第四章(五)「いっちょやってみっか!」
左手から電撃を消し去ると、男の表情からわずかに恐怖が薄らいだ──だがそれは、ぼくが新たな魔術式を繰り出そうとするまでの、一瞬の間だけだった。
魔力が、男の四肢をがんじがらめに縛める。
言葉にならない絶叫を上げるのも構わず、男の身体をぐいと引きつけると、そのまま崖の端から放り出した。
彼はほぼ垂直な岩肌をすべり落ちていき、ごろんと崖下の地面に転がる。痛みにもだえながら身を起こした時には、彼はすでに、二十数人の村人たちに取り囲まれていた。
「──でも、その人たちがどうするかまでは、ぼくが責任を持つことはできないよ。許してもらえるといいね」
その先は、あえて見ないようにした。
結論だけを言うと、村人たちは、男を許さなかった。
かくして追いはぎ集団の討伐は村に一人の損害も出さずに終わり、ぼくとナホイは隣町の住民数人と共に村を出発した。
「まさか、魔術師だったなんて夢にも思わんかったんだ。すまねぇな、あんちゃん」
「別にいいよ。お役に立てて、何よりだ」
宿屋の主人の謝罪に、ぼくは上の空で適当な答えを返す。ぼくの頭の中は、別の考え事でいっぱいになっていた。
村人たちの命を守るためではあったが、ぼくはそれと引き換えに多くの人の命を奪った。八人という数字は、きっと日本なら交通事故であっても大ニュースになるほどの数だろう。
殺人であれば、なおさらだ。
悪行ではない、と自分に言い聞かせている。
こうするしか他に術はなかった、とも。
同時に、不道徳ではあるのだろう、とも考える。
答えのない自問に悩むのは無意味だ。マンガの主人公がいつまでも人を殺める罪悪感を抱える展開なんてただうざったいだけだと、ぼくも思っていた。
そんなマンガの主人公みたいな立場になって、そうじゃないと思うようになった。
苦悩を捨てるのは、たぶん、想像よりずっと簡単なのだ。
しかしそれらを持ち続けること、考え続けることが人間としてあるための責任なのだと、今は思う。
戦いに身を投じ命のやり取りをすることに、もはや一時の躊躇もなくなってしまった自分には、それを最後の砦とする責任がある。
そうでなければ、ぼくは、ぼく自身を人とは認められなくなるだろう。
ぼくはもう、人間から「バケモノ」とののしられても、間違いではないと自認しているのだから──
「……そういえば、ナホイの事を『猛槍』と呼んでいたけど──そんな風に呼ばれるほど有名な奴なのか?」
気をまぎらわすついでに、少し気になっていたことを訊いてみると、宿屋は少し驚いたように怪訝な顔を見せた。
「あんた、そんなことも知らんでこいつとつるんでるのか? 傭兵稼業でその名を知らん奴は、ケツの青いド新人ぐらいだぞ」
「えぇ、そんなに?」
ぼくが目を丸くしつつ隣のナホイを見ると、彼は得意げな笑みで「まぁな」とつぶやいた。結局今回の戦いで彼の槍さばきを目にする機会はなかったが、彼が道中に身につけていた革の鎧はあちこち傷んでは補修した跡があり、数多くの死線をくぐっただろうことは想像にかたくない。
まあどの道、ぼくはこれから、ナホイと戦場に向かうのだ。
彼の実際の実力を知る機会も、きっとそう遠くないはずだ。
と、思ってはいたが、こんなにも早く『猛槍』の戦いぶりを見ることになるとは予想外だ。
しかも──
「……さて、用意はできたようだな。いっちょやってみっか!」
槍の穂先を数回しならせ、それから胸の高さにピタリと止めると、ナホイは腰を落として臨戦体勢をとった。数メートルの距離を置いて彼の真正面に相向かったぼくは、右手の長物の重さを確かめるように二度振ってから、左手を添えて左前に構える。
「まさか、本気でやろうだなんて思っちゃいないよな?」
「そいつぁ愚問ってヤツだ。戦場じゃー『手抜き』って言葉は、『自殺』と同じ意味になるんだぜ?」
全身がぶるっと震えた。
負けることへの怖れか。それとも、己の力量を試せることへの「武者震い」なのか。
「分かった。全力でやらせてもらうよ」
「おう。ごたくはそれぐらいにして、さっさとかかってきな!」
ぼくはこくんと頭を上下させて、それから一歩、前に出した左足を進めた。
時は少しさかのぼる。
村から隣町に着いてそのまま宿屋の主人の店にひと晩ご厄介になり、再びナホイとの二人旅が始まった。追いはぎも何も出ず、雨も止んだ中、比較的快適な道中の果てにナンズ城都の門を敲くに至った。
「どうだ、ここがナンズ氏族国イチの都だぜ。まぁ、大したものはねえけどな」
ナホイの言葉は決して謙遜ではない。遠くに霞んで見える、とがった屋根の宮殿らしき建物がひとつ頭を出している以外は平屋の低い建物が立ち並び、取り立てて目につくものは何もない。
さすがにドデカい貧民窟までは見当たらないものの、あの大湿原族国のポンコツ領主の城下町とどっこいどっこいの都市レベルだ。
「……いいところだね」
「心にもねえことを言うなって。おまえもあちこち旅をしてきたなら、ここよりずっとご立派な街並みをいくつも見てきただろう? これが戦争に明け暮れて、戦費のために国民に重税を課し続けてきた国の姿さ。俺はな、こんなしみったれた故郷がイヤになってここを飛び出したんだ」
肩をすくめて話すナホイの言葉尻には、何だか哀愁めいたものを感じる。ぼくはため息をひとつ挟んで、おもむろに訊いた。
「……それなら、何で戻ってきたんだ? というか、毎年今の時期になるとここに帰ってきているみたいじゃないか」
「──こんなんでも、生まれ故郷にゃ違いねえからよ。この国が戦争をやるってなりゃ、やっぱ放っとけないのさ。ハイアートも、たまにゃ故郷が心配になったり、帰りたいと思ったりするだろう?」
確かに故郷である日本の呉武市に住む両親や、唯一の親友であったぼくの幼なじみが、ぼくが突然いなくなった後にどう暮らしているのかが気にならないわけじゃない。
でも──
「……事情があって、ぼくはもう、故郷には帰れないんだ。だから、そのことはあまり考えないようにしている」
そして願わくば、父さんや母さんや幼なじみが、今はもうぼくのことを忘れていてほしい。
「そっか。おまえの身の上も知らねえで、余計なこと言っちまったな。すまねえ」
素直に謝るナホイに、ぼくはただ黙って、首を横に振った。
会話する間も、ナホイの歩みは澱みなく城に向かって進み、その霞んでいたシルエットも輪郭をくっきりとさせていく。やがて想像よりはずっと小さいが、ちゃんと城壁と空堀を備えた城郭がその全貌を露わにした。
そのまま城に入っていくのかと思いきや、ナホイが向かった先は、城門前の跳ね橋の脇に立つ麦わらを編んだ粗末な天幕だった。その周囲には数人、おおよそ農業や商業といった、真っ当な労働をしているとは思えない風体の若者たちの姿が見てとれた。
「よう騎士殿、ご機嫌うるわしゅう。臨時兵の定員にはまだ空きがあるかい?」
その同業者らの群れをかき分けて、天幕の下に立つ、無骨だが他よりは身だしなみが小ぎれいで帯剣した戦士に、ナホイは声をかけた。騎士らしいその男はナホイの顔をひと目見て、旧知の友に会ったかのような朗らかな笑みを浮かべた。
「来たか、ナホイ。心配しなくとも貴様の分は予約済みだ。ほらよ」
騎士は何かを放り投げ、ナホイは当然のようにそれを受け取った。何かの模様を刻んだ木札のようだ。たぶん、雇用契約の証なのだろう。
「ありがとよ。で、もひとつ相談なんだが──こいつも雇っちゃくれねえか?」
ナホイが背中を叩くバンという衝撃に、ぼくは軽く咳き込みながら小さく頭を下げた。騎士は訝しげに、ぼくの全身をじろじろとねめ回す。
「ふうむ……傭兵という雰囲気ではないし、どう見てもナンズの民ではないが──なぜ彼を?」
「聞いて驚けよ、こいつはなあ、なんと魔──」
「ナホイ! ちょっと話がある!」
言葉をさえぎるように叫んで、ナホイのひじの辺りをぐいと引っぱる。小さく驚きの表情を見せたものの、抵抗なく頭を下げたナホイの耳元で、ぼくはひそひそとささやいた。
「ごめんナホイ、ぼくが魔術師だって話は、内緒にしてくれないか」
「えっ。何でだよ」
「事情が変わったんだ。報酬の方は普通の傭兵と同じで構わないから、とにかく秘密にしておいてくれ」
というのも、どうやら想像以上に「六行の大魔術師」という名前が世に広まっているらしいということが知れたからだ。身バレのリスクはできるだけ避けたい。
「……よく分からねえが、心得たぜ、相棒」
ニッと笑うナホイに、ぼくは眉をハの字にしながら、うなずきで返した。
「おい、何をこそこそと話している?」
「いや、こっちの話さ。とにかく──こいつは、見た目はともかく俺が強さを認めた男だ。そこいらの奴よかイイ働きをするぜ」
上手く魔術師であることを濁してくれたが、騎士は納得がいかないとばかりに腕組みして、のどの奥でうなり声を上げた。
「ううむ、ナホイの言うことは信用したいが、それだけではな。そもそも、臨時兵は基本的にナンズの民しか認めてはおらんのだから、例外を認めるだけの強さを証明してもらわぬことには……おい、おまえ。えーと……」
「シラカー・ハイアートだ」
「ハイアート、だな。ではハイアート、おまえの腕を見せてもらうとしよう。そうだな──ナホイ、おまえが相手をしてやれ」




