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金烏の花嫁  作者: 朱音ゆうひ@8/5『桜の嫁入り』コミカライズ連載スタート
1章、姉妹と兄弟

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1、痛いの痛いの、とんでけ


「腹立たしい……!」

 

 パシン、という平手打ちの音が室内に響く。

 勢いよく右頬が打たれて、十歳の(あおい)は壁に衝突して床に倒れこんだ。

 衝撃で、壁に飾られた絵がぐらりと揺れる。帝と、帝を守護する金烏(きんう)の絵だ。

 

 ——落ちなくてよかった。

 

 葵は絵を見上げて安堵した。

 この家、尭司(たかつかさ)家の当主である父の大切な絵だから。それに、落ちて頭に当たったら泣きっ面に蜂もいいところだ。

 他人事のように思考するのは、自己防衛の一種だった。 


「葵。どうして旦那様がお前ごときに守護の術をかけているの。こんなに強力な……」


 葵に詰め寄るのは、継母の蝶子(ちょうこ)夫人。

 葵に術をかけようとして失敗し、自慢の黒髪が呪い返しで雪のように変色している。激昂した彼女は、「術が通じないなら打つまで」と鞭を手にした。暴力的な呪術師である。

 

 葵は頭を床に付けて謝り、身を縮めた。伏せた視界には、黒い煙が揺らめいている。悪意だ。あるいは、敵意。

 他の人には見えないものが、葵には見える。見えるだけでは、身を守る役には立たないけれど。


「葵。黙ってないで、なんとかお言い」

「申し訳ございません、蝶子様」

「なによ、哀れっぽい声を出して。あたくしがいじめているみたいじゃない。可哀想ぶるんじゃないわよ。お前の母親そっくり」

 

 蝶子夫人が鞭を振り上げる。痛みを覚悟して葵が両手で頭を庇ったとき、ひとりの娘が駆けてきて、二人の間に割って入った。

  

「待って、お母様」

  

 同じ家にいながら距離のある、葵よりも一歳幼い娘——葵の腹違いの妹で、蝶子夫人の愛娘の波美子(なみこ)だ。

 その桃色の着物の袖が鳥の両翼のように広がり、殺伐とした室内に初々しい春花が咲いたような錯覚をもたらす。


「【やめて、お母様。葵にひどいことをしないで】」

 

 波美子の声には、人の心を支配する強さが籠っている。言霊(ことだま)といわれる異能だ。

 

 鞭は止まらず、波美子の額に傷を作る。痛そう——葵の胸が、きゅっと痛んだ。

 しかも、愛娘を心配すると思ったのに、蝶子夫人は鬼の形相になって波美子に詰め寄るではないか。


「波美子、お前。今お母様に言霊を使ったの? お母様がひどいと言ったの?」

「お母様、ごめんなさい。お母様」

「お母様はお前のためを思っているのよ。いつもお前に優しいでしょう?」

 

 波美子の首にいばら模様の黒いあざが刻まれていく。呪術による呪印だ。

 呪いは三秒とかからず完成した。

 

「さあ、これでいいわ」  

 模様が完成すると、蝶子夫人は優しい母親の顔になった。

「いいこと、波美子? お母様は、お前が迂闊に異能を使わないようにしてあげたの。お母様は波美子を愛しているのよ」

「うん。わかる。大丈夫よ、お母様」


 波美子は慣れた様子で母親に抱きつき、甘えた声を出す。あまりにも自然なその様子に、葵は息を呑む。

 こんなことは、きっと今日が初めてではない。

 遠くから見ているだけでは気づけなかった母娘の歪んだ世界が、そこにはあった。


「わたくし、ほしいものがあるの。それをくれたら、もっといい子にできるよ」

「なにかしら、波美子? お母様、何でもあげるわ」

「葵をわたくしのお世話係にしてほしいの。だって、お母様、いつも『葵をお姉様と呼ぶな』って言っていたでしょう?」

「まあ……世話係」

 

 私をお世話係にする? 

 葵はぽかんと口を開けた。その間抜け面が気に入ったのか、蝶子夫人は機嫌を上昇させた。

 

「いいわ。葵には世話係の身分がお似合いよ!」

「ありがとう、お母様。大好き」

「お母様も波美子を目に入れても痛くないわ」

「もうわたくしのだから、葵を取り上げちゃだめよ、お母様。汚したり壊したりしても、だめなの」


 ——波美子は私を守ろうとしてるんだ。

 

 そうしているうちに、廊下が騒がしくなり、いくつもの足音が部屋に近づいてきた。部屋の中で三人を見守っていた使用人たちが、やってきた人物へと一斉に頭を下げる。


「ご当主様がいらっしゃいました」

 

 やってきたのは、薄物の羽織を翻した当主、琢朗(たくろう)だ。蝶子夫人より年下の琢朗は、気弱でいつもは妻に押されがち。だが、このときの妻を見る眼差しは、刃のように鋭く、頼もしかった。


「蝶子。娘たちに何をしている⁉︎」 

 

 葵は波美子と身を寄せ合い、視線を交わし合って、どちらからともなく手を握った。波美子の指が冷えて震えている。

 ——気丈に振る舞っていたけど、怖かったんだ。

 

「あら、あなた。怒ったお顔も素敵ですわね」

「場所を変えよう、蝶子」

  

 蝶子夫人は夫の顔を好んでおり、見慣れない表情にうっとりと熱視線を送る。琢朗は顔をしかめ、使用人に指示を出した。

「娘たちに手当をするように」  

 使用人が動き出すのを確認してから、琢朗は蝶子夫人を連れて部屋を出ていった。

 

 きっと厳しく注意してくれる。今後は蝶子夫人が大人しくなるかも。

 使用人が二人の怪我を手当してくれる中、葵は期待しながら、おそるおそる波美子に声をかけてみた。


「あの……、さっきは、ありがとう」 

「うん。あのね、葵。今まで、あまりお話したことなかったでしょう? 今日から、仲よくしてくれる?」


 ——波美子は私と仲よくなりたいと思っていてくれたんだ。

 葵がうなずくと、波美子はひまわりのように明るく笑顔を咲かせた。

 

 ——この子は私のために飛び出してきたのに、私はこの子のために前に出て庇ったりできなかったな。

 ……悔しい。


「葵、葵。どこか痛いの。痛いの痛いの、とんでけ」

 懸命に唱える波美子の鼻から、鼻血がひと筋、つうっと垂れる。

 

 波美子はいい子だ。

 そう思えば思うほど、自分の心が劣っているように思えて、苦しくなった。

 

「泣かないで、葵。泣かないで」


 ◇

  

 数刻後、二人の前に戻ってきたのは、蝶子夫人だけだった。


「旦那様は急な病にお倒れになりました。本日より、あたくしが女主人として全てを采配します」

 

 琢朗は負けてしまったのだ。

 

 その日、夫人は『夫婦の愛の巣』と呼ぶ寝室に琢朗を閉じ込めてしまった。

 当主を救おうとするものは何人もいたが、全員が夫人の呪術の犠牲となった。

 葵と波美子は、夫人の機嫌を損ねないように綱渡りのような生活を送ることになった。

 

「葵。お父様に会いたいって言ったら、ぶたれたわ。痛くなんてなかったけど」


 波美子が赤く腫れた頬を手で押さえて涙目で強がるのが痛々しくて、葵は腹を立てた。

 

「あいつ、絶対に私がやっつけてやる」

「葵。お嬢様はそんなふうにしゃべらないのよ」

「波美子。私は波美子の世話係だよ。もうお嬢様じゃないの」

「そんなことない。葵はわたくしのお姉様で、お嬢様よ」

  

 怒って涙を落とす波美子の頭を撫でながら、葵は決意した。

 

 どんな方法でも、必ずや、蝶子夫人を打倒しよう——と。


  

 金烏の加護を受ける皇族への信仰が根付き、異能持ちの名家が権力をめぐって策謀を巡らせる、大正時代。

 

 帝都の南方、伊豆諸島に、世間からはすでに断絶したと思われている特別な一族が、ひっそりと生きていた。

 人魚の末裔と言われるその家の名は、尭司(たかつかさ)家。

 当主の娘である葵は、継母の圧政の下、腹違いの妹の世話係に落とされながら、下剋上の誓いを立てた。


 これは、葵が未来を切り開き、金烏の加護を持つ兄弟と出会って、妹も自分も幸せになれる居場所を作ろうとする物語。


新作を読んでくださってありがとうございます。

姉妹が一緒に幸せになるぞ~っていう物語です。


お気に入りや評価、レビューなどいただけましたら、すごく励みになります。どうぞよろしくお願いします!


また、大正時代風の作品がお好きな方へ

8月5日から一二三小説大賞受賞作『桜の嫁入り ~大正あやかし溺愛奇譚~』のコミカライズが先行配信予定です。

Xのレーベルお知らせ(https://x.com/ravale123/status/2083116709213528501?s=20)

もしよければ、そちらもぜひお楽しみくださいませ!


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