序章(十)「おこまりですか?」
ドカドカと派手な音を立てて、上品な毛織の衣服に身を包んだ中年の男が、顔面蒼白になって駆け込んできたのだ。
彼は鉄格子越しにぼくたちの姿を見やると、さらに目も口も大きく開いて仰天した。
「ほ、ほほほ、本当にオド老師ではないか! おい、あの方を早くここから出せ! ゲイバムと事を荒だてるつもりか!」
一喝された騎士たちが、あわてふためきながら檻を開く。お偉いさんらしき男に導かれて、ぼくとオド老師は地下牢よりはずっとマシな、テーブルと椅子のある一室へ通された。
「こ、このたびは、とんだ非礼を……」
自らを警務大臣と名乗った男は、オド老師の前にひざまずいて頭を垂れた。
「何を申すか、騎兵隊は職務に忠実だっただけじゃろう。拙も文句を言うつもりはないし、彼らについては不問にしてくれるかのう」
「ははっ、ありがたきお言葉……恐れ入ります」
ぼくとしては、いきなり牢屋に放り込まれたことに不満があるけれど、老師が何も言わないことに余計な口を出すわけにもいかない。
「聞けば、ルギオー付近から一昼夜かけて連れてこられたとのことで──その間何もお召し上がりになられていないのですよね。お食事をご用意いたしましょう」
「困りますな。拙は今は隠居の身で、ゲイバムの国賓でも何でもないのじゃ。特別扱いされるのはいかがなものか──とは思いますが、どう思いますかな、ハイアート様」
話を振られて、二人の視線がぼくに集まった。ぼくは眉をハの字にして、遠慮がちにつぶやく。
「……正直、お腹はペコペコです」
「ですな。それはそれとして、ありがたくご馳走になるとしましょう」
オド老師は口の端を持ち上げて、にっこりと笑んだ。
精霊術師養成所はマラン王都の外れにあり、まるでお城か、お城の形をしたラブホテルのような表構えをしていた。
警務大臣の手配した食堂で胃袋の限界まで料理を詰め込んだあと、ご丁寧にここまで馬車で送迎までされて、ぼくとオド老師はこの施設の玄関先までたどり着いた。ここまでしなくてもオド老師はゲイバム王国に告げ口をするような人ではないのに……と思いつつも、せっかくの大臣のご厚意なので、ぼくたちは何から何までありがたく頂戴した。
「やれやれ、やっとここまで来られましたな。早速、染性観測器を使わせてもらうとしましょう」
精霊染性とかいう得体の知れないものをただ測るためだけと思うと、ここまで大変な旅をする価値があったのか疑問だけど──測ることでぼくにも精霊術が使える可能性があるか分かるのなら、絶対に挑戦したい。
「まずは所長室に向かいますぞ。拙らが来ることは大臣から伝えてもらっておるそうですが、あいさつは礼儀として大事ですからな」
石積みのアーチを抜けて、両開きのしっかりした扉の中へと入る。すぐにホールのような開けた空間が広がっており、左手の方からはざわつく声が聞こえてくる。
ふと目を向けると、四、五歳ぐらいか、多数の児童が列を成して廊下を歩いている。一様に同じ茶色のベストを着ているところを見ると、この養成所の生徒たちに違いない。
こんな小さいうちから、精霊術の修業をさせるのか……今からぼくが精霊術を学んだところで、英才教育を受けているこの子たちにはとてもかなわないのではないだろうか?
「……あれ?」
ぼくは素っ頓狂な声を上げて、辺りをキョロキョロと見回した。少しの間ボーっと児童らを眺めてるうちに、オド老師の姿を見失ってしまったのだ。
所長室に行くとは言ってたけど、どっちに行けばそれがあるのかぼくに分かるはずもない。どうしよう。
「おこまりですか?」
不意に幼い声がしてぼくは振り返った。腰から下の高さからぼくを見上げる、五歳ぐらいのやはり同じ茶のベストを着た、つややかな金髪の男の子がいた。
「あ、あの、所長室に……」
「しょちょうしつでしたら、ここからみぎてのつうろのさきにあるかいだんをのぼったところですよ」
歳の割に、妙にしっかりしたしゃべり方だった。
「あ、ああ、ありがとう……」
「どういたしまして」
胸に手を当てて、男の子はぺこりと一礼する。その時。
「マーカム坊っちゃま! 何をなさっているのですか、授業が始まってしまいます」
「はい、いまいきます」
左手通路の奥から大人の男の呼ぶ声がして、男の子はきびすを返して走り去っていく。坊っちゃまとか、きっといいトコの育ちなんだろうな──とぼんやり考えながら、ぼくは階段があると聞いた右の廊下へと足を運んだ。
「おやハイアート様、どちらへ行っておられたのですか」
「ちょっとよそ見をしているうちに、うっかりはぐれてしまいました。すみません」
すぐに所長室を発見したぼくは、その部屋の前に立つオド老師も同時に見つけることができた。オド老師は高らかにノックをしてから、おもむろにドアを開けた。
「オド老師、ようこそいらっしゃいました。お話は大臣から聞いております」
「突然におじゃまして申し訳ない。よろしく頼むぞ」
くすんだ赤色のローブをまとった白髪の老人が出迎えて、オド老師はうなずきながら微笑んだ。
「それで、本日はどのようなご用向きですかな」
「大した手間は取らせぬ。この子を視るのに、染性観測器をちいとばかり使わせてもらいたいだけじゃ」
さっきからチラチラとこちらを気にはしていたようだが、養成所長は改めてこちらをまじまじと見つめてきた。
「彼を視るのですか? もしや、こちらに入所をご希望──」
「ホッホッホ、キツい冗談じゃのう。この隠居爺にそんな金額が払えるわけなかろう。さて早速じゃが、観測器を貸してもらうぞ」
「ええ、結構ですとも。あの観測器がウチにあるのも、あなたの開発した基礎技術のおかげなのですから」
「ということです。ハイアート様、行きましょう」
早々に所長室を退去し、足早に歩いていくオド老師のあとを追う。オド老師は迷いなく、階段を下りて施設の奥へと進んでいき、数ある部屋のひとつに入っていった。
まず、部屋の中央の丸椅子が目についた。それから椅子の前にガラス窓のはまった衝立があり、椅子の後ろには術式が刻まれた石碑が建っている。
「ふむ、こちらの観測器はずいぶん洗練されたモノになってますな。ではハイアート様、こちらの窓の方を向いてその椅子にお座りください」
言われるままに椅子に腰を落とすと、オド老師は背後の碑の術式を起動させた。それからガラス窓の向こう側に回り込んで、こちらをじっと見つめてくる。
「……? おかしいですな。部屋が明るすぎるのかのう……」
老師は首をひねりながら、さっき着けたばかりの部屋のランプの灯をかき消した。部屋は一気に暗くなり、背後の石碑のぼんやりとした銀色の光だけが浮かび上がる。
「……いや、これは、やはり……まさか、このようなことがあるとは……!」
かすかな光の中のオド老師の表情が見る間に驚愕と興奮に満たされていき、ぼくはにわかに染性の観測結果を聞くのが怖くなった。
「ど、どうしたんですか、老師……何があったんですか」
「何もないです」
「え? 何もないなら、どうして……」
いぶかしげに眉根をひそませると、オド老師は、ゆっくりとかぶりを振った。
「──精霊染性が、まったく、何もないのです。火風地水光、すべての精霊に反応がありませぬ」
「え、ええと、その……それはつまり、ぼくには精霊術の素養が、まったくないと……?」
心臓がバクバクと弾んでいる。
ぼくたちのここまでの苦労が水の泡だなんて、簡単に認めたくない。
「そう考えるのが普通なのですが……すべての精霊と魔素の染性が存在していない人間など前代未聞です。すでに普通の考え方では収まりませぬ」
「……」
自分で考えても分かるはずもないので、ぼくは口をつぐんだまま、頭を抱えて必死に思案を巡らせているオド老師の次の言動を待っていた。
「……ハイアート様。あなた様は魔素の染性をまったく持たないにもかかわらず、魔力を操れました──もし、染性を持たない精霊力を操れぬ原因が染性を持たないからではなく、他の染性がそれを阻害しているからだとしたなら──」
オド老師はもう一度、真剣な眼差しでぼくをじっと見据えてきた。それから早足で駆け寄ってきて、ぼくの傍らにさっとひざまずいた。
「ハイアート様、すぐにここを離れましょう。拙の仮説が正しくば、あなた様の存在をマランに知られるのは厄介です」
「えっ? あの、どういうこと……」
「話は我が家に戻ってからです。さあ、行きましょう」
あせるように部屋のドアへ取りつき、ここを出ようとしているオド老師のあとを追うために、ぼくは急いで椅子から立ち上がった。
このあと、オド老師の家に戻るまで何の支障もなく、ぼくの初めての旅は終わった。
しかし、「ダーン・ダイマの救世主」の旅路は、ここからが本当の始まりだったんだ。




