第二章(三)「右前足をかばうようにして歩くクセがついている」
「さて、腹ごしらえも済んだところで作戦会議と参ろうか」
空になった皿を脇に片づけて、トットーはテーブルに身を乗り出すようにして構えると、周囲を気にするように小声で話し出した。ぼくも耳を寄せて、黙って首を縦に振る。
「まずは騎士団の現在までの調査結果を、ハイアート殿にも教えておくでござる。こ度の強盗殺人事件の犯人は、近頃巷で問題になっている大盗賊団にほぼ間違いござらぬ」
ぼくは再びうなずいた。大人数を殺害し、大量の荷物を運び去るには多くの人手が必要で、集団での犯行なのは明白だ。
「注意していただきたいのは、彼奴らのやり口でござる……彼奴らは、とにかく毒物の扱いに長けているでござる。暗殺や自害用に死に至らしめる毒も使うが、盗みを働く時にはよく『眠り粉』を用いるでござる」
「眠り粉……?」
「微量でも鼻から吸い込むと強烈な催眠作用を起こす毒物でござる。今回の被害者の衣服などにも、わずかにそれの残り香があったとの調査報告があったでござるよ。おそらくはおぬしとズエンカ嬢も、現場から多少離れていたものの、風に乗ったそれを吸って眠ってしまったのでござろう」
ぼくはぶるっと身を震わせた。
あの時、ぼくはまったく睡魔に抵抗できなかった。ズエンカが湖畔に連れ出してくれていなければ、ぼくらも殺されていたに違いない。
「……分かった、毒に対しては何か対策を考えておく。それで──これから大盗賊団の行方を、どうやって捜索する予定だ?」
ぼくが訊ねると、トットーは腕組みをして顔をしかめた。
「犯人の目星がついただけで、今のところは手がかりが皆無でござる。さて、何から手をつけてよいやら……」
「これという考えがないなら、悩んでたって意味はない。最近現場を通った者を探して目撃情報がないか聞き込みをしよう」
「左様でござるな。まずは、行動あるのみでござる」
トットーはかぶとを着け直すと、勢いよく席を立った。
馬はモロウホルトの門を前に、速度を次第に緩めていった。
「王都隊第一小隊長、トットー・ヘンダリヒにござる。犯罪捜査のため入村を許可されたし」
「はっ、ご苦労様です。どうぞお通りください」
門番の騎士が門を引き開け、トットーが馬に乗ったままゆっくりと通り抜けていく。ぼくもその後について馬を歩かせると、いきなり目の前に斧槍の刃が立ち塞がり、ぼくはわっと叫んで身をすくませた。
「待て! おまえは通ってはならん。身元の確認を──」
「おっと、すまぬ。その御仁は拙者の捜査協力者でござる。共に通してくれるか」
「あっハイ、了解しました! 通ってよし!」
斧槍が引き戻され、その開いた道に馬を進ませる。騎士の脇を通り過ぎたところでぼくは振り返り、奴の背中に向かってしかめ面でベーっと舌を出してやった。
「ようやくモロウホルトに着いたけど、どうする? 早速聞き込みをしようか?」
村内を常歩で進むトットーの左に並んで訊くと、彼は小さく首を横に振った。
「いや、まずは馬を馬屋に預けるでござる。ここまで急ぎ足で来た故、休ませたり食事を与えたりせねばならぬ」
ぼくはうなずいて、トットーの後に馬をついて行かせる。馬を使う移動は早く楽なものだが、ことほど左様にケアに金と手間暇を余計に使ってしまうのが大きな問題だ。まともに養えなくなることをおそれて馬で旅をすることを避けていたぼくだが、今回はここモロウホルトまで急ぐ必要があり、騎士団から馬を拝借した。
というのも、王都での聞き込みは、残念ながら有効な情報を得ることができなかった。しかし犯行が行われた頃に王都からモロウホルトへ向かった乗合馬車が現場を通過している可能性が高いとの話を聞いて、こちらに急行した次第だ。
「ご免。ご主人、馬を二頭預かってくれるか」
村の中心から外れたところにある馬屋を訪れたぼくたちは、馬の手綱を引いて薄暗い木造の厩舎の中へと入った。馬屋は馬の売買や貸し出し、預かりを請け負ってくれる、ペットショップやペットホテルみたいな施設だ。
「やあ、これは騎士様。ご利用ありがとうございます」
「強行軍でここまで来たので、水と飼葉をたっぷり与えて休ませてほしい。夕方には一度戻るでござる」
エプロンをかけた禿頭に白い髭の老人がペコリと頭を下げて、うやうやしくトットーから手綱を受け取る。
「──さて。拙者らもひと休みしたいところではあるが、拙者はすぐに乗合馬車の事務所に向かいたいと存じ上げる。ハイアート殿はいかがでござるか。お疲れではござらぬか」
「疲れたなんて言ってられないよ。もちろんぼくもすぐに行こうと思う」
「承知つかまつった」
馬屋を後にして、トットーは村の中心部に向かい板金のこすれる音を立てながら歩き出す。ぼくはその後ろ姿を、いつもよりやや大股で追っていった。
「……空振りでござったな」
曇天が次第に薄暗くなっていく頃、馬屋の入口をくぐり、トットーはため息混じりにつぶやいた。
乗合馬車の事務所では、確かに休憩中の隊商を見かけたが、特に周辺で気になるものは見なかったということが聞けたのみだった。他に目撃者がいないかと、宿屋など人の集まる場所を片端から当たってみたものの、当時に現場付近に居た者を発見することはできなかった。
あとは望み薄いが、手がかりを求めてさらに隣村のカディヘーブンまで行くか、あるいは現場周辺の野山をあてもなく捜索するか──捜査を続けたい思いはあるが、ぼくはともかくぼくを釈放するために昨晩から一睡もしていないトットーの体調が心配でもあり、この村で宿を取りひと眠りするという案もある。
いずれにせよ、夕方までには馬屋から馬を引き取らねばならないことだけは確かだった。ぼくたちは厩舎の奥で馬の背にブラシをかけている主人をつかまえて、声をかけた。
「ご主人。馬の様子はいかがでござる」
「これは騎士様。ええ、たらふく食ってすっかり元気でございますよ。お引き取りでよろしいですか」
「うむ。お手数だが、請求書を王都の騎士団あてに出してくれるか」
「では書類をお持ちします、少々お待ちを」
馬屋の主人は、厩舎の外へと姿を消した。彼らの事務手続きに時間がかかりそうだと感じたぼくは、先に自分たちの馬を確認しておこうと思い、厩舎内をうろついた。
「──あれ?」
しばらく歩いたのちにぼくらの馬は見つかったが、その隣の区画にいる一頭が不意に目に止まって、ぼくはまぶたをパチパチとさせた。
たぶん、昼頃に来た時にはいなかった馬だ。顔にある白い斑点模様が、かすかにぼくの記憶に残っている。
確か、この馬は──
「トットー! こっちに来てくれ!」
大声で呼びかけると、厩舎の奥で店主から受け取った書類にサインをしている最中のトットーが、あわてて店主の手に紙と羽ペンを押しつけて駆け寄ってきた。
「何事でござるか」
「こ、これ! この馬──」
指差した馬の顔を一瞥して、トットーはほうと小さく感嘆を上げた。
「顔だけに白い斑点があるとは、変わった模様の馬でござるな。ハイアート殿、これが何か……」
「間違いない。この馬、ヘベニッフ隊商の──マギタさんの馬だ」
ぼくの言葉が頭にしみ通るのに時間を要したのか、少し間があってから、トットーのかぶとの奥の目がまん丸に開かれた。
「何と、誠でござるか! ご主人、この馬について訊きたいことがあり申す!」
店主が小走りに寄ってきて、トットーの指差す方を見やる。彼は頭を低くして、申し訳なさそうに言った。
「騎士様、こいつは荷馬か農耕馬として売る予定でございまして、騎士様が乗るには不向きかと──」
「いや、そうではござらぬ。この馬をいつ、どんな経緯で手に入れたか訊かせてほしいのだ」
「ああ、はい。先刻、こちらに手放しに来た者がおりまして。足運びに変なクセがあって早く走れないので、まともに走れる馬と換えてほしい、と──」
トットーがこちらをちらりと見てきて、ぼくはそれにうなずいて答えた。
「マギタさんの馬は以前、右の前足を骨折してぼくが魔術で治療したことがある──それ以来、右前足をかばうようにして歩くクセがついている」
確信を得たと言わんばかりに、トットーはニヤリと微笑んだ。
「ご主人! 急ぎ、拙者らの馬に鞍をつけてくれ! それと馬を交換した者と交換した馬、双方の特徴を教えてもらえるか」
「へ、へえ。──身長五〇ゾネリぐらいの、小柄でやせた老人で……持ってったのは、通常よりひと回り小さい芦毛で──」
一ゾネリは、およそ三センチメートル。五〇なら大体一五〇センチメートルだ。老人と盗賊というのが今ひとつ結びつかないが……大盗賊団から、何らかの形で馬を入手した第三者かもしれない。
トットーが聞き込みを続ける間も、馬屋の主人の手は休まることなく、瞬く間に二頭分の鞍が据え付けられた。
「ハイアート殿、人物と馬の特徴は頭に入ったでござるな?」
「ああ、大丈夫だ。すぐに追いかけよう」
ぼくとトットーは素早く馬にまたがり、脱兎のごとく厩舎を飛び出した。