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その2


 雑誌の撮影で久英社のスタジオに来ていた真里菜は、控え室で別の雑誌の新人モデル“Minnie”につかまっていた。ミニーマウスさながら、ネズミの耳のようなシニヨンをしている。

 ミニーマウスのコスプレで読者モデルとして雑誌に登場したのが話題になり、プロのモデルになった彼女だが、22歳という年齢は、モデルデビューとしては決して早いほうではなく、マネージャーから他の雑誌の撮影も勉強のために見ておくようにと言われて、見学に来ていたのだ。


「まりりんちゃんのおうちって、すごいよね」

「すごい?」

「お金持ちじゃん」

「はあ」

「お小遣いって100万ぐらいなの?」

「ようちえんの子に100まんえんあげるおうちは、ないとおもいます」半ば呆れ気味で、諭すように言う真里菜。

「ふーん。お金持ちってさ、ケチだからお金貯まるのね」

「はあ」


 確かにお金はケチケチすれば貯まるだろうなと思った真里菜だったが、つくづく、頭の悪い人は気が合わないなあとも思っていた。

「真里菜、出番だぞ」瑞樹が廊下から声を掛けた。

「はーい!…じゃあ、まりりん、行きますね」

 真里菜が丁寧に頭を下げると、“Minnie”は真里菜の手をつかんだ。


「ねえ。今度、おうちに遊びに行ってもいい?」

「おばあちゃまに聞いてください。まりりんは、きめられません」

「えー。そうなのぉ…」

「じゃあ、りれきしょを、おばあちゃまにわたしてください。ごうがくなら、おみあいパーティーに入れてくれます。“Minnie”ちゃん、おかおはかわいいから、だいじょうぶです」

「うーん…そういう、面倒なのイヤだなあ」

「おちからになれなくて、ごめんなさい」

 真里菜は再度丁寧に頭を下げて、部屋の外に出た。


「どうした、真里菜。機嫌悪いのか? ほら、いつもの可愛い顔して。撮影なんだぞ」

「かわいくても、おバカさんはダメだよね。つかれるし」

「何かあったのか?」控え室のほうを見る瑞樹。

「“Minnie”ちゃんが、うちに来たいって。やんわり、おことわりしたけど」

「“やんわり”か。それ、大事だな」瑞樹が笑う。

「なーんか、さいきんおおいよね。おうちに来たいっていう人。あたらしいせいふくやさんとか、じむのおねえさんとか」

「モテモテだな」


 瑞樹が真里菜を抱き上げた拍子に、真里菜の左手が鼻にぶつかりそうになる。

「あれ?」

「どうした?」

「このにおい…」

「匂い?」

「なんでもない」

 真里菜は瑞樹にしがみつきながら、控え室のドアを見つめた。

“さっき手をつかまれたにおいの、のこりだ…。でも、これって、どこかで、かいだことがあるなあ…”

 真里菜はぼんやりと考えたが、その匂いの正体までは思い出せずにいた。


  *  *  *


 一週間後、再び東京に出てきていた華織が躍太郎と一緒にティータイムを楽しんでいると、スマホが鳴った。

「おばあさま、いちだいじです! 誠おにいさんをよんでください!」

「何なの、紗由。どういうこと?」慌てた様子の紗由に、華織のほうが慌てる。

「悠斗くんの、いちだいじなんです!」

「どういうこと?」

「紗由がそっちに行きますから! では!」


「ちょ、ちょっと、紗由!…ああ、切れちゃったわ」

「どうしたんだい、華織」傍らの躍太郎が怪訝そうに聞く。

「わからないわ。悠ちゃんの一大事だから、こっちに来るって。それに誠さんを呼べって…」

「よくわからんな。でも誠くんなら、この後、仕事で打ち合わせの予定だが」

「あら。そうでしたの?」

「ああ。“インバーター”の手品興行契約の件で。そろそろオフィスに行こうかと思ってたところだ」

 躍太郎は幾つもの会社を経営しており、その中のひとつにイベント興行会社もある。

 一条誠はマジックネタを売っているバイヤー兼マジシャンでもあり、売れっ子マジシャン・インバーターの師匠でもあったため、時折、インバーターの仕事に関して打ち合わせをしていたのだ。


「では、すみませんけど、打ち合わせ場所をこちらの部屋にしていただけるかしら」華織は幾分難しい顔で躍太郎を見た。

 華織と躍太郎は、西園寺邸を保に明け渡してからは、西園寺邸から徒歩5分ほどのところにあるワンフロアに一軒しか入っていない豪華のマンションを東京での拠点にしていた。フロアの一部はオフィスにもなっている。

「大丈夫かい。麻那ちゃんが相談があるっていう話だったんじゃないのかい。ここに来るんだろう?」

「麻那ちゃんには、ここでちょっと待っててもらうわ。お夕食を一緒にと言ってあるから、お話はその時でも大丈夫よ」

「わかった。じゃあ、誠くんには連絡しておくよ」


  *  *  *


 華織は、誠とインバーターの二人に紅茶を出しながら、申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさいね、急にこちらまでご足労いただいてしまって」

「いえ、そんな。華織さんの顔を見られて、何か得した気分ですよ」微笑む誠。

「そうです。こんな場所にうかがえる機会、まずありませんし」

 インバーターの一人が胸元から薔薇の花を一輪取り出し、華織に差し出そうとした時、もう一人がその薔薇に手を触れると、薔薇には赤いリボンが結ばれていた。

「弟子たちからのプレゼントです。お受け取り下さい」誠が薔薇を受け取り、華織に渡す。

「まあ、うれしい。きれいな薔薇ね」

「華織さんにはとても及びませんが…」


 微笑む誠の傍らで、インバーターの二人があたふたと紅茶を飲み干した。

「あら。お喉が渇いていらしたのかしら。おかわり、いかが?」

「あ、いえ。僕たちこれからイベントに行かないといけないので、これで失礼させていただきます」

「まあ。売れっ子さんたちはお忙しいのね。お体、気をつけてね」

「は、はい」緊張した面持ちで立ち上がる二人。

「すみません、華織さん。バタバタしてしまって」

「では、また今度お時間のある時にいらしてくださいね」

 華織が微笑むと、インバーターの二人は名残惜しそうに挨拶をして部屋を出て行った。


  *  *  *


「華織さま。西川さまがお見えでございます」

「お通ししてちょうだい」

 お手伝いがリビングのドアを広く開けると、西川麻那が静かに礼をしながら、ゆっくりと部屋に入った。

「失礼いたします、華織さま、躍太郎さま。急にお時間を取っていただき、申し訳ございません」

「いいのよ、麻那ちゃん。堅苦しい挨拶は抜き。さあ、こちらへどうぞ」

 華織に言われてソファーに歩み寄った麻那だったが、躍太郎の隣に男性がいるのに気づき、少し足を止めた。


「えーと、麻那ちゃんは初対面だったかしら。こちら、一条誠さん」

「あ…はい。初めてお目にかかります。西川麻那でございます」

「一条誠です。初めまして」誠が立ち上がり、深々と頭を下げた。「西川さんということは、重治先生の…?」

「はい。孫です。…あの、華織さま。もう、華織さまのほうには伊勢から話が行っていたんですか? それでわざわざ一条さんを?」

「…何のことかしら?」

 首をかしげる華織を、困惑した様子で見つめる麻那。


「誠くんは、仕事の打ち合わせで来てもらってたんだよ。…正確には、紗由がね、悠ちゃんの件で、誠くんを呼んでくれと言うものだから、打ち合わせ場所をここに変えてもらったんだ」躍太郎が説明をする。

「じゃあ、伊勢からの通達とは関係がないんですね。でも、悠斗の件というのは?」

 不安げに躍太郎を見つめる麻那に、華織がやさしく微笑みかける。

「まずは座ってちょうだい。さあ」

「あ…失礼いたしました」誠の正面に座る麻那。


「伊勢からの通達というのは、僕が関係しているんでしょうか?」誠もまた、わけがわからぬと言った様子で麻那に尋ねた。

「はい。…あの、神命医の件はもうお聞き及びでいらっしゃいますよね?」

「え?」

「どういうことかしら、麻那ちゃん」

「あ…。えーと…」

 華織も誠も知らなかったことを知り、話していいものかどうか、戸惑う麻那。


「いいわ。話して。あなたのところに伊勢から話が行っているということは、こちらにも遅かれ早かれ話は伝わるわ。それに、あなたはそのことを相談しに、わざわざ京都から私のところにいらしたのでしょう?」

「は、はい」うつむく麻那。

「じゃあ、お話、聞かせていただこうかしら」

 華織が言うと、麻那はゆっくりと頷いた。


  *  *  *


「じゃあ、麻那ちゃんを一条家の神命医にということなのね?」

「はい。まだ…祖父は了承しておりませんが」

「まあ、そうよねえ。重治先生を指導医につけるとしても、いろいろあるでしょうしねえ…」腕を組み、ため息をつく華織。

「ちらっと噂にうかがっておりますけど…やはり神命医で勢力争いがあるんでしょうか」誠が皆を見回す。

「そういうことね、誠さん。重治先生があと2年程度で引退すると公言されたのが半年前。その後の勢力図を塗り替えようとして、いろんな方が暗躍していらっしゃるわ」

「…うちもその暗躍の一端に組み込まれているというわけですね」無表情に言う誠。


「申し訳ありません。余計なご心配をおかけしまして」麻那がすまなそうに頭を下げる。

「いえ、麻那さん。あなたの責任ではありません。ですが、その話、麻那さんご自身は、どうお考えなんでしょうか」

「…一条家の神命医になるには、やはり上級神命医を拝命しなければと思います。私は医師資格を取ってから5年。まだ2年足りないんです。祖父がその間、指導に当たってくれなければ、実際のところ反対する声も上がるかと」

「では、僕から重治先生にお願いしましょう」

「一条さんから?」

「誠さんは麻那ちゃんに大徳寺先生の後をお任せしたいとお考えなのね?」華織が言う。


「あまり大きい声では言えないのですが、元々、母が大徳寺先生とは相性がよくありません。澪の治療方針を巡って意見が合わなかったと言いますか…。

 日本にいた時も、大徳寺先生に診ていただくことはほとんどありませんでした。今はハワイ在住ですから、向こうで日系人の女医を主治医にしていますし。

 …ただ、母がいくら反対しても、父が先生を手放しませんでしたので、まあメインは“命”であった父と、現在“命”である僕ですから、現在に至っているというわけで。

 ですが、伊勢の命令で大徳寺先生が養成機関にまわられるというのなら、父もやむなしと判断するでしょう。元々、父は一条家を重治先生にお任せしたいと考えていたようです。まあ…重治先生は九条家の面倒を見るのに回られてしまいましたが」


「実は九条家のほうは、3年前、実質的には花園先生にお渡ししました」麻那が言う。

「ああ、大徳寺先生の一番弟子ですね。花園先生は若先生のほうですか?」

「はい、そうです。大先生は、この何年か、若先生にお任せのようです」

「西のほうは大徳寺派の台頭が目覚しいようだね」

「あの方たちは正直苦手だわ。花園の若先生には伊勢で“調整”してもらったことがあるけど、途中で止めていただいたの」

「途中で…ですか?」驚く誠。「それは経験がありません。大丈夫なんですか?」

「どうということはなくてよ、誠さん。まずは相手の中にある私の情報を取り出して、調整自体の記憶を封じる。それから自己調整するだけ。ついでに相手の情報もついてきたりもするから、ちょっと煩わしさはあるんだけれど」


「…さすがは華織さん。医者要らずですねえ」誠が笑う。「ですが、そんなに下手というのも考え物ですね」

「正確に言うと、下手じゃなくて、不安と恐れを抱えているという感じかしら。そんな医者に自分の体を任せられないでしょう?」

「華織さんほどの“命”を診た事がなかったのでしょうね。で、その後の調整はどうなさったんですか?」

「東京に戻ってから、麻那ちゃんのお姉さんの未那ちゃんに調整してもらったわ。若い人の言葉で言うと、“超キモチイイ”って言うのかしら。そんな感じよ」


「相性というのは、やっぱりあるんでしょうね。もしかしたら、母が大徳寺先生たちを避けていたのは、母なりの感応性から来るものだったのかもしれないですね…」

「お母様はご自分を守られただけなのよ、きっと。大徳寺先生の行き過ぎた野心というのは、細胞が感じ取るわ。いい影響は及ぼさない。伊勢が大幅な担当替えを言い出したのも、そういう部分があるのかしらね…」華織が腕組みする。


「やはり重治先生が現場から抜けられるというのは、大きいことですよね。僕も父が“命”だった頃に一緒に診ていただきたかったなあ」誠が残念そうにつぶやいた。

「でもそうお考えなら、麻那ちゃんはまさに後任にぴったりだわ」微笑む華織。「彼女は、この若さで重治先生の手法を忠実に受け継いでいると評判ですもの」

「華織さま、買い被りですわ」麻那が恥ずかしそうにうつむく。

「いやいや、誠くん。ちょっと調整してもらってみるといい」躍太郎が大きく頷いた。

「…そうですね。両親に僕の意見を言うにしても、先に診てもらっていたほうが材料になります」

 誠が麻那に向かって微笑みかけると、麻那は静かに立ち上がり、誠の前に膝まづき、誠の眉間にそっと右手を伸ばした。


  *  *  *


「おばあさま! とうちゃくしました!」

 紗由が敬礼のポーズをしながらリビングに現れると、華織はじっと紗由の姿を見つめた。

「紗由…もう、何なの、急に」

「みなさん! おはなしがあって、きました!」

「おや、紗由ちゃん。沖縄以来だね。お久しぶり。今日も世界一可愛いお姫様だねえ」紗由と握手しようと手を差し出す誠。

「誠おにいさん、麻那おねえさん、こんにちは」誠の手を握りながら、二人ににっこり笑う紗由。「誠おにいさん、どうして、いつもの3ばいくらい、あかるいんですか?」

「いや、別にそんなことは…」


「誠さんはね、今とっても気持ちよくて、ちょっとテンションが上がっちゃってるのよ」華織がふふふと笑う。

「やっぱり、およめさんがいっしょだからですか?」

 唇をきゅっと結びながら、紗由が麻那をじっと見つめると、麻那は誰か他にいるのかと、きょろきょろ辺りを見回した。

「紗由、それはどういうことだい?」躍太郎が紗由の顔を覗き込む。

「悠斗くんが、ゆめをみたんです」腕組みをする紗由。「麻那ちゃんが、およめさんドレスをきていました」

「あら。麻那ちゃんが?」

「それで…奏子ちゃんが、おはなをまくかかりをしていました」華織をキッと見上げる紗由。


「まあ、それって、お相手は誠さんね」

「僕…ですか?」

「他に誰がいるっていうの? 通常フラワーガールは親戚の子や、ごく親しいお家の子が勤めるものよ。疾人さんは一人っ子だし、響子さんのご兄弟は結婚済みでしょう。

 大体、奏子ちゃんは誠さんの結婚式でフラワーガールをやる気満々なの、誠さんだってご承知でしょう?」

「は、はい…」麻那の反応を気にする誠。


「華織さま。一条さん、お困りですわ」

「ああ、それで悠ちゃんが落ち込んじゃったのね。悠ちゃんは、麻那ちゃんをお嫁さんにしたいんですものね…」

 麻那の言葉などまるで聴いていないかのように華織が深く頷く。

「そうです。悠斗くんは、すごくしょんぼりしていて、たんていじむしょのひみつかいぎも、とまってるんです」

「悠ちゃんは、今どうしてるの?」

「さゆのおへやです。みんなは、いま、いっしょうけんめい、悠斗くんをなぐさめてますけど、だめなんです」


「あの、私、悠斗を迎えに行ってきます」

「誠おにいさんもきてください。悠斗くんは、てじながだいすきです。おにいさんががんばってくれたら、げんきになるかもしれません」

「うん。わかったよ、紗由ちゃん。…すみませんが、僕はお屋敷のほうへおうかがいしてきます」

「わかりました。私たちも参りましょう、躍太郎さん」

 華織は呼び鈴を鳴らし、車を用意するように使用人に言いつけたが、それを聞いていた紗由が、使用人に言った。

「くるまは、いらないです。はしって5ふんですから。おばあさまも、おてつだいさんを、そんなことでよばないでください。よういしているあいだに、とっくにおうちにつきますよ」

「それはそうかもしれないけど…」

 華織が不服そうに口を尖らせたが、紗由はそんなことにはおかまいなしに、麻那の手を取り、部屋から走り出た。


  *  *  *


「悠斗!」

 麻那が紗由の部屋に入ると、振り向いた悠斗の顔がぱーっと明るくなった。

「まなちゃん!」

 すぐに抱きつく悠斗を、麻那が抱えあげて頭を撫でた。

「まなちゃん、なんでいるの?」ぎゅーっとしがみつく悠斗。

「えーと…悠斗に会いたくなったから」

 麻那の言葉に嬉しそうに笑う悠斗を横目に、紗由は探偵事務所のメンバーにささやいた。

「充くん、未那せんせいをよんでくれましたか?」

「はい。そろそろつくでござるよ」


「奏子ちゃん。悠斗くんと、ろうかでかけっこをしてみましたか? ごきげんがよくなりましたか?」

「したんだけど…」

「奏子ちゃんがはやすぎて、おいつかなくて、悠斗くん、ないちゃったの」真里菜が言う。

「ごめんなさい…」すまなそうにうつむく奏子。

「まりりんは、みんなにあたらしいTシャツをあげるんでしたよね。悠斗くんのは、どうなりましたか?」

「うーん。ピンクはいやだっていうの。悠斗くん、いろがしろいから、パステルカラーがにあうのに…」口を尖らせる真里菜。

「恭介くん、悠斗くんに、てじなをやってみましたか?」

「…やったけど、あんまりうまくいかなかった」

「ゆびから、たまがポロポロっておちちゃったの」真里菜が言う。


「ふう。さくせんは、ぜんぶしっぱいですね」ため息をつく紗由。「じゃあ、誠お兄さん。ほんかくてきなのを、おねがいします」誠を廊下へ連れて行く紗由。

 誠は開いたドアの影で自分のカバンを開け、道具を確認する。

「ねえ、紗由ちゃん。悠斗くんが僕を麻那ちゃんのお婿さんだと思ってるなら、僕がやるのはどうなんだろう」

「だいじょうぶ。それはまだ、ばれていません。奏子ちゃんたちに、くちどめしてあります」


 誠がジャケットを着替えていると、廊下を女性が早足で歩いてきた。未那だった。

「あ、未那せんせい!」紗由が叫ぶ。

「充くんから、悠斗が一大事だって…」

 心配そうな未那に、傍らの誠が事情を説明した。


「そういうことですか…」気が抜けたように息をはく未那。

「何か、すみません。お騒がせしてしまって…」

「いいえ。悠斗の夢のせいで、一条さんにもご迷惑をおかけしてすみません」未那が頭を深く下げる。「ですが、この 問題は3分で片付けますので」

 そう言うと未那は、紗由の部屋へ入っていった。


  *  *  *


「悠斗!」

「あ。ママ!」

 身体を曲げ、麻那に抱かれたまま、未那に腕を伸ばす悠斗。

 麻那がそっと未那に悠斗を渡す。

「ひどいわ、悠斗」怒った顔で悠斗を見つめる未那。

「なんで…?」

「何でって、悠斗はママをお嫁さんにするんでしょう? 麻那ちゃんがお嫁さんになっちゃうからって、どうしてそんなに、しょんぼりさんになるの? ママがいるのに、どうして?」

「えーと…」困った顔で未那を見つめる悠斗。

「そう。わかったわ。悠斗はもう、ママのこといらないのね」

「いる! いるよ!」

 未那が悠斗を床に下ろすが、悠斗は泣き顔で未那にしがみつく。

「およめさんは、ママだから!」


「じゃあ、麻那ちゃんがお嫁にいってもいいわね?」

「……」

「そう。やっぱりママより、麻那ちゃんをお嫁さんにしたいのね。わかりました。バイバイ」

 スタスタと歩き出す未那に向かって大声で泣き出す悠斗。

「まなちゃんとは、わかれるから! およめさんは、ママだから!」

「そう?」とびきりの笑顔で振り向く未那。「じゃあ、ママといっしょに、おうちにかえりましょう」

 未那は再び悠斗を抱き上げると、誠と紗由に頭を下げ、麻那にウインクすると、その場を立ち去った。


  *  *  *


「いやあ、見事な実力行使ですね。ものの1分だ。でも、麻那ちゃんとは別れるからって…ああいう言葉、あんな小さい子がどこで覚えるんでしょうねえ」

 感心する誠に、麻那が恐縮したように頭を下げた。

「本当にお騒がせしました」

「まあ、これで一件落着ですから」

 高らかに笑う誠に、紗由が厳しい声で言う。

「誠おにいさん。なにもかたづいていませんよ」

「え?」

「奏子ちゃんが、おはなをまくかかりをするかどうかの、せとぎわなんです!」

「紗由ちゃん。せとぎわってなあに?」真里菜が尋ねる。

「わかんないけど、こわいおかおでつかうことばだよ」

「えーと、せとぎわっていうのはね…」

 したり顔で説明しようとした恭介だったが、紗由の言葉に遮られる。


「悠斗くんが麻那ちゃんとわかれたんですから、ちゃんと、麻那ちゃんをおよめさんにしてもらいませんとね」

 みるみるうちに恭介の目に涙が浮かぶが、紗由はそれも気に留めない。

「そうだよねえ。奏子ちゃん、とってもたのしみにしてるんだから」真里菜が同意する。

「いや、あの、でもね。麻那ちゃんと僕は、さっき初めて会ったばかりだから…」

「うちのパパは、はじめてママにあったときに、およめさんにするってきめました」きっぱり言う奏子。

「おみあいのひとって、みんな、そうだよねえ」

「まあ、はじめては、りゆうにならぬでござるな」


 子どもたちの追及に、誠と麻那が困惑していると、部屋のドアが開き、華織が入ってきた。

「あら? 悠ちゃんはどこ?」

「おばあさまが、ゆっくりしているあいだに、ママといっしょにおうちにかえりました」

「おや。一足遅かったね、華織」

「…で、どうなったのかしら、例の一件は」不機嫌そうに確認する華織。

「誠おにいさんと麻那ちゃんのとうべんをきいたら、ぎけつをとりたいとおもいます」

「まさか二人のこと、多数決で決めるの?」

「みんしゅしゅぎですから。では、さゆのほうから、だいひょうしつもんをしたいとおもいます。麻那ちゃんは、ほかにフィアンセがいますか?」

「い、いませんが…」

「誠お兄さんにはいますか?」

「いませんけど…」


「じゃあ、なんのもんだいもないですね」

「ねえ、紗由ちゃん。麻那ちゃんて、きょうとにおうちがあるんでしょ? えんきょりれんあいはねえ、たいへんみたいだよ。梨緒ちゃんが言ってた」

「まあ、その点は心配ないわね。麻那ちゃんは、今度、お仕事で東京に住むから」ぽつりとつぶやく華織。

「じゃあ、なんのもんだいもないですね」繰り返す紗由。

「でも、紗由。誠さんと麻那ちゃんの気持ちはどうなるの? そこが一番大事でしょう?」


「…奏子ちゃん。石にきいてみてください」紗由が指示する。

「はい!」

「まりりんは、ふたりのにおいをかいでみて。およめさんと、おむこさんになるかどうか、しらべてください」

「はい!」

 奏子はリュックから水晶を取り出し手に握り、真里菜は誠と麻那の周りをぐるぐると回り始めた。

「どうですか、ふたりとも。なにかわかりましたか?」

「誠おにいさんは、麻那おねえさんを、とってもきにいってます」

「麻那おねえさんも、おにいさんをきにいってるにおいがする」


「わかりました。では、ぎけつにはいります。麻那ちゃんが、誠お兄さんのおよめさんになるのに、さんせいのひと、手をあげてください」

 子どもたち全員が手を上げる。

「では、ぜんいんいっちで、麻那ちゃんはおよめさんにきまりました」

「紗由、あなたたちが勝手に決めるなんて、おばあさまは反対よ。大体、二人とも、婚約者がなくても、恋人くらいいるかもしれないんだし」

「うーん」

「どうする、紗由ちゃん。“命”さまがダメっておもってるのは、きっとダメだよ」

 大人といることが多い真里菜は、空気を呼んで意見を翻すのも早い。


「…まりりん、奏子ちゃんのおはなまくかかりは、ほかのひとのにしよう。和歌菜おばさまに言って、また、かわいい子のしゃしん、いっぱいもらってきて」

「紗由ちゃん。もうお見合い写真は要らないっていうか…」訴えかける誠。

「わかった。もらってくるね。ふたりが、どうしてもいやなら、しかたないもんねえ」

「いや、別に、どうしても嫌なんてことは…」口ごもる誠。

「あの、私もそんな…」麻那も小声でささやく。

「じゃあ、このはなしは、おしまいにします。奏子ちゃん、もうちょっと、まっててね。紗由たちがなんとかするから」

「うん。奏子、まってる」

 しょんぼりした様子で小さくつぶやく奏子を見て、誠が心配そうな顔になる。


「か、奏子ちゃん、あのね…」

「あ、紗由ちゃん、そろそろ梶せんせいがくるじかんだよ。プールにいかないと!」真里菜が時計を見て叫んだ。

「そうだね。きがえて、じゅんびたいそうしよう。奏子ちゃん、げんきだしてね。プールでおよげば、ストレスかいしょうになるよ」

「うん…。奏子、がんばって、恭介くんにのぼってジャンプする」

「ええ…」再び泣きそうになる恭介。

「じゃあ行くよ、みんな。それでは、みなさん、ごきげんよう」

 紗由たちは、おじぎしながら部屋を出て行き、紗由の部屋には、中途半端に放り出されて消化不良になっている感の大人4人が残された。


  *  *  *


 華織宅のリビングに戻り、一休みしていた4人だったが、しばらくの間、どことなくぎくしゃくした雰囲気になっていた。

「誠くん。今晩、夕食を一緒にどうかな」

「あ、はい。ご一緒させていただきます」

「麻那ちゃんも一緒よ」微笑む華織。

「未那ちゃんや村上先生も呼ぶかい? 神命医の担当替えは、他の先生たちにも波及しそうだ。意見を聞いておいたほうがいいかもしれない」

「そうですね。姉は今、フリーの神命医みたいな立場を許されていますけれど、私が一条家にということになったら、姉が西園寺家のセカンドドクターになって、村上先生は他家の指導医も兼ねるという話にもなるかもしれません」


「西園寺家は排出率が高くて、双子ちゃんたち含め、診る人数もこれから増えますよね。本家と分家に一人ずつというパターンもありうるでしょうね」誠が言う。

「ええ。そうなの、誠さん。私は双子ちゃんが生まれた時に、伊勢にそう打診しているの。でも、それからしばらくして、重治先生が2年でリタイア宣言されて…何か少し責任を感じてしまってもいるのよ」華織が珍しく殊勝な物言いをする。

「それは偶然ですわ、華織さま。祖父が実働部隊のトップでいるのには、そろそろ体力的に無理があります。バックヤードで育成指導側に回ったほうが、神命医全体のためですから」


「僕もそう思います。重治先生が築かれたこの体制を維持するためにも、もっと関係者皆で、この先の問題を考えなければ。もちろん、一条家としても、できることはさせていただきます」

「ありがとうございます」微笑む麻那。

「いや、これからお世話になるわけですし、麻那さんが少しでも仕事がしやすい環境を考えるのも僕の役目です」

「そう言っていただけると、少し気持ちが楽になります。やはり名家の担当を任されるというのは、ありがたい反面、不安もありましたから…」

「いやいや、麻那さんの調整、すばらしかったです。正直、大徳寺先生より波長が合いそうというか、心地いい調整でした」

「恐れ入ります」


 話がはずむ二人を横目に見ながら、華織が躍太郎に囁く。

「悠ちゃんの夢、やっぱり当たりかも」

「そうだな」くすりと笑う躍太郎。

「じゃあ、村上先生に連絡してこよう。ここは、ちょっと電波の入りが悪い」

「そうね。じゃあ私は未那ちゃんのほうに」

 躍太郎と華織は、誠と麻那を残して部屋を出て行った。


  *  *  *


 恒例のシンクロのレッスンが終わったが、紗由たちはまだプールで遊んでいた。

 この後、保の依頼による“仕事”に応じないといけなかったからだ。保が到着するまで、周子が雑誌記者とプールサイドで慌しくセッティングを進めている。

 シンクロを教えている梶先生はレッスンが終わると、すぐに切り上げたため、大垣夫妻が子どもたちの様子を見守っていた。


「ねえ、紗由ちゃん。梶せんせい、保せんせいが来るのしらないから、ぴゅーってかえっちゃったねえ。言わなかったのバレたら、このつぎ、おこられるかなあ」浮き輪に入り、パシャパシャと足をばたつかせる真里菜。

「ざっしができたら、せんせいにあげておくよ。サインつけて」紗由も足をばたつかせた。

「かえって、よろこぶでござるな」ニヤリと笑う充。

「せんせい、いりぐちのドアがひらくたびに、シンクロのしあいの人みたいなかおで、ふりむくよね。あれ、保せんせいかもって、おもってるのかな」

「こいするおとめごころってやつね」

 物知り顔で真里菜が頷くと、傍らで奏子が、うふふと笑う。


「そうだ、あねご。ひめに、あしたのこと、言わなくていいでござるか?」

「わすれてた!」

「あした、なにかあるの?」紗由が浮き輪の上に身を乗り出す。

「あのね、まりりん、充くんのおみせで、セクシースパイのおしごとをするの」

「せっしゃも、にんじゃのしごとを」

「わあ、すごいね、まりりん」奏子が目を輝かせる。

「なにをスパイするの?」恭介が尋ねた。

「パパと雄飛おじちゃま」

「さんかくかんけい…?」奏子が両手で口を押さえる。

「マドモアゼル、あねごに、えいきょうされすぎでござるよ。瑞樹どのは、直哉どのとちがって、そんなことはなさらぬゆえ」

 和歌菜を巡り、勝手に三角関係の相手と思っている直哉に対し、充は手厳しい。


「じゃあ、どうして?」

「パパがね、きのう、おじちゃまと、あやしーいにおいのする、おでんわしてたの」真里菜が眉をひそめながら言う。「子どもたちに、なにかあったらたいへんだとか、そいつらはなにをもくろんでいるんだ、とか」

「…それは、とってもあやしいですね」紗由が腕を組む。

「それにきょう、せっしゃがこちらへくるまえ、あねごのパパどのが、みせにきたのでござるよ。こしつのよやくをしに」話に割り込む充。

「いとことのむって言ってたんだって。だから雄飛おじちゃまのことだとおもうの」

「そんなにあわてて会わないといけないような、たいへんなことなんだね…」恭介も興味深そうだ。


「夕紀菜おばさまはいかないの?」紗由が尋ねた。

「ママはあしたのよる、おにいちゃまといっしょにおしごとなの。だからね、かわりに、まりりんがさぐろうとおもって」

「パパに、いっしょに行くって言えばいいじゃない」

 恭介が言うと、真里菜はぎろりとにらみつけた。

「言ったにきまってるでしょ? でも、ダメだって言われたから、スパイするんじゃない」

「なんで、まりりんのこと、つれていけないのかなあ」奏子が首をかしげる。

「まりりんに、きかせたくないはなしなんでしょう」物知り顔で答える紗由。

「ねえ。子どもたちってことは、まりりんだけじゃないよね」


「恭介くん、いいところにきがつきましたね!」紗由が力を入れて言う。

「もしかして、ここにいるみんなもかなあ」4人を見回す奏子。

「奏子ちゃん、いいところにきがつきましたね!」さらに力を入れる紗由。

「じゃあ、しらべないといけないよね。紗由ちゃん、みんなも、まりりんにきょうりょくして!」

「もちろんです。奏子ちゃんも恭介くんもいいですね」

「うん」

「はい!」


「でも、どうするの? みんなで瑞樹おじさまのよこにすわるの?」

「奏子ちゃん、それはムリだよ。だからね、充くんと、さくせんたてたの」

「パパどのたちがくるおへやの、となりのおへやを、ごよういしたでござる」

「まりりんたちはね、そっちから、パパたちをスパイするわけ」

「でも、こどもたちだけで、いざかやさんには行けないじゃない。だれに、ついてきてもらうの?」恭介が突っ込む。

「そこなのよ…ちょっとこまってる」うつむく真里菜。

「だれなら、いいのかなあ…」奏子が一生懸命考える。

「未那どのは、いかがでござるか?」

「あのね、タイプのおんなの子とゴウコンじゃないの!」


「うーん、うーん…」きつく腕を組んで考え込む紗由。

「どうしたの、紗由ちゃん?」近くに寄って行って顔を覗き込む奏子。

「おばあさまに、おねがいしましょう!」

「え。パパにみつかったら、どうするの? パパのしりあいは、まずくなあい?」

「スパイしたことは、どうせ、おばあさまにほうこくするんだし、たまには、おばあさまにも、たんていじむしょのおしごと、してもらったほうがいいよ」

「だいたんな、さくせんでござるな…」

「けっこう、いいかも。“命”さまには、だれももんく言えないし、まりりんもパパにおこられなくてすむよ」恭介が同意する。

「じゃあ、紗由、ちょっとでんわしてくるね。…あ、でも、じいじにはないしょね。うるさいから」

 紗由はいったんプールを上がり、リュックからスマホを取り出すと華織に電話をかけた。


  *  *  *


 未那が華織のマンションでの食事会から戻ると、すでに進が帰宅しており、工具箱のようなものから取り出した小さな機器たちを点検しているところだった。

「お帰り。…悠斗は夢の中か?」

 未那の腕の中で気持ち良さそうに眠っている息子の顔を眺めながら、進は思わず微笑んだ。

「夢の中へ行ってくれるまで、たーいへんだったんだから」口を尖らせる未那。

「どうした?」


 未那は、悠斗を寝室に寝かせてから戻ると、この半日の間に起こったことを、事細かに説明した。

「それはお疲れ様だったな。…悠斗もだけどな」苦笑する進。

「でも、悠斗が誠さんに懐いてくれて助かったわ。マジシャンて、老若男女を問わず、ポイント高いわよねえ」

「特に子どもはな」

「本当にわからないのよ。すぐ近くで見てたのに。悠斗のお皿を手で覆いながらグルグル回したら、食べちゃったはずのケーキがまた出てきたの。もう、大喜びよ」

「悠斗を喜ばせようとして、準備してくれたんだな」

「うーん。どちらかと言うと、悠斗をっていうより、麻那ちゃんをかしら」


「二人はいい感じだったの?」ふっと笑う進。

「一条家は月末から離れをリノベーションするらしいんだけど、まだ床材とか壁紙とか、細かいところの打ち合わせがこれからなんですって。

 それで誠さんが麻那ちゃんに意見を聞きたいって。

 カーテンや家具も選んでください状態なのよ。そんなのって普通、奥さんや恋人がすることじゃなあい?」

「で、麻那ちゃんの反応は?」

「明日、一条家にお伺いするんですって。あんなに嬉しそうな麻那ちゃん、久しぶり」

「展開、速いなあ」


「あの子は今まで勉強と仕事に一生懸命で、恋愛なんてろくにしてないと思うのよ。嬉しそうな顔を見てホッとする反面、大丈夫なのかなって。

 だって誠さん、モテるでしょうし、女性がたくさんいそうじゃない?」眉間にシワを寄せて進を見る未那。

「そうでもないんじゃないか」

「どうして?」

「彼は、ご両親がハワイに行かれてからずっと、心の病を抱えた澪さまの面倒を見るので手一杯だったんじゃないかな」

「でも、もう澪さまは嫁がれたわけだし、安心でしょ」

「いや、俺は喪失感のほうが大きかったと思う」

「喪失感…」

「同じグループのお世話になっていた“命”が亡くなり、責任感も重くのしかかっていただろうしな」


「そうね…。あの事件の直後は、もう全体的に失意で覆われていた気がしたわ。私が診てきた“命”たちも、伊勢も」

「それに、久我の大奥様がまだ縁談を持ってくるということは、今現在、目障りな女がいないということじゃないのか?」

「そう言われればそうね。事前調査がけっこう厳しいみたいですものね、久我さま」笑う未那。

「だから、しばらく見守ろう。誠さんのことは、華織さまも高く評価していらっしゃる。何かありそうなら、“弐の命”が必要に応じて神の言葉を受け取ってくださるさ」

 進の言葉に、未那は安心の笑みを浮かべた。


「…ところで進ちゃん。何でそんなもの出してるの?」

「明日使う」

「華織さまのご依頼…?」

「まあ、そんなところだ。正確には、西園寺保探偵事務所からの依頼。明日の17時から“さけみつる”で瑞樹さんと従兄弟の雄飛さんが会うらしい。

 まりりんちゃん曰く、パパと雄飛おじちゃまが怪しい電話をしていて、子どもたちに何かあったらとか、そんなことを言ってたらしい。

 まりりんちゃんは、その会合に同行したがったんだが、瑞樹さんに却下されたので、独自にスパイ行動をすることにしたようだ。

 結局、紗由さまから華織さまに、保護者として同行してくれと依頼があり、必要な機器をこちらで揃えて設置することになった」


「それって…華織さまにスパイをさせるわけ?」目を見開く未那。

「本人が乗り気なんだから仕方ないだろ。面倒そうな口ぶりだったが、声のトーンが明るかった」

「わかるわ。それって遠足前日に、リュックにお菓子をしまい込む時の面倒くささよね」

「おまえ、喩えのレベルが紗由さま化してるぞ」

 うつむいて笑う進を見て、未那は軽く唇をかむと話題を変えた。


「…そう言えば、誠さんが、明日の夕方、いい石が手に入りそうなので、そのままお持ちしましょうかって聞いたら、急な仕事の依頼があるからって、断ってたわ。そのことだったのね。

 私はてっきり、ジュエリーデザインのお仕事のほうかと思ってたんだけど…」

 華織の世間的な職業はジュエリーデザインや彫金の仕事だ。ここしばらくは、“命”の立場を通じて知り合った誠が宝石商をしている関係で、原石を誠から仕入れてアクセサリーに仕上げていた。

 料理の千切りは苦手な華織だが、アクセサリー作りの時は、それこそ神が降りてきたかのように細かい作業をてきぱきとこなす。西園寺家の七不思議のひとつだ。

 そして、“Ms.Tricky”こと華織の作品は、その鮮烈な印象だけでなく、持っていると幸運に恵まれるという噂、紹介者がある人間にのみに提供していること、作品数がさほど多くないことなどもあり、知る人ぞ知るレアアイテムとなっていた。


「まあ、そっちの仕事にも。そろそろ時間をかけたいんだろうけどな。ここのところ、沖縄の一件でバタついてたし、注文がたまってるみたいだ」

「総理の実姉だなんて知れたら、それこそ注文殺到よね」楽しそうに微笑む未那。

「そうだな。今のところ、“Ms.Tricky”は30代前半の謎の美女という設定らしいが」

「躍太郎さま、やり手でいらっしゃるわよねえ。西園寺家の財産、倍々ゲームで増やしている感じっていうか」

「元は、華織さまの楽しみを充実させる場を提供したかっただけなんだろうけどな。華織さまが売ってみたいとおっしゃってからは、まあ、推して知るべきだ」

「いいわよねえ。そういう夫婦愛」

「そうだな」

 進は微笑むと、手元の機器を丁寧に拭き、箱の中へしまった。


  *  *  *


「大谷、清子のほうの件はどうなってる」

九条家の当主にして“命”の九条清隆は、いらついたように命宮の大谷慎也に問う。

「申し訳ございません。幹也はまだ会えていないようで…」

 幹也とは大谷の息子で、一年前に清隆と喧嘩別れした清子を探しに東京に出ていた。

「このままでは、清子への教育がなあ…」

「もちろん今後も鋭意努力いたします。ただ、伊勢から何か通達があった時に供えて、前もって伊勢に史緒さまをお連れし、精査していただいたほうがよろしいのでは…」

「史緒が小学校に上がる前に、何とかするんだ」

「承知いたしました」

 大谷は深く頭を下げ、九条が部屋を出て行ったのを確認すると、スマホを取り出した。


  *  *  *


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