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2.幽霊の事情

「暑い……」


 俺は電信柱に寄りかかり、僅かにできた日陰の下でだれていた。

 夏休みはそろそろ終わりとはいえ、まだまだ日中は真夏日だ。アスファルトからの照り返しのせいで、体感温度はぐんぐん上昇中。最近の外出は専ら夕方以降だった俺にとって、バテるには充分すぎる条件だった。


「大丈夫か悠護? やっぱり家に戻るか?」

「いや、もうちょっと頑張る。チュン、トラの時みたいにおびき寄せることはできない?」

「ちぃと難しいのぅ。あの犬はおそらく火に反応するんじゃろうけど、こんな所で何かを燃やしたら、色々とまずいじゃろ?」

「確かに……」


 実行したら暑さに拍車をかけるだけでなく、通報されてしまうだろう。何より、俺自身が放火犯になってしまう。それは嫌だ。


「とりあえず、倒れる前に何か飲めぇや」

「そうする……」


 俺はポケットから小銭を取り出しながら、三十メートルほど先にある自販機に向かって歩き出す。その時だった。


「あれは……」


 自販機のすぐ隣に、大きなマンションがある。そのマンションから、全身が透けた爺さんが出てきたのだ。

 あれはチュンに言葉を教えてあげたという、幽霊の爺さんだ。あの様子だと、まだ孫を探しているらしい。


「爺じゃねぇか! 何だか久しぶりじゃのう」


 チュンも爺さんに気付いたらしく、大きく手を振っている。そして着物の袖をはためかせながら、爺さんの方へと飛んで行った。本当に、よくなついているよなぁ。


「ずっと雀の姿を見てきたけん、どうもその姿は違和感があるのう」


 チュンの茶色の頭を撫でる爺さんに、俺も歩いて近付いていく。


「まだ見つからんのんか」


 チュンの問いに、爺さんは無言で頷いた。


「あの、失礼かもしれないですが、どうしてお孫さんを?」


 もしかして良くないことだったら――という考えを捨てきれなかった俺は、思い切って爺さんに理由を聞いてみることにした。

 爺さんが探しているのは、『えり』という名の孫。そして俺は、金剛地絵梨という同級生と知り合いになった。もし俺が金剛地のことを爺さんに話して、彼女の身が危なくなるような事態にでもなったりしたら……。

 その懸念が抜け切れなかったのだ。

 そんな心配をする俺をよそに、爺さんは自嘲気味に小さく笑うと、アスファルトに視線を落とした。


「自分で言うのも何じゃが、わしは、ロクでもねぇ奴じゃった」


 爺さんの目の端がそこで緩み、鋭い目付きが若干和らいだものになる。


「わしとカミさんは見合い結婚だったんじゃけどな、どうもわしはカミさんにのめり込むことができんでのう。特別美人というわけでもねかったし。でも、親の面子や世間体もあって、まぁ何とか気持ちを誤魔化して結婚したわけじゃ。わしらの時代じゃ、それは珍しいことでもなかった」


『結婚』という、まだまだ俺には縁のない言葉に、少し戸惑ってしまう俺。

 爺さんは顔を上げ、空へと視線を投げながらさらに続けた。


「一緒に暮らし始めてからも、何となく居心地が悪くての。そのうちに、仕事帰りに遊び始めるようになってしまったんじゃ。それは娘が産まれてからも、やめれんかった」

「遊んだ?」

「ああ。遊んだんじゃ。ほとんどがギャンブルじゃったけどな」


 チュンにそう答えた後、爺さんは苦笑した。


「それでもカミさんは、わしに何も言わんかった。今思えば、ずっと耐えとったんじゃろうな。わしらの世代は、男尊女卑とまでは言わんが、そういうもんじゃった。女房は亭主の後に三歩送れて付いてくるものだ、そういう認識じゃったけん」


 俺の両親は仲が良く、そんな雰囲気は微塵もない。祖父母も俺が幼い時に他界してしまったし、近所の高齢の人と深く接する機会もなかった。でも、そういう時代もあって、田舎では今もそういう風潮があるということは、俺も知識としては知っている。


「わしが遊び呆けている間に娘は成人し、いつの間にか結婚して、子まで産んどった。それでもわしは、遊ぶのをやめていなかったんじゃ。娘の嫁ぎ先の苗字さえ、ろくに覚えとらんかった」


 少しだけその語尾が震えた。何となく気まずくなって、俺は爺さんの胸辺りに視線を移す。透明な体の向こうに見える電柱に、目線を固定することにした。


「そんなある日、娘が孫を連れてきた。カミさんと二人で出かけるから、その間孫を見ておいてくれ、とな」


 爺さんはそこで小さく鼻を鳴らした。俺の視界の端の方に映る爺さんの口元は、少し上がっていた。


「そんなことを頼まれたのは初めてじゃった。だからのう、わしも嬉しかったんじゃ。でもこの時にはもう、『準備』は最終段階だったんじゃろうなぁ。次の日、カミさんは出て行ってしもうたよ。きっと見かねた娘が連れ出したんじゃろうなぁ。そこで初めて、わしは反省した。遅すぎたけどな。本当に遅すぎた。馬鹿じゃったなぁ……」


 じりじりと西日が全身を照らし続けるが、まるで感覚から『暑さ』が消えてしまったのではないかというほど、俺は暑さを感じていなかった。代わりに胸の奥底から湧き上がってくるヒヤリとしたものが、徐々に全身に広がっていく。


「天罰というもんがあるかは知らんが、カミさんが出て行ってから一週間後に、わしは交通事故に遭って、こうしてあっけなく死んでしもうたってわけじゃ」


 それまでじっと爺さんの顔を見つめていたチュンが、口を開いた。


「わし、ちょっと気になったんじゃけどな。その『カミさん』には、会いにいかんのんか?」

「カミさんには、苦労ばかりかけてきた。今さら幽霊になって会いに行ったところで、嫌な気分にさせるだけじゃろう。……いや、違うな。会わせる顔がねえんじゃ」


 チュンは爺さんの言葉に納得いかなかったのか、表情は硬いままだ。そのチュンの頭に軽く手を置くと、爺さんは続けた。


「孫と一対一で触れ合ったのは、あの時が最初で最後じゃった。その時に、わしは孫とある『約束』をしたんじゃ」

「じゃあ、その『約束』を果たすために?」


 俺の言葉に、爺さんは首を縦に振る。


「娘は東の方に嫁いだのは知っとった。逆に、それしか知らんかったんじゃ。今まで全く家庭を顧みていなかったからの。娘が嫁いだ先の苗字さえ知らん父親なんて、酷ぇもんじゃろ?」


 俺もチュンも、何も答えることができなかった。話を聞く限り、確かにとてもいい加減な人だとは思った。でも既に終わってしまった人間の人生のことを、俺はとやかく言える立場ではない。俺はまだ、この人の三分の一も生きていないのだから。

 おそらく俺達の答えなど、爺さんはハナから期待などしていなかったのだろう。チュンの髪を優しくなでながら、爺さんはポツリポツリと続けた。


「この体になってから、ずっと孫を探してきた。少しずつ東へ移動しながらな。でも、手掛かりがなさすぎての」


 爺さんは小さく笑いながら溜め息を吐いた。

 今まで一軒一軒、家を回って探してきたのか。

 途方もない話に、俺はしばらく呆然としてしまう。


「まともに会話したのは、一度だけ。それも十年以上も前じゃ。顔もはっきりとは思いだせんようになってしもうたし、正確な年齢も知らん。けれど、きっと会ったらわかる。わかると思うんじゃ」


 それは、身内としての確信めいたものだろうか。幽霊としての勘なのだろうか。爺さんはやけに自信たっぷりに頷いた。

 俺の頭に、金剛地の姿が過ぎる。爺さんが探している孫が金剛地の可能性は限りなく低いだろうが、ないとも言いきれない。そして話を聞く限り、金剛地の身に危険が迫るような事態にはなりそうにない。

 意を決して、俺は爺さんに告げることにした。


「俺、最近知り合った女の子がいるんです。俺の同級生で、『えり』という名前の子と」

「ほ、本当か!?」

「はい。図書館で会いました。でも、会ったのは夏休みに入ったばかりの頃だし、もう図書館には通っていないかもしれないですけれど」


 金剛地絵梨は、宿題をするために図書館に来たと言っていた。もうすぐ夏休みも終了だ。俺のように既に宿題を終わらせているのなら、図書館にはもう行っていないのではなかろうか。


「いつの間にそんな子と会っとったんなら」

「いや、チュンが絵本に夢中になっている時に、ちょっとね。というか、チュンも一回見てるじゃん」

「ふーん……そうじゃったっけ」


 チュンの俺を見る目が、明らかに冷たいものに変わった。

 この反応は何だ。別に俺からナンパしたわけじゃないぞ?


「爺、どうするんじゃ?」

「もちろん今から確認しに行くわ。教えてくれただけでもありがてえ。もし図書館におらんでも、夏休み明けに坊主にひっ付いて、学校まで行けば良いんじゃしな」


 何だか、さらりと恐ろしいことを言われた気がする。幽霊と妖怪を引き連れて学校に行きたくないんですけど。

 ……ん? 学校?


「あの、お爺さん。お孫さんを探しているのなら、学校を巡って行ったらどうですか?」


 俺と同じくらいの年の子なら、きっとその方が早く見つかると思うのだが。

 しかし俺の提案に、爺さんは静かに首を横に振った。


「坊主、学校という場所は、人がようけぇ集まる。生きた……とりわけ若い人間が集まる場所には、生きていないモノも集まりやすいんじゃ。若い生気目当ての奴とかの。無闇に接触すると、危害を加えてこようとする奴もおる。だからわざわざこうやって、効率の悪い探し方をしとるんじゃ」

「そうですか……」


 ナイスアイディアだと思ったんだけどな。

 しかし爺さんの言葉を聞いて、俺は新学期からの生活が物凄く不安になってしまった。チュンを連れての学校生活は二回済ませているが、それっぽいものは見ていない。いや、もしかしたら俺が気付いていなかっただけで、体育倉庫とか理科準備室とか、そういう所にいるのかもしれないが……。

 い、いや。今それを考えるのはよそう。

 何とかして忘れようと頭を振ったところで、爺さんが小さく笑った。


「ありがとうな坊主。そんじゃあ早速、図書館に向かってみるわ。そんで、図書館はどこにあるんじゃ?」

「ええと……」


 俺は思わず考え込んでしまう。この場所からだと、図書館への道は少し複雑だ。地図を描いて渡してあげようにも、今は文房具類を持っていないし。


「じゃあ、案内します」

「おお、ええんか? 悪ぃのう」


 こっちも、どこにいるかもわからない柴犬を探している身だ。当てもなくふらふらするよりは、まだ目的地が決まっていた方が、気分的にラクになると踏んでの申し出だった。


「図書館って、あそこか。わしも知っとるで爺!」


 チュンは爺さんの腕を掴んで、嬉しそうに駆け出した。


「おいこら雀。走るな!」


 やけにはりきるチュンの背を、俺達は小走りで追いかけた。

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