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「は、はいっ」
「――失礼いたします」
マルグリットが返事をするや否や、音も立てずに開かれたドアの先で、一人のメイドが非常に整った姿勢で頭を下げていた。リアの時とは全く違う完成された作法と共に、彼女はゆっくりと顔を上げる。
すらりとした長身に、艶やかな黒い髪。そして鋭く光るルビー色の瞳。僕はこの女性を知っていた。
「確か、シルフェリア様の……?」
「記憶に止めていただき、光栄です、ルーフェン様。お部屋にいらっしゃらなかったため、お探ししておりました」
彼女は抑揚の少ない声で流れるようにそう語ると、視線をマルグリットへと移して、改めて深くお辞儀をした。そのあまりにも美しい所作に、マルグリットも釣られてお辞儀を返してしまうほどだった。
「オードリィ様、旅のお疲れは如何なものでしょうか。お身体に障るような事はございませんか?」
「あ、あの……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
マルグリットはもう一度お辞儀をしながら言葉を返す。
「べ、ベルナデット様。わざわざこのような所まで、どう言ったご用件でしょう?」
ものすごく緊張した声で、リアは姿勢を低くしながらそう尋ねた。ベルナデットと呼ばれたメイドは彼女の事を一瞥すると、リアはその視線にビクリとして、まるでマルグリットのように縮こまってしまった。そして彼女の質問には答えず、ベルナデットはもう一度僕の方へと視線を戻した。
「ご本人様がいらっしゃる所で申し訳ございません。不躾な事は承知のうえでお尋ねいたしますが、オードリィ様の本日のご予定は如何なものでしょうか?」
「いえ、何もありませんが……」
その異様な威圧感に、メイド相手ながら思わず敬語になってしまった。いや、それだけが理由なわけではない。リアの反応を見る以上、おそらくだが彼女は――
「それはよう御座いました」
そう言ってベルナデットは一息置くと、その先の言葉を一息で語るのだった。
「よろしければ、お食事を済ませました後に、王宮二階のテラスへ足をお運び頂けませんでしょうか。姫様がオードリィ様に、是非お会いしたいと申されております――」
胸の高鳴りが止まないまま昼の食事を終えて、僕達はリアの案内で王宮のテラスへと赴いていた。テラスは二階の南西側に位置し、ちょうど眼下にローズガーデンを眺める所にある。大勢のゲストを招いて晩餐会などを開く事ができる大広間に隣接しており、広大な広間を横切る事で向かう事ができるようになっていた。
「――ご足労頂きまして、誠にありがとうございます。ここから先のご案内は、私が引き継がせてていただきます」
大広間の豪奢なドアの前では、ベルナデットが先ほどと変わらぬ整然とした所作で出迎えてくれた。リアは珍しくガチガチに緊張しながら彼女に案内を預けると、彼女の視界から外れるように大股で身を引いた。
「シルフェリア様にお呼ばれって、あんた達一体何したのよ!」
下がり際、耳元で囁いたリアに、俺は何とも言えない表情で首を横に振って見せた。
「……正直分からない。接点は無い訳じゃないが」
そう返して、不満げなリアを残してマルグリットと共にベルナデットの後を追った。
閑散とした大広間を抜けて、巨大なガラスの壁の向こうにテラスの姿が見えた。大広間程ではないが、食事会でもできそうな広さのバルコニーに、白塗りのお洒落な丸テーブルと組になったイスがいくつか。昨日までの雨で足元は若干濡れているが、テーブルや椅子は丁寧に掃除が行われていたのか水滴一つついておらず、降り注ぐ太陽の光に照らされてまぶしい程に輝いていた。
その輝きの向こう、ローズガーデンを見下ろす位置で、数人の使用人に見守られながら、長い髪を風に揺らす少女の姿があった。不意に強い風が吹いて、靡いていたその髪と、それを覆うレースのベールが大きく揺れる。慌ててベールを手で押さえたその下から、彼女の横顔がちらりと覗いていた。
どくんと、ひときわ大きく鼓動する音を耳の後ろの辺りで聞いていた。
「――姫様、オードリィ様方をお連れ致しました」
ガラスの扉を開けて、ベルナデットはテラスの彼女へ声を掛ける。その言葉に気づくと彼女――シルフェリア・シャルロット・フィーネ・ド・エーテルランド様は、掲げる《百合の花》に相応しい優雅で、可憐で、それでいて神秘的な微笑みを浮かべて僕たちの事を出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました、オードリィ様、ルーフェン様」
清流のような彼女の声が、耳に心地いい。僕はすぐにでもお返事を返したかったが、あくまでこの場の主賓はオードリィである事を理解できている程度には、自我を保てている。彼女から、そしてベルナデットからも見えないように惚けていたマルグリットのの背を小突くと、彼女はビクリと跳ね上がって、それからぎこちないながらも丁寧にお辞儀をして見せた。
「ほ、本日はお誘いいただきまして光栄でございます……シルフェリア様」
食事中に打ち合わせた通りに、マルグリットは挨拶を行った。
「いえ、わたくしこそ、急にお呼び立てしてしまい申し訳ございませんでした。しかし、今日の今という時間しか、自由に堂々と動ける時が無かったのです。まずは非礼をお詫びさせてください」
姫様が頭を下げたのを見て、僕は慌てて口を挟んだ。
「そんな、滅相もございません! お顔をお上げください! 私共――あ、いや、オードリィ様も、お声を掛けていただき大変喜ばれております。何より、昨日の件のお礼も致しておらず、こちらこそ、非礼をお詫び申し上げさせてください」
早口で口にしながら、マルグリットの前に一歩出て、姫様の前へと膝を折る。差し出がましい事だとは分かっていたが、彼女に頭を下げさせる何てこと、天地がひっくり返ったっていけない事だ。
「昨日の件に関しては、真の非礼は王宮側の対応にありました。わたくしはそれを正したまでの話です。それこそ、臣下の非礼をお詫びいたします」
「そのような事は……!」
僕が頑なに頭を下げ続けると、わたわたと狼狽えていたマルグリットも、空気を察したのか共に深く頭を下げてくれた。それでいい。この頭の下げ合いを収めるには、主賓が場を制する他ない。姫様もそれを見て収める所へ収めて頂けたのか、「顔を上げてください」と穏やかに口にして、マルグリットに着席を促した。
庭園を眼下に眺める位置の席で、姫様とマルグリットははす向かい同士に座った。昼下がりのふわりとした風に乗って、薔薇の妖艶な香りが辺りを包み込む。
それぞれの後ろにベルナデットと僕が佇み、少し離れた位置に数名の王女付きメイドが並ぶ。上はマルグリットと同じくらい。下は年端も行かない娘まで。そこに僕より年上に見えるベルナデットを含めて年齢は様々であるが、皆一様に身なりを整え、気品と落ち着きを纏った者達だった。判別できるものを身に着けていないため断言はできないが、おそらくは皆、手塩に掛けて育てられたどこぞの貴族の箱入り娘達だろう。服のデザインはリア達のそれと同じだが、黒いスカートに大きく金糸で描かれた《百合の花》の紋章が、王族付きの格式を誇らしく物語っていた。




