最終話 二人の現在、そして未来へ
最終話はちょっと長いです。どうかお付き合いくださいませ。
うずくまりながら彼は堂々巡りをまたも繰り返した。
(俺はメルを傷つけたのに、また彼女に会おうとするなんて……でも本当にメルが幼馴染と結婚して幸せになれるのか知りたい)
ノアは彼女に会いたいと思うことも、現状を知りたいと思うことも自分のエゴでしかないが、もしもメルローズが不幸な結婚をするなら命に替えても止めなければとも思っていた。
そこに三人の人間の足音と話し声がする。同時に待ち望んだ香り……薔薇の花にも似た柔らかな甘い香りが漂う。
「ノワール……なの?」
天使のようだったメルローズは成人の16歳となり、女神の顕現かと思うほど美しく成長していた。
(メル……!)
彼の血が煮えるように熱くなる。返事をしようとしたが興奮しすぎて叫んでしまった。獣の咆哮が森に響き渡る。
(しまった! メルを怖がらせてしまう……!)
だが彼女はノアに駆け寄り、抱きついて「会いたかった」と何度も言ってくれたのだ。
この時、彼の心に抱えていた重荷がすべて取り払われ、浄化された。
許されるなら今すぐに彼女を抱き締めたかったが、巨大な熊の身体でそれをやったら彼女が死んでしまう。それで彼はメルローズの頬をぺろりと舐めた。
……頬にキスはガツガツしすぎだろうと、後にこの事を知ったガルベリオに叱られたのだが。
メルローズは会えなかった六年間の話をしてくれた。それでノアの嫌な予感は本物だと証明された。彼女は自称幼馴染に『傷物』と不名誉な噂を撒き散らされ、彼と結婚するしかないように追い詰められていたのだ。
☆
「今戻った」
「殿下!!」
槍の力で日中姿をくらましていた皇太子に、側近のガルベリオは怒り心頭だった。こうなるとわりと長めのお説教が始まるなと知っているノアは、その前に自分から口火を切る。
「すまなかった。今日の執務の埋め合わせは夜を徹してでもする。終わったら明日にでもボーレンヌへ向けて出発したい」
「……は!? ボーレンヌへ!?」
「ああ、何を置いても優先しなければならないことができたのでな。あ、ボーレンヌ国王の承諾は貰っている。槍の力で突然会いに行ったので酷く驚かれてはいたがな」
「で……殿下、貴方って人は……!!」
☆
そこからはあっという間の日々だった。まあ、ついうっかり勇み足でメルローズに求婚してしまったのは失敗だと思っている。
彼女に断られた時は足元ががらがらと音を立てて崩れるかと思うくらいにはショックだったが、翌日また熊の姿で会いに行き、向こうも好意があると知った時、彼は天にも昇る気持ちだった。
ノアは浮かれていたのだと思う。
マスキスはジェイムズについての事前の話だけで「毒物を盛られているのでは」と予想していた。実際に薬を見たときには確信は持てないと言っていたが、もうそれは「薬を細かく分析をし、毒物の特定をして証拠となるまでは明言できない」という意味だったのだ。
彼は帝国に戻ったあとも週に一度、マスキスの隠れ家へ槍の力で飛び、薬の分析結果や診察の報告を聞き、またメルローズへの手紙を託していた。
日に日に良くなるジェイムズの病状や、メルローズからの返信に好意的なものを感じていて、ノアはあともう少しで全てが上手く行きそうな気がしていた。
彼女との未来への期待で彼の胸は膨れ、本当に宙に浮きそうなほど浮かれていたと言っていい。
……だから見誤った。誘拐の実行犯を捕らえ、尋問してもシュールレ男爵家の名前は出てこなかった。おそらくは雇う際に偽名を名乗ったのだろう。だから今も繋がりがあるとは予想していなかった。だが実際には、彼らと連絡が取れなくなったことを知ったダスティンとシュールレ男爵は、メルローズを誘拐して本当に『傷物』にしてしまえばいいと強引な手に出たのだ。
自分のせいでメルローズが目の前で傷つけられ、胸から血が流れるのを見た時、彼は絶望と怒りと後悔でまた頭が真っ白になった。そして変身を止められず、恐ろしいことに怒りのままダスティンを食い殺そうとさえした。あの時、メルローズが体を張って止めてくれなければ……。
★
「メル……すまない、メル……」
がらんどうの執務室の中でノアの震える言葉が反響する。俯いた彼の真下、黒檀の机にぼたぼたと涙が落ちて丸い跡を作った。
今のノアの頭の中には二つのシーンしか浮かばない。メルローズがダスティンに斬られた時と……彼女が泣きながら彼を必死に止めた時だ。自分の意志で抑えることができなかった獣の凶暴性を、よりによってメルローズに見せてしまった。
あの時彼女の震えが毛皮越しに伝わってきて、どれだけ恐ろしい思いをさせたのかと考えると彼の胸は張り裂けそうだった。
(もう一生、メルに近づくことは叶わない。俺はどこまで行っても彼女を傷つけてしまうのだから)
理性はそう五日前に結論付けたのに、彼の感情だけはこの五日間折り合いがつかずにいた。そしてまた、今も。
「ああ……!」
ノアは再び嗚咽を漏らす。しかしそれを遮るようにコッ、ココッと高いノックの音が聞こえた。この鳴らし方はガルベリオだとノアにはわかる。恐らく側近はドアを細く開け、彼が泣いていることに気づいて再び扉を閉めたのだろう。……皇子が何事もなかったように取り繕える時間を与えるため。
ノアはその気持ちに応えるべく目元をぬぐったが、自分の目が赤くなっている気がして顔は伏せたままでいた。
扉を開け、二人の人物が入ってくる。足音から一人はガルベリオだとわかる。もう一人は女性だ。ノアの鼻先がその香りを捕らえた。
おそらくお茶と共に焼き菓子を持ってきたであろうその女性は、強い香水をつけている。常人よりはるかに優れた嗅覚を持つノアは、頭が痛くなるので身の回りの人物には香水をつけないよう言い含めているはずなのに。
どういうつもりだと思い、顔を上げる。視線が足元から中ほどまで上がり、メイドの服を身に着けた女性を見ている途中でノアは身を固くし、瞬きひとつせず目を丸くした。
「メ……」
「あ~あ、バレちゃいましたか。殿下はこの人のことになると鋭い勘が更に凄まじくなりますなぁ。せっかく念入りに変装して香水までつけて、びっくりさせるつもりでいたのに!」
飄々と語る側近の後ろで如何にもメイドらしくお茶と焼き菓子をワゴンで運んでいたのは……たった今ノアが一生近づけないと思ったばかりのメルローズ・ドレンテその人であった。
★
四日前、マスキスと伯爵邸で改めて話をしたメルローズは、そのまま荷物をまとめた。その翌日には迎えに来たガルベリオとマスキスが早馬で帝国に戻る旅に同行したのである。
当初「深窓の令嬢が強行軍に参加するのは無理ではないか」と言われていたが、もともとがおてんばだったメルローズは意志が強い。高速移動で激しく揺れる馬車にも耐え、無事帝城へとたどり着いたのだった。
「メル……どうしてここへ……?」
立ち上がったノアの姿は、あれだけ力強かった皇太子の雰囲気とは一変していた。震える唇はひび割れ、顔色が紙のように白い。ここ数日ほとんど食べていないとガルベリオや侍従から聞いていた通りで、よろけて今にも倒れそうに見受けられる。
「殿下……!」
メルローズはノアのもとに駆け出す。彼が倒れはしまいかと心配で手を伸ばしたが、その彼も手を伸ばし、メルローズを腕の中に閉じ込めた。
「メル、ほんとうに君なのか? 俺は夢を見ているのではないのか?」
「ええ、本物です。傷が増えてしまって申し訳ございませんが」
「そんなこと!」
今まで表情の乏しかった彼の顔がぐしゃぐしゃになった。潤んだ目から涙があふれだす。
「ずっと、ずっと謝りたかった。君に傷をつけたことを……!!」
メルローズの中に彼の心の痛みが入ってくる。マスキスからノアの過去を聞き、今まで彼がどれだけ苦しんだのか知ったからこそわかる痛みだった。彼女が口を開くと自然と言葉にいたわりの気持ちが乗る。
「私もずっとずっとお礼を言いたかったんです。守って下さってありがとうと」
「いや、俺のせいで君は……」
「いいえ、殿下のお陰で、です」
「……!」
メルローズは感極まったノアに、息が苦しくなるほどぎゅうっと抱きしめられた。
「ありがとう、メルローズ嬢……」
そのまま暫く彼はメルローズの肩に顔を乗せ、ぐすぐすと鼻をすすり上げていた。やがてガルベリオが茶化すように言う。
「あ~、申し訳ありません、殿下。ちょーっとドレンテ伯爵令嬢につけた香水がキツかったみたいですね? 鼻水がとまらないでしょ?」
「い、いや……」
「いけませんいけません。皇太子殿下が鼻を垂らすところを見られたりでもすれば帝国の威信にかかわりますからね! ちょっとドレンテ伯爵令嬢には着替えてきてもらいましょう!」
こうしてメルローズは半ば強制的にノアから引き剝がされ、湯あみで香水を完全に落とし、ドレスに着替えて再び皇太子に相まみえた。
その間にノアも落ち着いて仮眠もとっていた。顔色がだいぶ良くなっている。二人は皇太子の私室でお茶と軽食を摂りながら話をした。
「メル、君はその……怖くないのか、俺が」
会話の途中でノアがそう切り出す。メルローズは首を傾げた。
「なぜそんなことを仰るのですか?」
「君は震えていた……俺が、その……君を誘拐した男をもう少しで殺そうとした時に」
相変わらずノアの表情は乏しかったが、メルローズには叱られた黒い犬が「きゅーん……」と尻尾を垂れているようにも思えた。彼女は微笑む。
「ええ、とても怖かったです。ノア様がシュールレ男爵令息を殺してしまったら、貴方はきっと深く後悔するでしょう?」
メルローズは知っている。ノアは強面だが実はとても優しい人だと。
「そう思ったら、あの時とても怖くて……絶対に止めないといけないって思ったのです。ここに来ることも、本当は悩みました……だって私がそばに居たら、ノア様はきっと私の為に何でもしてしまうでしょう?」
命を投げ出すことも、本当はしたくない人殺しも。
「だからそれが怖くて……逃げ出したくなりました。でも思ったんです。そんな私だからできることがあるんじゃないかって」
「ああ、君は俺のそばに居てくれるだけでいい」
「もちろん、おそばにもできるかぎり居ますけれど……でもノア様が暴走しそうなときには、この間みたいに止めますね。『めっ!』って」
「!?」
「だって、私が『めっ!』ってしたら、ノア様、変身が解けたでしょう?」
「……!!」
「ぶふっ」
顔からこぼれ落ちるのではないかと思うほど、目を大きく丸くしたまま硬直したノアを見てガルベリオがふきだした。主君に対して随分と気安い側近は、ケラケラと笑いながらメルローズへの賛辞(?)を叫ぶ。
「そんなことがあったんですか!? こりゃあ凄い!! 初代皇帝の血を引く『先祖返り』の最強の皇太子を鎮めるのが、お妃様の『めっ!』だなんて傑作だ!!」
★
帝国の皇太子ルイス・ノア・オソランサは隣国のボーレンヌ王国よりメルローズ・ドレンテを妃に娶った。
そして自らが皇帝となった暁に『先祖返り』であることを公表する。と、同時にボーレンヌ国王は長い間そのことを知っていながら両国は強固な協力関係にあり、ルイス帝は伝説の槍の力を使って他国を侵略する意思がない証明でもあると発表した。
その肉体的にも軍の扱いにおいても、兎に角「最強」と謳われる皇帝の横で皇妃のメルローズ妃は外交の主役として積極的に他国と交流を図った。そして自身の出身国であるボーレンヌと同じように協力関係の維持に努めるなら、帝国側からの侵略は決してしない……という平和条約を何ヶ国とも結んだのである。
皇帝は皇妃を溺愛し、また皇妃も皇帝を心から愛した。四人の子供にも恵まれ、帝国は各国との平和条約のお陰で益々栄える。
時が経ち、既に帝位を皇子に譲り隠居していたルイスがメルローズの病を知ったのも、40年以上もの結婚生活と平和な時代を送ってからの事だった。
方々手を尽くしたが妃の病状は回復せず、最後の三日間、彼は巨大な熊の姿に変身し妃にずっと寄り添っていた。それがメルローズ妃の願いだったそうだ。
メルローズは息を引き取る直前まで、いつもの言葉を呟いていた。長い人生の間、毎日夫に投げかけていたその言葉を。
「私は、貴方と結婚出来て本当に幸せよ」と。
(了)
これにて完結です。
「異世界ロマンス大賞」に応募するために3万文字を目指して書き始めたはずが……思ったより長い話になってしまいました。
それだけノアの苦しみが重かったってことかなあと思います。私の書くヒーローは長編だと悩んでいる人や苦しんでいる人が多いのですが、今回はその中でも一番かもしれないですね。
最終話も、予想よりかなり長くなってしまい、そのせいでノアとメルローズのイチャイチャが入れられませんでした……!
今、ちょっと他に書かないといけない短編があるので、それが終わったら番外編で書きますね!
毎日更新で(一度投稿時間が遅れたりしたものの)ストックが尽きながらも何とか書き終えることができて感無量です。これも毎日更新にお付き合いくださった読者の皆様のお陰です。誠にありがとうございます!
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お読み頂き、誠にありがとうございました!












