第3話
第三話
「先輩を串刺しにしろ! ……。やっぱり駄目です。言う事を聞いてくれません」
「いや発動せんでよかったわ。もうちょっと優しいのにして? 血が流れへんような」
「血が流れないようにですか。わかりました! 先輩を毒殺しろ! ……。また駄目だ」
「なんでそんなに俺を殺したがるんや……」
*
車がいまにもぶつかりそうになった時、遠藤が車に向かって叫んだ。
「止まりなさい!」
すると、車は園福寺に先端が触れたところで急停止した。ブレーキが間に合ったというような止まり方ではなく、映像を一時停止するように、瞬時に止まった。
「自分も操れたんかいな。はよ言ってや」
特にナノマシンに何かをされていたわけではないが、同じ姿勢で固まったままの園福寺が安堵とともに言葉を漏らした。
「え? 今のって私がやったんですか?」
力が抜けてその場に座り込んだ遠藤が言った。
「そうやで。俺はもう年やから反射神経間に合わへんかった」
「先輩よく嫌味っぽく年の差のこと言いますけど、そんなに変わらないですよね?」
「いやいや、その少しの差がでかいんやって」
「あの、大丈夫ですか?」
車の運転席から若い男が慌てて出て二人に声をかけた。
「自分どうしたんや? 急ハンドル切って」
「いや、普通に運転してたら、急に目の前に何かが飛び出してきて……」
「なんでしょうね。人とか動物の気配はなかったですけど」
「幽霊の仕業ちゃうか?」
「幽霊なんていませんよ~。脅かさないでください」
「いや、今の場合おらん方が怖くね? 彼は何を見たん」
*
あの夜の翌日、二人は書斎で遠藤のナノマシンについて色々実験をしていた。
「前に言ったやろ? 本心やないとナノマシンは作動せーへんって」
「おかしいな、本心なんだけどな……」
「ちょっとこの子怖い~。なんでこんな危ない子が刑事なれたん~?」
「でも刑事って危ない人ばっかりですよね」
「確かに。ってそんなことはええねん。実験再開や」
「そういえば、私が命令しても先輩のナノマシンが作動しないのは、オーナーじゃないからってことでいいんですよね?」
「そうそう。所有者しか操られへんから、あの時車を止めたのは自分のナノマシンやな」
「まさか私もナノマシンを持ってたなんて。あれ? じゃあ今はどこにあるんですか? あの車にくっついてたらどうしよう」
「それは気にせんでいいよ。あれ質量小さすぎて存在が曖昧やから、いざという時は瞬間移動すんねん」
「へえ~。なんか風来坊なヒーローみたいでかっこいいですね!」
「そうそう。やからこそ、自分が命令を出せば戻って来るから早く成功させてって話やねん」
「なるほど! わかりました! 先輩を、」
「もうそれはええから! スノードームになれ、みたいなのにしよ? 平和的に行こ?」
「今日も暑いしちょうどいいですね! よし! スノードームになれ! ……」
遠藤は静かに肩を落としてしまった。
「まあまあそう落ち込むなって。まだ気付いて一日二日やねんから」
「でも~。私も先輩みたいにこき使えるようになりたいです~!」
「俺そんなひどい使い方してないと思うねんけどな……。よし、そんだけ言うんやったら、強行手段やな。刀になれ」
園福寺のナノマシンがどこからともなく現れ、右手の辺りに集まって日本刀になった。そのまま遠藤を真っ直ぐ見つめ、一歩ずつ、ゆっくりと近づいた。
「え? 冗談ですよね? ちょっと最近一言一言が強すぎてました? ごめんなさい! 今度からは手数で稼ぐようにしますから~!」
遠藤は後ずさりしながら園福寺から遠ざかった。背中に本棚が当たるまで下がっても、本棚にめり込むように無理やり足を動かし続けた。
とうとう刀の間合いに入ってしまった。すると、園福寺は立ち止まり、ゆっくりと刀を振り上げた。
「それあんまり変わってへんやろー!」
その言葉とともに刀を振り下ろし、遠藤に斬り掛かった。
「誰か助けてー!」
遠藤が両手で顔を守りながら叫んだ。
その時、ドン、と鈍い音が部屋中に響いた。
自分が斬られていないことに気づくと、遠藤は目を開け、恐る恐る手をどけた。すると、向こうまで吹き飛ばされて地面に倒れている園福寺の姿があった。
「寸止めにしようとしてたのにやりすぎや……。おとう、さん……」
そう言い残し、園福寺は気を失ってしまった。
*
なかよし広場と呼ばれる、ショッピングモールの一角には、中央に噴水があり、その周りに子ども用の遊具や、多数のベンチが設置されており、家族連れ、カップル、友達グループなどが大勢利用していた。噴水や遊具の側面、ベンチの上面には、「みんななかよし!」や、「みんななかま!」や、「なかよくたのしく!」などのキャッチフレーズが書かれていた。
子どもが遊具で遊んでいるのを座って嬉しそうに眺める親子。噴水の近くに隣り合って座り、じゃれ合うカップル。ベンチに座って集まって勉強したり、お喋りしたりしている若者たち。
そんな中、一人のスーツ姿の男が足に重りをつけられているように引きずって歩きながら、虹を模したゲートをくぐった。男はそのまま重すぎる足取りで、一つの看板の前まで歩いた。その看板には、「ここはともだちだけのせかい!」と書かれていた。
男は、咲くことなく枯れた花のような悲しい目で、その看板を見た。そして、そのまま目を閉じて、音もなく消えた。
*
遠藤と園福寺は、そのショッピングモール内にある警備員室で、男が消える一部始終を防犯カメラ映像で確認していた。
「正直私もリアルタイムでは発見できなかったんですが、防犯カメラに搭載されている人工知能が異変を検知しまして」
モニターの前に座り、二人に映像を見せていた警備員が言った。
「この映像は、何か細工がされていたりとかはわかりますか?」
「いや~、その痕跡はないですね~。これは、当時起こったことがそのまま記録されたものです」
「何かトリックがあったりとかは?」
「そこまではわからないですけど~、複数の角度から同時に撮られてたんで、なかなか難しいんじゃないかな~」
「そうですか。この映像のデータを頂くことは可能ですか?」
「ええ、構いませんよ。ちょっと待ってください」
「ありがとうございます」
「いえいえ~。この人、なんかの凄いマジシャンとかですか?」
警備員がパソコンを操作しながら聞いた。
「それはまだわかりませんが、行方不明になってまして」
「え! ほんとに消えちゃったんですか! なんだか怖いな~」
映像データはホログラム化されて空中を飛び、遠藤のスマートフォンの中に入った。
「ご協力、ありがとうございました」
二人は警備員室を出て、そのままなかよし広場に行くことにした。到着すると、虹のゲートの前で立ち止まり、話し始めた。
「なんかあの映像を見てから来ると、ちょっと怖いですね」
「ほんまにな。人間一人消えても誰も気付かへんって、どこがみんななかよしやねん」
「いやそういう意味じゃないんですけど。でも確かにそうですね。仲睦まじい様子が不気味に感じてきました」
「そうやろ? よし、じゃあいってらっしゃい」
「え? どういうことですか?」
「いや、もし入って消えたら怖いから、一人で行ってきてって」
「そんなことを恥ずかしげもなく言える先輩が怖いです。さあ、行きますよ」
遠藤が園福寺の手首を掴んで無理やり中に入った。
「ちょっともう、強引なんだから~。その手、離さないでよね。……ほんまに頼むで。消えんのも消えられんのも怖いから~!」
二人なかよく、男が消えた看板の前まで歩いた。
「(ここはともだちだけのせかい)。子どもの頃は、こういう言葉で温かさを感じられてたんだけどな~」
「たかがショッピングモールの広場ごときでこの思想いるか?」
「あんまりそんな辛辣なこと言わない方がいいですよ。消されるかもしれませんから」
「ほんまや! ここの広場はみんな一心同体どすな~」
携帯型の空間把握装置で周辺に何か痕跡が見つからないかを調べたが、被害者が来た時の足跡以外は何も検出されなかった。
「にしても、トリックの仕掛けらしきものも全く見当たらないですね」
「そうやな。地面にも周りにも何もないし」
「そもそも、ここで不審な動きをしている人を、人工知能は検知してないんですもんね」
「なんかのショーなんやったら、もっと見せびらかすようにやるはずやからな。見てもらうんじゃなくて、消えること自体が目的やったんかもしれん」
「そうかもしれませんね。やっぱり天野さんの言う通り、ナノマシンによるものと見て間違いなさそうです」
「あいつの勘は必ず当たるからな。悔しいけど。感じる直感も観る直観も、どっちも鋭いからな。悔しいけど」
「そうなると私たちがすべきなのは、消えた足立文雄さんの精神状態を調べること、になりますよね?」
「そうやな~。そっちも大変そうやけど。とりあえずクレープ食べて帰るか」
「いいですね。さすがにあの倉庫室も、クレープみたいな手作りのものは出せないですもんね」
二人はここに来る途中で通り過ぎたクレープ屋に向かって歩き出した。
「いや、出せるけど」
「そうなんですか? もしかして、またマナー的な話ですか?」
「よう分かったな。俺は警察の威信にかけてクレープを食べなあかんのや~。すごいやろ~」
「経費で落とすくせに威張らないでください」
フードコートの入口近くにあったクレープ屋で各々食べたいものを注文し、空いている席に座った。座るとすぐ、乾杯する振りをしてから食べ始めた。
「あのメニューの中でチキン南蛮クレープ選ぶとはな」
「私クレープはお惣菜のしか食べたことないんです」
「変わってんな~。前から思ってたけど」
「おかず系のクレープって、クレープの中では肩身が狭そうだから、可哀想で」
「まあデザートっぽくないもんな。仲間外れ感は否めんわ」
「特に甘い系のクレープが卑しいんですよ。誰にでも優しそうな雰囲気出しておいて、実際はすごく排他的なんですよね」
「もしかして、学生時代なんかあった?」
「なんのことですか?」
「いや、なんでもありません」
二人ともが包み紙を破らないと食べられない領域まで来たところで、今回の事件の話題に変わった。
「足立さん、どこ行っちゃったんでしょうね」
「そうやな~。世界中のどの防犯カメラにも映ってないし、そもそも生体GPSの位置情報も消失してるらしいからな~。地球外に出たか、完全に消滅したかやな」
「地球外って出れるものなんですか?」
「そらナノマシンにできひんことはないけど、それだけ強く地球外に出たいって思ってないとあかんからな。やから、何かしら生活の中に痕跡が残るはずや」
「例えばどういうものですか?」
「宇宙に関する本が山ほど家にあるとか、宇宙飛行士の試験を受けたことがあるとか」
「なるほど。周りの人が気付けるぐらい行動に現れてるってことですね」
「そうそう。壱課が調べた感じやと、そんなことはなさそうやけどな」
「そうですね。じゃあもう一つの完全に消滅っていうのは、どう操ればできるんでしょうか」
「それは単純に消えたいって心の底から思ってたらできるわな。まあなかなか難しいと思うわ」
「そうなんですか? 現代なら希死念慮の一種で多くの人が思ってそうですけど」
「希死念慮の一種って言っても今ある苦痛から逃れたいっていう思いを表現したうちの一つやからな。根本的には苦しみから開放されたいのであって、別にほんまに消えたいわけじゃないし、死にたいわけでもないから、それやったらナノマシンはあんなふうに反応せえへんわ」
「人を消すってよほどのことですもんね。心の奥深くの思いでないといけない……」
二人ともクレープが残り僅かになった辺りからは無言になって食べた。
「ごちそうさまでした。いい三時のおやつになりましたね」
「いやおかず系のはおやつじゃないやろ」
「あ! またそうやって仲間外れにして!」
この後は、捜査と称してショッピングモール内の店を見て回ってから書斎に戻った。
「あ、遅かったじゃないか。何してたんだい?」
部屋の中には、応接用の椅子に座ってドーナツを食べながら話しかける天野がいた。
「お前こそ何してんねん。どうやって入ったんや」
「僕ピッキング得意なんだよ。勘が鋭いから」
「こいつ犯罪者にしたら大変なことになるな」
遠藤と園福寺も応接用の席に座った。
「それで、収穫はあったかい?」
「あったで~。これや」
園福寺が、持っていたビニール袋から黄色くて丸い生き物のぬいぐるみを取り出した。
「大収穫やろ~」
「先輩これ一発で獲ったんですよ! あと、私もお菓子大量に獲れました!」
「いや、ゲームセンターの収穫じゃなくて、捜査の収穫を聞いてたんだけど……」
「捜査の収穫も含めてこれだけや」
「君たちは一体何しに行ってたんだ……。もしかして、それも経費で落とすんじゃないだろうね?」
「もちろんしませんよ! だって他人のお金でやるUFOキャッチャーなんて達成感半減するじゃないですか!」
「まったく…」
「まあ強いて言うなら、収穫がなかったっていうのが収穫かもしれへんな」
「そうですね! 足立さんが消えた場所には行きの足跡以外何もなかったので、ナノマシンによって瞬間移動したか消滅したということで間違いなさそうです!」
「だから言ったじゃないか。そろそろ僕の勘を信用してほしいもんだ」
「そんなに言うんやったら、そっちはなんか収穫あったんかいな」
園福寺が何の説得力もないのに威張るように言った。天野は消えた足立の交友関係を探っていたのだった。
「こっちも何もなかったのが収穫だよ。被害者以外にナノマシンのことを知ってる人は誰もいなかったし、そもそも被害者についての情報を知ってる人もいなかった」
「会社の同僚なのにですか?」
「会社内での付き合いだからね、そもそも表面的になりやすいものだ。そんな関係で相手がどんな人間かを知ることはできないよ。その上、被害者は決して孤立していたわけでもないけど特定の誰かと親しいわけでもない、完全に印象のない人だったようだ」
「うわっ、学生時代の俺やん」
「完全に印象がないってどういうことですか? 一人ぼっちで誰とも関わってないから印象がないっていうのとは違うんですか?」
「一人ぼっちやったら一人ぼっちっていう印象が残るやん。普通に誰かと関わるから、そういう印象もないねん。かといって誰かと親しくなれるわけでもないから、相手にも何も思われへん。おってもおらんでも誰にも気付かれへん存在や……」
そう言うと、園福寺は魂が抜けたように色褪せてしまった。それを見て、天野は特に反応しなかったが、遠藤は動揺して、袋からマーブルチョコレートを取り出し、園福寺に与えた。
「どのグループにも分類されないってことですか……。一人ぼっちでよかった……」
「僕も一人ぼっちだったよ……」
「……お前は人気者やったんちゃうんかいな」
「僕の能力に集まってただけだよ。人間と人間の関わり合いをしてくれる子はいなかった……」
「冷たい時代や……」
三人とも色褪せてしまった。
マーブルチョコレートが効いてきたのか、園福寺が始めに色を取り戻した。
「それじゃあ家族とかは?」
「家族どころか近しい親戚も全員亡くなってるよ。あと、友人らしい友人もいないようだった」
「どうしましょう、これじゃあ足立さんのことが何もわからないままですよ」
「家ん中入るか」
「どうやって入るんですか? 持ち主は行方不明なのに」
「ピッキン……、じゃなくて令状が必要だね」
「俺は天野が心配や」
*
翌日、真夏の太陽に見下される中、遠藤と園福寺と天野は被害者の住むマンションの管理人とエレベーターに乗っていた。
「この方がどうかしたんですか?」
「ちょっと今その方の情報を集めていまして。管理人さんは何かご存知ありませんか?」
管理人の質問に天野が反応した。被害者は四階に住んでいたため、管理人が返事をしようとしたタイミングでエレベーターのドアが開いた。四人は歩きながら話を続けた。
「いや~、ちょっとわからないですね~。あ、そうだ。確か引っ越してきた時に挨拶しにきた人じゃないかな~」
「といいますと?」
「いやね、最近はもう引っ越してきてもわざわざ挨拶に来るような人はいないんですけど、一年ぐらい前だったかな、地元のお土産持って挨拶に来てくれた人がいたんですよ。多分あの時の人が足立さんだったような~」
「引っ越した時期と合っているので、そうかもしれませんね」
部屋の前に到着し、管理人が持っていた鍵を使って扉を開けた。
「それじゃあ私は戻ってますんで、終わったら呼んでください」
「ありがとうございます」
そう言って、三人とも中に入った。部屋はワンルームで、明かりを点けるとまず右側にキッチンが見えた。
「綺麗に使ってるみたいやな」
「そうですね。洗い物も溜まってない」
「靴も揃えてあるし、大雑把な生き方の人じゃないのかも」
扉に近い順番で、トイレ、風呂場を見てから奥の部屋に入った。
「物とか部屋を大事に使っていた感じがしますね」
「一人暮らしの部屋やのにな」
「君の部屋は汚過ぎて新種の細菌が誕生してしまったんだっけ?」
「してないわ! 強いて言うなら綺麗過ぎて新種の天使が湧いてしまったかな〜」
遠藤が無反応のまま奥の部屋の電気を点けた。大きな本棚が印象的な部屋で、反対側の机にはデスクトップのパソコンがあり、近くにアコースティックギターが立てかけてあった。
「音楽と文学が趣味だったんですかね」
「暑いからとりあえずエアコン付けよ? 俺の頭コンピューターみたいに熱持つのあんまり良くないねん。優秀やから」
「同感だ。高性能なほどデリケートだからね」
「二人とも自分で言いますか」
窓際に置かれたベッドの側の机にリモコンがあったので、遠藤が早足で取りに行き、電源を点けた。その間、流れ星が割れて放射状に別々の方向へ飛んでいくように、園福寺は本棚へ、天野はパソコンの方へ歩いて行った。園福寺は並べられた本を流すように見ていき、天野はデスクトップパソコンの上に投影式内視機を置き、ホログラムで空中にホーム画面を表示した。
「世界の古典がメインみたいやな。お、しかも世界的な文豪の名言集まであるやん。ちゃんと作者の思想まで読み取ろうとするタイプの人なんかも。『君の中には、君に必要なすべてがある。「太陽」もある。「星」もある。「月」もある。君の求める光は、君自身の内にあるのだ。』。良い言葉やな。線引く気持ちがわかるわ」
「内省的な人だったのかも。パソコンも、攻撃的な使い方だったり危険な使い方はしていないようだ」
「危険な使い方はなんとなくわかりますけど、攻撃的な使い方って例えばどういうのがあるんですか?」
「人の悪口を書き込んだり、そういう投稿を好んで見たり、とかかな」
「自分を少しでも顧みてたら、人を傷付けたりなんかできひんし、それを見て面白がったりもせえへんからな。人に強く当たれるほど立派な人間なんか自分は、ってな」
「なるほど。確かにそう考えると自分の支離滅裂さに吐き気がすると思います」
「音楽アプリのプレイリストも、流行りのものはほとんど入っていないね」
「それも内省的な性質に関係があるんですか?」
「最近の流行りは刺激的で、無理矢理興奮させるようなものばかりだからね。内省的な人なら、自分の心が置き去りになっていることに耐えられなくなるはずだ」
「なんか流行に乗ると疲れるのって、そういうことだったんですね」
「そうそう。それと内省的っていうことは、表に出てる以上に広い自分の世界を持ってる場合が多いから、彼のことは彼のみぞ知るってことになるかもしれん」
「お手上げってことですか?」
「まあもう少し色々見てみようよ」
しばらくの間、三人は黙々と被害者の情報を集めた。遠藤はクローゼットや食器棚を開けて持ち主の好みを探り、園福寺は個人的な興味で引き続き名言集を読み、天野は黙って遠藤の後をついて回っていた。
「さあ、どうや? 被害者のどんな人間像が出来上がったんや?」
「私的には、こだわりがない人なのかなって思いました。服はお洒落さよりも機能性を重視したものが多かったし、食器も超シンプルなものしかなかったし」
「ほうほう」
「服も食器も、並べ方に規則性は見られなかったしね」
「そうですね。あ、あと、柔軟剤はフローラルな香りのものを使っているのに、消臭剤はソープ系のものを使っていました」
「こだわりがないっていうよりは、五感に関わるものの中にはないっていう方が正しいんちゃうかな」
「そうだね、特にこの部屋の住人の場合は」
「なるほど。確かに言われてみれば、全くこだわりのない人なんて想像できないです」
「せやろ?」
「はい。先輩はどうでした? 本から何か見つかりましたか?」
「え? 俺は〜、これ良い本やな〜って」
「ただ堪能しただけじゃないですか。ちゃんと仕事してください」
「一刀両断だね」
「……強いて言うなら、線引いてたところの傾向として、人間についての深い洞察の言葉が多かったな。やから、人間というものに関心があったんやと思うわ」
「優しい人だったんですね」
「そうだね。こんな全てに対して諦め一色の時代に人間への探究心を失わずにいるなんて」
「ところで、天野さんの直感は何て言ってるんですか?」
「僕かい? そうだな〜、僕が感じたのは、使命感かな。この家の人は、人々に何かを伝えたがっているような感じがするよ」
「何かって何や」
「それは教えられない」
「なんでや」
「だって、僕が全てを解決してしまったら、君たち若手の育成が進まないじゃないか」
「お前も若手やろ」
「てことは、今までの事件も全部真相がわかってたってことですか?」
「もちろん!」
「ほんとですか! すごい!」
「さすがに嘘やって。考えてみ? 一方向の光から映し出される影から物体の、」
「さあ、車に戻ろう!」
天野の強引な号令で、被害者宅での捜査は終了した。三人は、立つ鳥跡を濁さずの精神を暗黙のうちに体現し、部屋を出て、じゃんけんで負けた園福寺が管理人を呼んできて鍵をかけ、マンションを後にした。
車に戻ると、遠藤が運転席に、園福寺が助手席に、天野が後部座席の真ん中に座った。
「そういえば、今日はなんで天野さんもついてきたんですか?」
「茶化しに来たんやろ」
「いやいや、調査だよ調査。君たちがきちんと捜査しているかってね。だからさっきの振る舞いを報告させてもらうよ」
「危な〜、ギリギリセーフや〜。ええ子にしといて良かった〜」
「君はギリギリアウトだよ」
「誰が形のないものにはっきりと境界線を引けるのでしょう。ああ、なんと人間の、うわっ!」
遠藤がエアコンの風を園福寺の顔に向けた。
「無言で顔に向けてくるなよ〜」
園福寺がそう言いながらエアコンの向きを元に戻した。それを見ながら、天野は後ろで嬉しそうに笑っていた。
「さて、これからどうします?」
「天野のケチが教えてくれへんからな〜。とりあえずダメ元であいつのとこ行ってみるか」
「あいつって誰ですか?」
「もしかして、あの小説家の?」
天野の顔が不愉快そうなものに変わった。
「そうそう。知り合いのな」
「へえ〜、先輩に小説家の知り合いがいたなんて〜。てゆうかそもそも知り合いがいたんですね」
「隠遁生活してるわけじゃないからさすがにおるわ。まあ友達はおらんけど」
「僕は途中で降ろしてもらえるかな?」
「一緒に来ないんですか?」
「なんだか苦手なんだよね。彼のまとってる空気が」
「空気が苦手やから会わへんって、いいご身分やな〜」
「君よりはいい身分だからね。じゃあそういうことでよろしく!」
警察省に寄って天野を降ろしてから例の小説家の元へ向かった。
小説家の家は、そこから三十分ほどの場所にあった。そこは、東京の街にしては忙しさや派手な雰囲気がなく、落ち着いた、心を休めることのできる場所であった。
「有名な方なんですか? 結構普通の街の普通の住宅街にあるんですね」
「有名やな、自分も見たらわかると思う」
「ほんとですか! 誰だろ〜」
遠藤が愉快そうにインターホンを押した。すると、すぐに返事が聞こえてきた。
「はい。どうかしましたか?」
「警察の者です。ちょっとお話をお聞きしたくてお伺いしました」
「そんな言い方したら事情聴取に来たみたいに思われるやんか。俺や、園福寺や」
「なんだ、君か」
しばらくしてドアが開いた。
「今日は何の用だ? また面倒事に巻き込もうとしてるんじゃないだろうな」
「面倒事なんてとんでもない。今日は後輩のご挨拶に来たんや」
「本当だろうね。酷い時なんかお土産持ってきたと言いながら幽霊連れて来たこともあった君だぞ」
「もしかして、ミステリー作家の張本一心さんですか?」
「そうです。君が、後輩の遠藤さんだね?」
「はい! 初めまして、遠藤と申します!」
有名人を誰も実際には見たことがなかった遠藤は、張本が一切何のオーラも放っていないことに静かに驚いた。
「小説家のくせにその柔道家みたいな名前、いまだに慣れへんわ」
「君が不快感を覚えたなら付けて正解だったな。まあ取り敢えず中に入りたまえ」
張本に言われ、二人は中に入った。園福寺は何度も来たことがあるため、まるで我が家のようにスタスタと奥に入って行った。一方で遠藤は最初の意外な第一印象から、身構えながら進んだ。実際張本の家は、どこからもお金のにおいが漏れてこない、どこにでもあるような質素な内装の家だった。
リビングに入ると、客二人はそのまま席につき、居住者は人数分のお茶を用意して椅子に座った。
無駄話が得意でない張本に合わせて、園福寺が早速現状のあらましを説明した。
「なるほど、取り敢えず君と天野くんが文字通り喧嘩するほど仲がいいことはわかったよ」
「話脱線すんの嫌いやったんちゃうんかいな。自ら舵取って導いてるやん」
「手と口が滑ったようだ。要するに君たちは、その言葉を具現化するナノマシンというものでどうやって消滅したかが知りたいんだな?」
「そうそう。端的に言って内省的な人が、どんな想いを言葉にしたのかがわからんねん」
「(ここはともだちだけのせかい)って書かれた看板の前で消えたんだよな? じゃあ簡単じゃないか。それだよ」
「看板の言葉を具現化したってことですか?」
「その通り。(ともだちだけのせかい)には、友達じゃない人は存在しないことになるからな」
「あーそういうこと? 天野がその人のこと聞いて回った結果、完全に印象がない人ってまとめててんけど、(ともたちだけのせかい)で何にも分類されない想いを元にそれを言語化したら、友達に分類されへんその人は消えることになるって話か」
「言葉が表す意味には表と裏があって、現実はその両方を示しているんだ。だから、……そういうことだ」
「なるほど! だから例えば、あなただけを愛しています、とかだったら、同時にあなた以外は愛していないということも意味している、ってことですね!」
「その通り。だからあまり不用意に前向きな言葉を使うべきじゃないんだよ。その例で言えば、愛のベクトルというものは本来全方向を向くものだから、限定的に愛するなどというものは根っこから論理が破綻しているんだ」
「そうか〜。今回の件やったら、安易に綺麗な言葉を使ったことで生じる代償を、孤独に一人で背負ったっちゅうことか〜」
「……そうだ。だから、せめてそれに気付いた君たちは、その方を弔ってやるべきなんじゃないか?」
「それ私も思いました! 足立さんに何かしてあげたいです!」
張本は二人が気付かない程度に微かに微笑んだ。
*
「なんで私まで行かないといけないんだ。君たちでやればいいじゃないか」
「……(せめてそれに気付いた君たちは、その方を弔ってやるべきなんじゃないか?) これお前も入ってるやん」
遠藤と園福寺は張本を連れて、(ともだちだけのせかい)の看板の前に来ていた。
「しまった。これだから人と話すのは……。それに、天野くんも来るんだろ? 私は彼の空気感が得意じゃないんだ」
「大丈夫やって、俺らがおるから」
「本当だろうな?」
三人が集まって小話をしているところに、天野が堂々とやってきた。
「やあ! 謎は解けたみたいだね! あ、張本さん……、どうも……」
「……ご無沙汰しています」
「何回目やねん会うの。やから友達できひんねん」
「お前に言われたくない!」
珍しく空気感が苦手な者同士の二人の息が合った。
「それじゃあみんなが集まったので、写真撮りますよ!」
「一体どうして集合写真なんだい?」
「それはもちろん、心霊写真を撮るためですよ〜。完全に消えて亡くなった方なんですから〜」
「呪われたりしないよな?」
「大丈夫や、多分言い出しっぺに全部行くから」
「ちょっと怖いこと言うのやめてくださいよ〜。私この日のために自撮り棒まで買ったんですからね!」
「とか言って、それも経費で落とす気だったりして」
「もちろん落としますよ!」
「これは呪われるな」
「文句を言う人は私が呪いますからね! さあ、射程圏内に入ってください! 撮りますよ〜! 3! 2! 1! 零!」