序章(九)「もはや私らは運命共同体みたいなもんですよ」
「ええっ?」
盗賊団って、盗賊の団?
三国志でいうところの「黒山賊」みたいなのが、この世界には本当にあるってことなのか。
寝台を飛び出して、先を行くオド老師の後を早足に追いかける。暗い中を、わずかな灯りを頼りに宿屋の外に出ると、立ち並ぶ建物の奥で夜空が赤く照らされているのが見えた。
街が燃えている。
あの赤い空の下で起こっていることを想像すると、背筋が凍る思いがする。通りの方には、恐慌をきたした人々が散り散りに走り去っていくのが見え、事件の深刻さがうかがえた。
「ハイアート様、危のうございます!」
不意に腕を引かれ、ぼくは仰向けに背中をついた。
その直後、左手の死角から駆け込んできた馬車が、ぼくの元いた場所に躍り込んでくる。馬車馬はぎゅっと手綱を引かれ、いななきながら前足をからげてぼくの目前で急停止した。
「ゴンズロロ殿、ハイアート君! お乗りください!」
馭者の席に座る中年男性の顔が、馬車の脇に据えられたランタンの揺れる光で暗闇の中にチラチラと浮かぶ。
「ヘベニッフさん!」
「こりゃ助かったわい。ハイアート様、客車の方にお乗りください」
ぼくは客席へ飛び込み、オド老師はヘベニッフの隣に座った。すぐに馬の尻に鞭を打つ音が響いて、馬車は勢いよく滑り出した。
「ヘベニッフ殿、感謝いたしますぞ。しかしこんな時にこのような馬車、どこから調達できたのじゃ」
「どなたのかは存じ上げませんが、ちょいと失敬させてもらいました。非常事態ですからその辺はお目こぼしを」
「そうじゃな。歳のせいか耳が遠くなったのう、拙は何も聞こえんかったぞ」
老師の高笑いが馭者席から聞こえてきて、ぼくはつられるようにふっと吐息をついた、ちょうどその時。
客車の屋根でドッと鈍い音がして、反射的に見上げると、そこに錐のようにとがった矢の先が突き出ていた。
「ふえぇ」と幼女が泣きわめくような声が、意せずして本当にぼくの口から漏れた。
「ゴンズロロ殿! 屋根の上です」
ヘベニッフが叫び、ぼくは馬車の窓から頭半分だけのぞかせて外を見た。真っ暗な中、ほのかに赤く照らされた屋根にいくつもの人影がかすかに浮かんでいる。立てひざでライフルを構えているような姿勢だが、銃ではなくボウガンなのだろう。
「馬車の速度をゆるめるでないぞ、そりゃっ」
ゴッと、一瞬だけ馬車の周りに台風が来たような空気のうなりが轟いた。数本の矢が道の脇に跳ねて転がり、オド老師の風精霊術が飛んでくる弓矢を吹き散らしたのだと、ぼくは直感した。
まだ射ってくるかと、こわごわしながら目線を再び屋根の上に向ける。そこにどこから飛んできたのか、いくつもの火の玉が建物の上に弾けて、人影は蜘蛛の子を散らすように消えていった。
「あつっ! あちち! 衛士どもめ、市民に構わずめっぽうに火炎弾を撃ち込むとは、ふざけてるのか!」
「ハイアート様、流れ弾がこちらに飛んでくるおそれがあります。頭を下げておいてくだされ」
ぼくは座席の下に身体を入れ、頭をもぐらせて縮こまった。馬車の揺れと車輪のきしむ音しか感じなくなり、恐怖と緊張にあえぎながら、ひたすら時が過ぎゆくのを待った。
どのくらいの時間が経過したのか分からないが、馬車の振動が止み、どこかに停止したことをぼくは悟った。
「ハイアート様、もう出てきても大丈夫です」
オド老師の声にほっとして、ぼくは頭をもたげた。辺りは真っ暗で、窓に老人の顔がのぞいているのが見えるだけだった。
扉を押し開け、客車のタラップをゆっくりと踏みしめながら外に出る。深閑とした夜の闇がどこまでも広がる、荒野のただ中だった。はるか遠くにか細く見える朱の色は、ルギオーの街の火に違いない。
「やれやれ。このような厄介な旅になろうとは、思いもよりませんでした。申し訳ありませぬ」
「いえ、オド老師のせいじゃないですよ。……ヘベニッフさんは?」
「焚きつけになるものを探しに行きました。ほどなく戻ってまいりますでしょう」
数分ぐらいして、ランタンの光の輪がおもむろに近づいてきた。近づくにつれて、脇の下に枯れ草を抱え込んだ中年男の姿が闇からにじみ出してくる。
「何から何まで誠にすまぬのう、ヘベニッフ殿」
「いやいや、もはや私らは運命共同体みたいなもんですよ。お互い助け合って乗り越えましょう」
枯れ草を地面に盛り上げて、オド老師が精霊術で小さい火口を着けると、それはゆっくりと赤い炎を立て始める。さっきまで空恐ろしかった炎の色が、今は安心感をもたらしてくれることに、不思議な気持ちを覚えた。
「これから、どうするんですか……」
「このまま夜明けを待って、王都に向かいましょう。そこまで行けば、あとは何とかなります」
三人で焚き火を囲み、ただ空が明るくなるのを待つだけの時間が過ぎていく。オド老師たちは酒場の続きとばかりにおしゃべりを始めていて、輪をかけて退屈さを感じていた。
その彼らの会話が、ふっと途切れた。
何事かと思う間もなく、闇夜の向こうからいくつもの馬のひづめが地面を打つ音が近づいてきて、ぼくたちは中腰になって身構えた。
それらが焚き火の光に照らされてその姿を現した時には、ぼくたちはすっかり周囲を取り囲まれていた。馬にまたがり、顔をすっぽりと覆うかぶとを着けた、騎士のような一団だった。
「動くな! おまえたちは何者だ。ここで何をしている」
威圧するような言葉が飛んできて、ぼくは再び身体をぞくりと震わせた。
「拙らは旅の者ですじゃ。王都に向かう途中、ルギオーで災難に遭って逃げてきたところでございます」
「ふん。最近は盗賊団の偽装も巧みになってきているからな、おいそれと信じるわけにもいかん。ノガム、ビクダ! この者らに縄を打ち、王都へ護送せよ。残りはルギオーへ向かう」
頭から血が引くのを感じた。
ぼくらを捕まえて、彼らは一体何をしようというのだろう。
「ろ、老師……」
「あわてなさるな、ハイアート様。彼らは王家直属の精霊騎兵隊でございます。抵抗はされませぬよう──といいますか、王都に連れていってもらえるのですから、むしろ好都合。おとなしく従っておきましょうぞ」
不安はぬぐえないが、小声でささやいてくるオド老師に、ぼくは小さくうなずきを返した。
かくしてぼくとオド老師、そしてヘベニッフはまるで罪人のように手首を後ろ手に縛り上げられ、乗ってきた馬車へと詰め込まれると、二人の騎士の乗る馬に牽引される形で出発した。
「本当に大丈夫なんですか、老師」
「ん。まぁ、悪いようにはされぬでしょう。しかし、縛り方がちときつうございますな」
声をひそめて訊くと、オド老師はおどけるようにつぶやき、それからさらにか細く言葉をつむいだ。
「……魔力に命ず。シラカー・ハイアート、コドール・ヘベニッフ、オド・ゴンズロロの手首に巻かれた縄の結び目を──」
魔力を含んだ詠唱が魔術として発動すると、手首の縛めが少しゆるみ、痛みが和らいだ。
「おお、魔術ですか。ありがたい、手がうっ血してしまうところでした」
ほっと息をついて、ヘベニッフが微笑む。
そうか。万が一の時も、いつでも魔術で縄を解くことができるから、オド老師はこんなに余裕しゃくしゃくでいられるのか──ぼくは緊張の糸が解けて、ふーっと大きなため息をついた。
馬車は窓から朝の光が差し込み、太陽が高く昇っても、休みなく走り続けた。そのうちに窓の外の光景が、いつしか立ち並ぶ建物へと変わっていた。
「降りろ」
馬車は石造りの堅牢そうな施設の前に停まり、降ろされた三人は騎士たちにその中へ連行されていく。地下へと降りる階段を進み、ランタンの灯りだけを頼りに闇の中を歩いていくと、鉄製の格子が並ぶ一画へとたどり着いた。
「こっ、ここ、牢屋じゃないですか……」
「当たり前だ。ここでしばらくおとなしくしていてもらうぞ──むっ? ビクダ、ちゃんと縛ったのか? ずいぶんゆるいじゃないか」
「えっ。その。しっかり縛ったはずですが……」
「まあいい。ほら、三人とも入るんだ」
手首の縄を解かれたものの、ぼくたちは石と鉄に囲まれた小部屋へと押し込まれてしまった。
「ろ、老師……」
「心配ご無用ですぞ、すぐ疑いは晴れますから」
相変わらずすました表情のオド老師だったが、ぼくの心細さは増すばかりだ。
「疑いが晴れるかは、これから尋問をしてこちらが決めることだ。まず、名前と王都に来た目的を言え。おまえからだ」
騎士は最初にヘベニッフを指差す。ヘベニッフはかしこまるようにひざをついた。
「コドール・ヘベニッフです。もともと王都の市民でして、地方への行商から戻るところでした」
「商人か。王都に身元を保証できる者はいるか」
「東南区の市場通りに私の妻がおります。名前はザリ・ヘベニッフです」
「よし。ビクダ、確認してこい。──次はおまえだ」
もう一人の騎士が一礼して去り、次にオド老師が指定された。
「オド・ゴンズロロと申します。拙はこの子を連れて精霊術師養成所に向かう予定です」
「養成所に? 小僧、おまえの名は何だ」
「……シラカー・ハイアート、です」
騎士がこちらをじろりとにらんで訊いてきたので、ぼくはおずおずと小声で答えた。
「ふん。養成所に入れるような貴族や豪商には見えぬが──おまえたちが来ることは、養成所には伝えてあるのか?」
「いえ、急な出発だったので約束はしておりませぬ」
「何だと? 飛び入りで行って相手にしてくれるような所だと思ってるのか? ……まあよい、一応養成所に確認をしに行ってやる。だが場所が場所だ、大臣に捜査許可を得てくるから、多少時間がかかるぞ」
「仕方ありませぬな。よろしく頼みますぞ」
彼も牢屋を後にして、後には囚われの三人だけが残った。
それから、ぼくの左手首にある腕時計のデジタル表示が一時間の経過を示す頃に、ビクダと呼ばれていた方の騎士が戻ってきた。
「ヘベニッフ、身元が確認できた。釈放だ」
ほっと顔をゆるませ、立ち上がりかけたヘベニッフは、そこでふっとぼくたちに不安そうな目線を向けてきた。
「ここでお別れのようじゃの。こちらは心配いらぬ、ほどなく拙らも釈放されるじゃろう」
「そう願っております。では、失礼……」
鉄格子を抜けて、ヘベニッフは姿を消した。ぼくたちはいつ解放されるのだろう。もしかしたら、もう出られないかもしれない──それからさらに小一時間、ネガティブな考えばかりがぼくの頭の中でぐるぐるしていた。
そして異変は、唐突にやってきた。