緋色の丸太
冬至祭が近づいてきた。夜の闇が日に日に深まっていき、寒さが厳しくなるこの頃。人々は、太陽が力を取り戻す冬至祭を心から待ち望んでいた。冬至祭の夜を通して焚くナラの丸太を山から切り出したり、装飾用のヒイラギやヤドリギを集めたり、人々は忙しくも楽し気に冬至祭の準備を進めていた。
学校には、子供たちが集まってきて旧交を温めていた。学校は農作業が多くないこの季節にのみ開校されるのだ。ここで学ぶのは読み書きそろばん、伯爵家の子供たちが学ぶような学問に比べればごくごく初歩的なものだ。とは言え、下働きや使い走りでも読み書きができれば待遇が変わったし、簡単な計算までできればちょっと良い家の侍従として働ける可能性もあったから、親たちはせっせと子供たちを学校に通わせた。
もちろん、子供たちには別の楽しみがある。夏の間は大人と混ざって仕事をせねばならぬが、学校に来れば同世代の子供だらけだ。自然、学校へ行く道すがらふざけまわることになる。
その日も、アケルは雪の道を学校へと向かっていた。
「よう!アケル!」
名を呼ばれて振り向くと、そこにあったのは高速で投げられた雪玉だった。避けることもできず、顔面にあたった雪玉が勢いよくはじけた。その様子に、数人の笑い声があがる。アケルは口の中に入った雪をぺっと吐き出すと、雪玉を作ってそちらへ投げつけた。
夢中になって雪玉を投げあう間に、いつの間にか始業の時間となったらしい。アケルと悪友たちは、慌てて学舎に駆け込んだ。入口で始業の鐘を鳴らしていた教師は、雪だらけの一同を見て盛大に顔をしかめた。
一つしかない教室は、子供たちでいっぱいだった。年齢順に前から、男女は左右に分かれて並ぶ。一つきりのストーブに近い、中ほどの席はすでに埋まっている。アケルたちは雪が溶けて濡れた服に凍えながら、端の席に着いた。
教室前方の黒板には、初級、中級、上級と区分けされていくつかの計算問題が示されている。教師がほかの年の子供に書き取りを教えている間、解くための問題だ。最初は今年から入った小さい子たちが書き取りを習う番だ。彼らは神妙な顔をして、教師の読み上げるひらがなを、慣れない手つきで手元の石板に写していた。アケルも鞄から石板と石墨を取り出すと、計算の上級問題に取り組み始めた。
アケルは計算問題が好きだ。答えが一つに決まっているのに、解き方に工夫ができるからだ。時折、解くのに時間がかかるような問題があると、アケルはそれをこっそり石板の端に書き留めておく。そして家に持って帰り、もっと早い別の解き方がないか仕事の合間に考えるのだ。幸い、伯爵家の子供たちは隠れ家にたくさんのガラクタを詰め込んでいて、それをアケルが勝手に使うことを許してくれたから、計算紙の代わりに使えるものがたくさんあった。
一方で書き取りは苦手だ。計算に夢中になっている間に、いつの間にかアケルたちの番がやってきていた。アケルは慌てて、計算の結果を石板の端にまとめると、書き取りのためのスペースを作った。国王という漢字には、どこに点が付くのだったか。国玉、と書いてから何かが違う気がして、アケルは、手でガシガシとその二文字を消した。手で消したせいで汚くなった石板を見て、教師は読み上げを続けながらアケルの頭を小突いた。
アケルは午前だけで終わる学校から伯爵家に向かうと、まず厨房の勝手口から中を覗き込んだ。主一家の昼食の準備はすでに終わっていて、アケルに気づいた台所女中が適当な小鍋をとり、野菜の切れ端とベーコンの入った具だくさんのスープを入れてくれた。アケルはパンを数個ポケットに突っ込むと、小鍋を持って父を探しに向かった。父は園丁小屋でヤドリギの仕分けをしていた。スープが冷めないうちに見つかったことにほっとしながら、アケルは昼食にしよう、と声をかけた。
昼食を終えると、アケルは父の作業を手伝った。ヤドリギの塊を切り分け、色かたちの悪い葉や潰れた実を除き、程よい長さに整える。ヤドリギの、冬でも枯れない緑の葉と薄黄色の実は生命力の証とされ、冬至祭の装飾として喜ばれるのだ。装飾用の植物の手入れのときは、指先の感覚が大切だから手袋は履かない。園丁小屋には小さなストーブがあるとはいえ、手袋がないと少しばかり寒く感じる。アケルは指先に時折息をかけて温めながら、黙々とヤドリギを選別し、籠に積み上げていった。
坊ちゃんに声をかけられたのは、ヤドリギを積み上げた籠を館に運び、女中に渡しているときだった。ヤドリギはこれから彼女らの手によってきれいに束ねられ、各所の壁を飾るのだ。
「ひま、ですか。今は冬至祭の準備で皆忙しくしていますからね」
アケルは女中に籠を渡すと、坊ちゃんに向き直った。
「ちびっ子たちは」
「イリスはジンジャーブレッド作りを手伝う振りをするのに夢中だ」
「ルティお嬢様は?」
「生姜を並べている」
「生姜を?」
「並べている」
聞けば、生姜が土の中で育つと聞いて興味を持ったルティはひたすら生姜を並べ、大きさごとに分類し、土壌の様子を想像するというゲームに興じているのだそうだ。何が面白いのかさっぱりわからん、とこぼす坊ちゃんに対して、ちょっと面白そうだと思ったことは顔に出さず、アケルは困った顔を作って見せた。
「そりゃ退屈でしょう」
「午前中も退屈で退屈で仕方がなかったのに、お前どこに行っていたんだ」
「学校ですよ」
「学校?」
きょとんと眼を開く坊ちゃんに、アケルは学校について説明した。たくさんの子供たちが一つの教室で学ぶこと、教師が一人しかいないから順番を待つ間は計算問題を解くこと。乞われるままに、自分が学校でどんな問題に取り組んでいるのか、一つ二つの例を挙げながら説明した。
「そんな簡単なことで良いのか。羨ましいな、面倒な勉強をせずに済んで」
アケルは少しだけむっとして答えた。
「せずに済むんじゃありません、できないんです。俺たちには本を買ったり家庭教師を雇ったりする金はありませんから」
「皆が少しずつ金を出せば良いじゃないか」
「本を一冊買うのに、どれだけお金がかかると思っているんです?だいたい、勉強している暇があったら仕事をしないと、俺たちは食っていけないんです。――自分がどれだけ羨まれる立場にいるかも知らないで、羨ましいなんて言わないでください」
坊ちゃんはさっと顔色を変えた。しまった、と思ったがもう後には引けなかった。
「失礼します、暇を持て余している坊ちゃんと違って俺はまだ仕事があるので」
苛立ちと少しばかりの罪悪感を覚えながら、アケルは足早に仕事へと戻った。
伯爵領の冬至祭では、使用人も主一家とともに食卓に着く。太陽の力が弱まるこの日は、すべての人が心を一つにすることで悪霊と戦わねばならぬのだ。
冬至祭の当日、アケルは仕事を終えると、一張羅に着替え、赤毛に丁寧に櫛を通した。同様に支度を終えた父とともに、伯爵家のホールに足を踏み入れる。大きな暖炉には火が赤々と燃え、その両脇にはナラの丸太が積み上げられている。壁にはアケルたちが用意したヒイラギやヤドリギが赤いリボンとともに飾り付けられ、女中が時折その下で意味ありげに立ち止まっていた。アケルはホールの様子をぐるっと見渡してから、ごちそうが盛り付けられたテーブルを喜々として眺めた。この日は、父が伯爵家に仕えることに、一年で一番感謝する日でもある。リンゴをくわえたブタの丸焼きを見て、アケルのお腹はぐう、と鳴った。タラの煮つけ、マスタードと小麦粉をかけて焼いたハム、チーズ、ソーセージにゆでたジャガイモ、山盛りのジンジャーブレッド、それから、全員に行きわたるように作られた大きなプティング。ドライフルーツとスパイスがたっぷりと使われたプティングは、ふだん甘いものを口にすることのない使用人の子供にとって、めったにないごちそうだった。
「今回は何を入れたの?」
食事が進み、プティングにナイフを入れる段になって、伯爵家の長女がうきうきと家政婦に訊ねた。
「コインと指輪を一つずつ。持ち主にとっておきの幸運が訪れるよう、とっておきのおまじないを込めましたからね」
家政婦がにっこりと答える。まあ、と女性陣が楽し気に顔をほころばせた。冬至祭のプティングの中に入っていたコインや指輪を手に入れたものには、幸運が訪れると言われている。コインは金運、指輪は結婚に関する幸福を約束するのだ。アケルはコインが出てくると良いな、と思いながら自分に切り分けられたプティングにフォークを入れた。
「あら」
声を上げたのはイリスだった。自分のプティングから転がり出た指輪を眺めて、結婚なんて想像つかないわ、と顔をしかめる小さな少女に、皆は笑顔をこぼしたのだった。
「これ、やる」
その夜、火を絶やさぬため交代で不寝の番をしていたアケルの前に、拳が付きだされた。顔を上げると、火に照らされて仄かに顔を赤くした坊ちゃんが、アケルを見下ろしていた。訝しがりながら手を出すと、手のひらの上にコインが落とされた。お情けのつもりか、と声を荒げようとして、アケルは動きをとめた。
「これ」
「プティングのだ」
良いもんだから、やる。そう言って坊ちゃんは顔をそむけ、この間は悪かった、と早口で言った。
「いえ、俺も言いすぎました。……ありがとうございます」
坊ちゃんは目を合わせないまま、でも少しだけ嬉しそうに、おやすみ、と言って去っていった。




