第四章(七)「この戦争を止めたい」
槍の穂には革製の鞘が付けられていたが、それでも全身を悪寒が巡り、どっと冷や汗が噴き出すのを覚えた。
「ま、参った! 降参だ!」
諸手を掲げて叫ぶと、周囲からどよめきが響いた。ナホイはおもむろに武器を引きながら、苦い笑顔を浮かべた。
「……やられたよ、完敗だ。ちょっとでもナホイに勝てるかもと思ったぼくが馬鹿だった」
「いやいや! 俺に奥の手の『二段突き』を使わせたんだ、おまえの槍は、そこいらの兵士よかずっとスゴ腕だぜ──だっつーのにそれが本職じゃねえってんだから、とんでもねえ奴だな、おまえ!」
さっきの殺伐とした雰囲気はどこへやら、ナホイは朗らかな表情で、握手を求めるように右手を差し出してくる。お互いの健闘を称え合うように、ぼくも笑顔でそれを握り返した。
「おい!」
突然に呼びかけられて、ぼくは反射的に振り返った。
と同時に、目の前に飛んできた物体を手で受け止める。
手の中にあったのは、先ほどナホイにも投げ渡していた、あの雇用契約書代わりの木札だった。それを乱雑に投げつけてきた騎士は、困ったような笑顔を見せて腕組みした。
「さすが、ナホイが認めただけはあるな。ハイアート、貴様の槍働きにも期待しているから、あまり簡単に死ぬなよ」
緊張した顔で、騎士に向けて一礼を返す。
ぼくが手に入れたのは、ひとつ間違えば即座に死が待っている、地獄行きの切符なのだ。
騎士の何気ない最後の一言にそれをひしひしと感じ取ったぼくは、今さらながら心臓がきゅっと縮こまる感覚を覚えた。
「……お、結構晴れてきたな。ハイアート、見ろよ! あそこが、これから俺たちが向かう『戦場』だぜ!」
ナホイが、彼方を指差して言った。
その先には、青さの戻ってきた空の下に遠近感がおかしくなるようなスケールで、もみの木に似たシルエットが神々しく屹立していた。
その「巨大もみの木」が、歩みを進めるに従ってますます大きく、存在感をもって近づいてきた。
電車に乗っている時に遠くから眺めたことしかないが、あの日本で最も高い東京の電波塔よりもはるかにデカい気がする。確か、アレが六三四メートルだったから──
「ナホイ、『聖樹』の高さって何ネリぐらいあるのかな?」
「ん? いや、そんなの聞いたことも考えたこともねえな。てっぺんはよっぽど晴れてねえと雲ン中だし……一千ネリ? 二千ネリはあるかも? まぁ、よく分かんねえや」
一ネリはおよそ一二〇センチメートル。つまり、一千ネリは約一二〇〇メートルだ。
ちなみに「ネリ」という長さの単位は、ゲイバム王国がまだゲイバムという名を持つ前の古代王国だった頃の国王の持つ宝剣「ネリ=オーン」の剣身の長さに由来するというのが今のところ最も有力な説だ。ついでにおよそ三センチメートルに当たる「ゾネリ」についても、元はネリ=オーンの柄に埋め込まれていた宝玉の横幅に当たる長さだったが、後のち不便だったため一ネリの四十分の一と改められたとか。
誰も得しない異世界豆知識はさておき、一キロメートル以上もある大樹というのはさすがに信じがたい。地球じゃ、確かセコイヤという木が一番高く伸びると記憶しているが、それでも百メートルを超える程度だったはずだ。
もちろん、ここはダーン・ダイマという色々なものが地球とは異なる世界だから、ぼくの常識が通用しない点も多少はある。でも樹木について言えば、地球のものと取り立てて変わった印象を持ったものはない。
なので、「聖樹」を他に比類しないほど巨大にした原因は──魔術ではないか、とにらんでいる。
どういう魔術だったのか、何の目的があったのかまでは、想像もつかないが──
「……そんなに気になるのか?」
「え?」
ナホイの問いかけの意図が分からず、ぼくは反射的に訊き返した。彼はあごで、空の彼方に霞むまっすぐな影を示す。
「ここんとこ、ずっと聖樹の方を見て、何か考えごとをしてっからよ。そりゃスゲェモンだとは思うがな、結局はデカいだけのただの木だぜ?」
「……ここまで来たから、ナホイには本当のことを話すけど──ぼくはね、オラブを旅している時にこの森林族国では絶えず戦争が起こっているって話を聞いて、どうして戦争ばかりしてるんだろうと思って、この国へ来たんだよ」
ナホイの表情は、虚をつかれたことを隠せないようだ。ぼくはナホイが気を悪くしないか心配して、笑顔を作りながら言葉を続けた。
「その辺についてはナホイから色々聞けたけど、まだ分からないことがある。ぼくが傭兵を希望したのは、現地を見れば分かるかもしれないと思ったからなんだ。ぼく一人じゃ、戦争に関わるのは難しいと思っていたけど──君に偶然出会えて、ここまで手引きしてくれて、本当に助かった。ありがとう」
「……いや、おかげで退屈しねえ道中だったし、この先も何かスゲェことが待ってるんじゃないかって、楽しみで仕方ねえんだ。礼を言いたいのはこっちの方さ──でもよ、ハイアートはこの国の戦争のことを知って、どうするつもりなんだ?」
ぼくはナホイの問いに答えるのを一時ためらった。それから、鼻から短く息をついて、ふざけていると思われないために真顔に戻った。
「もし、ぼくにできることであるなら……ぼくは、この戦争を止めたい」
それが、救世主という役目を果たすことの、正解なのかは分からない。
実際、延々と終わらない戦争なんて悲惨すぎると、ぼくが勝手に思い込んでいるだけなのだ。
でも、それが正解だと信じたい。
オド老師が、ぼくの正義が世界を救うと信じて、託してくれたことを信じたい。
「…………お、おいおいおい。前にも言ったとおり、俺はこの国の戦争にはウンザリしてるし、止めてくれるモンならありがてえこったが──さすがにそりゃ、おまえだけでどうにかなることじゃねえと思うぜ」
「そうだね。たぶんほとんど望みはないと思う。でも直に触れてみなきゃ、どうにかならないかどうかも見当がつかないわけだしさ。それに──」
ぼくはのぞき込むようにして彼の両目を見つめ、ナホイはその目をパチパチとさせて軽い驚きを示した。
「──それに、ナホイ。君もそれを望んでいるんなら、是が非でもやらなきゃいけないなって、あらためて思ったんだ」
彼は黙って、目線をそらしながら、困惑げな表情を見せた。それから徐々に、苦々しい笑みをうっすらと浮かべる。
「……いや、ダメだダメだ。よせよ、そういうこと言うのは──何だかこっ恥ずかしいじゃねえか」
「ああ。言っておいて何だけど、ぼくも尻がムズムズしてしょうがない」
一瞬の間があって、ぼくたちは突然かつ同時に、大きな笑い声を上げた。
後からどんどんおかしさがこみ上げてきて、笑いが止められない。ナホイと二人で、いつまでも笑っていられそうな気がした。
「コラーっ、おまえたち! 遅れているぞ、さっさと進まんか!」
背後からの怒号に、ぼくたちははっと正面に向き直った。傭兵の集団はぼくたちの前方の十メートルほど先を進んでおり、最後尾で見張りをしていた騎士に叱られてしまったのだ。
「あっ、ヤベェ! ハイアート、走るぞ!」
あっという間に笑いも止まって、戦場へ向けて進軍する一同を追いかけて、ナホイが弾かれたように走り出す。ぼくも、あわててその背中を駆け足で追った。
再び鉛色に包まれた空から、細かな雨の粒が靄のように降りしきっていた。
騎行を続ける少数の騎士と傭兵の集団が行き着いた先は、サイズのバラバラな木の板を適当に組んだ外壁に囲われた中にいくつかの簡素な小屋が雑に建てられている、野球場ぐらいの広さの平地だった。今までは木々の密集した中を進んできたが、ここは周囲に立木のようなものがほとんど無く、バリケードの内外の長雨でぬかるんだ大地がかなり遠くまで見通せる。
「……何で、こんな周りから丸見えな所に野営地を作ったんだろう? 森の中に隠れた方が、敵の目を欺けるんじゃないのか」
「バッカだなぁ、おまえ。目の届かない森の中じゃ、傭兵らに逃げられちまうだろ?」
「…………」
ぼくが絶句すると、ナホイは火にかけた鍋から根菜の煮込みを木製のお椀にすくいながら、ケラケラと笑った。
まったく、ぼくの認識ときたら甘ちゃんもいいところだ。確かに、金で雇われただけの傭兵が、自軍が劣勢と見れば最後まで戦につき合う責任など負うはずもない。
『ズルさとは縁のないハイアートには、分からなくても仕方ないかな』
ふっと、ズエンカに嫌味っぽく言われた一言が脳裏をよぎる。
あれから数年経つのに、何一つ学習できていない。自分がズルい人間である必要はないが、人間はスキあらばズルく行動するという前提で、物事を考えなくてはいけない。
「……まあ、しかし、ハイアートも他人事じゃねえぞ? 今はおまえも傭兵なんだからな、ヤバいと思ったらさっさと逃げるって考えを持たねえと、いくら強いったって生き残れねえぜ」
いかに「猛槍」と称される強者であろうと、その姑息さがあってこそ、今こうして生き延びられているのだろう。ナホイの言葉には、確かな重みを感じる。
「さ、早く夕飯を食って、さっさと寝ちまおうぜ。明日は──いよいよお待ちかねの、戦場だ」
ナホイから汁椀を受け取り、ゆっくりとうなずきを返す。
出征前にナンズの騎士たちから受けたブリーフィングめいたものによれば、すでに先発の第一隊隊が主戦場での交戦に入っており、僕たちはその後詰めである第二隊ということだ。その第一隊の後方からエブル氏族国の軍勢が挟撃せんと迫っていて、我らナンズ第二隊は敵軍の出鼻をくじき、それから第一隊と合流してそこの戦地の大勢を固めてしまおうというのが全体の戦略となっているらしい。
ただ丸太を転がしただけの「ベンチ」に、先にスープを食べ始めているナホイと並んで腰をかけ、薄く湯気の立つ椀の汁をひと口すする。
強い塩味とともに、野菜から出た甘味や渋味が、歩き疲れたぼくの全身にじんわりとしみ渡った。




