第22話 鬼ハンドルは愛の証
モモチの誤解を解いた後は、入念な打ち合わせをする三人。閉所や特殊空間で戦うにはお互いの役割をハッキリさせておくのが重要である。
途中アルトスがモモチの大太刀に見惚れたり、モモチがヴィヴィの木目調ナイフに興味津々だったり、ヴィヴィはアルトスの炎剣の上で薬品を温めたりとしているうちに夜が更けていた。
最初は心配していたが、存外馴染むものだなと思うアルトス。孤独同士が集まったからなのかは解らないが、この先の探索は期待が持てた。
そんなわけで就寝の時間。流石に女性二人と男一人では……と、アルトスが個室に向かったとき、彼に思わぬトラブルが降りかかる。
「こんな広いところで寂しく寝るのは嫌って言ったでしょ!」
「主が下人の部屋のような場所で寝るのはまかり通りませぬ! 同衾とは申しませぬ。せめて一緒の部屋で!」
二人が一緒に寝ると言って聞かないのはアルトスの予想外だった。ここはあくまで宿だから静かにして欲しいというアルトスの願いも空しく、ダークエルフの少女と鬼の美女はやだやだとダダをこねる。騎士の家として厳しい躾の中で育ったアルトスとしては、同じ部屋で寝るイコール初夜でよろしくぐらいのハードルなので目眩を起こしてしまう。
自分は間違いを起こさないだろうが、面倒な事になりそう。ということで、アルトスは勇気を振り絞り「嫁入り前の女の子がそういうのはいけないと思います!」と抵抗するが、そうするとヴィヴィは本気で悲しそうな顔をするし、モモチまでむくれはじめる。どうしようもなかった。
アルトスは粘りに粘って、最終的には同じ部屋でもいいけどベッドは離すことを条件とすると、ヴィヴィとモモチは渋々承諾。中央のベッドにアルトス、左右のベッドにヴィヴィとモモチが挟み込む形で寝ることとなった。
アルトスは左右の二人に「絶対近づいちゃダメだからね!」と念を押すと、おやすみと言って魔力灯ランプを静かに消した。
★
アルトスは気づくと、何故か空を落下していた。
さっきまで自分はベッドに寝ていたはずなのに。何が起きているんだと目を開けると、思わずヒッと声を上げそうになった。
それは間違いなく夢だった。アルトスは空から知らない地上を見渡している。どこかの戦場なのだろうか。至る所に火の手が上がり、眼下には重武装の兵士の隊列が何かを待ち構えている。
アルトスが戦列の先を見ると、再び声を上げそうになる。黒い何かが蠢いている。遠くからでも解る、憎悪の津波。それは全て人外でいて、人の形を取っていた。
「そんな……アレは、黒い巨人の群れ!?」
蠕動に似た吐き気を催す怪物達の雪崩れ。アルトスは戦列との衝突の瞬間を見ることはできなかった。あの巨人が群れを成して襲いかかるなど、悪夢以外でも何でもなかった。
ただ、迎える結果は意外なものだった。重武装の兵士たちは果敢にも黒い巨人へ反撃をしている。見た事もないスキルや、中にはアルトスのように手足に魔力を纏って戦うものまでいた。
戦場は混迷を極め、至る所から死が立ち込める。刃が切り裂く音、鎧ごと潰される音。夢なのに腹の底に響くような咆哮と絶叫。アルトスは瞼を強く瞑って、早く目覚めて欲しいと願う。
助けてと叫びそうになった時、ふわりと頬を振れたのは手だった。
ビクリと驚いて縮こまるアルトスの顔を、手は優しく撫でる。
アルトスは思わずその手を取って、目を開ける。光り輝く手は女性のもの。
女神のものだろうか。それとも。
「姉さんーー?」
ギュッと握ると、ぐおおと体が引き抜かれる感覚。凄まじい勢いで引っ張られて、雲を突き抜け、見えた先は光の球。暖かな、しかし寂しそうな。風が嘆いていて、聞くに耐えない。
光の球が変化する。一番下のあたりから、螺旋を描いて一筋の線を延ばす。まるで漏斗のような形のその先に、光の雫がキラキラと輝いていた。
「エリクサー!」
確証はないが、そう思えた。そう思うしか無かった。必死に手を伸ばす。だが、体は空へと舞い上がる。やがて聞こえるのは、「今は、まだ」という声。そして――
「聖杯は傷き、雫は澱んでいます。龍を守りなさい、聖剣を憎みし者」
「待って下さい! 貴方は誰なのですか!?」
「……与える業に苛まれる、愚かな神」
「!」
「ごめんなさい」
謝罪、あるいは後悔に聞こえた。その声は確かに泣いていた。女神は泣いていたのだ。この世の超越たる存在が、人など矮小な存在を気分で消すことのできる存在が、だ。
アルトスは手を伸ばす。そういう風に生を受けてしまった。神の手を取るなど恐れ多いが、彼は夢でもそうなのだから仕方がない。
手を伸ばした先で、その手は届かずとも、微笑みを返されたような気がした。
★
「主殿!?」
「へ?」
バチッと目を開ける。アルトスは普通に悲鳴を上げた。いつの間にかモモチが隣にいたからだ。彼女は黙っていれば超がつくほどの美人。横に来ただけでドキドキするのに、今その顔は驚きを交えつつ、トロンと蕩けているように見えた。
アルトスが手を伸ばした先。それは彼女の豊満な胸ーーではなく。彼女の角だった。剣の柄を握るように、ガッシリと掴んでいる。
「うわわわわ! ごごごごゴメン!」
飛び起きようとするが、今度は右足に重しのようなものを感じる。シーツを引っぺがすと、昨日のようにヴィヴィが太ももに抱きついていた。今度はちゃんと寝間着を着ているが、ギューッと密着している。
「あ、主殿。せせせ拙者をそんな目で」
シーツを胸元に寄せるモモチは、何かイケない感じになったような雰囲気。そして今気づいた。彼女の寝間着姿は独特な白絹の寝間着。胸元はしっかり隠れているが、放たれる色気がハンパない。
「ち、違う! た、たまたま! というか何で近づいてるの! 僕何かやっちゃったの!?」
「お、鬼族にとって殿方に角を握られると言うことは、身を委ねよという意味。それは、しょ、初夜にやることにござる!」
「初夜ァ!?」
朝から何言ってんだと叫びたくなるが、どうも異種族間のタブー、地雷を踏み抜いてしまったらしい。アルトスの顔からサーっと血の気が引いた。
「ごごごごゴメンそんなつもりじゃ」
アルトスはモモチのドゲザを真似しようとしてみたが、右足にヴィヴィがガッチリくっついて離れなかった。
アルトスは焦る。彼女は昨日のガールズトークを聞くに、モモチは不埒者をぶった切って来たという。早々にやらかしてこの首が飛ぶのかと絶望的になったが、モモチの反応はアルトスにとって予想外のものだった。
「……嬉しい」
「はい!?」
「剛の者にそう言われては。鬼族の女にとって、最高の誉れ」
モモチは顔を赤らめて、ソッと手を絡めてくる。
「主殿は罪深い男でござる。出会ったその時から、拙者を女にしてしまった」
あ、これマジのヤツだと動揺するアルトス。まだ出会って間も無いのに……ではなくて。種族間の文化の違いでこんな事が起きるとは。だから部屋分けしようと言ったのに。
とはいえ実は既にヴィヴィへ一回やらかしているのだが、アルトスは全く気づいていないでいる。ギルドマスターが罪造りと称したのは、あながち間違っていないのかもしれない。
「主殿……」
「ち、違う。誤解だ! なんで帯外すの!? え、エッチなのはいけません!」
「おい」
足下からブワリ、と殺気が放たれた。
アルトスとモモチは小さな悲鳴を上げる。ヴィヴィがシーツの中からもそりと起き上がり、どこからともなく取り出した木目調ナイフを逆手に構えていた。
さっきまで閉じていた目には怒りの炎が舞い上がり、獣のような殺気を放っている。
「アルトス。裏切ったらちょん切るって言ったよね?」
「何を!? そそそそれにこれは事故なんだ! というか君もなんで近づいているの!?」
「鬼乳女。抜け駆けしたらもぎ取るって言ったよね?」
「で、ですが主殿が!」
「僕のせい!? ひ、ヒィ! ヴィヴィ、目が怖い!」
ここからどったんばったん大騒ぎとなり、ヴィヴィが落ち着くまでかなりの時間を要した。ついでにモモチへの誤解を何とか解いたときには、既に昼になっていた。
★
「ゆうべは……って、どうしたアルトス。その頬は」
「事故です」
打たれた頬をさすりながら、アルトスは鍵を預けた。完全に事故だし、そもそも寝てるときは近寄るなと言ったのに密着していた二人が悪い。にも関わらず、何故か自分が悪いことになっているので未だに納得できないでいた。
ヴィヴィはブンむくれて、モモチは僅かに顔を赤らめている。
「それにしてもしっかりしてるなお前ら。ダンジョン解禁に焦りもせず様子見とはな」
「え!? もう解禁したの!?」
「今朝方な。見ろ、ここに残ってるのは慎重な上級ランカーだけだぞ」
そう言うと確かに、ロビーに残っているのは明らかに歴戦の猛者のような冒険者ばかり。皆ロビーのテーブルに座りながらティーカップを傾けたり、日刊を読んでいたりする。
ソワソワするアルトスだが、ヴィヴィは「落ち着いて」となだめる。
「大丈夫だってアルトス。ダンジョン変異が起きたらほとんど一からやり直しだから。最初から踏破できるパーティーなんてこの世にはいないよ」
「そ、そうか。はは、下積みが長かったからスタートダッシュに乗り遅れたかと思っちゃった」
「けど、うかうかもしてられない。調査隊が来る前に進めるだけ進まないと。調査の程度によってはずーっと拘束されて……他のパーティーに抜かれちゃうかも」
現時点で一番心配なのはそこである。王国の調査隊が来るというのは解るが、何を調査するかによっては最悪途中から抜け出すくらいの事も考えなければならないからだ。
ピンバッジを持っているイゾルテは当然のことながら、まだまだ上位パーティーはいくらでもいる。誰もが一騎当千で、ダンジョン変異前は古のドラゴンへ王手をかけていたのだから。
「あうう……も、もどかしいな!」
「急ぎたいけど急ぐと危ない。世の常だよアルトス。ワタシは何だか解ってきた気がする。諦めたとも言うけど」
「ならばお二人方、考える前に早速ダンジョンへ潜るでござるよ。我々の連携も慣れておきませんと」
異議はなかった。アルトスはもとより、ヴィヴィは最初からそのつもりだったらしい。三人はそのまま宿屋を出てダンジョンへと向かった。
相変わらず街は賑やかだ。今日はダンジョンが解禁されただけあって、いつもよりも主街道が活気付いているようにも見える。道具屋も大安売りの看板を掲げたり、出店も本日何割引と幟旗を掲げていた。
「なんかお祭り騒ぎみたいでござるな」
「スタートダッシュ勢が帰ってきたのを迎える形なんだろうね。街の商会連合は今フル稼働だと思うよ」
「ワタシ達は何だかんだ言ってレベル帯が高いけど、冒険者の八割がレベル十から二十台で燻ってる中級者だからね。そのほとんどがダンジョンに向かってるなら、そりゃそうなるよ」
今までの境遇とは全く違うことに、アルトスは今でも戸惑いを隠せない。どん底に突き落とされてもうダメかと思ったのに、今や誰もが一目置いたギルドランク4のパーティーだ。とはいえ安心はできない。
これからやってくるだろう王国の調査団との付き合い方や、新たなダンジョン攻略のための情報集めなどやることは山積している。それにあの黒い巨人は、確実にアルトスの名前を覚えている。各地に出現するというのならば、また現れる可能性は大いにある。
「何とかして黒い巨人に出会わずにドラゴンに辿り着けないかなぁ」
「それこそイゾルテに任せたいけどね」
「あの赤リボンの剣士なら怖い物無しだと思いまする。仏様でも斬らんとする勢いでござった」
出来ることは出来る人にやってほしいなぁと思いつつ、三人は燦々と照りつける昼下がりの街道を登ってゆく。ようやくダンジョンの入り口が見えてきたというところで、すぐ隣の冒険者ギルドに人だかりがあることに気がついた。
ギルドマスターの言うとおり今度はちゃんと入出手続きをしてダンジョンに入ろうと思ったのに。まさかの行列かと項垂れる一行だが、近づくたびにその違和感に気づき始める。
冒険者ギルドの側には幌付きの馬車が数台泊まっていた。豪華というわけではないが、一眼でそれなりの金がかかっているように見える作り。幌には大きく盾とドラゴン、それに数々の紋章が描かれている。
「……王国騎士団のシンボル?」
次は2021年11月1日(月)の午後8時ごろ