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暗くジメジメした地下の長い洞窟は、王都の外壁すぐ傍の、古びた民家の床下へと繋がっていた。人が住んでいるような気配は無いが、かと言って全く手入れがされていないわけでもない。うっすらと埃は被っていても木材は腐食しておらず、蜘蛛の巣なども掛かっては居なかった。無人のカモフラージュハウスを、事情を知る城の人間が定期的に整備を行っているのだろう。
久しぶりのような感覚の自然光に思わず目が霞む。その感覚とは裏腹に、手で目元を覆いながら見上げた空は厚い雲に覆われていた。
「あの……大丈夫なのですか。お連れや護衛も付けずに」
悠々自適に前を歩く姫様に、僕は恐る恐る声を掛けていた。
姫様の服装は、マルグリットと同じデザインの藍色のワンピースだった。頭にも同じように頭巾を被っているが、彼女の薄氷のような髪はどうしても目立ってしまうためか、マルグリットのそれよりも大きく長いもので、完全にすっぽりと覆ってしまっていた。辛うじて目元に流れる前髪がちらついている程度である。
何と言うか、「着慣れているな」という印象を受けた。
「お連れと、護衛。問題ないでしょう?」
彼女は歩きながらくるりと振り返ると、指でマルグリットと僕とを交互に指さしニッコリとほほ笑んだ。
「それに大勢で出向いたらかえって目立ってしまいます。いつもは、ベルナデットと二人きりで出かけるのですよ」
やっぱり、慣れていた。とは言え、護衛として信頼されている……と言うのは悪い気はしない。だからこの際このダサい恰好も、甘んじて受け入れる事にした。
一応、リアに《翼獅子》の飾りボタンをベストの裏に縫い付けさせた。有事の時は、この力でどうにかできる範囲であれば対処はできる。
「それから、街ではわたくしの事をシルフィと呼ぶように。代わりに、わたくしもオードリィ、ルーフェンと呼び捨てさせて頂きますね」
「わ、分かりましたシルフェリアさ――シルフィ」
返事をしようとして、慌てて言いなおす。彼女は満足げに頷くと、再び前を向いて城下の街並みを闊歩していった。
煉瓦の道をしばらく行くと、日当たりのよい大きな通りへとぶつかった。一目見て、ここが入城の際に通った目抜き通りであると理解できた。ところ狭しと並んだ屋台や、軒先で自慢の品を紹介する店主達。そんな通りにごった返す大衆。服装を見れば、中流階級程度の人間から農耕期を終えた農民まで、様々な人々が集まっている事が分かる。活気あるざわめきも、馬車の車内で聞くよりも盛大に響いていた。少し開けた所では大道芸人が竹馬に乗りながら色とりどりの棍棒を投げまわし、それにどこかの器楽隊が音楽で花を添える。
賑やかなお祝いの風景が、目の前には広がっていた。
マルグリットは終始目を輝かせっぱなしで、姫様はにこやかな笑顔でそれを見る。僕もまた、その空気に圧倒されるようにして深い溜息を漏らした。
「少し歩いてみましょうか」
姫様の提案で、僕らは喧騒の中へと足を踏み出した。
肩が触れるほどの距離で人が歩く通りの中で横並びに歩く事もできず、必然的に列を作る。案内役の姫様を先頭に、真ん中にマルグリット、そして最後に僕が続いた。本当は護衛としての役を全うするために姫様の傍に付きたかったが(あくまでお役目のためで他意は無い)、マルグリットを目の届かない所に置くと間違いなくはぐれそうな気がしたので、しぶしぶ間に挟む事にした。
「この通りを真っすぐ行くと王城へと向かえます。右手の方背の高い建物は都の大神殿。周辺は比較的裕福な方々の邸宅や、領主の方々の王都滞在用の別邸が並びます」
そう言われて人込みの中から仰ぎ見ると、まず目につくのは王宮にも似た急傾斜の三角屋根。その上に設えられた五芒星は、天火風水地の五大元素を表すフォルタナ教のシンボルだ。その周囲には日当たりの取れた段々状に大小さまざまな石造りの屋敷が立ち並んでいる。
「左手の方には商工地区。職人の方々の家や集合住宅、工房などの働き口、それに彼らのための店や酒場が多く並んでいます」
一方で背の低い、安い木造の住宅が立ち並ぶ商工地区。低地に位置し比較的鬱蒼とした暗い印象の区画だが、金属・工具の音、生活音、やかましい程の住人の声が響く様子は、人気に関しては閑散としてる富裕地区よりも活気に溢れているように見える。
農耕領であるローリエから見ればどちらも目新しい光景だが、マルグリットなんか目を輝かせっぱなしで、フラフラと道行く人とぶつかってはペコペコと頭を下げていた。
「しっかり周りを向いて歩け。怪我するぞ」
「も、申し訳ありません……」
耳元でそっと戒めると、彼女はいつものように小さくなってしまった。
別に怒ったつもりでは無かったのだがな……言い方が悪かったか。今日に関して言えば、むしろ姫様とこうして共に居る時間を作って貰えて感謝しているくらいなのだが。
リアとも良くやっているし、羨ましい事だが姫様にも気に掛けて頂いているようだし、意外とマルグリットは人に好かれる体質なのだろう。運が良いだけとも取れるが、少なくとも僕も、トロいとは思うが悪意は抱いていない。
だからまあ……今までを思い返しても、ここまで怖がられるとそれはそれでやり辛いなと思うようになって来た。貴族の「き」の字も文字通り知らない彼女相手に厳しく教えはしたが、そんなに僕は怖いだろうか……?
「オードリィはどんなお方にでも分け隔てなく接されるのですね。殊勝なお方です」
「え……あ、ありがとうございます」
分け隔てなくも何も、平民だ。
「地方のご息女は、皆さまオードリィのような方々なのでしょうか?」
「ど、どうでしょうか……あ、そ、その、私が特別と言うわけでも無く!」
皆も何も、貴族じゃ無い。
本物のは自分本位で高飛車なお方だ。と言うか、あの家の人間は大体みんなそうだ。
「でも、初めて出来たお友達がオードリィのような方で、本当に嬉しいのです」
「は、初めて……なんですか?」
「厳密には、初めて出来た『女性』のお友達は――なのですが」
言いながら、彼女はその底知れないアメジストの瞳で静かに僕の姿を捉えた。
不意打ちに、耳がかぁっと熱くなった。初めての友達――彼女の口から出るそのフレーズは、僕にとっての『特別』だった。
「城では立場と言うものもありますから――」
流石に覚えていないと思った。もう十年の前にたった一度きりの出会い。
それでも、僕は決して忘れなかった。
「――ねぇ、ルーフェン。やっと、ここまで来てくださったんですね」
目頭が熱くなって僕はその瞳を真っすぐに見返すことが出来ず、おもむろに視線を下げてその場に跪いた。
たった一度の思い出は、僕の中では永遠だった。
それで充分だった。
それ以上は望まなかった。
それ以上を望む事は傲慢だと思っていた。
女神様。だから今、この感動は存分に味わっても罪になりませんよね。
「――覚えておいでだったのですね」
震える唇で、絞り出すように口にする。
「忘れませんよ。お互い、ずいぶん変わりましたけどね」
いえ、変わってなどおりません。
背格好も、美しさも、あの時以上のものになられましたが、その神々しさと、僕の中の憧れは、今も変わらずあの時のままです。
とても口に出しては言えないが、胸がぐっと握りしめられるように苦しくなった。




