺は数秒考えた後、読んでいた本を指差して言った。遠藤は呆れた顔になった。
「ただ堪能しただけじゃないですか。ちゃんと仕事してください」
「一刀両断だね」
天野はちょっと嬉しそうに言った。
「……強いて言うなら、線引いてたところの傾向として、人間についての深い洞察の言葉が多かったな。やから、人間というものに関心があったんやと思うわ」
「優しい人だったんですね」
「そうだね。こんな全てに対して諦め一色の時代に、人間への探究心を失わずにいるなんて」
「ところで、天野さんの直感は何て言ってるんですか?」
「僕かい? そうだな〜、僕が感じたのは、使命感かな。この家の人は、人々に何かを伝えたがっているような感じがするよ」
「何かって何や」
「それは教えられない」
「なんでや」
園常寺がジトッとした目を向けながら言った。
「だって僕が全てを解決してしまったら、君たち若手の育成が進まないじゃないか」
「お前も若手やろ」
「てことは、今までの事件も全部真相がわかってたってことですか?」
「もちろん!」
「ほんとですか! すごい!」
「さすがに嘘やって。考えてみ? 一方向の光から映し出される影から物体の、」
「さあ、車に戻ろう!」
天野の強引な号令で、被害者宅での捜査は終了した。三人は、立つ鳥跡を濁さずの精神を暗黙のうちに体現し、部屋を出て、じゃんけんで負けた園常寺が管理人を呼んできて鍵をかけてもらい、管理人に礼を言ってマンションを後にした。
車に戻ると、遠藤が運転席に、園常寺が助手席に、天野が後部座席の真ん中に座った。
「そういえば、今日はなんで天野さんもついてきたんですか?」
「茶化しに来たんやろ」
「いやいや、調査だよ調査。君たちがきちんと捜査しているかってね。だからさっきの振る舞いを報告させてもらうよ」
「危な〜、ギリギリセーフや〜。ええ子にしといて良かった〜」
「君はギリギリアウトだよ」
「誰が形のないものにはっきりと境界線を引けるのでしょう。ああ、なんと人間の、うわっ!」
遠藤がエアコンの風を園常寺の顔に向けた。園常寺は驚いたように顔を背けた。
「無言で顔に向けてくるなよ〜」
園常寺は不機嫌そうに言いながらエアコンの向きを元に戻した。その様子を見て、天野は後ろで嬉しそうに笑っていた。
「さて、これからどうします?」
「天野のケチが教えてくれへんからな〜。とりあえずダメ元であいつのとこ行ってみるか」
「あいつって誰ですか?」
「もしかして、あの小説家の?」
天野の眉毛が地面と平行になってしまった。
「そうそう。知り合いのな」
「へえ〜、先輩に小説家の知り合いがいたなんて〜。てゆうかそもそも知り合いがいたんですね」
「隠遁生活してるわけじゃないからさすがにおるわ。まあ友達はおらんけど」
「僕は途中で降ろしてもらえるかな?」
「一緒に来ないんですか?」
「なんだか苦手なんだよね。彼のまとってる空気が」
「空気が苦手やから会わへんって、いいご身分やな〜」
「君よりはいい身分だからね。じゃあそういうことでよろしく!」
警察省に寄ってわがままな天野くんを降ろし、例の小説家の元へ向かった。小説家の家は、そこから三十分ほどの場所にあった。そこは、東京の街なのに高層ビルがほとんどない、コンビニに駐車場がある街だ。
「有名な方なんですか? 結構普通の街の普通の住宅街にあるんですね」
「有名やな、自分も見たらわかると思う」
「ほんとですか! 誰だろ〜」
一軒家だが車を停めるスペースもないし、庭すらもない。そのためインターホンはドアのすぐ近くにあった。遠藤が愉快そうにインターホンを押した。すると、すぐに返事が聞こえてきた。
「はい。どうかしましたか?」
「警察の者です。ちょっとお話をお聞きしたくてお伺いしました」
「そんな言い方したら事情聴取に来たみたいに思われるやんか。俺や、園常寺や」
「なんだ、君か」
しばらくしてドアが開いた。一軒家の人を家の前で待つ時に聞こえてくる、特有のドンドンという物音は全く聞こえなかった。
「今日は何の用だ? また面倒事に巻き込もうとしてるんじゃないだろうな」
「面倒事なんてとんでもない。今日は後輩のご挨拶に来たんや」
「本当だろうな。酷い時なんかお土産持ってきたと言いながら幽霊連れて来たこともあった君だぞ」
小説家は不愉快そうな顔をしている。その顔を、遠藤が物珍しそうに見ていた。
「もしかして、ミステリー作家の張本一心さんですか?」
「そうです。君が、後輩の遠藤さんだね?」
「はい! 初めまして、遠藤と申します!」
有名人を誰も実際には見たことがなかった遠藤は、張本が一切何のオーラも放っていないことに静かに驚いた。目力もない、身につけている服からお金のにおいがしない、立ち姿に気取った感じもない。静かな目で来客を見、どこにでもあるグレーの部屋着で百均のサンダルを履いて、真っ直ぐに立ってドアを開けている。
「小説家のくせにその柔道家みたいな名前、いまだに慣れへんわ」
「君が不快感を覚えたなら付けて正解だったな。まあ取り敢えず中に入りたまえ」
張本に言われ、二人は中に入った。園常寺は何度も来たことがあるため、まるで我が家のようにスタスタと奥に入って行った。一方で遠藤は最初の意外な第一印象から、身構えながら進んだ。だが、玄関にも廊下にも、ゴルフクラブや絵画などといった贅沢品の類はない。リビングに入っても、アイランドキッチンはおろか、巨大なテレビすらない。
客二人はそのまま席につき、居住者は人数分のコップとお茶を用意して椅子に座った。無駄話が得意でない張本に合わせて、園常寺が早速現状のあらましを説明した。
「なるほど、取り敢えず君と天野くんが文字通り喧嘩するほど仲がいいことはわかったよ」
「話脱線すんの嫌いやったんちゃうんかいな。自ら舵取って導いてるやん」
「手と口が滑ったようだ。要するに君たちは、その言葉を具現化するナノマシンというものでどうやって消滅したかが知りたいんだな?」
「そうそう。端的に言って内省的な人が、どんな想いを言葉にしたのかがわからんねん」
「(ここはともだちだけのせかい)って書かれた看板の前で消えたんだよな? じゃあ簡単じゃないか。それだよ」
張本は両手でコップを持ってお茶を飲んだ。
「看板の言葉を具現化したってことですか?」
「その通り。(ともだちだけのせかい)には、友達じゃない人は存在しないことになるからな」
「あーそういうこと? 天野がその人のこと聞いて回った結果、完全に印象がない人ってまとめててんけど、(ともたちだけのせかい)で何にも分類されない想いを元にそれを言語化したら、友達に分類されへんその人は消えることになるって話か」
「言葉が表す意味には表と裏があって、現実はその両方を示しているんだ。だから、……そういうことだ」
わかりやすい例えが見つからなかった張本は、静かにお茶を飲んだ。
「なるほど! だから例えば、あなただけを愛しています、とかだったら、同時にあなた以外は愛していないということも意味している、ってことですね!」
「その通り。だからあまり不用意に前向きな言葉を使うべきじゃないんだよ。その例で言えば、愛のベクトルというものは本来全方向を向くものだから、限定的に愛するなどというものは根っこから論理が破綻しているんだ」
「そうか〜。今回の件やったら、安易に綺麗な言葉を使ったことで生じる代償を、孤独に一人で背負ったっちゅうことか〜」
「……そうだ。だから、せめてそれに気付いた君たちは、その方を弔ってやるべきなんじゃないか?」
「それ私も思いました! 足立さんに何かしてあげたいです!」
張本は、二人が気付かない程度に微かに微笑んだ。
*
「なんで私まで行かないといけないんだ。君たちでやればいいじゃないか」
「……(せめてそれに気付いた君たちは、その方を弔ってやるべきなんじゃないか?) これお前も入ってるやん」
遠藤と園常寺は張本を連れて、(ともだちだけのせかい)の看板の前に来ていた。張本は執筆の役に立つものを見せたいからと連れて来られたが、広場の入り口に来た時点でハメられたことに気が付いたようだ。ちなみにここまで、張本は誰にも正体を気付かれていない。
「しまった。これだから人と話すのは……。それに、天野くんも来るんだろ? 私は彼の空気感が得意じゃないんだ」
「大丈夫やって、俺らがおるから」
「本当だろうな?」
三人が集まって小話をしているところに、天野が長い脚の大きな歩幅でやってきた。
「やあ! 謎は解けたみたいだね! あ、張本さん……、どうも……」
「……ご無沙汰しています」
「何回目やねん会うの。やから友達できひんねん」
「お前に言われたくない!」
珍しく空気感が苦手な者同士の二人の息が合った瞬間だった。それを微笑ましく見ながら、遠藤はカバンから自撮り棒を取り出して、手際よくリーチを伸ばした。
「それじゃあみんなが集まったので、写真撮りますよ!」
「一体どうして集合写真なんだい?」
「それはもちろん、心霊写真を撮るためですよ〜。完全に消えて亡くなった方なんですから〜」
「呪われたりしないよな?」
「大丈夫や、多分言い出しっぺに全部行くから」
「ちょっと怖いこと言うのやめてくださいよ〜。私この日のために自撮り棒まで買ったんですからね!」
「とか言って、それも経費で落とす気だったりして」
「もちろん落としますよ!」
「これは呪われるな」
「文句を言う人は私が呪いますからね! さあ、射程圏内に入ってください! 撮りますよ〜! 3! 2! 1! 零!」




