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「――はぁ? 姫様と城下に降りてひと騒ぎ起こしてきた!?」
ずぶ濡れで部屋に戻った僕らに対して「部屋が汚れる」とリアはお冠で、それをなだめるために一部始終を聞かせる事になってしまった。
「声がでかい! まあ、騒ぎは無事に収まった……と思うし、正体もバレてないだろうから問題は無い」
「何よ、その微妙な間は」
あの後あの場がどうなったのかは知らないから、仕方がない。まあ、悪いようにはなっていないだろう。おそらく。
「まぁ、あの呑気な姫様なら騒ぎって言ってもそんな大きなものじゃないか」
リアは勝手に納得すると、僕にタオルを投げて寄越した。
ちなみに、姫様のアレに関しては話してない。もちろん、話す必要が無いからだが。
「ごめんなさい。私のせいで……」
「いや、確かに不注意だが、騒ぎが大きくなったのはお前のせいじゃない」
濡れた頭を拭きながら、重くなったベストやらシャツやらを脱ぎ捨てる。
「バカっ、洗濯するから籠に入れなさいよっ! 床が濡れるっ! 家具か腐るっ!」
リアは慌ててそれらを拾い上げると、部屋の隅へと投げ捨てた。
「ったく……とりあえず部屋で風呂にでも入ってきなさい。そろそろ身支度を始めないと、時間が無くなっちゃうわよ」
「もう、そんな時間か」
思わぬ行事は挟んだが、今日のメインイベントは夜にこそある。いや、問題と言った方が良いだろうが。
「あんたらが居ない間に言伝があって、時間になったら馬車と迎えの人間を寄越すそうよ。それまでにばっちり、準備をでかしておかないと」
シャルドン公、ニコラス・アローの晩餐会――正直、先が見えた調印式よりもこちらの方が心配だ。聞くところによると、小さな会ではあるが公の招いた貴族が何人か一同に会しての食事会らしい。彼らの中でマルグリットはちゃんと貴族を演じる事ができるだろうか。普段の振る舞いを思い返すと、彼女が社交界でうまくやっていけるかどうか心配でしかない。
「あ、あの、リアさん。お願いがあるんですが……」
件のマルグリットは、亜麻色の髪が含んだ水気をタオルで挟んで拭いながら、どこかもじもじと口を開いていた。
「あら、どうしたの?」
「あの……できる限りで良いんです。できる限りで、その……めいいっぱい、おめかしして頂けませんか?」
「へぇ……珍しいじゃない、あんたがそんな事――」
感心したように驚くリアに対して、マルグリットは顔を赤らめて俯いた。濡れた前髪が垂れ、彼女の表情を隠す。それを見てリアは何か理解に至ったのかポンと手を打つと、ニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべながらマルグリットの肩を優しく抱いて見せた。
「なーるほど、なるほど。うん、うん。アレ、じゃ仕方ないわよねぇ」
言いながらウザったく絡んでマルグリットの頬をつつくリア。なんだ、気持悪い。
「正直、私もちょっと興味あったからアレだけど……まあ、さすがに高嶺の花すぎるし、いいわ。昔話のお姫様みたいにしてあげるから、しーっかり唾付けてくるのよ?」
そして僕はマルグリットの部屋から閉め出された。確かに僕の部屋では無いから言い返す道理は無いが、仮にも客なのだからもう少し丁寧に扱ってくれてもいいのではないだろうか。
思った矢先に、小さな震えと共にくしゃみが出た。寒い。言われた通りに風呂でも入って、乾いた服に着替えよう。
陽が傾き始めたころ、僕らはハイドリクスと名乗る少年に先導され、城門の傍に停められた《炎鴉》の紋章の馬車へと乗り込んだ。短く揃えた丹色の髪を持つ美少年は、僕らが車内に乗り込んだのを見計らって馬を走らせる。目的地は言わずもがな街の富裕地区にあるアロー家の別荘だ。
領主達が年に一度この時期に必ず訪れる都だが、公位や伯位に属する諸侯達は城の中のゲストハウスや宮殿の中の貴賓室で手厚くもてなされる。それは恐れ多くも最高の待遇でこそあるのだが、もてなされると言うのは貴族社会に於いて最高に品が無い。
相手を立て、もてなし、持て囃してこそ、自身の懐の深さと品位、そして財力を誇示できるのだ。だからこそ一部の候位連中や、それこそ公位を賜った上流の貴族達は王都の中に別荘を持ち、自らこそが諸侯や王族をもてなすのだという舞台を準備している。今回向かうのはその中でもトップに位置する三大名家が一つ、アローの屋敷。
これに限ってはお呼ばれする事自体が社交界では品位の現れと自慢できる、超々々々大貴族からのお誘いである。本来であれば喜んで然るべきであるが、僕たちの状況を顧みればいささか迷惑としか表現のしようがなかった。
僕も噂にしか聞いたことがないが、そもそもアローの現当主ニコラスは今まで一切社交界に顔を出したことのない人間だったらしい。だから誰も彼の顔も、性格も、知りはしなかった。理由はいろいろと推測されていたが、それらも「人前に出られないほど醜い顔」だの「家名に押しつぶされた極度な臆病者」だの、身勝手な噂ばかりであった。少なくとも諸侯としての地位は継続しているのだから、毎年王都には訪れていたのだろう。別荘であっても大量の使用人を抱えているため、この時期には、大量の食材やら日用品の発注が街の問屋に届くそうだ。
そして今回、初めてニコラスが社交界に顔を出し、しかも主催で晩餐会を開くと言うことで、王城ではちょっとした騒ぎになっている――と言うのはリアの受け売りだ。どこの貴族も自分の使用人や私兵達を通じて、誰が呼ばれただの呼ばれてないだの、美青年だったのどうだのと、大領主アローの当主の素性を知ろうと大わらわである。そう言う僕だって、リアを通してできうる限りの情報――主に、他の招待者のリストを集めさせた。報酬は、晩餐会で仲良くなった貴族の紹介だ。
集めさせた情報には根も葉もない噂も多く、できうる限り信憑性のあるものをリストアップするのには多少骨が折れた。まあ、僕だからできた事だ。それを纏めるに、今回呼ばれた領主は我が主オードリィ・ミュール(マルグリット)を除けば三人。位の高い順に、モンヴェルト候アンドレ・アッシュ、ノワズ伯フィリッポ・ラス、オルキデ伯ギヨーム・デルメトイ。
モンヴェルト候は領内に上質な銀山を持つ大領主で、厳格な人物と聞いている。歳も大分召しており、社交界での発言力も強い男だ。
ノワズ伯はラス家の品位を高めようと社交界での台頭に余念のない男で、その事が鼻につき、あまり良い評判は聞かない。だが、そう言うのを好む貴族からは可愛がられているそう(利用されているとも言うが)。
オルキデ伯はパッとしないが、建国当初から同じ領地を同じように守り続けてきた長い歴史を持つ家系の人間である。臆病な人物であるが、自らの代の内にじわじわと領土を増やしている実績がある、なかなかの好采配の持ち主らしい。
モンヴェルト候を除けばどれも社交界での品位はそれほど高く無い。そこに我がミュール家も加わるとなれば、何よりもこの人選の意図が分からなかった。少なくともウチに限って言えば、ミュール家との繋がりはどこにも無い……ハズだ。エドガー様からも、そんな話は聞いた事が無い。
「どうしたんですか……難しい顔、なさっていますが」
マルグリットが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「いや……ちょっとな。それにしても、ずいぶんとめかし込んで貰ったじゃないか」
「そう……でしょうか。ふふ、素敵すぎて、ちょっと浮足立ってます」
大きなルビーをはめ込んだ耳飾りを揺らして、彼女は頬を染めながらはにかんだ。
今日の彼女のイメージカラーは赤だった。シルフェリア様からお借りしていた衣装の中からできうる限り濃く、鮮やかな赤色のドレスを選んだそうだ。フリル状に折ったスカートが幾重にも重ねられボリュームがあり、歩く度にゆらゆらふわふわと揺らめくのは否が応でも目を引いた。そしてアクセサリーも赤や黄の宝石、そして金を基調としたものを揃え、手元や首元、頭を飾った。亜麻色の髪はあえて流したままにして、スカートの揺らめきとのコントラストを意識する。ここまで見れば言わずもがな、アロー家の象徴である《炎》を意識したドレスアップだった。こういう機転がさらっと利くあたり、意外とリアは優秀なのかもしれない。また少し見直してやろう。
厚い雲の先で陽が陰り雨足が一層強くなった頃、僕らは人気の無い富裕地区の石畳の上を駆けていた。どこもかしこも豪奢な造りの家々が並び、ちょっとした観光地にもなり得るほどだ。とは言え、どの家も見張りの私兵を雇っているだろうから、まじまじと見物なんてしていたら捕まえられそうなものだが。だが、こういった密集地は序の口で、本当にすごいのは中心街から離れた郊外とも言うべき区画。限られた公位の人間が王都内の領地として与えられている、私有別荘地が広がる場所だ。
ここに差し掛かると景色が一変する。ひしめく街の建物たちは遠目に眺め、静かでひっそりとした開けた土地に、下級貴族の屋敷などとは比べ物にならないほど大きな別荘がぽつぽつと薄暗い闇の中に明かりを灯す。街の喧騒もほど遠く、同じ王都の中なのにどこか忘れ去られたような、そんな場所にアローの屋敷は立っていた。
馬車が歩みを止め、ハイドリクスのエスコートでステップを降りる。目の前には、王城で受けたものとはまた違う、豪奢ながらも重く、見たものに畏怖を与える、名家の大別荘がそびえ立っていた。
中央の大きな玄関扉から左右に広がる横長で石造りの二階建て。大きな石を削って作られたと思われる柱や屋根の石像彫刻は前時代的な建物である事を物語るが、それでもこれほど威厳を持ってに設えられていれば、一つの芸術品として見る事ができる。
中央に一つだけある三階目。物見の塔の上にはアロー家の紋章を模った鴉と炎の石像エムブレムが鎮座し、この家の所有者を物言わずに示していた。
「す、すごいお屋敷ですね」
マルグリットが思わず声を漏らす。僕はその言葉に返事はせずに、代わりに小さく頷いてだけみせた。
「ご案内いたします」
ハイドリクスは柔らかな身のこなしでお辞儀をすると、手綱を馬番に引き渡して僕らの先導に立った。重厚な扉を門兵達が開くと、両サイドに階段が続く広いエントランスへと足を踏み入れる。古い造りの窓が少ない屋敷の中は既に真っ暗と言っていいほどで、光を取るために廊下の燭台や天井のシャンデリアには夥しい量のろうそくが、ゆらゆらと炎をたなびかせながら燃え盛っていた。
エントランスの階段を上り、左の廊下を奥へと進む。
廊下は薄暗いながらも歩くのに十分な光源には満たされるようになっていて、別段燭台やランタンを手に持たずとも悠々と歩みを進める事ができた。いくつも扉が並ぶこの廊下の部屋は、おそらくはゲストルーム群なのだろうか。揺らめく炎に照らされて、扉に刻まれた鴉の彫刻が怪しげな光を放つ。
僕らは最奥の、この並びの中では最も大きな扉の前へと差し掛かる。入口にはワインレッドのメイド服を着た使用人が静かに佇んでいて、僕らの到着を見るや否や心の準備を整える暇もなく、二人掛かりで重そうな扉を開け放ってくれた。
覚悟を決めるしかない。偽りに満ちた僕らの社交界が、その先には待っている。




