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雨上がりのクールドリヨン ~劣等貴族の下克上~  作者: もがみのどか
3章 嵐の中のタイラント
19/52

3-1

 地方諸侯の護衛をしていた父さんに連れられて一緒にやって来た王都。当時八歳だった僕は、父さんからは勝手に出歩くなと言われていたけれど、どうしてもお祭りで賑わう街の様子が見たくって、訓練の時間を見計らってこっそりと部屋を抜け出した。流石に人混みの中を一人で歩くのは怖かったから、お城の壁に上って遠くに眺めようとしたのだけれど、突然の嵐に足元を掬われて、僕は眼下を流れていた川に真っ逆さまに落ちていた。川の流れは速く、泳ぎの練習何かしていない僕はすぐに泥水を飲んで意識が朦朧としてしまっていた。そんな中で、誰かが僕の身体を抱きしめたような感覚と共に身体がふわりと浮き上がる。気づくと僕は川岸に倒れ込んで、飲んだ水を吐き出すように咳き込んでいた。

 鼻の奥がつーんとして、胸が締め付けられたように痛い。しかし、そんなものはお構いなしに誰かの足が、僕のお腹を思いっきり蹴り上げた。衝撃で息が詰まった。同時に僕はまるで藁束のように簡単に、地面をごろごろと転がっていた。

 僕のことを蹴り飛ばしたその人は、大粒の雨を全身に浴びながら、ぐしょぬれになった身体で僕を見下ろしていた。


「バカヤロウ! この雨の中で外縁を歩くやつがあるかっ!」


 水で張り付いた青い髪を振り乱して、音がするほど拳を握り締めて再び足を振り上げる。

 また蹴られると思い身構えた僕に、それが振り下ろされる事は無かった。

 しかし代わりに、それよりもっと大きな拳が二つ。僕と彼女の頭上に振り下ろされていた。


「バカヤロウと叫びたいのはコッチだバカヤロウ! 俺様が飛び込まなけりゃ、二人とも流木と一緒にオダブツだったんだ!」


 視界に星が舞った気がして、目の前がチカチカと赤とも白ともつかない色に点滅する。同時に鼻の奥に再びツンとした痛みと熱さがこみ上げて、僕は思わず涙ぐんだ。

 野太い声で叫んだ筋骨隆々の大男は、岸辺に投げ捨てられていたジャケットを少女に放ると、彼女はずぶ濡れの服の上からそれを羽織った。


「だ……だけど、おじ様。コイツが落ちなきゃ、俺だって――痛っ!」


 少女に二発目の拳骨が飛んだ。


「だけどもクソもあるかっ! あと言葉遣いを正せって言ってんだろうがよ。『俺』じゃなくって『わたくし』と言え。おっかねぇ教育係のネーチャンにどやされんのは俺様なんだ……うう、考えただけでも寒気が走る」


 男はでかい図体に似合わず肩を抱いて、ぶるると小刻みに背中を震わせた。


「あ……あの、僕……」


 やっとの思いで声が出て、震える唇で僕は言葉を発する。

 だけどその先が上手く口から出ずに、ただカチカチと鳴った歯の音と、震える唇

を晒すだけだった。


「おう、生きてて良かったなボウズ。あんまり調子に乗らせたくないが、ちゃんとコイツに感謝しておくんだぞ」


 そう言って、男は大きな手のひらで少女の頭を包み込むように撫でた。


「あ、ありがとうございます……その……本当に、なんと言ったら――」

「――感謝の前に『ごめんなさい』だっ!」


 言葉を遮るように、今度こそ彼女の拳が脳天を打った。

 この数分だけで三回も頭と顔を殴られた……お昼に勉強した事がみんな飛びそうだ。


「ご、ごめんなさい……僕の、不注意でした」

「よーし、それでいい」

「……おい、お前も『ごめんなさいだ』」


 大男がドスの利いた声で少女を睨む。まるで戦場で敵をひと睨みする時のような、凄みのある眼光だった。

 流石の少女も震えあがると、年相応に縮み上がって、小さな声で「ごめんなさい」と呟く。


「あの、どうして僕なんかのために……」

「どうしてって、それが俺――じゃなかった、わたくしの役目だから」


 尋ねた僕の言葉に、少女はあっけらかんとして答えた。


「わたくしの愛するこの国の、愛する国民を守るため。その手段に思慮も躊躇も無い。その時にできる手段で、全力で助けるのが私の役目だ」


 堂々と、それでいて誇るでもなく、当たり前のように答えたその言葉に、僕は幼い心ながらに目の前の同じくらいの歳の少女のことを「カッコいい」と思っていた。


「そして俺様は、そんなお前を守るのが役目だ。苦労を察してくれんもんかね……」


 そんな彼女の隣で大男はどっかりと地面の腰を掛けて大きなため息をついた。


「国を守る役目……そ、それはさぞ、高名なお方か存じます。よろしければ、お名前をお聞かせいただけませんか。この命、あなた様に拾って頂いたもの。今はまだ無理ですが……いつか必ず、あなた様の役に立たせて頂きたく存じます」

「なら、今すぐ役に立てよ」

「……は?」


 突拍子もない言葉に、思わず敬語も忘れて聞き返してしまった。


「流石にこの泥だらけの恰好で帰ったら叱られる。それは嫌だ。だから、全ての罪を被れ」

「あ、あの、それはどういう……?」


 戸惑う僕に、彼女はにっこりと、可憐で美しい笑みを作ってみせた。


「お前は今からわたくしの友達だ。その友達に『無理やり』外を連れまわされたことにする。お前はその容疑者だ」

「え……ええっ!?」

「大丈夫。鬼の小言を一時間か二時間くらい聞くだけだ。そしたら安全に帰してやるよ」


 有無を言わさず彼女はそう付け加えると、ひらりとワンピースの裾を翻して歩いてゆく。助けを求めるように大男の方を見たが、彼も静かに首を横に振りながら立ち上がると、彼女の後を追って歩き出したので、僕も慌ててそれに続く。


「あ、あの……せめてお名前……っ!」


 ずんずん進んでいく背中に、縋るように声を投げかける。


「なげぇぞ」

「はい?」

「名前。一回しか言わないから忘れんなよ――」


 口にしながら可憐に笑った彼女の横顔は、何年経っても決して忘れる事は無かった。

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