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第1話

第一話


 いつものように、小学校から寄り道せず、一人で家に帰った遥は、何かを茫然と眺める父親の姿を見つけた。その先にはなんと、床に倒れた母親の姿があった。父親は、同じく呆然とその光景を見つめる遥の姿を見るなり、なにかのタイムリミットを連想させるような焦った素振りで素早く近づいて崩れ落ちるように膝をつき、遥の両肩を強く持つと、こう言った。

「俺が必ず守るからな」

 そう言うと、父親の体は全身が灰のようになって宙を舞い、遥の周りを囲んでから拡散していくように消えた。

               *

 それから十五年後。遥は、警察省内にある一室の前に来ていた。

「十二階倉庫室B。ここで間違いないね。よし! 行くぞ!」

 小声で自分に向けて命令を発した後、事前に渡されていた鍵を使い、ノックをしてから中に入った。

 部屋の中は、倉庫室という名前であるにもかかわらず、典型的な書斎の風景が広がっていた。

「失礼します! 本日付けで、超常事件対策課に配属されました、遠藤遥と申します! 不束者ではありますが、精一杯尽力いたしますので、これからどうぞよろしくお願いします!」

 ほとんどオートモードで自己紹介したものの、返事はおろか物音一つ聞こえないので、気付かないうちに閉じていた目を開けた。

 遥は、左右の大きな本棚に奪われていた目線と意識を、部屋の奥にある、こちらに高い背もたれの側を向けた椅子の方にやった。背もたれのせいで、遥からは誰かが座っているのかわからなかった。

「失礼しま~す」

 後ろめたいことでもあるかのようにぬめっとした口調でそう言ってから、忍び足で椅子の方に近づく。

 あと少しで背もたれの奥が見えるところまで来た途端、椅子から大きな声が響いた。

「動くな!」

 遥は、突然の大声に驚いて反射的に一歩下がった。そのままの状態で少し待ったが、またしても静寂が室内に充満し始めたので、もう一度近づくために足を前に出そうとした。だがその時、足が動かせなくなっていることに気が付いた。足だけでなく、全身が一切動かなくなっていた。

「緊張してるのかな。あれ? 声は出せる?」

 その直後、椅子が百八十度回転し、満面の笑みで遥を見る男が姿を現した。

「ようこそ。チョウジリへ」

 男は、自分の言葉に何の反応も示さない遥に動揺し、不自然に高く上がっていた口角を下げた。その後、何かに気付いたような表情に変わった。

「ああ、そうやったそうやった。俺のせいで動かれへんのやったな。もうええで、動いても」

 男のその言葉を聞くと、遥の体はまた動くようになり、倒れるように一歩前に出た。

「びっくりした?」

「は、はい……」

「よっしゃ! サプライズ成功や!」

 男は立ち上がり、まだ状況が掴めずにぼ~っと突っ立ったままの遥の元まで近寄った。そして、元気よく右手を遥の方に出した。

「初めまして。俺が室長の園福寺です。どうぞよしなに」

「よ、よろしくお願いします……」

 そう言いながら遥は、不安げに園福寺の出した手を握った。

 握手を終えると、園福寺は手を後ろに組んで遥に質問した。

「こういう体験は初めて?」

「初めて、というわけではないんですが……」

「そうやんな。じゃあなんでまだそんなにぎこちないん?」

「いえ、その、どういう風に接していいものか……」

「いや気まず! おかしいな~。サプライズ成功したら一気に打ち解けれると思ってんけどな~。まあええわ。それより、最初ここ入ってきた時の挨拶、あれ本心ちゃうやろ?」

 普通なら素通りするところに逆戻りされたことで、遥はさらに動揺を上塗りされてしまう。

「いえ、そんなことは……」

「ほんまに~? 頭の中に開いたカンニングペーパーそのまま読んでるみたいやったけど」

「そうでしたか。それは申し訳ありませんでした!」

「いや別に謝らんでええよ。普通仕事にそこまでやる気出されへんからな。ここでは本心というものがめ~っちゃ重要になるから、あんまり心に蓋せんようにしいや」

「はい! ……」

「そんなに気い張らんでええから。気楽に行こ? 俺、関東人やねんけど関西の流派に属してるから、ツッコミには自信あんねん。やからどんどんボケていいで!」

「日本の方だったんですか!」

「いやそこから?! いいねえ~」

 園福寺は、机の前にある応接用の椅子に遥を座らせ、自分も反対側の椅子に座った。

「うち、水しかないんやけどええかな?」

「はい、ありがとうございます!」

 遥のその言葉を聞き、園福寺はお盆に乗っていた天然水のペットボトルとコップを取り、注いでから遥の前に置いた。

 遥は、園福寺が自分のコップに水を注ぎ、それに口をつけたのを確認してから自身も飲んだ。

「それで、さっきの力についてはどこまで知ってるん?」

「ほとんど何も知りません!」

「否定文の割に元気ええな~。そうか! じゃあ教えたるわ! 集まれ! コトハちゃんたち!」

 そう言いながら園福寺は自身の前に右手を出し、そっと手のひらを上に向けた。すると、そこにどこからともなく粉のようなものが山盛り集まった。

「これ、何やと思う?」

「えっと……」

「手ぇ疲れるからはよ答えて!」

「すいません! じゃあ、覚醒剤で!」

「いやあかんやん! 覚醒剤飼いならしとったら。これはな、ナノマシンやねん」

「ナノマシン?」

「そうや。知ってるか? ナノマシンってなんか」

「小さな機械ということぐらいしか……」

「まあそれぐらいは名前聞いたらわかるよな。それで、なかでもこのナノマシンはなんと、言葉に反応してその言葉を具現化するナノマシンなんや」

「そうだったんですか!」

「そうや。一回自分の身で体験してた方が理解しやすいやろ? コトハちゃんたち、机の上に集まってくれるか? 立方体になって」

 その合図とともに、園福寺の手にあったナノマシンは、机の上に移動し、命令通り立方体になって結晶のように集まった。

「……そ、そうですね! ……」

「あれ? もしかして、友達一人もおらへんくせに小さな機械に名前付けて戯れてるやん、とか思った?」

「いえ! 決してそんなことは! ……ちょっとぐらいしか……」

「ちょっとは思ってるんやん! ほんま最近の若いもんは痛いとこ突いてくんのが上手いねんな~。繊細やから」

 その後園福寺は、頼まれてもいないのにナノマシンの凄さを魅せると舞い上がって空中で火を出したり、その火を凍らせたりしてみせたのだった。

「一通り自己紹介も済んだところで、そろそろ現場行こか! ……ってあれ? 自分荷物は?」

「今日は手ぶらで来いと言われたので、言う通りにしてきました!」

「ああ、そうやったな~。サプライズの時にびっくりして落としたらあかんからって俺が指示したんやったわ。ほんなら今日はもう解散!」

「え?! 解散ですか?!」

「そう! 明日また荷物持ってここ来て~。鍵忘れたらあかんで! あれないとただの倉庫しか出てけえへんから」

「は、はい! あの、お時間は……」

「任せるわ! あんまり早うには来んといてな。朝しんどいねん」

「わかりました! 本日はどうもありがとうございました! 大変勉強になりました!」

「別にそういうのええから。はよ帰り~」

               *

 そんなこんなで遠藤遥の物語が始まった少し前、水泳競技の一つである高飛び込みの練習が行われているプールで、奇妙な出来事は起こった。

 高さが十メートルもある台から、一人の女子選手が飛び込んだ。台から足が離れた瞬間にもう、見ていた全員が違和感を覚えていた。体が硬直していて膝が曲がっておらず、飛び込もうとしたというよりは、飛び降りようとした風だったのだ。

 そして、その違和感は完全な異変へと変わった。下のプールに到達するまで、いつまでも着水の体勢にならず、まるで、ブリキの人形のような固体が落ちていくように、飛び込みの瞬間から少しも体勢を変化させることなく落下していった。

 皆の注目を集めた次の瞬間、その選手の背中が水面に触れると、ワイングラスが床に落ちて割れるように、体がバラバラに砕けて辺りに飛び散ってしまった。

               *

 初対面の翌日、遠藤と園福寺は事件現場にいた。建物の中に入り、受付を通り過ぎて例のプールのある空間へと向かっていく。

 その道中、廊下を歩きながら、遠藤が園福寺に、事故に関する情報を説明する。

「亡くなった方は大山美穂さん、このスイミングスクール、『タイマー』に通っている選手ですね。年齢は二十二歳で、持病などは特になかったようです」

「まあそうやろな。プールに飛び込んだら体が砕け散る病気ってどんなんやねん」

「そうですね。あ、あと、このスイミングスクールは、全国大会や世界大会に出場する選手を数多く輩出する名門のようです。なので、練習が相当厳しいと評判です」

「そうか~。まあでも、どこまでいっても組織の雰囲気は、実際に見てみなわからんからな~。ここのチームはどんなもん抱えてるんやろ」

「あ、たぶんもうここで靴下も脱いでおいた方がいいと思います」

「さすがは新入り、いつも通りよく気ぃ回るな~。俺靴下びちょびちょになんのほんまに嫌いやねん」

「今日が初めての仕事です……」

 二人は監督用の通路を通り、更衣室を抜けてそれぞれプールサイドにやってくる。一番奥のプールだけ練習が行われている。

「わかった? もう大人なんだから言ってることぐらい理解できるよね?」

「はい!」

「それじゃあもう一回!」

「はい!」

 遠藤と園福寺がそこにいる監督の元へ歩いていく。

「声デカいな~。恐竜の咆哮やん」

「あんまりそういうこと言わないでください!」

「すいませ~ん。にしても、メンバーの一人が不審死を遂げてまだ数日しか経ってないのにもう練習って、厳しさの度を越してるやろ」

「それは、同感です。選手たちのメンタルが心配ですね」

 監督の元へと到着する。

「監督の松崎明美さんですね?」

「そうですけど?」

「私、警察省の遠藤と申します」

「同じく園福寺です~」

「大山美穂さんのことで、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「刑事さんにはもう、あの日のことは話しましたけど。同じ話を二回するのは時間の無駄じゃないですか?」

「我々が聞きたいのは大山さんに対するあなたの接し方についてなんですよ~。それももう話されました?」

「今練習中だから、短時間にしてください」

「ありがとうございま~す。それで、どんなふうに接してました?」

「あの子はチームの中で一番遅れてる子だから、他の子たちより強めに鞭を打ってましたけど。それがあのことと関係あるんですか?」

「それが大有りなんですよ~。ちなみに、どんな言葉かけてました?」

「それは……。そんなこといちいち覚えてませんよ」

「彼女を追い詰めるようなことを言ったりはしませんでしたか?」

「そんなことするわけないでしょ。もしかして、私があの子を自殺に追い込んだとでも言いたいんですか?」

「決してそんなことは」

「もういいですか? 練習に集中できないんで」

「ええ。お邪魔してすいませんでした~」

 二人はその場を後にした。

 選手たちにも話を聞くべく、受付近くの談話スペースで彼女らを待つことにした二人。

「このスイミングスクールの『タイマー』って名前、何の略か知ってますか?」

「知らんな~。高崎レンタカーとか?」

「タしか入ってないじゃないですか。タイムイズマネーの略だそうです」

「そうなんや。あの監督はその権化っちゅうわけや」

「そうですね。相当熱心に取り組んでいるようです」

「あの監督、煽って火ぃ付けようととするタイプやな。帰る間際も、『赤ちゃんからやり直した方がいいんじゃない?』って言っとったし」

「ええ。モラハラと受け取られても仕方ないレベルですよ」

「出た。ハラスメント。最近は敏感やからな~。さすがに俺は大丈夫やんな? まだ初日やし」

「……。はい、大丈夫です」

「何今の間。怖っ」

 しばらくして、選手らが昼食のために現れた。休憩時間も短いだろうから足を止めるのは悪いということで、二人は食堂で話を聞くことにした。

 はじめは六人のグループに話を聞いた。

「ご飯中にすいません。私たち警察の者なんですが、少しだけお時間いただいてもよろしいでしょうか?」

「大丈夫ですよ。美穂ちゃんのことですよね?」

「ええ。ありがとうございます。その美穂さんですが、皆さんのチーム内ではどういったポジションにありましたか? あと関係性とか」

「美穂ちゃんは~、大人しめのポジションだったよね?」

「うん。だから、私たちとは仲が悪いわけじゃないけど」

「いいわけでもないと?」

「そうですね。ちょっと壁を感じるというか」

「態度に出たりしていたと?」

「いや、そういうわけでもないんですけど」

「なんとなく接しづらい、みたいな?」

「そんな感じです」

「なるほど、ありがとうございます」

 次に、静かに食べている三人組に話を聞いた。

「美穂ちゃんとは、チームの中では私たちが一番仲は良かったと思います」

「どんな方でしたか?」

「優しい子でした。誰に対しても傷付けないように控えめに接してて」

「じゃあショックも大きかったんじゃないですか? 思い出させてしまって申し訳ありません」

「いえ、そんな。確かにショックは受けましたけど、そんなに大きいかと言われると」

「気付かされたよね。私たちもそこまで深い仲ではなかったってことに」

「そうですか。では、監督との関係はどうでしたか?」

「ちょっと可哀想でした。よくきつい嫌味を言われてて」

「どうせあなたはできないでしょうけど、とか、あなたには無理だろうけどとか、よく言われてました」

「なるほど、ありがとうございます」

「あの、美穂はどうしてあんなふうになっちゃったんですか?」

「それは、まだ捜査中で……」

「そうですか」

 選手たちへの聞き込みを終え、車に戻った。遠藤が運転席に、園福寺が助手席に座り、二人ともシートベルトを締め、遠藤はエンジンをかけてハンドルを握る。

「思ったよりみんな平気そうでしたね。ちょっと冷たいなって思っちゃいました」

「まだ気付いてないだけやろ、ショックに」

「そういうのって、気付けないものなんですかね」

「心を亡くすと書いて多忙と読む。ああいう人らは自分の心と向き合う時間も削って練習してるからな。まあ心を抑え込まなやっていかれへんっていうのもあるんやろ」

「そういうものですか。まあ多が多いのはいいとして、被害者の体が粉々になったのって、先輩が見せてくれたあのナノマシンがやったってことでいいんですよね?」

「そうやな。やから俺たちが解き明かさなあかんのは、なんでそんなふうになったかっていう原因の部分やな」

「言葉を具現化するっていうのは、誰かが被害者をあんなふうにしたってことですか?」

「その誰かっていう中には被害者自身も入るけどな」

「なるほど。自分で自分を、ですか。その可能性もありそうですね」

「まあ偏見は良くないけど、今のところは一番高いな。……、それよりもさあ、この車、いつ発車すんの?」

「いや、どこ行けばいいかわからなくて」

「わからんのやったらそんな行く気満々でハンドル握ったらあかんやん。とりあえず被害者の家行こう」

 二人が乗った車は、被害者の両親が住む家がある閑静な住宅街、から中途半端な距離にあるパーキングに停まった。

「微妙に遠いな」

「微妙に遠いですね。歩きましょう」

「この車ってセグウェイ載せてなかったっけ」

「どんだけ歩くの嫌なんですか。行きますよ」

「俺歩くぐらいやったら走った方がマシやと思う人間やねんって~」

 車を降り、歩いて目的地へ向かった。その間も、園福寺はのんべんだらりとしながら遠藤の後をついていったのであった。

 家に到着し、インターホンを鳴らすと、被害者の母親が出てきた。母親は、平静を装ってはいるが、どこか萎れているのは誰の目からも明らかだった。リビングに二人をあげ、人数分のお茶を用意した。遠藤も園福寺も、家中に重たい空気が漂っているのを察した。

「この度は突然のことで……」

「……どうも」

「心身の具合は大丈夫ですか?」

「私ですか? ええ、まあなんとか」

「旦那さんはお仕事に?」

「はい。今朝も疲れた様子でしたけど」

「そうですか……。あの、ご無理でなければお話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いません」

「ありがとうございます。では、始めさせていただきますが、娘さんは、どのような方だったんでしょうか」

「優しくて繊細な子でした。気を使い過ぎてしまうところがあって、そのせいで何をしてもうまく行かないみたいで」

「その中で、高飛び込みは……」

「そうです。どうしてかそれだけは評価されて、名門のチームに入ることになって。でも結局、上には上がいるといいますか、そこではあまり思うようにいっていなかったみたいで」

「娘さんから何か相談を受けたりとかはありましたか?」

「いえ、特には」

「そうですか……」

 沈黙が不自然な長さになる直前に、園福寺が口を開いた。

「娘さんのお部屋って残ってますか?」

「ええ、ありますが」

「ちょっと見せてもらっていいですか?」

「わかりました。こちらへ」

 母親に案内され、二階の一室に入った。被害者の部屋は、無駄な物が置かれておらず、整頓され、あまり個性というものが感じられなかった。

「部屋片付けたりしました?」

「いえ、特に何も動かしていません」

「そうですか~。娘さん、どっかのタイミングで本捨てたりとかしてませんでした?」

 勉強机の本棚にできていた隙間を見ながら園福寺が聞いた。

「あの子、本を読むのが好きで、よく買っては読んでいたので、定期的に処分していました」

「結構読まれてたんですね~。わかりました~」

 特に自殺や他殺の証拠となりそうなものもなかったので、家を出ることにした。

「お邪魔しました」

「いえ、お力になれず……」

「そんなことはありません。ありがとうございました。くれぐれも体調を崩さないようにしてください」

 被害者の家を後にし、倉庫室Bに戻ってきた。

「あれ! 新しく机置かれてるじゃないですか! 私のですか?!」

「どうしたんや急にテンション上がって」

「すいません間違えました、つい反動で」

「単純な精神構造やな~。あ、そうそう、その机は自分が使い」

「ありがとうございます!」

 遠藤は、応接用の机に置いていた荷物を自分の机に移し、園福寺は奥の冷蔵庫からモンブランを二つ取り出した。

「モンブランアレルギーとかある?」

「いえ、ありません! けど、すごく限定的なアレルギーですね」

「良かったわ。じゃあ食べよ」

「ありがとうございます!」

 二人とも応接用の椅子に座り、モンブランを食べながら話し始めた。

「甘いもん食べな頭働かへんからな〜」

「そうですね! ところで、先輩はこの事件、どう考えてます?」

「そうやな〜。あ、その前に、ナノマシンのことやねんけど、あれ、そう簡単には動かされへんってことは言っとかなあかんかったな」

「そうなんですか? 昨日先輩は簡単そうに操ってましたけど」

「ごめんな、ややこしいことして。あれは俺がすごいからっていうだけやねん」

「あ……。そうだったんですか!」

「ツッコまんかい若者〜。俺が後輩に自分を持ち上げさせる奴やと思った〜? まあええわ、それであれな、心の底の方〜にある言葉、想いを具現化させるもんやねん」

「なるほど、じゃあ私が今適当に、先輩の髪型をカッコよくしろ!、って言っても動かないわけですね!」

「もしかして今の髪型カッコよくないと思ってる〜? まあ、自分がナノマシンのオーナーで、それが本心なんやったら動くやろうな」

「あれ、おかしいな、だったら」

「おかしないわ! 本心で思わんといてくれ!」

「だから最初に、本心が大事って言ってたんですね!」

「そうそう、本心、心の底にある想いっちゅうもんが何なんかわからんと、ここで扱う事件には手も足も出〜へん」

「ていうことは、今回の事件で言えば、被害者に対して強い殺意を持つ誰かの犯行か、被害者自身が自分に向けた殺意によるものか、ってことになりますよね?」

「殺意っていうとかなり強くて限定的な言葉になってしまうからあんまり良くはないけど、まあベクトル的にはそんな感じやな」

 二人がモンブランを食べ終え、話すことが中心になり始めた頃、沈黙ができたタイミングに扉を叩く音が響いた。

「お! 来た来た。どうぞ!」

 園福寺がそう言うと、音の主が扉を開けて入ってきた。

「情報持ってきたよ!」

 高い身長に長い手足でスーツを爽やかに着こなした男が入ってきた。男は、片手にホッチキスで留められた資料を三部持って、園福寺の隣に座った。座ったのと同時に、モンブランの乗っていた容器に目線を落とした。

「あれ、何か食べてた?」

「いや別に?」

 園福寺がわざとらしく知らない振りをした。

「あの、先輩、こちらの方は?」

 何かが勃発するのを阻止するように、遠藤が尋ねた。

「こいつはな、壱課の天野や」

「はじめまして! 壱課の天野です! 新しく入った遠藤さん、だよね? 大丈夫? 園福寺に嫌なことされてない?」

「なんもしてへんわ!」

「……はい! 遠藤と申します! 何も……されてません!」

「間の魔術師め〜」

「ちなみにだけど、壱課って言うのは、一画で書ける一課とは別なのはわかってる?」

「えっと、違うんですか?」

「こいつらは難しい方の壱課で、超常的な事件をあくまで普通の事件のように捜査するチームや」

「なるほど! 逆に私たちは初めからナノマシン路線で捜査してますもんね! 二つのチームが手を取り合って事件を解決に導くと!」

「物凄い握力で握り合ってが正しいけどな」

「そんなことないさ。今だって情報を届けに来たじゃないか」

「食いもんもらいに来たの間違いやろ」

「まあまあ、早く僕のモンブランを出して、捜査会議を始めようじゃないか」

「凄い! なんでわかったんですか?」

「勘だよ」

「こいつの勘は鋭すぎてもはや超能力やねん」

 遠藤が冷蔵庫からモンブランを取ってきて、天野に振る舞った。天野がモンブランを食べている最中、ずっと園福寺はどこか不機嫌そうにしていた。

「ごちそうさまでした! よし! それじゃあ捜査会議を始めよう!」

「なんでお前が仕切ってんねん」

「僕が情報を持ってきたんだから当然じゃないか」

 二人を見ながら遠藤は、犬猿の仲と阿吽の呼吸は、案外似たようなものなのかもしれないと思った。

「まず、被害者の体だけど、黒鉛みたいになってたよ。かろうじて回収できた部分は、だけどね」

「黒鉛、ですか?」

「タンパク質とか糖とか脂質とか、多くは炭素が骨組みに使われてるからな」

「なるほど。でも、人間の体って、70%は水でできてるって聞きますけど、それはどこ行っちゃったんですか?」

「目撃者の証言から考えて、氷にでもなってたんじゃないかな」

「最後は溶けてプールの水と混ざってもうたんか」

「そっか〜。じゃあ、ナノマシンは……」

「ナノマシンは所有者が死ぬと消えてまうから、遺体からは回収できひん」

「そうなんですか〜」

「あと、そのナノマシンの出所だけど、生きてる人たちからは何も掴めなかった」

「お前の直観を持ってしても無理やったってことは、全く知らんと考えるのが妥当やな」

「ということは、被害者自身が……」

               *

 翌日、園福寺と遠藤は、スイミングスクールのチームメンバー全員と監督、被害者の両親をスイミングスクールの食堂に集めた。

「全員を集めて、一体何の用ですか? 今も本当なら練習してる時間なんですけど」

 監督の松崎が不機嫌そうに言った。

「すいませ〜ん。大事なことなんです〜。練習なんかより〜」

「ちょっと先輩! 煽らないでください!」

「本当でしょうね。もしくだらないことだったら承知しませんから」

「それじゃあ会場もあったまってきたところで、早速始めましょか!」

 座っている事件の関係者たちが、立っている遠藤と園福寺の方を注目する。

「まず、今回の事件はまとめると、大山美穂さんの自殺ということでした」

「大事なのはここからですよ〜。なんで美穂さんは自殺したのか。皆さんわかりますか?」

 園福寺が聴衆を見回す。

「おそらく皆さんの頭に浮かんでいるのは、追い詰められていたから、ってことでしょう。確かにその通りです。ただ、それだけじゃない。自分やったらって考えてみてください。普通それだけが理由やったらあんな死に方を選びませんよね? 遠藤、説明したって」

「はい。大山美穂さんという方は、我々が見る限り、決して自殺をしない人です。自殺というものは、暗くて内向的で、消極的な人がするイメージがあると思いますが、実際は違います。この手の人が自殺をするのは稀です。自殺は、活動的な人が現実に押さえつけられ、行き場を失ったエネルギーを発散する方法の一つなんです。逆に、美穂さんのような方が自殺を実際に決行するのは、並々ならない決意があったということです」

「その通り! そしてその決意の原因とは何か。それは、美穂さんの宿命ともとれるものです。皆さんも、彼女と関わる中で何度も耳にしたことがあるはず。(無理)とか、(できない)とかいう言葉です。言葉には不思議な力があります。(どうせお前には無理や)とか、(私にはできない)とか、そういうことばっかり聞いてると、ほんまはできたかもしれんのに、できひんようになるもんなんです。美穂さんにはそういう、体が固まって動けなくなるような言葉に付きまとわれてたんやと思います。ここからは僕の想像で補いますけど、彼女はある日、いつ何時でも自分を動けなくさせる言葉の存在に気付いた。そして、考えたんでしょう、その言葉は、言ってる本人さえも硬直させるものなんだろうと。その時、人の体をカチカチに固くする薬品の存在を知った。あ、それが彼女の不思議な死の原因物質です。とにかくそれが希望の光に見えたんでしょう、自分にピッタリだ、これなら伝えたい想いを表現できると。結局彼女は実行した、自分が呪縛から解き放たれるため、魔の呪文を唱える者たちをも、その呪縛から解き放つため」

 母親が涙を流し始め、監督は静かに唾を飲んだ。園福寺は、静かに一回まばたきをした。

「彼女の死には、そういう意味が込められてるんやと思います」

 園福寺は皆の様子を見て、それ以上話すのをやめることに決めた。

               *

 その日の夕方、二人は倉庫室Bにいた。遠藤は応接用の椅子に座り今日の事件について考え込んでいた。園福寺は何やら手帳をゆっくりパラパラとめくって見ていた。

「先輩は、自殺についてどう思います?」

「そらあかんやろ」

「え! あんなに感情込めて語ってたのにですか?」

「それはもう起きてしまったことやからや。起きてしまったんやったら、そこから何かしら意味とか価値とかを見出すしかないけど、だからといって自殺という行為自体を認めることはできひんな」

「なるほど〜、確かに、もう起きてしまったことと、これから起きるかもしれないことを混同させてはいけないですね。あ、それと、ちょっと話変わりますけど、ナノマシンの入手経路、わからないままでいいんですか?」

「壱課で無理なんやったら俺らには無理やな」

「それはそうですけど、なんかモヤモヤが残るな~」

「そういう痕跡が頑なになかったらしいからな。執念か信念かわからんけど、そういうのが相手の時は、相手と同じ世界が見えてないと手も足も出~へんわ」

「まあ~、だからこそ信念なんですもんね~。そっか~」

「『何があっても、考えることだけはやめないように』」

「どうしたんですか? 急に」

「いや、被害者の机の本棚にあった帯に書いてた言葉が今ぱっと浮かんだだけやねんけど……。まあ手も足も出~へんとしても、諦めるのは違うで、って伝えたかったんや。わかったか?」

「あ、ありがとうございます……」

「あ、手ぇ空いてるんやったら、人数分エクレア出してくれんか、冷蔵庫から」

「は〜い、わかりました〜」

 遠藤は冷蔵庫に向かって歩き始め、園福寺は一番新しいページに何かを書き始めた。

 園福寺の横を通り過ぎようとした時、何かを書き終えた園福寺が手帳から手を離したことで、遠藤の方から手帳の中身が一瞬見えた。中には、誰かの名前がびっしりと並んで書かれており、その先頭には「遠藤」の文字が二つ続けて並んでいた。

「それ、何書いてるんですか?」

「あ〜、これな、これは事件で扱った死者の名前を書いてんねん」

「そうなんですか〜。ちょっと見せてもらっていいですか?」

 遠藤がその手帳に触ろうとすると、園福寺がとっさに手帳を回収した。

「これは、駄目なやつです」

「え〜、なんでですか〜、別にいいじゃないですか〜」

「そんな子供みたいにごねたって、駄目なもんは駄目!」

「先輩だって、子供に叱りつけるけど自分もいけない理由がわかってないお母さんみたいじゃないですか〜!」

「それの何が悪いんや!」

 大人の軽微な体力が続くまで言い合いは続いた。

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