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その18


 公開練習の翌日、フィットネス・イマジカ隣の2階建てカフェには、進と星合の姿があった。

 隣と言っても、ここも躍太郎の経営する店舗の一つである。フィットネスは紹介状の要る会員制だが、こちらは一般人でも入ることができる。


「すまないね。忙しいところ」

 フィットネスにいた進を呼び出した星合は、軽く頭を下げた。

「いえ。大丈夫です。今日はトレーナーではなく、一会員として体を動かしに来ただけですから」

「昨日もかなり体を動かしたんじゃないのかい? トラブル続出だったようだし」

「子どもたちが集まれば、いつものことです。ですが、奏子ちゃんに何事もなくて幸いでした」

「…聞いたよ。龍くんの判断力には恐れ入った。うちの若君はまだまだだ」

「急がせる大人から見れば、そうなのでしょうか」進が紅茶をすする。「むしろ龍さまよりも、子どもらしい順当なご成長ぶりかと思われます」

「なら、いい」


「それで、今日はどうなさったんですか?」

「二条崇親の動きに気をつけてくれ。まあ、華織さんはすでに察知していらっしゃると思うが」

「二条崇親というと“禊”の先代薙ぎ主ですか?」

「ああ。四辻先生がね、昔ちょっと知り合いだった。友だちにはなってもらえなかったようだが…」

「わかりました。申し伝えます」進が頭を下げる。「で、あなたさまは、その動きをどう捉えていらっしゃるのですか? 今後どうなさるおつもりなのでしょう?」

「…機が熟すまで見守ることにするよ」

「“命”修行中の御子様方はともかく、大人たちにも“見守り”がブームなんでしょうかねえ」


「その言い方…」苦笑しながら進を見つめる星合。「君は私が嫌いかい?」

「今ここで、愛の告白をお望みでしょうか」背を逸らし、星合を見つめ返す進。

「いや。遠慮しておく。時間を取らせて済まなかったね」

「いえ。失礼いたします」

 進は立ち上がり頭を深く下げるが、エンタランスまで送ろうとはしない。

 そして、星合が去っていく姿を、階段の踊り場からじっと見つめている人間がいた。華織だった。

 進が気付いて見上げ、軽く会釈すると、ゆっくりと階段を下りて来た。


「ねえ、進ちゃん…」

「ここで、その呼び方は…」声を潜めて華織の耳に口を近づける進。

「…ごめんなさいね、高橋さん」華織が微笑む。「少し動揺してしまったわ」

「何か御用でございますか、奥様?」

「ええ」華織がピンと背筋を伸ばす。「二条智親さんにお会いできるよう、手配していただけないかしら」

「承知いたしました」

 進は深く頭を下げ、華織が立ち去った後もしばらくそのままでいた。


  *  *  *


 公開練習の翌朝、紗由との約束を守るため、二条智親は部下と共に公園へ来ていた。

「ここでよろしいですか?」

「ああ。ポケットから貴重品は抜いておくように。先方から要求があったら別途渡すとしよう」

「はい」

 部下が藤原たちのスーツのポケットをまさぐっていると、二条の前に中山弾が現れた。

「二条智親さまですね?」

「…あなたは?」

「西園寺華織から伝言を申しつかって参りました」


「西園寺の“命”さまから…? 何でしょうか」

「明日、同時刻、この場所でお会いしたいと」

「西園寺の“命”が私に会いたがっているということですか?」

「はい。左様でございます」弾が頭を下げる。

「…なぜです?」

「我が主は、あなた様をそちらのトップと見込んでおります。その上でご相談があるとのことでございました。詳細は明日、直接ご確認くださいませ。それから貴重品はここで預からせていただきます」

 二条の部下から貴重品を受け取った弾は、さっきより深く頭を下げると、その場を後にした。


  *  *  *


「なぜなのかい? 禊のトップは、薙ぎ主のこの私のはず。それがなぜ内裏方をトップと見込むのだい?」

 二条実親は、今朝、智親に同行した部下からの報告を聞き、いらだった様子で問い詰めた。

「私にはわかりかねますが…」

「内裏方は何と言っていた。会うことにしたのかね」

「内裏方さまは何もおっしゃいませんでしたので…」


“内裏方はなぜ自分から報告してこない…。

 昨日、私が先代から、しばらく表に出るなと言われた件も、彼は何も知らないと言ったが、そうではなかったのか。まさか私を裏切って自分がトップにと画策を?

 西園寺の“命”はそれを知り、彼をトップと認識しているとでも?”

 実親は机の上で指を何度も動かしながら考えた。

“私の正体を知られてでも、西園寺華織に会いに行くべきか…”


「おまえはどのように思う? トップに会いたいと先方が言うなら、トップが直接うかがうべきだろうかねえ」

「は、はい。トップは薙ぎ主さまでございます」

「では、この私が行こう。おまえは明日のその時間、内裏方を足止めしておくように」

「は、はい…」

 部下は実親と目を合わせぬようにしながら一礼すると、部屋を出て行った。


  *  *  *


 翌朝、紗由がイマジカ前の公園まで出かけようと、運転手の高岡にその旨依頼をしに高岡の控え室まで出かけると、そこに高岡の姿はなく、待っていたのは華織だった。

「紗由。高岡さんに何の用事かしら?」

「おやつを、くばりに…」

 一人で出かけようとしたのを咎められると思ったのか、紗由はわけのわからない言い訳をする。

「そう。じゃあ、おばあさまが渡しておきます」

 手を差し出す華織に、紗由は慌ててポケットからチョコを出す。


「あ、そうそう。公園の悪者は回収しておきました」

「え!?」

「恭介くんたちを襲った悪者は、ちょっぴりケガしていたし、頭の中がぐるぐるしちゃってるみたいだから、病院に送りました」

「えー…ぼっこぼこにしちゃったの? 紗由がするって言ったのに…」

「紗由が会ったおじさんは、その悪者を、ぼっこぼこにはしていません」華織が微笑む。「でも、“おまけ”を付けてくれたみたいだから、そちらは紗由の好きにしてかまわなくてよ」


「おまけ?」紗由の目が光る。「おまけは、いいですね!」

「しかも、悪者を操る悪者よ。悪者の子分じゃなくて親分のほう」

「うわあ…。おばあさま、どこまでやっていいんですか?」

「紗由は、どこまでやりたいの?」

「みんなとおなじくらい、こわくなってほしい」キッパリとした口調で紗由が言う。

「ナイフの小父さんは、正義の味方に退治された時、おもらししちゃうぐらい怖かったみたいよ。親分も正義の味方に頼みましょうか?」


「あのね、紗由、おもうんだけど…」紗由がニッコリ笑った。「ケガするよりもね、ケガするかもって、ずーっとずーっとおもうほうが、こわいとおもうの」

「…なるほどね」

「賢ちゃんのおへやのえいがもそうだったよ。わるいやつはね、ずーっと、おばけやしきの中みたいに、こわいままなの」

「紗由。また賢ちゃんのお部屋で勝手にモニタを使ったの?」

「ちがうもん。にいさまといっしょに見たんだもん」

「…そう。まあ、いいわ。後で悪者に会わせてあげます。どうしたら、そいつがずーっと怖がるかを、皆と相談なさい」

「はーい」

 紗由は、華織の手に渡ったおやつを取り戻すと、部屋へと走っていった。


 華織は通話状態になっているスマホをサイドテーブルから手に取った。

「藤原さん、聞こえまして?

 あなたが子どもたちを襲わせた証拠がこちらにある以上、警察にも行かれませんわよね。子どもたちが、いつ何をするつもりかは知りませんけど、親分なんだから子分以上の扱いにしてさしあげるのは確かだと思いますのよ。どうぞお楽しみに」


 華織に電話を切られた藤原の、傍らの病室のベッドでは、関節を固定され、時折悲鳴を上げながら震える実行犯の姿があった。実行犯の頭には、ボスに自分を始末しに行かせるという、進の言葉が何度も甦っていたからだ。

 そして、そんな実行犯を目の前に、藤原はこれから自分の身に起きることを想像し、青ざめるしかなかった。


  *  *  *


「ご無沙汰しております。二条部長」華織を待っていた二条実親に華織が声を掛けた。「…ではなくて、薙ぎ主さま」

「私のことをご存知なので…?」

 華織は、驚く実親を気の毒そうに一瞥する。

“相変わらず、品はいいのに頭が悪いし、力もないのね…”

「内裏方さまは、いらっしゃらないのですね。では、失礼いたします」

 くるりと踵を返す華織にあっけを取られていた実親だったが、慌ててその後を追いかける。


「お待ち下さい。禊のトップに話というのは?」

「私は、禊のトップではなく、私がトップと見込んだ方にお声を掛けたんですが」

「見込むも何も、私がトップでございますが」

「今の薙ぎ主さまのお力では、私の申し上げることをきちんと理解していただけるとは思えませんわ」

「わざわざ出向いたというのに、そんな言い分はないのでは」

「出向いてほしいと、あなたに頼んだことがありまして?」


「ですが、トップに会いたいと…」

「すでに私の話を理解できていらっしゃいませんことよ」華織が溜息をつく。「私は、禊のトップではなく、私がトップと見込んだ方にお声をお掛けしたんです」

「…内裏方は参りませんので」

「ですから私は帰ります」

「……」


「あ、そうそう。一つだけご忠告を。あなたさまのお力で、その地位にいられるのは、守ってくださる弟君ゆえと、私は理解しておりますの。そこをはき違えていると、薙ぎ主さま以上に焦りを感じ出した先代から、あっさり引導を渡されてしまいそうですわよ」

「え?」

「あらやだ。おしゃべりが過ぎましたわね。家族問題に口をさしはさむような真似をして、失礼いたしましたわ」

 華織はニコリともせずに去っていった。


  *  *  *


 清子は学校帰りに立ち寄ったイマジカの正面玄関応接ブースで、憮然とした表情で幹也に相対していた。華織から翌日の土曜日、ランチへ二人で来るようにと伝言を受けたからだ。

「私、華織さまにご心配をおかけするつもりはないの。お父様とも、あなたとも、多少ギクシャクはしているけれども、メールや電話でのやりとりはしているとご報告してあるわ」

 清子が無表情に言う。

「嘘ではありませんから。先日もお父さまからお見合いの件で留守電がありましたけど、怒っている顔と親指を立てている絵文字をメールで返信しておいたわ。やりとりにはなっているでしょう?」

「…はい」

「だから、西園寺邸では、私があなたを信頼していた頃のように振舞いましょうね」

「はい…承知いたしました」幹也が目を伏せ、頭を下げた。


  *  *  *


 翌日、ランチに招待された清子と幹也は、華織のマンションを訪れていた。

「このパスタ、絶品ですわ、華織さま。ねえ、大谷、美味しいわねえ」満面の笑みで清子が言う。

「はい。大変おいしゅうございますし…」大谷幹也が皿の上の伊勢海老を見つめ真面目な顔で言う。「正直、伊勢海老が丸まる入ったパスタというのは初めてです」

「でも…少し不思議な後味ですのね」

「今日は弟の家から料理自慢を借りてきたの。紗由のおやつも担当しているのよ。あの子、ああ見えて、量だけでなく、質にもうるさいの」

「史緒が言ってましたわ。紗由ちゃんのおうちのおやつは、ものすごくおいしいって」


「サラダもスープも美味しいですねえ。スープの後味、魚介風味が口の中に広がったままです。サラダのドレッシングもこくがあるし…いつものランチとは大違いです」

「イマジカのお給料が控えめなのかしら。ごめんなさいね」

「あ、いえそんな。平均以上のものを頂戴しています」

「私の先々の学費にと貯蓄に回していたせいですわ」つい過去形で語る清子。

「まあ、そうでしたの。甥の涼一もそうでしたわ。結婚した時、嫁がまだ大学院生でしたの。大学のあまり高くないお給料で必死に妻の学費を捻出して。でも、夫婦ってそういうものですわよね」

「西園寺さま。私は、九条家にお仕えする者としての役目を…」

 口ごもる幹也から目を逸らす清子。


「お客様がお見えでございます」

「ありがとう、お通ししてちょうだい」

「遅くなりまして申し訳ございません。本日はお招き……」

 部屋に入ってきた九条清隆が、清子の姿を見て歩を止め、すぐ後ろにいた大谷慎也は清隆にぶつかりそうになって、その前を見る。

「幹也! おまえなぜここに…」

「清子もだ。なぜここに?」

「お父さまこそ…」


「まあまあ。まずはお座りになって、お二人とも。お話はそれから」華織が席へと手で導く。「事故渋滞にはまってしまったとのお電話いただきましたので、お先にいただいております。お許しくださいましね」

「いえ、お気遣いなく」

 清隆と慎也が席に着くと、あっという間に、スープ、サラダがサーブされた。

「これは美味でございますね、西園寺さま」

「ありがとうございます」微笑む華織。「そうそう、先ほどのお二人のご質問ですけれど…清子さんと幹也さんとは、少し前にお友だちになりましたの」


「途中、居所がわからなくなったのは、西園寺さまのシールド内だったからですか」

「かくれんぼって子どもの頃から大好きですのよ」

 少女のように笑う華織に、気の抜けたように笑い返す清隆。

「息子が西園寺様の甥御さんの会社にお世話になっているのは存じておりましたが、清子さまとはなぜまた…」

「うちの命宮がね、合コンで親しくなったものですから」

「合コン!?」清隆が普通の父親の顔になる。「清子、おまえそんなものに…」

「ち、違うわ、お父さま。そういうことじゃなくて…」


「清隆さま。ただの食事会でございます。私の会社の人間たちと同席しただけでして」

「久英社の雑誌のイケメンモデルたちもいたのよね?」

「…そうなのか、清子」

「華織さま…」清子が困惑する。

「ご安心を、九条さま。清子さまは私と友だちになりたくて模索なさっていただけですわ。それで、うちの命宮が少し手を貸したといいますか」


「そうでしたか。西園寺さまとお近づきになれましたのは大変光栄でございますが、いかんせん清子には縁談も持ち上がっておりますので…清子も不用意なことは慎むようになさい」

「お父さま、そのお話はお断りいたしました」むっとした表情になる清子。

「ですが清子さま。御先方がやはりどうしてもと…」

「清子さんに御縁談? もしかして、お噂の方かしら」

「噂?」

「蘭子さんのお兄様ですわ。あの、いわくつきの」高らかに笑う華織に困惑する清隆。

「これは西園寺さま。先方様のことを、よくご存知のようで」慎也が警戒した笑顔を作る。


「まあでも、あの方との御縁談を九条さまがお受けになるわけがありませんわよね。あの方、認知してないお子さんがいらっしゃいますもの」

「え!?」慎也が華織を見つめる。

「子どもがいるって本当なんですか?」幹也が確認する。

「相手の女性がヨーロッパの方ということですから、とりあえず三条の先代は、彼に“命”を継がせられないとお考えになったようですわね。お子さんが純粋の日本人でなくては困るという理由で」

「若君のお力が足りないからではなかったのですね…」動揺する慎也。


「そういうことにして、封じてしまったのではないかしら。ちなみにこの情報は、久我の奥様と、妹の蘭子さんからの情報ですから確かですわ。あ…蘭子さんからというのは御内密に。先代からお叱りを受けたらお気の毒ですから」微笑む華織。

「はい、それは…」うつむく慎也。

「ですが、あちらの先代は元々清子さんを気に入っていらっしゃって、縁談を進めたがっているという噂もお聞きしまして…」華織は清隆をチラリと見る。「よけいなおせっかいでしたかしら」

「とんでもございません。貴重な情報をありがとうございます」清隆が難しい顔のままで頭を下げた。


 ちょうどそこへ清隆と慎也のぶんの伊勢海老パスタが運ばれてきた。

「これはまた、美味しそうでございますね、清隆さま」

「ああ」清隆は皿の上に顔を伸ばし香りをかいだ。「豪華な一皿ですね」

「美味しいですよ、清隆さま」

 主人が不機嫌にならぬようにと、その場を何とか盛り上げようとしているのか、慎也が不自然にトーンの高い声で話す。

「ああ、本当だ。大変美味でございます、西園寺さま」

「ふふ。西園寺家の腕自慢が調理した、節約パスタですのよ」


「…節約?」伊勢海老を見つめながら首をかしげる慎也。

「パスタの上の伊勢海老は殻だけですの。中身は別の種類の海老を使ってあります。本物の伊勢海老の中身はスープとサラダドレッシングのほうに」

「まあ。サプライズですのね、華織さま。楽しいお食事」

「ええ。普通のスープとサラダが、伊勢海老入りと聞いた途端においしく感じますのよね。ちょっと意地悪なメニューですけど、いじめたい方がいらっしゃったら、ぜひお出しするとよろしくてよ」

「西園寺さまは私をいじめたくて、これをお出しに?」華織を見つめる清隆。


「可愛い孫が味わった恐怖に比べれば、何ということはございませんでしょう? 所詮、おいしいわけですから」

 華織が微笑むと、清隆は申し訳ありませんでしたと頭を下げ、慎也はその倍ぐらい頭を下げた。


「清子さんが、いいご縁に恵まれることを祈っていますわ。このサラダドレッシングのように、一見普通でも質のいい味を備えた方が、清子さんを支えて行かれるように」

「…はい」

 一同は、それぞれの思いに浸りながら、目の前の料理をかみしめた。


  *  *  *


「ミッキー! ボーっとするなら、せめてモニタを見つめるふりぐらしてちょうだいねえ」進が大谷の前で腕組みする。

「あ…す、すみません」

 慌ててスリープからパソコンを立ち上げる大谷。

「僕はもう生きる希望がありませんて顔してるわね」

「あの…」何か言いかけて、唇をかむ大谷。

「じゃあ、私がミッキーの生きる希望をゲットしてきてあげるわ」

「え?」

「打ち合わせに出かけて、直帰するから、後はよろしくね」

「は、はい。行ってらっしゃい…」


 進は会社を出ると、4丁目交差点のカフェに脚を踏み入れた。

「お待たせ!」

「こんにちは…」

 深刻な面持ちで座っていたのは清子だった。

「ボーイさーん、私、いつものね。…Minnieちゃん、ごめんなさいね、急に呼び出しちゃって。この後、打ち合わせだから、手短にすませるわね」

「こちらこそ、ごめんなさい。あの後、何のご挨拶もせずに…」

「けーっきょく、あの後に来た財閥の息子さんとの縁談も、断っちゃったんだってね、Minnieちゃん」

「…進子ちゃん」


「おばかさんねえ。したくもない事、しようとしたって所詮無理なのよ」

「しようと思った時は、ちゃんと決意してたもの…史緒に苦労させないためには、やっぱり私が父の望む相手と結婚して九条を継ぐしかないって」

「好きな男がいるのに何で他の男と結婚できるのよ」

「だって…だって彼は私のこと騙してたのよ?」

「あなたを守るためにね」


「…でも騙してた」

「問題は二人のこれからよ。今現在、彼はあなたを騙しているわけじゃない」

「私たちにこれからなんて、ないわ」

「あのね、Minnieちゃん。彼、一度だけ、私の前であなたの本名を呼び捨てにしたことがあるの」

「…清子と呼んだんですか?」思わず敬語になる清子。

「そう。あなたがいなくなった直後に偶然会ってね、それはもう、普通じゃなかったわ」

「そんな…」


「許しておあげなさいよ。すべてはMinnieちゃんのことを思ってしたことなのよ。それにあなたも、彼がMinnieと呼び名を付けた時に気づくべきだったんじゃないの。あなた自身が“御贄”にされているんだってこと」

「…そうね。迂闊だったと思う。自分のことで精一杯で、大谷が何を考えているのかまで気が回らなかった」

「じゃあ、今度はあなたがミッキーのこと、わかってあげる番じゃないの? 借りを作ったままなんて、九条のお嬢様らしくないわよぉ」

「進子ちゃんて、けっこう意地悪なのね」

「“あの”彼女の下で働くには、これでも甘すぎるぐらいよ」

「うふふ」初めて笑顔になる清子。


「うーん。いい笑顔ね。その顔でミッキーに会いに行って、そのまま駆け落ちしちゃいなさいよ!」

「そんな…九条の家はどうするの?」

「一度は捨てたくせに」

「あの時と今では事情が違うわ。史緒を守れるのは私だけ」

「じゃあ、ミッキーを婿養子になさいよ」

「それがいいと思うなら、父は最初からそうしてるわ。父はあくまで三条の長男と結婚させたかったのよ。京都の結束を強めるためにね。

 三条の“命”は中学生ながら、力の上では父の次に位置する存在だから。華織さまに水を差すようなことを言われて、慌てて別の、格と力が見合う家の男子を探し始めて、広幡の遠戚にしただけ。私はどこまで行っても、京都の“命”たちを守るための道具でしかない」表情が曇る清子。


「そう。だったら…お父様に魔法をかけてあげるわ。とにかく、明日自宅へお戻りなさい」

「どういうこと?」

「帰ってからのお・た・の・し・み」進は胸ポケットからブレスレットを取り出した。「これ、お餞別ね。Ms.Trickyの新作よ」

 進はボーイが運んできた紅茶を4口ほどで飲み終えると、レシートを握り、席を立った。


  *  *  *


 四辻奏人の月命日に訪れていた進は、複雑な思いでその墓を見つめた。

“私が今、ここにいること…意味があるのでしょうか、神様…”

「やあ。また会ったね」

「…星合さん…?」

「やはり、その名前で呼ぶにはためらいがあるようだね」

「この期に及んで、白々し過ぎますよね」微かに笑う進。

「いつ…気づいたんだい?」

「お墓の前でお目にかかった時にです」

「…最初にということかな?」

「はい」


「見た目は100%クリアしていると思ったんだがね。声帯にも細工をしたし」

「“華織さん”とお呼びになったからですよ、我が“命”を」

「え?」

「“命宮”にも細々としたルールがございます。他の“命宮”の前で、相手の“命”を“名前にさん付け”で呼ぶことなどあり得ないのです」

「ああ…そうか。つい、呼びなれた言い方が出てしまったね」


「再度その呼び方をなされた時、疑いは確信に変わりました。久英社を退社後、入れ替わられたんですね、“本物”と。

 骨格までどうこうしている時間がなかったから、顔はそっくりでも、遠くから見た時の印象に差が出てしまったんです。

 沖縄での、響子さんや真里菜ちゃんが感じた違和感はそういうことでしょう」

 進はゆっくりと息を吐いた。

「でも、仕方のないことです。危ない二人組に自分をボスと思わせ、その行動を監視誘導しなくてはいけないだけでなく、平行して動く政治がらみの誘拐犯たちにも対峙する必要があったんですから。時間がいくらあっても足りません」


「はは。参ったなあ」

「…ですが、問題はそこではございません」

 進は立ち上がり男を睨みつけた。

「我が“命”がすでに存じ上げていることも含め、どこかでご説明いただく必要があるかと存じます。“命”だけでなく、他の人びとも巻き込んでの流れなのですから」

「そうだね…」男は空を見上げた。「私の名前が知られぬ限りは、西園寺の“命”様に何でも協力するつもりではいるよ」

「あくまで、あなた様のお名前は明かさぬと?」

「ああ…」男は微笑んだ。「それがせめてもの家族孝行なんだよ」


  *  *  *


「ただ今帰りました」

 清子は部屋に入ってきた父を前に深々と頭を下げた。

「お帰り」

 無表情にそう言った清隆だが、後の言葉が続かない。清子もうつむいたままだ。

「お茶をお持ちしました」史緒が入ってきた。

「史緒!」思わず笑顔になる清子。

「おねえさま!」史緒もお盆に茶碗を乗せたまま走り出す。


「こら、史緒。お行儀が悪いだろ」

「私が声をかけたせいです、お父さま。すみません」

「おねえさまはわるくないです。史緒は、おぎょうぎより、おねえさまがだいじです」

「史緒。お父さまに口答えなどしてはいけません」

「はい…」

「清子に言われたくはないよなあ、史緒」クスリと笑う清隆。

「おねえさまに言われるのなら、史緒はいいです。では、しつれいします」

 キリッと顔を上げ、部屋を出て行った史緒に、清隆はいたたまれない様子になり、話を清子のブレスレットに振った。


「きれいなブレスレットだな」

「あ…これは華織さまに作っていただきました」

「西園寺の“命”さまの?」清隆の顔色が変わる。

「はい。華織さまはMs.Trickyという名前でアクセサリーを作っていらっしゃるんです。大人気で、なかなか手に入らないものなんですよ」嬉しそうに腕を撫でる清子。

「つまり、おまえは私に何か願い事があるということなのだな?」

「はい?」


「西園寺の“命”さまとの約束だ。おまえが彼女の与えた石を持って九条に戻った時には、必ずその願いを聞き届けるようにと。西園寺とは、それで貸し借りなしという話になっている」

「お父さま。あんな無茶をして、龍くんたちを危険な目に合わせたのを、そんなことでチャラにするということですか?」睨むように父を見つめる清子。

「…そういうことだ。正直、私にも意味がわからん」

「じゃあ…これが進子ちゃんの言ってた魔法…」

「ん?」


「いえ、何でもありません」清子は姿勢を正した。「それでは、せっかくですので私の願いをお聞き届けくださいませ、お父さま」

 清子は清清しい笑顔で、たっての願いを父親に告げた。


  *  *  *


「皆、今日は半分くらい私のおごりだからねーっ」

 座敷にいる10人ほどのメンバーを進が見渡しながら言う。

「はーい!」

「えーと…ミズキンが来るまで、乾杯に向けてのご挨拶ということで」進がコホンと咳払いした。「ミッキーとMinnieちゃんが、この度、ミッキーハウスを設けることになりましたぁ!」

「部長! それ、微妙にオヤジギャクですよ」

「せめて、おねえギャグとお言いなさい」不機嫌そうな進。

「はあ…」


「すみませーん。遅くなりましたぁ」水木が障子を開けて現れた。

「ミズキン、こっちこっち」弾が手招きして隣に座らせた。

「はーい。じゃあこれで全員ね。乾杯行くわよ」

 進が言うと水木が進を止める。

「あー、ちょっと待ってください。これ!」ポケットから3万円出して扇形に広げる水木。

「今月の全財産、おろしてきたの?」幹也が言う。

「違う違う。店の前で西園寺の奥様とばったり会ってさ。制作部の人間の結婚前祝いなんだって話したら、カンパをいただきましたー!」

 一同から歓声と拍手が巻き起こる。


「じゃあ、お二人の末長い幸せと、西園寺家のさらなる繁栄を願って、カンパーイ!」

「カンパーイ!」

 グラスを合わせる音で部屋が賑わっている時、板前コスチュームの充が部屋に入ってきた。

「しつれいいたします。いま、おりょうりを」

 食物用エレベーターを器用に操作し、中から大皿を取り出そうとする充を、さりげなく手伝う進。

「あら、すごい伊勢海老じゃない。コースにあったかしら?」

「賢ちゃんどのからの、さしいれでござる」

「社長から?」

「あと、久我家からはA5のぎゅーにくが2キロとどいておりまする。ひめからは、なんと龍どのにならばせて買った、レザンのチーズケーキが…」

「まあ…」


「ほかにもいろいろ来ておりますゆえ、さしいれで、ほとんどコースがまかなえるかと。それから、あとで、しゅっちょうマジックもきますゆえ」

「それってまさか、一条さん?」

「はい」ニーッと笑う充。「たんていじむしょが、アシスタントをいたします」

“なるほどね。だから貸切だったのか…”

 進は充に「ありがとう」と言いながら、清子と幹也が大勢の人びとに祝福されてよかったと、しみじみ思った。


  *  *  *


 後日行われたイベント本番は大成功のうちに終わり、紗由たちも皆、満足げな一日だった。

「たのしかったよねえ、紗由ちゃん」

 真里菜が頬を紅潮させて言うと、紗由も嬉しそうに応じた。

「うん! みんなのおかげで、楽しいパーティーができたね!」

「奏子も、とってもたのしかったです」イベントの途中で、龍とツーショットの写真を撮った奏子は、それを抱きしめながら言う。

「ぼくも、けっこう、たのしかった。なんか、こう…たのしかった」キュッと唇をかみ締めながら言う恭介。


「まあ…たのしかったのはじじつでござるが…」充が一同を見回す。「あやしいやつらも、いっぱいわかったでござるゆえ…」

「うん。もちろん、これからも、たんていじむしょが、おしごとしないといけないってことだよ」腕組みしながら、紗由は一人ずつアイコンタクトする。

「ラジャー!」

 大声で頷く一同に、紗由は満足そうに微笑んだ。


  *  *  *


 華織が東京のマンションから、そう遠くない場所に建てた風馬用のギャラリーは、まるで美術館のような豪奢な作りになっていた。

 まだ正式にはオープンしていないが、今夕にはその前段として完成パーティーを開くことになっている。

 華織もその準備に追われていたが、“禊”の内裏方である二条智親から面会希望の知らせを受けたため、彼をギャラリーへ呼び寄せた。


「やっとお会いできましたわ。内裏方様」

「こちらこそ、光栄でございます。西園寺の“命”さま。御多忙の折、恐れ入ります」

「そう言えば紗由がね、あなたのくださった“おまけ”を、かなり気に入ったようですのよ。一応あちらにもご家族がおありですから、ご帰宅いただいたんですけど、時々思い出したように遊びに伺ってるようですわ」

「恐縮でございます。紗由さまにも、よろしくお伝えくださいませ」


「そうですわ。先代の“薙ぎ主”さまには先日面会を申し出ましたものの、お断りされてしまいましたの」

「うかがっております。あの方なりのけじめなのです。もう自分は“禊”の代表として前には出ないという」

「でも…麿ちゃん…いえ、今の“薙ぎ主さま”、少々心配な気もしますわ。彼はその後、どうしていらっしゃるのでしょう?」

「もうすぐ薙ぎ主を降りるおつもりのようです」

「まあ…」華織は一瞬首を傾げた。「当然と言えば当然でしょうけど、よく引き下がりましたわね、あのプライドの高いお方が」


「先代様から、薙ぎ御子さま方の未来をお守りするには、それしかないと言われたようでございます。いろいろとご迷惑をおかけしまして、申し訳ございませんでした」

 疲れたように目を伏せる彼に、華織はやさしく微笑んだ。

「いいえ。私ども“命”たちの力がきちんとしていれば、麿ちゃんごときに踏み込ませることなどなかったのですから、ある意味、自己責任ですわ。…あ、そうそう。確認しておきたかったことがありますの」

 華織が腕を組む。


「イマジカの前で配っていたボールペン、あれはやっぱり麿ちゃんのお考えかしら?」

「…あ、はい」

「彼、イマジカにいた時分、いったい何を勉強なさったのかしらねえ」眉間にしわを寄せる華織。「配るボールペンに何も会社の名前がないなんて、宣伝にならないじゃないの。

 別のダンボールにはティッシュがあったようだけれど、そんなものは配る前にセッティングしておかなくては。

 そもそもあそこは私有地なのですから、許可時間を考えたら、そんなことぐらい用意しておくはずです」

「も、申し訳ございません…」

 まくしたてる華織に、のけぞり気味に答える二条。


「それにね、イマジカでは、自社の商品をPRするためのボールペンを、以前から作っておりますのよ。営業部のような、外に出ることの多い部署では、交渉相手によって、宣材のボールペンの種類を変えながら、胸に指しているはずですわ。会社の前で配っているボールペンなど不要ですの」

「失礼いたしました…」

「そして役員は、表の出口から出る確率はかなり少ないはず。それぐらいは、麿ちゃんでもご存知よね。役員だったのですから。だとすると、狙っていたのは、九条家命宮の息子さんということなのかしら?」

「は、はい…」


「でしたら、よけいに勘違いも甚だしいですわ。制作部の方というのはね、自分が作る物にも、作られた物にも厳しい目をおくるものなの。あんなダサいボールペン、身に着けるわけないでしょう? せいぜい、デスクの引き出しに入れておしまいだわ」

「そう…でございますね」

「それに、大谷さんを盗聴したいのなら、会社での様子ではなくて、自宅での声を盗らなくてはいけないのではなくて?」

「はい…」


「会社での様子など、バイトの一人でも送り込めば済む話ですもの。でもね、自宅の様子を聞きたかったら、ボールペンはないわよねえ…」疲れたように言う華織。「自宅に戻って、ボールペン連れまわす人がどれだけいらして? カバンの中に入れられておしまいじゃないかしら。机の引き出しにしまわれてしまうとか」

「はい…」

「そんなことで盗聴ができるなら、世界のスパイたちは苦労しません」

「申し訳ございません…」


「でも…あなたの式神さんたちは、かなり気に入ってよ。結局、恭介くんのところに受け取りに来ることはなかったようですけど」

「…さすがにその度胸はございませんでした。囚われたことぐらいは承知いたしましたので」苦笑いする二条。

「私がお送りしたものは、お気に召していただけて?」

「力の差を実感いたしました。勉強させていただきまして、ありがとうございます」二条は丁寧に頭を下げた。


「でも、麿ちゃんは怒っただけでしょう?」笑う華織。

「いえ…それが…」唇を噛む二条。「ぼろぼろと泣き出しました」

「まあ…」

「“類稀なる龍の子”からのメッセージが添えられていたからだと存じます。“いつかまた、一緒に楽しく仕事をしたいね”と」

「躍太郎さんたら…」


「で、彼が退かれた後はあなたが?」

「そのつもりがあるならば、薙ぎ主のお子さま、“薙ぎ御子”さまにお力がないとわかった時点で、手を挙げています。私はあくまで御子さまのご成長を見守る立場でございます」笑う二条智親。

「そうでしたわね。あなたは“薙ぎ主”さまの血を引くお方ですもの。それだけの力をお持ちなのだし、手を挙げればいつでもその地位に就けたはず。なぜ、それをなさらなかったの?

 “薙ぎ御子”さまにお力がないということは、あなたなら、とっくにおわかりでしたわよね。おそらく、生まれる前から…」


「今、力のある“薙ぎ主”が不在だというなら、出てくるまで私が関係者をお守りするだけのことでございます。血筋は正しく受け継がれなければなりません。私が継げば、次の世代の争いごとに通じます」

「あなたのその力…特別な力だけでなく、思考力、判断力、もろもろの才能を正当に評価できる人は“禊”にはいらっしゃらないのかしら。いっそ“命”に鞍替えなさったら?」

「過分なお言葉、光栄に存じます」


「私にもね、あなたのような有能な部下が…気持ち的には息子、そういう子がいるの」

「もしかして…公園で仮面ライダーと一緒にいらした方でしょうか?」

「ええ」

「あの時、私に話しかけて頭を撫でてくれた仮面ライダーは、彼のお子さんですか」

「よくおわかりね」

「目の光が似ていました」

「さて…そろそろ本題に入らせていただこうかしら」

「はい」


「あなたのお言葉を、先代を始めとする“禊”の方々のお言葉と理解してよろしいのね?」

「さようでございます。本来なら、現薙ぎ主がお伺いすべきところでございますが…先代からの最後の言いつけでございますゆえ、私がお伺いいたしました」

 二条は、バッグから風呂敷包みを取り出して開くと、絵を華織の前に広げた。

「家紋が円になって並んでいるのね。まるで手を取り合っているかのようだわ」

「先代薙ぎ主と四辻の“命”さまの思いがここにございます」

「一条、二条、九条は藤でしたわね。西園寺は左三つ巴だから…これだわ」華織が円の頂上にあたる部分を指し示して笑った。「紗由はね、太鼓のマークって呼ぶんですのよ」

「いかにも。西園寺さまの音色で、この紋を一つにするのでございます」


「…何だか、知らないうちに町内会会長になってしまった気分ね」額に手をやる華織。

「元々は、四辻の“命”さまのご発案でございました。当初は先代にも迷いがあり、ここに至るまでには相応の時間を費やしましたが」

「弟が言ってましたわ。“四辻は人を使うことにかけては天才的だ”って」

「私ども“禊”も使われた側でございます」


「うわぁ…したが、まるみえだねえ。ふきぬけっていうんでしょ、これ」

 上から紗由の声が聞こえてきて、思わず見上げる華織と二条。

「紗由!」

「あ。おばあさまだ」紗由が手すりから身を乗り出して下を覗き込む。「こぶんさんもいる!」

「危ないだろ、紗由。ほら」賢児が紗由を抱きかかえるようにして降ろした。

「賢ちゃん、何してるの、あなた…」

「あ…すみません。お客様だったんですね。失礼しました。子どもたちと探検していたら、ちょっと迷っちゃって…。ほら、皆、向こうに行くぞ」

「はーい」

 賢児は二条に礼をすると、紗由たちを連れてその場を離れた。


「賢児さんですね…イベントで遠くから拝見しました」

「ごめんなさいね。ちょっと、ぼーっとしたところがあって」

「西園寺の“止め石”でございますよね?」

「それは先代さまから…?」


「大隅氏からです。彼には協力は断られましたが、英才教育についての注意事項は承りました。継続して能力者を輩出するには、逆に、力が暴走しないように留置く存在が必要なのだと。

 何しろ、30年も携わっておられる方ですから、その言葉は重いものがございました。残念ながら、こちらは今、暴走するほどの力自体がなく、その必要性までたどりつけていないのが現状ですが」

「でも、大隅さんの経験とデータは多治見総研を確実に上回っているでしょうし、協力を得られないのは残念でしたわね」


「あきらめてはおりません」

「まさか…その説得も私にしろとおっしゃるの?」苦笑する華織。

「町内会長が商店街の営業をなさる場合もございましょう」

「“命”サイドで、あとご存知なのは一条の先の宮さまかしら?」

「左様にございます」

「他の方々のご意見もうかがいませんと、私の一存ではお答えいたしかねますわ」

「では年内にお答えをいただきたく」

「年内?」華織が二条の顔をまじまじと眺めた。「そんな余裕、あなたがたにございますの? 月内の間違いではなくて?」

「し、失礼いたしました」思わず頭を下げる二条。


「最後に一点、確認させていただきます」華織が二条を見つめる。

「は、はい…」

「“命”以外の方々にも、お声をおかけしたのでしょうか?」

「いえ。それは、いたしておりません。大隅氏が止めるようにとおっしゃいました」

「それはなぜ?」目を細める華織。

「平和と安寧は、神を退屈させない程度にしろとのことでございました。他の勢力は、そのままにしておけと」

「なるほどね…それには賛成ですわ。神様にも、退屈しのぎのコマは残しておいてさしあげませんとね。人間は、こんなに多くの享楽を与えていただいてるのですから」

「西園寺さま…」

「わかりました。あなたのお望み、かなえて差し上げましょう」

 華織は微笑むと、さっきまで賢児たちがいた辺りを見上げた。


  *  *  *


 華織は、パーティーが終わったあとのギャラリーで、躍太郎と二人、会場に残る気配を楽しんでいた。

「奏人さんが“命”と“禊”を統合したかったのは、翼くんのためね、きっと」

「真里菜ちゃんに“禊”の血が入っているからか?」

「ステキなおじいちゃまだわ。彼氏にしたいタイプではないけど」微笑む華織。

「それは幸いだったね」

「好み以上に、すべてにおいてタイミングというのもあるんでしょうね」

「タイミングか…そうだな…あのタイミングで龍と紗由の力に変化が起こらなければ、私はイマジカを辞めることもなかったわけだ。賢児を呼び戻すのも3年後になったはず」

「それだと、玲香さんは多治見総研に取られてしまっていたわ。勤務地は京都。賢ちゃんと出会う可能性も少なかったでしょうね」


「そこまで計算して、玲香さんと加奈子さんの前に君は姿を現したのかい?」

「いいえ。多治見の当時の社長が大嫌いだっただけ。結局、藤原専務の一派に追い出されたみたいだけど」

「初耳だね」

「保ちゃんの同級生だったのよ。私に散々言い寄った挙句、断ったら何年も後に保ちゃんに意地悪し始めたの。選挙妨害の何割かは彼よ」

「大人気ないなあ」

「でしょう? あの時はね、“命”どうのこうのではなかったの。あんな底意地の悪い人間の元で働くなんて不幸でしょう?」華織は微笑むと、紅茶をすすった。「だから、そこはおやめになったほうがよろしいわって言ったのよ、私」


「偶然というのは重なるものなんだね」

「違うわ。重なった偶然は必然なの」

 華織の強い視線に、躍太郎は思わず噴出した。


  *  *  *


漆ノ巻 終 続いて 捌之巻 その1へ

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