第2話 E=MC^2
区内のとある病院の病室で、遠藤と園常寺は尖った黒髪の若い男から事情を聞いていた。男は数日前、恋人の女性を乗せて車を運転している時、ハンドル操作を誤って高架下の柱に激突した。その際、鉄筋の角がフロントガラスを突き破り、その破片を身に受けて致命傷を負ってしまった。恋人の方は軽傷だったにもかかわらず、結局、偶然通りかかった通行人が発見した時には恋人の方が亡くなっており、男の方は傷が完治している状態だった。
「ひとまず、体に異常がなくて良かったです」
「どうも」
一重の切れ長な目で布団から出した手を眺めながら男が言った。男は包帯も眼帯も点滴もしていない。奥の椅子には、破れて原形のわからない血のついた白いTシャツが置かれている。
「今のところ、具合はいかがですか? 心と体両方の」
「別になんともないですね」
「そうですか。では、覚えている範囲でいいので、事故当時の状況を教えていただけますか?」
「いいですけど、俺意識失ってたんでほとんど何も覚えてないですよ」
「構いません。覚えている範囲でお願いします」
「あの時は確か、何かが飛び出してきたような気がして慌ててハンドルを切って、それからは……。もう次に目覚めた時には病院にいました。それぐらいです」
「なるほど。わかりました。何か思い出したらまた教えてください」
「はい」
「お大事にしてください」
「ありがとうございます」
二人は病院を出て、敷地内に停めていた車に乗った。遠藤は上部のサンバイザーに挟んでいた駐車券を取りながら言った。
「佐々木さん、恋人が亡くなったのに平気そうだったのは、前回みたいにショックを受けていることに気付いていないだけってことなんでしょうか?」
「どうやろうな。そうかもしれんし、ショックが大き過ぎて耐えられへんから、ショックを受けてない振りしてるんかもしれへん」
「自分で自分を騙すってことですか? そんなことできます?」
「それぐらい生きるためにみんな常にやってるやん」
園常寺はドリンクホルダーに差してあった麦茶を飲んだ。だがほとんど常温になっていたため、消化不良な顔になった。
「そうなんですか?」
「当たり前になり過ぎてほとんど誰も気付いてないけどな」
「そんなにもショックなことって頻繁に起こるもんですかね?」
「起こるっていうか、生きてるだけで悲惨やからな。何か信じるものでもない限り、自分を騙さずに耐えることはできひんわ」
「誰しもそういうものなんですね~。で、次はどこ行きます?」
「お、今回はちゃんとハンドル握る前に聞けてるやん」
「もちろんですよ! 私を誰だと思ってるんですか? 今回はエンジンもかけてません!」
「エンジンはかけよ? もう六月やで、暑いわ」
「わかりました!」
二人は警察省に戻り、佐々木の恋人の遺体を引き取りに来た両親と弟の三人に話を聞くことにした。ひどくやつれた様子の遺族たちに、狭い会議室で話を聞いた。母親には乱れた前髪を無理矢理直した痕跡があった。
「ご無理をさせてしまって申し訳ありません。田中詩織さんのことをお聞かせください」
「はい。詩織がどうして死んでしまったのかわかるのなら」
消えてしまいそうだが決して消えることのないろうそくのように母親が言った。
「真相解明に全力を尽くします」
「お願いします。あの子は、大人しいけれど芯のある子でした。女の子って、誰かの悪口を言うことで仲良くなることが多いと思うんですけど、周りの子たちがそうして仲良くなる中、私はどうしてもできないって言って、たとえ一人になっても同調することはしませんでした」
「そうでしたか」
「あと、なにがあっても一度決めたことはやり通していたし、どれだけ追い詰められても諦めませんでした。あの子高校では吹奏楽部に入っていて」
「厳しいクラブですね」
「はい。だからそれを引退までやり通したっていうのもあるんですけど、それで受験勉強の成績があまり良くなかったところから始まって、最後まで模試の判定が良くないままだったのに、諦めずに勉強して最終的には第一志望に合格できたんです」
母親は、机の下でハンカチを強く握りしめた。
「強い方だったんですね」
「そうですね……」
「詩織さんに恋人がいたのはご存じでしたか?」
「ええ。でも、私たちからはお相手のどこがいいのかわからなくて。詩織が選んだならと、見守ることにしていたんですが」
「交際している時、詩織さんはどのような様子でしたか?」
「この世に居場所が見つかったような、どこか晴れた顔をしていて、その前よりも少しは前向きになっていたように思います」
「あと、何かを背負っているような空気感だったよな?」
黒縁眼鏡の奥に優しそうな目をした父親が付け加えた。声にも刺々しさは感じられない。
「それだけの覚悟というか、守りたい人だったということですね」
「そうみたいです」
「では、弟さんから見て、詩織さんはどんな方でしたか?」
「いつも優しそうに笑っていたイメージがあります。実際、干渉し過ぎない程度に気にかけてくれていました。喧嘩もしたことないです」
遠藤と園常寺は、会ったこともないが、弟の焦点の合った真っ直ぐな目から姉の面影を感じた。
「あの、詩織はどうして死なないといけなかったんでしょうか。あの子の体、傷も全然なかったのに……」
母親が絞り出すように聞いた。声にはいくらか涙が染み込んでいる。
「それは、まだ……」
「そうですか……」
「まあこの世に意味のないことなんてありませんから、必ず納得のいく理由が見つかると思います」
返答に困った遠藤に代わり、園常寺が答えた。こういう時は、きちんといい表情になるのである。
「そうでしょうか……」
「この遠藤がそれを見つけますから、待っといてください」
「よろしくお願いします」
それ以上何かを聞くわけにもいかず、家族からの聴取はそこで終わった。弟が扉を開けて、父親が母親の肩に触れながら部屋を出ていった。
次に、被害者の勤めていたスーパーの店長に、バックヤードで話を聞いた。売り場から入ってすぐの生魚と生野菜の臭いが混ざり合った場所で、常に強力な換気扇の音が轟いている。店長は顔についた脂肪のせいか、常時笑顔を保っていた。
「田中さんね。よく働いてくれてましたよ。真面目にコツコツ」
「田中さんはどのような業務を?」
「レジ接客を主にやってもらってました。物静かで、決して愛想が良い方ではなかったんですけどね、どうしてかお客さんには気に入られてたみたいで」
「従業員の方々が田中さんに対して抱く印象はどうでしたか?」
「悪くはなかったと思いますよ。彼女の悪口は聞いたことないし。まあでもあんまり口数が多い方じゃなかったんでね〜。仲の良い人とかはいなかった気がしますね〜」
「ありがとうございます」
「田中さん、どうして亡くなっちゃったんですか?」
愛嬌と脂肪でふくよかな店長が、愛嬌に包んで答え辛い質問を投げかけてきた。
「事故であることは間違いないんですが……」
「でも刑事さんたちがわざわざ動いてるってことは、普通の事故じゃないんでしょ?」
「それは……」
遠藤が困り顔で園常寺に目配せした。
「亡くなる間際の田中さんの行動が知りたくて、ちょっと調べてるんですよ」
「そうなんだ。まあ頑張ってください」
「ありがとうございます。あ、店長さん。このまま買い物もさしてもらっていいですか?」
「ぜひどうぞ!」
二人は美味しそうな笑顔に会釈をし、バックヤードの扉から食品売り場の方に出た。ちょうど目の前を、カゴを持った黒ジャージ姿の老人が通った。
「お前ら何者や。なんでこんなところにおるんや」
「ちょっと仕事で」
園常寺が適当に答えた。すると、老人の白髪眉毛が中央に寄った。
「嘘つけ、お前らアンドロイドやろ」
「いやいや、アンドロイドはもう大昔に生産終了したでしょ」
「それは表向きの話や。政府は今も秘密裏に製造しとるのを知らんのか」
「なんでそんなことする必要があるんすか」
「少子高齢化が解決できるやないか。アンドロイドは老けへんねんから」
「さすがにバレるでしょ。近くにおる人とかには」
「あのな、もう感情は人工的に生成できるんや。外から見たら人となんも変わらへん」
「あーそういえば、友達に心あるアンドロイドいましたわ」
「ほら見てみい」
そう言うと、老人は生鮮食品のコーナーに歩いていった。遠藤は老人のカゴに入ったレンコンがコロコロ揺れているのをボーっと眺めていた。園常寺は逆方向に歩き始めた。
「ほな行こか」
「あっはい! 先輩友達がいたんですか、あっ間違えた、アンドロイドの友達がいたんですか!」
「失礼やなー。俺にもアンドロイドの友達ぐらいおるわ」
「結局アンドロイドと人間って何が違うんですか?」
「材質以外は全くないな。絶対的なもののために命をかけれるアンドロイドもおるし」
「絶対的なもの……。例えば何のことですか?」
「俺を見ててわからん? 真実や」
園常寺は右手の親指と人差し指を伸ばして顎にあて、キメ顔を作った。その顔を見て、遠藤は目線を棚に並ぶ商品に移した。ちょうどそこには二枚目豆腐があった。
「そんなことより、何を買うんですか? 書斎の冷蔵庫からなんでも取り出せるんでしたよね?」
「いや露骨に話変えんなや。あのな、これはマナー的にすべきことなんや」
「マナーですか。まあ確かに、聞きたいこと聞くだけ聞いて、何も買わずに帰るって、なんだか気分悪いですもんね」
「そうそう。やからこれも仕事の一環なので、経費で落としたいと思いま〜す」
「その手がありましたか。やっぱり先輩は良い人なのか悪い人なのか分かりにくいですね」
「なんだかんだ良い人が一番好かれやすいやろ? それを狙ってるんや」
「もう人のこと信じられなくなりそうです」
パンのコーナーに着いた二人だったが、園常寺はなおも歩き続け、コーナーの端のところでようやく立ち止まった。
「はい、というわけで、パンコーナー到着で〜す。つぶあんぱんとこしあんぱんの中から好きなもん選び」
「好きなもんって。選択肢あんぱんしかないじゃないですか」
「当然やろ〜、刑事やねんから〜。あんぱんと牛乳しか買ったらあかん」
「ベタ過ぎません? それに、そのセットを持ってるところを誰かに見られたら、刑事だってことバレちゃいますよ」
「そいつ馬鹿過ぎません? あんぱんと牛乳持ってるから刑事や!って」
「とにかく私はメロンパンにします。先輩はどうします?」
「俺は皮薄つぶあんぱんや、ってまた値上がりしてるやん」
そのまま近くの冷蔵コーナーで、園常寺は (うまい牛乳)を、遠藤は(青バラコーヒー)を取った。
倉庫室に戻った二人は、応接用の椅子に座り、早速飲食の体勢に入った。二人ともはじめに牛乳パックにストローを挿した。それから園常寺は皮薄つぶあんぱんを一つだけ持って、遠藤は袋から半分だけメロンパンを出して食べ始めた。
「三時のおやつですね!」
「皮薄つぶあんぱんも元々は五個やったのにな~。今や三個になってしもた」
「世知辛いですね~。皮薄つぶあんぱんが一個になる頃には、人類はもう滅亡してるんだろうな~」
「なんで皮薄つぶあんぱんは残ってんねん」
園常寺が牛乳を飲んで机に置いたのを合図に、捜査の話題に移った。
「先輩はどう思います? 今回の事件」
「事件っていうよりは事故なんやろうけど、今回俺らが解明せなあかんのは、男が重症を負ってから何が起きたかやな。やから、今回は結果に注目してみよか」
「はい! 最終的には殆ど無傷だった田中さんが亡くなって、重症を負っていた佐々木さんが無傷の状態になって助かった……。なんというか、何かが移動しているような感じがします」
「そうやな~。ナノマシンによって何かが移動した。生命力、命……」
園常寺は最後の一個に差し掛かった。遠藤は半分になったメロンパンの向きを90°変え、四分の一だけ飛び出した状態に持ち替えた。
「そうですね。そういったもののような気がします」
「ナノマシンにそうさせた言葉は一体なんなんやろな」
「そこですね。この場合、ナノマシンのオーナーは亡くなった田中さんで、田中さんが何か言葉を発したことで、その命のようなものを佐々木さんに移したのか。それとも、生き残った佐々木さんがオーナーで、田中さんから命を受け取ったのか。どっちなんでしょう」
「男の言ってたことがほんまなんやったら前者になるな」
「何か確認する方法はないんでしょうか」
「奴に聞くしかないな。天野く~ん!」
陽気な口調で放たれた園常寺の声は、何にも遮られることなく部屋中の壁に染み込んでいった。
「……いらっしゃいませんね」
「……こういう時ってタイミング良く来るもんちゃうの?」
*
数日後、二人は退院した佐々木の自宅に向かった。場所は事故現場から数キロ付近にある1LDKマンションで、男の部屋はそこの五階にあった。部屋の前まで来たところで、さりげなく後ろに陣取った園常寺をよそに、遠藤がインターホンを鳴らした。音が消えてから数秒後、半袖半ズボンで乱雑な髪の佐々木が扉を開けて出てきた。
「お休みのところすいません。先日伺った遠藤と園常寺です。こちらのお部屋は田中さんと同棲されていたお部屋ですよね?」
「ええ。そうですけど」
「少し見せてもらってもよろしいでしょうか?」
「別に。どうぞ」
無愛想に誘導する佐々木に付いてリビングに入った。数少ない家具や絨毯はベージュを基調としていて、全体的にシンプルな印象を与えるが、脱いだ衣服がそのままになっていたり、充電器が刺さったMatenlo Witchが床に放り出されていたりと、これから散らかっていく兆候が見て取れた。
「退院されてからは体調に変わりありませんか?」
「特にないですね」
「そうですか。以前はどのように生活を?」
「家事は詩織と分担してやってました」
「そうだったんですね。二人の間で何か問題が起きたりとかはしませんでしたか?」
「そういうのはなかったですね」
「これからは、生活していけそうですか?」
「まあなんとかなると思います」
遠藤が話を聞いている間、園常寺は黙ったまま部屋中をじっくり見て回っていた。棚の上の二人の写真、観葉植物、数字の書かれていない掛け時計、姿見に映った自分の姿。
「ご無理でなければ、田中さんとの出会いについて教えていただけますか?」
「いいですけど」
「ありがとうございます」
「詩織とは大学のサークルで出会いました。音楽系の」
「意外ですね。田中さんが」
「案外大人しい人多いっすよ」
佐々木は手を後ろで組んで、右足に体重をかけて立っている。一方で遠藤は真っ直ぐに立っていた。
「そうなんですか。田中さんは、佐々木さんの前でも大人しい方だったんですか?」
「まあ多少明るくはなってましたけど、そんなには変わらなかったですね」
「会った時からですか?」
「そうですね。会った時から同じような感じでした」
「裏表がないというか、一貫した方だったんですね」
「それはそうだと思います。誰と接してもあんまり態度を変えたりはしなくて。まあだから友達はあんまりいなさそうでしたけど」
「善人が孤独なのは世の常ですからね」
「俺も独りぼっちや、善人やから」
レースのカーテン越しに外を眺めながら園常寺が口を挟んだ。
「……佐々木さんから見て、田中さんはどんな方だったんですか」
「……」
佐々木は、今回は面倒くさそうにではなく、下を向いて、言葉に詰まっている様子だった。その間、園常寺は奥にある本棚を見ていた。置かれているのは殆どが漫画で、少しだけ自己啓発本や心理学の本も肩身が狭そうに置かれていた。
「本とかあんまり読みはらへんのですね」
「そうですね。詩織は一時期誰かの小説にハマってましたけど」
「お! 誰の本ですか?」
園常寺は本棚から離れて佐々木の方に近づいた。
「そこまでは覚えてないです」
「そうですか~。佐々木さんはそういう時期なかったんですか?」
「俺はないですね」
「それやったら、今度『愛するということ』とかおすすめなんで読んでみてください」
「……まあ、気が向いたら」
「せや、『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である』」
「どうしたんですか? 急に」
遠藤が心の中で笑っているのを一切表に出さずに聞いた。
「そこの自己啓発本の栞が挟まってたページに書かれてた言葉やねんけど、一体誰の言葉でしょう!」
「……」
「佐々木さん、わかります?」
「いや、わかんないですね」
「自分は?」
「私もわからないです」
「嘘やん! なんでわからんの? 刑事やろ?」
園常寺は本物のUFOを見たかのように目を丸くして驚いた。遠藤はその表情に驚き、驚愕が伝染したようになった。
「そんなに……。誰の言葉なんですか?」
「いや、わからんから聞いてんけど」
「なんなんですかそれ。そのページには書かれてなかったんですか?」
「多分。じゃあ帰ろう~」
園常寺の号令を合図に二人は部屋を出た。
「今日はありがとうございました」
「いえ」
「また何か思い出したら教えてください」
「はい」
「さっき言った本はかなりおすすめなんで絶対読んでくださいよ!」
「……わかりました」
佐々木は傷や汚れの少ない真っ黒なドアを閉めた。遠藤は一礼して、園常寺はピースをして歩き出した。
エレベーターホールでエレベーターを待っている間の不可抗力的に発生する沈黙に耐えきれず、遠藤が話し始めた。
「さっき、なんであんなに本を薦めてたんですか?」
「本っていうのはそれぞれ読むのに適したタイミングっていうもんがあんねや」
「てことは、さっきの本は佐々木さんにとっては今読むべき本だったってことですか」
「そうや。まあ良書に限りやけど」
「悪い本にはないんですか?」
「悪い本はいつでも読んだらあかんやろ」
エレベーターが到着し、園常寺から順に乗り込んだ。遠藤は話の流れで、エレベーター内のにおいからどこかの駅の一角にある本屋を連想した。園常寺は人差し指の第二関節で一階のボタンを素早く押した。
「先輩ってもしかして潔癖症ですか?」
「まあ人並みにはな」
「みんながみんなそうやってエレベーターのボタン押さないですよ」
「これは潔癖やからじゃなくて、ボタンに俺の痕跡を残さんための配慮なんや」
「先輩ってもしかして指名手配犯ですか?」
「なんで指名手配犯が捜査してんねん。これは皮膚片をあんまり残さんようにするため。指紋じゃなくて」
「一瞬触ったぐらいでそんな残ります?」
「一瞬触ったら一瞬触った分だけ残るやん」
「こま、かい。先どうぞ」
「追い出そうとしてる?」
間隔を空けてエレベーターを降り、外に停めていた車までその間隔を維持しながら歩き、車に乗った。園常寺はすぐにエンジンをかけて、エアコンをつけた。
「もう一度会ってみて、先輩はどう思いました? どっちがナノマシンのオーナーか」
「まあやっぱり男の方はなんも知らなそうやな」
「そうですね。私も、田中さんがオーナーのような気がします」
「ナノマシンが心の底の方~から発した言葉にしか反応せんってことは、心の底の方で生きてる人やないと扱われへんってことや。あの男はあんまりそんなふうには見えへんかった」
「心の底の方で生きるっていうのはどういうことですか?」
「人間の奥底に流れる運命っていう意味の心に従って生きるってことや。心の痛みを見て見ぬ振りせんとな」
「見て見ぬ振り……。なかなかそうでもしないと生きていけない世の中なんでしたね」
「だから、ナノマシンを操れる人間が少ないんや。俺は希少な人間なんやで」
「……お会いできて光栄です!」
遠藤は一度死んだ顔を経由してから明るく言った。
「うっ、心が痛い……」
「そういえば、どうして出発されないんですか?」
「え? あ、俺が運転席座ってもうてるやん」
「運転してくれるわけじゃなかったんですか?」
「俺宇宙船の免許しか持ってない」
「……交代しましょう」
遠藤が運転する車は、無事に警察省まで辿り着いた。そのまま倉庫室Bの前まで来ると、園常寺は「俺が開けるわ」といって少し強引に扉の前に立ち、特にいつもと変わりなく鍵を使って扉を開けた。
「あれ? 部屋間違えました?」
「それがな~、ここで合ってんねや」
「え? いつのまにキッチンに模様替えしてたんですか?! 今朝来た時までは書斎でしたよ!」
「凄いやろ~。これがこの部屋の秘密やねん。冷蔵庫の中だけじゃなくて、部屋全体も好きなように変えられるんや~」
「もう何でもありですね!」
倉庫室Bはキッチンに変わっていた。床と壁紙は同じままだが、机も本棚もなくなり、奥には新品同然のカウンターキッチンが、手前には明るい色の木材でできたダイニングテーブルが置かれていた。
「それで、どうしてキッチンに変えちゃったんですか?」
部屋に入りながら遠藤が聞いた。その言葉に対し、園常寺はスキップしながら答えた。
「今からカレー作ろうと思って」
「カレー作るんですか!? 警察省内で!?」
「やからこそなんや。今どき職場でカレー作るぐらいの柔軟性がないとやっていかれへんで」
「職場でカレー作るのすら聞いたことないですよ~」
「そんなん言ったらgone goneカレーなんか職場でカレーしか作ってないやん」
「gone goneカレーはカレー作る店だからですよ」
「じゃあもう自分には食べさせへん!」
「全然柔軟性ないじゃないですか~」
二人はカレーを作り始めた。まず、椅子にかかっていたエプロンを身に着けた。遠藤のエプロンには白の無地に黒く「潜在」とだけ書かれており、園常寺には「顕在」と書かれていた。
「どうして私のエプロンは(潜在)なんですか?」
「あまちゃんやからや」
「カレー甘口しか食べられない先輩に言われたくありません~」
シンクの下の扉に入れてあった米びつから園常寺が白米を量って釜に入れ、遠藤が研いで炊飯器をセットした。そのままの流れで遠藤は冷蔵庫に入れてあった人参と豚こま肉とじゃがいもを取り出して野菜を洗い、園常寺は鍋に油をしいて温めた。
「玉ねぎは入れないんですか?」
「入れるわけないやん」
「食べられないんですか?」
「いやいや、周り見てみ? あんなもん食べんの地球人ぐらいやで」
「先輩は何星人なんですか」
遠藤は洗った野菜を細かく切り、園常寺は切った野菜と豚肉を鍋に入れた。すぐさまジュワーという食欲そそる音が鳴り始めた。
「自分は目に見えないもんの存在とか信じてるか?」
「例えばなんですか?」
「心とか魂とか、愛とか」
「私は信じてます」
「なんで?」
「両親が二人とも亡くなってるからですかね~。そういう目に見えないものがないとしたら、私はずっと一人ぼっちだってことになっちゃいます」
「なるほどな。でも、確証はないで」
「確かにそうですけど、そういうのって、信じる心の強さの問題だと思うんです。だから、証拠があるとかないとかは関係ないんじゃないかと」
野菜と豚肉に火が通ったところで園常寺が水を適量入れ、遠藤がシリコンヘラでかき混ぜた。
「証拠があるから信じるっていうのは、結局信じてないのと一緒やもんな。疑ってるからこそ証拠を欲するわけや」
「そうですね。だから私は信じます」
園常寺は、「信じている人間にこそ実証が訪れるんやで」と言おうとしたが、美味しそうな匂いによって分泌された唾液とともに飲み込んだ。
沸騰したところで一旦火を止め、園常寺がルウを入れ、遠藤がまた火をつけてかき混ぜた。ルウはすぐに角が溶けて丸くなったが、そこから溶け切るまではしぶとかった。
「なんだか先輩、さっきから楽な作業ばっかりじゃないですか?」
「俺あんまり料理すんの好きちゃうねん」
「え、じゃあなんでカレー作ろうって言い出したんですか?」
「人間に生まれついた以上、食べないと生きていかれへんからな~」
「それ答えになってませんよ。もしかして、始めからほとんど私に作らせるつもりでしたね?!」
「俺にはこういう生き方しかできひんのや~!」
「またそうやって抽象化で責任逃れしようとしてますね~! 逃がしませんよ~!」
カレーを置き去りにして追いかけっこが始まった。
「二人ともどうしたんだい!?」
部屋に入って早々、部屋の端の方で肉食動物さながらの威嚇をしている遠藤と追い詰められた草食動物のような状態の園常寺が視界に入り、天野は自然と二人まで届く声が出た。
それから悲劇が起こることなく争いは終了し、ちょうど完成したカレーとお米を人数分よそいで机に並べた。いつも通り園常寺だけはピンクのスポーク。ちなみに天野のコップには(ライバル)と書かれている。
「それじゃあいただきます!」
「いただきます!」
天野の号令に遠藤が続いた。
「なんでお前が仕切ってんねん」
園常寺が文句を言った。二人はそんなこと意に介さず、スプーンの中に小さなカレーを作るようにしながら食べ始めた。
「ん~、美味しい~!」
「本当だね! インフェルノが目に浮かぶよ!」
「俺らの愛情たっぷりやからな~」
「先輩は殆ど何もしてなかったですけどね」
「おかしいな、カレー甘口にしたはずやのになんか辛い……」
全員がカレーを食べ終え、食器をキッチンに移した後、ようやく捜査の話題になった。もちろん食器は水に浸してある、洗う必要はないのだが。
「さあ、腹いっぱい食べさせたんやから、持ってる情報洗いざらい吐いてもらうで」
「なんだか取り調べみたいだね……。まず言うべきは、この一連の出来事に事件性はなかったってことかな。車にも現場にも何か細工された痕跡はなかった」
「二人以外の第三者は関わってないってことですか?」
「そうだね、近くの防犯カメラ映像から、事故が起きてから二人に近づいたのは第一発見者だけだったし」
「その第一発見者がナノマシンに関係あったりとかは?」
「それもなかったよ。そして運転手の佐々木さんも」
「てことは、事故自体ではほとんど無傷だった田中さんがナノマシンで何かをして、最終的にああなったと」
遠藤がコップを見ながら独り言のように言った。
「そういうことになるね」
「入手経路は?」
「少なくとも彼女の身辺からは全く」
天野と園常寺が考えあぐねる素振りをしたので、遠藤も真似をするように顎を触りながら目線を落とした。すると、机の下に手回し発電機が落ちているのが見えた。赤と黒の双方のコードは、もう一方に繋がれている。
「またそっちは保留か」
「そうだね、残念だけど」
「焦れったいですね。じゃあとりあえず今私たちにできることは、田中さんがどんなふうにナノマシンを扱ったかを明らかにするってことですよね?」
「自分のわりにやるやん」
「先輩のわりに大したことないですね」
「さっきから当たり強くない?」
園常寺が、自分だけにムスッとした顔をする遠藤に困惑しながら言った。天野はその様子をニコニコしながら見ている。
「食べ物の恨みは怖いからね」
「それ使い方合ってる?」
「そんなことより、話を戻しましょう」
「そうだったね。ナノマシンがどんなふうに作動したかだ」
「それやったらなんとなく見当はついてんで」
「え? そんな……」
「あれ~、まだわからへんの~? しゃ~ないな~、無知蒙昧な遠藤ちゃんのためにヒント教えてあげるわ~。ヒントはさっきのカレーで~す」
「カレー?」
遠藤が不機嫌丸出しの顔と口調で言った。
「この状況でさらに煽るからな~。命知らずだね」
「天野さんはわかったんですか?」
「え! はい、なんとなくは」
遠藤が牙を剥き出しにしたまま顔を向けてきたため、天野の方が震え上がってしまった。
「そ、それじゃあ僕はここで失礼するよ。二人とも仲良くするんだよ」
「ちょっと待って、今帰るのは違うやろ」
「ガルルルル~」
天野は早足で部屋を出てしまった。それに続いて園常寺も出ようとしたが、天野が外から扉を押さえていたため出ることができない。猛獣のいる檻に取り残された園常寺は、目線を先頭に震えながら小刻みに顔を遠藤の方に向けた。その先には……。
「ギギギギギ~グワァァァ~」
*
後日、仲直りした遠藤と園常寺が関係者を狭い会議室に集めた。田中の家族と佐々木の間には、机を目印に空気に気まずい断層ができていた。田中家は皆暗い表情をしていて、佐々木はスマホを触っている。その断層が擦れる音に耐えられず、遠藤が話を始めた。
「本日はわざわざお越しいただきありがとうございます。先日の事故についてお伝えしたいことがあり、来ていただきました。まずはこちらをご覧ください」
「こんにちは、園常寺です。これから皆さんにはあるものを見てもらいます。では、僕に注目してください。いきます。上皿天秤を出せ!」
園常寺の合図で、上に向けていた右手のひらに金色の上皿天秤が出現した。
「見ました? 凄いでしょう~。これが最新の技術、言葉を具現化するナノマシンです~。……あれ?」
園常寺は全員の顔を見渡したが、思っていた反応を得られないどころか、皆が微妙に困惑した表情だったので、自分も困惑した表情になってしまった。そして、天秤を机に置きながら観客に問いかけた。
「大丈夫? 先進めますよ? お母さんとか大丈夫?」
「は、はい……」
「ほないきますよ。今回起きた不可解な出来事の原因はこいつなんです。これ、所有者の発した言葉に反応してそれを現実のものにすることができるんですよ。この天秤みたいに、目に見えるものに姿を変えることなどお茶の子さいさい、目に見えないものですら表現することができます。例えば、愛の重さを量れ!」
そう言うと、何も置かれていないように見える天秤の左側が下がり始めた。
「ほら! 凄いでしょ! ……」
観客も驚いてはいたが、あまり表情に出さない国民性のため、園常寺からは白けた空気が充満しているように見えてしまった。
「ここで問題です! この片方に愛が乗っている天秤、もう片方に何を乗せたら釣り合うでしょうか! ……」
遠慮がちな国民性で全員園常寺から目を逸らしてしまったため、彼からは皆が飽きてきたように見えてしまった。
「じゃあもう答え言っちゃいますね! 僕の命を天秤に乗せろ!」
天秤に向かってその言葉を発すると、上がっていた皿の方が下がり始め、微かな振動の後、ぴったりと釣り合った。それを見届けてから、今度はもう観客の反応を気にせず話を再開した。
「そうなんです、愛と釣り合うのは命なんですよ~。もしかして、何の話やねんって思いました? 安心してくださいお客さん、僕は意味のないことなんてしません。な! 遠藤!」
遠藤が首をかしげた。園常寺はそれをなかったことにして話を続けた。
「一気に核心に迫りましょう。あの時、事故で致命傷を負った佐々木さんがなぜ助かったのか。それは、詩織さんが本当の意味で佐々木さんを愛していたからです。……交代や、遠藤、説明したって!」
「はい。先ほど説明があった通り、愛と命は同じ重さ、等価になります。つまり田中さんは、自分の愛を佐々木さんの命に変えようとした。このマシンは、それを現実にしたんです。車が衝突し、隣で瀕死の状態になっている佐々木さんを発見した詩織さんは、ある言葉を発しました。それは……、はっきりとはわかりませんが、とにかく、自分の愛を他人の命に変えられるものだったんだと思います。佐々木さん、思い出せませんか?」
突拍子もない話だったのと、いきなり指名されたのとで二重に動揺した佐々木は、少し間ができてから弱々しく答えた。
「……いや、そんなこと言われても。……俺気を失ってたし」
「詩織さんのことを聞いていくうちに僕が抱いた彼女に対する印象は、誰に対しても誠実であろうとしていて、真面目で、真剣に佐々木さんと向き合っていた、っていう感じでした。実はこのナノマシンね、適当に喋ったからって言うこと聞いていくれるわけやないんです。本心、心のこもった言葉やないと反応してくれないんですよ。その上、命令の内容が難しくなればなるほど、より心の深い次元から発した言葉でないと聞いてくれなくなります。誠実な人でないと、自分の心の声を聞くことはできません。心のこもった言葉を発することはできません。おそらく彼女はいつも正しく心を描写していたことでしょうから、ナノマシンを使いこなすぐらいはできたと思います。でもね、それでも自分の命を代償にする命令を実行させるのは簡単なことじゃないんですよ。やけど結果的にそれを成し遂げた。彼女の最期の言葉を思い出されへんくても仕方ありません。でも、詩織さんのあなたへの愛がそれだけ深かったことは、忘れんといてあげてください」
その言葉をきっかけに、佐々木の頭に事故直後の光景が浮かんできた。
(眼前には鉄筋が飛び出しており、自分の体には幾つもガラスが刺さっていた。体に力が入らず、視線を助手席の詩織に向けることができなかった。しかし、ぐたっとなっている左手を詩織が握っているのが見えた。
「愛してるよ、だから生きて」
その言葉を聞いた途端、冷たくなってきていた体が、握られている左手を中心に優しい温かさを感じ始めた。すると、視界がぼやけて見えにくくなっていった)
今見えている視界もぼやけて見えにくくなっていて、かろうじて、もう詩織に握られることのない左手が見えた。
*
それから何日か経った日の夜、園常寺と遠藤は事故現場に花を手向けていた。車は既に撤去されているが、柱は下が欠けているし、鉄筋はよく見ると傷だらけになっている。そして、地面にも強烈なブレーキ痕が残っていた。
「悲しい事故でしたね」
「そうやな。人間いつどうなるかわからんわ」
「ですね~」
「俺は元々な、たい焼きは尻尾から食べる派やったんや」
園常寺は供えられた花を見ながら言った。それ聞いて遠藤は先輩の顔を見た。まだシリアスな横顔を保っている。
「どうしたんですか? 急に」
「やけど、今回の事故を通して、頭から食べることに決めたわ」
「どうしてですか?」
「頭の方があんこ詰まってるやろ。前までは最後に取っといててんけど、もし尻尾から食べてる途中に死んだらせっかく残してた頭の方食べられへんくなるやん? やから」
「そんなことより佐々木さん、田中さんの最期の言葉思い出したみたいですけど、それで良かったんでしょうか」
「そんなことよりが強すぎるわ。まあな~、余計辛くなるんちゃうかって言いたいんやろ?」
「そうです。もういっそのこと忘れて生きたほうが楽なのかもしれないなって」
「それは無理やな。心に刻まれた思い出は消えへんから、忘れよう忘れよう、思い出したらあかん思い出したらあかん、って自分に言い聞かせる人生になってまう。それは亡くなった人も残された人もどっちも不幸や」
「思い出は消えない……」
二人が立ち上がってその場を後にしようとしたその時、近くを通ろうとしていた赤いスポーツカーが急ハンドルを切り、二人に突っ込んできた。
車のヘッドライトによって二人が光に包まれる中、園常寺が咄嗟に遠藤の前に立ち、壁になった。まさに園常寺に直撃しようとするその瞬間、遠藤が声を荒げた。
「止まりなさい!」




