その17
清隆と慎也の二人が祇園育舎保護者のブースに戻ると、常盤井定子がにこやかに二人を迎えた。
「清隆さま、この度は大変よろしゅうございました」
深々と頭を下げる常盤井に、大谷が怪訝そうな顔をするが、常盤井は気付く様子がない。
「清子さま、先ほどお見えになられて…やはり、九条の家のご繁栄を思いますに、父娘仲睦まじうございますのが、よろしゅうございますわね」
「あの、常盤井さま…」
慎也の言葉を遮る清隆。
「ええ、そうですね。皆様にもご心配をおかけして申し訳ありませんでしたが、ご安心ください」
「失礼いたしまーす」
会場案内の坊城がブースに入ってきた。
「ご父兄様方にご案内申し上げます。この後、お子様方のブースにおいでください。本番と同じ手順で器具を用います。
熱器具系の調理器具がございますので、おそばでご覧になって、お気づきの点等、ご指示下さい」
「承知いたしました」にこやかに会釈する常盤井。
「ママー! 大変だよー!!」
定子の息子、大和がブースに飛び込んできた。
「どうしたの、大和」
「みやさまが、いなくなった…」
「どういうこと?」
「おねえさまがたいへん、って言って、はしっていっちゃったんだ。みんなでおいかけたけど、おとなの人もおいかけたけど、みやさま、あしがはやくて…」大和が泣き出した。
「大和くん。どちらの方向へ行ったのか、教えてくれるかい?」清隆が静かに尋ねる。
「テ…テントのそとに出て…」大和が清隆の手を引きテントから出る。「…こっちのほうです」
二人の後を追った坊城が、ヘッドフォンマイクで本部に連絡を取り、手元の資料にある当日の写真から見て取れる特長を伝える。
「大和くん、ありがとう。おじさんも探しに行って来るよ。常盤井さん、ご心配をおかけしてすみませんが、他のお子様たちを見ていてください」
「承知いたしました」
清隆は大谷を従え、ブースを出た。
* * *
“にいさまにバレないうちに、もどらなくちゃ”
横断歩道を走りぬけ、ブースに戻ろうと急ぐ紗由は、目の前に龍が仁王立ちしているのを見つけると、くるりと方向を変えた。
「紗由!」
「あ…あの…ちょっと、おさんぽでございますの。おほほ」
「翔太が、動くなと言ったはずだ」
龍が怒っているのを察した紗由は、視線を左右に動かす。
「あ! 奏子ちゃんだ!」
「…その手には乗らないよ」ムッとした顔でにじりよる龍。
「あ! 清子おねえさまだ!」
「だから、その手には乗らな…」
龍も気配を感じたのか、辺りを見渡す。
「…にいさま、あっち!」
紗由は龍の手を引いて走り出した。
「あそこ…にいさま、あそこだよ!」
紗由が清子の後姿に走り寄ろうとした時、龍が腕を引き紗由を止めた。
「おねえさま!」
そこに駆け寄ってきたのは史緒だった。
「史緒ちゃんだ…」紗由の声が小さくなる。
「戻るよ、紗由」
「でも、にいさま。清子おねえさま、ないてるよ…」
紗由が言うと、龍は清子の後姿をじっと見つめ、様子をうかがった。
「戻るよ」
有無を言わせぬ様子の龍に、紗由も従う。
しばらく歩いたところで、清隆と慎也が難しい顔で走ってくるのが二人の目に入った。
「龍くん…?」
一瞬脚を止める清隆。史緒を見なかったかと聞こうとしたようだ。
「大好きなお父さまが、大好きなお姉さまを悲しませたと知ったら、史緒ちゃん、さぞかし悲しむでしょうね」
「二人に会ったのかい?」
「清子おねえさまの心は、今、このシャツみたいになってます」
龍はさっきナイフで切られたシャツの腕を、ぐいと前に差し出した。
「大地くん、よんでくる!」
「ダメだ、紗由」龍がきつい口調になる。「おねえさまの傷を手当できるのは、史緒ちゃんだけだ。九条さんも邪魔しないでください」
「ですが龍くん…」
大谷が口を挟もうとするが、龍はそれを遮るように清隆に言った。
「得意ですよね? 様子を見守るのは」
清隆はその言葉に、薄く微笑むのが精一杯だった。
* * *
「わかりました。石は僕が次に伊勢にうかがうまで、当主が持っていてください。
この石は四辻の石ではありませんが、一条の“命”さまが手配してくださった石です。先の宮の命日に向け、当主が全国の社を周る際、本来の石の代理として、他の石をまとめる役目を果たしてもらいます」
「弐の位…」
「伊勢に知られれば、一条の“命”さまにご迷惑がかかります。おそらく西園寺にも影響が及ぶでしょう。一条や西園寺、九条のような力のある家に、隙あらばつけ入ろうとしている人がいますから」
「つけ入る人…?」
翼は絢子の問いには答えず、応接室内を見回し、電話が置いてあるキャビネットのガラス戸をのぞいた。
「賢ちゃんの会社はいろんな機材が置いてあるから助かるや」
翼がプレーヤーを取り出し、コードと電源を確認すると、自分のカバンに入っていたDVDを再生した。
「これは…」
「おばあちゃまを撮ってるの、おじいちゃまだよね?」
「…ええ、そうよ」絢子の目が潤む。
「以前、このDVDを風馬さんと澪ちゃんが精査したんだ。知ってると思うけど、彼らの得意技は過去をたどること。この、たった5分の撮影の間にある2回の継ぎ目、時間的にだいぶ経ってる。この間に何が起きていたのかを知ろうとしたんだよ。
でも最初はたどれなかった。ロックがかかってたからだよ」
「ロック?」
「そう。キーワードがないとたどれないようになってた。おじいちゃま、そういうの好きだったもんね。で、偶然、風馬さんが“禊”というキーワードにたどりついたんだ。
そう、おばあちゃまが石を渡そうとした先だよ」
翼の言葉にうつむく絢子。
「その時、二人が見たのは“禊”の血筋と深く関わる人だった」
「誰のこと?」
「特定できないってことは、おばあちゃまの中では、石を渡すはずだった相手、二条さん以外にも思い当たる人がいるんだね?」
「それは…」
「この時、見えたのは直哉おじさまだよ。そこにロックがかかっていたということは、おそらくおじいちゃまは直哉おじさまと重要な話をしたんだ。
でも、見えたのはここまで。おそらく、もうひとつロックがかかってる。僕が教えて欲しいのは、そのキーワードになりそうな言葉だよ」
「私にはわからないわ」
「うーん。そうか。残念」翼は小さく溜息をついた。「それがわかれば、おばあちゃまが今回どうしてこういうことをしたのか、結局はその元になった理由にたどり着くとは思うんだけどね」
「今の話で不十分なところがあれば、ちゃんとお話しするわ」
「僕は、おばあちゃまの主観じゃなくて、おじいちゃまが考えていたことそのままを受け取りたいんだ」
「翼…」困惑する絢子。「でもキーワードは本当に知らないのよ。“禊”という名称も、藤原専務から聞いて初めて知ったんですもの」
「大徳寺先生のことは以前から知ってた?」
「私も神命医だったから、お名前は当然。お顔は、伊勢で何度かお見かけしたくらいだったけど。だから多治見総研でお会いして驚いたの。
でも、彼は奏人さんと生前同じ目的を持っていろいろな話し合いをしていたと熱っぽく語っていらしたわ」
「パパはおばあちゃまに似たんだね」苦笑する翼。
「え…?」
「おじいちゃまのこととなると、客観的な判断ができなくなる。二人とも医者なんだから、それじゃあ困るよ」
「ご、ごめんなさい…」
「これだけは心に刻んでおいて。大徳寺先生は危ない人だよ。神命医全体を牛耳ろうとしてる。
おばあちゃまは神命医をやめちゃったから知らないのも無理はないけど、そういう自分の欲のために多治見総研や“禊”や…おばあちゃまを利用してるんだ」
「私がバカだったのね…」
ショックを隠せない様子の絢子の手を、翼はやさしく取った。
「済んだことはいい。だけどこれからは隠し事はしないで僕に協力して」
「ええ…そうね、そうするわ、翼」
「さっそくだけど、いくつか質問がある」
「なあに?」
「おじいちゃまは九条清隆さんとは以前から“命”同士として知り合いだったの?」
「ええ。元々は仕事で知り合ったんだと思うけど、向こうから“命”として接触してきたと言っていたわ」
「僕ね、小さい時に九条家の命宮に会ってるみたいなんだ。その時の記憶、肝心なところは消されてるみたいなんだけど。話の内容に何か心当たりはある?」
「九条さん…」考え込む絢子。「そう言えば、西川重治先生を巡る九条と一条の間のいざこざの話が出た時、“皆、人の力ばかり使おうとして”って、怒っていたことがあったわ。九条さんから間に入ってくれと言われたのかなと思ってたんだけど…」
「一条と九条か…。傍目には九条が重治先生を無理やり取ったわけだけど、おそらく一条の先の宮さまの作戦だよ。そうさせるように仕向けたんだ」
「なぜ、そんな…?」
「大徳寺先生の動向をつかむため、自分の手元においたんじゃないかな。一条の先の宮は、かなり力も…権力もあった人なんでしょう? 本当に嫌なら伊勢に言えばいいじゃないか。九条の我侭なんて即却下されると思うけど。
それに園子奥様と澪ちゃんが嫌がってるのに、そのままにしておいたって聞いたよ。何か特別な考えがあったはずだ。
だから九条も、ずーっと気になってたんじゃない?…もし、先の宮が日本を離れてからも、大徳寺先生を見張ってたってことなら、よけいにさ」
「そうね。一条の先の宮さまは私が神命医時代に伊勢でお会いした“命”たちとは、まるで格が違っていたわ。おそらく海外からでも、そういうことが可能でしょう」絢子は遠い目をする。
「でも、おばあちゃま。一条と九条の医者取り争いって、僕の記憶を封じるほどの案件じゃないよね」
「そうね…結局、よそ様のお話なわけだし、奏人さんは間に入った様子はなかったし…」
「…おばあちゃま。これ、両手で握って」
目の前に置かれた一条のサブストーンを差し出す翼。
「あ…石の色が今までと全然違うわ」
絢子に言われた翼も石に触れ、耳をそばだてた。
「どうしたの、翼?」
「しーっ。この子、うちの子と話し合ってる…ここだと、ちょっとしか聞こえないけど…。おばあちゃまが自分を相手に渡すのを止めなかったのも、自分がスパイに入るため。おばあちゃまを警戒しなくて済むようになったから、力の出し方が変わって、それで色が変化してるんだ」
「この子は全部お見通しなのね…」
「そうか! 聞けるところに行けばいいんだ」翼は立ち上がり、石をカバンにしまいこむと肩にかけた。「おばあちゃま、石ちょっと借りる。また後でね!」
「つ、翼…?」
“四辻家のことなんだ。僕がちゃんと明らかにしなくちゃ”
翼は誠の姿を探しにテント会場に向かった。
* * *
龍が玲香に電話で連絡をしたため、史緒が行方不明になった一件は解決したが、公にならなかった紗由の脱出については、紗由はほうぼうから絞られることとなった。
「はあ、つかれたぁ。紗由、おなかペコペコだよ」
「紗由。皆がどれだけ心配したのか、わかってるのか?」珍しく涼一がきつい口調で戒める。
「うん。とうさまが知らなくてよかった。きっと、いっぱいしんぱいして、とうさま、ないちゃうもの」
「紗由…」
「紗由、とうさまの子どもでよかった。西園寺のおうちの子どもでよかった…」
珍しく沈んだ様子で涙声になる紗由を、涼一は膝の上に乗せ、抱きしめた。
「とうさまも、紗由と龍が子どもでいてくれて、本当に幸せだよ」
「うん!」
紗由は涼一に思い切りしがみついた。
* * *
清子の元に駆け寄ってきた史緒は、清子を抱きしめ、顔をそーっと上げて、ニッコリと笑った。
「おねえさま」
「史緒…」清子も史緒を強く抱きしめるが、しばらくすると、ハッとしたように周囲を見回す。「あなた、一人で来たの?」
「はい!」
「駄目よ、史緒。皆が心配します。迎えに来てもらいましょうね」
「でも、でも…史緒は、おねえさまがしんぱいだから来たのです!」
史緒がしがみつくにもかかわらず、清子はスマホを取り出し、幹也に電話しようとするが、発信した瞬間に、何かに気付いたように電話を切り、しまった。
「私ったら…馬鹿なことを…」左手で顔を覆う清子。
「おねえさま…だいじょうぶですか?」
「…大丈夫よ、史緒。ほら、戻るわよ。お父さまやお母さまに心配をかけては駄目」
「いやです。史緒は、おねえさまのそばにいます!」
「史緒…」清子は優しく微笑んだ。「そんなに聞きわけがないと、大地くんのお嫁さんになれなくてよ」
「え…」悲しそうな顔になる史緒。
「でもね、今すぐ帰って、心配かけてごめんなさいって皆に謝れば大丈夫よ」
「…じゃあ、おねえさまもあやまりますか? 大谷に、ごめんなさいって言いますか?」
「大谷?」
「ケンカしたんでしょ? だから、おねえさまはないてるんでしょう? 史緒にはわかるんです」
「史緒。何を言っているのか、お姉さまはよくわからないわ」清子が精一杯の笑顔を作る。
「ウソはダメです! ちゃんとなかなおりしてください。そうしたら、おねえさまはげんきになるんでしょう? なかなおりしてください」
清子が黙り続けていると、坊城から連絡を受けた幹也が、史緒を探しに走ってきた。
「史緒さま! 史緒さま、どこですか?」
「ここです! ここ!」
「史緒さま!……清子さま?…」
「彼に送ってもらいなさい。史緒、来てくれてありがとうね」
清子は史緒に言うと、立ち上がり歩き出した。
「清子さま!」
後を追おうとする幹也に、清子は振り向きもせず言い放つ。
「史緒を送りなさい。命令です」
「おねえさま! どうして史緒のおねがいを、きいてくださらないの!」
「大谷、史緒をちゃんと守って。お父さまが誤った選択をしたなら、それをきちんと諌められるぐらい、あなたが力をつけてちょうだい」
「清子さま…」
「おねえさま!!」
清子を追いかけようとする史緒を、幹也は抱きかかえ抑えた。
「史緒さま…お姉さまのご意思でございます」
「でも…でも…」目に涙を一杯浮かべ、幹也を睨みつける史緒。
そして、素早くその場を立ち去る清子を見つめていた清隆の目にも、史緒と同様、涙が浮かんでいた。
「清隆さま…」傍らの大谷命宮が心配そうに清隆に触れた。
「様子を見守るというのは、思いのほか、辛いものだな」
清隆はその場を立ち去りながら、史緒をブースに連れ戻すようにと幹也に電話で指示を出し、常盤井定子にもこれから戻ると連絡をして、歩を早めた。
* * *
医務所の一角でお昼寝していた悠斗は、目を覚ますと未那に話しかけた。
「ママ…悠斗ね、ちょっと、でかけてくるから」
「え?」
「カメンライダーのなかまがいるんだ。あっちのほうに」
「…夢でも見たの?」未那が悠斗を抱き上げる。
「いかないと。悠斗は、いかないと」
「あ…でもね、ママは今、ここにいないといけないの。一緒に行かれないし」
「俺が一緒に行く」
「進ちゃん!…」自分の口をふさぎ、周囲を気にする未那。
「大丈夫だ。結界を張ってあるから漏れない」
「パパ!」
未那の腕の中から、大きく自分の腕を伸ばす悠斗を、ひょいと抱き上げる進。
「おまえは、テントの中を頼む」
「…はい」
「悠斗。ここから外に出たら、パパは“くねくねマン”だ。わかってるな。仮面ライダーなんだから、それくらいは」
「もちろん!」悠斗が自信満々に答える。
「よし、行くぞ」
進は悠斗に頬ずりすると、背筋を正して医務所の外に出た。
* * *
史緒たちと別れ、しばらく会場付近を歩いていた清子は、父親を探していた用件を思い出した。
“夢宮のこと、どうしようかしら…”
「清子さん、ごきげんよう」
「華織さま!」
「ねえ。とにかく今は、うちにいらっしゃらない? 新しいお部屋をご用意するわ」
「で、ですが…父はあのようなことを…」
龍が怪我しかけたことを申し訳なく思い、うつむく清子。
「いずれ、借りは返していただきます。それに、あなたに非はなくてよ」
「華織さま…」
「参りましょう」華織が優しく微笑んだ。「でも清子さん。いくらケンカ中の相手でも、業務連絡はちゃんとしておいたほうがいいわ。私も迎えを呼びますから、その間にご用事をお済ませになってね」
華織は電話を取り出し、清子も幹也にメールするため電話を取り出した。
* * *
二条智親は、先代薙ぎ主からの度重なる電話に、どう対処すべきかを迷っていた。
“なぜ先代様は今頃になって私を…ここに来て薙ぎ主さまをどうしろと言うのだ。だが従わなければ、おそらく義親が…”
悠斗はベンチに座っている二条に近づくと、にっこり笑って話しかけた。
「カメンライダーでしょう?」
「え?」
唐突な質問で二条は少し気が抜けた様子で悠斗を見つめる。
「だいじなひとを、まもってるでしょう? 悠斗も、まもってるの」嬉しそうな悠斗。「おじちゃんは、だれをまもってるの?」
「あ…坊やはどこの子かな? ママは?」辺りを見回す二条。
「ママはおしごとだよ。おいしゃさんだから、びょうきをなおすの。なおしてほしい?」
「はは…。大丈夫だよ、おじさんは」
「でも…ママだったら、なでなでするよ、おじちゃんのこと」
「そう…なのかなあ」
「うん。いい子いい子、だね」悠斗は二条の座るベンチに上ると、頭をなで、ニッコリ笑った。「いい子、いい子」
「あ…」
ふいに、二条の頬に一筋の涙が流れた。二条自身も訳が分からないといった様子だ。
「悠ちゃーん。一人でどこかに行ったらダメでしょう? すみませーん」
進が内股で駆け寄ってきた。
「保護者の方ですか?」
二条が遠巻きに声をかけると、進がニッコリ笑ってうなづいた。
「あ。くねくねマンだな! えいっ!!」進にキックする悠斗。
「あーん、いやーん」避けながら転びそうになる進。
「きょうは、これぐらいにしておいてやる。カメンライダーは、いま、いそがしいんだ。そっちでまってて」
「もうっ。乱暴なんだから」進は口を尖らせ、横のベンチに座ると二条に声をかける。「おにいさん、ごめんなさいねえ」
「だれをまもってるか、わからないの?」
悠斗の問いに二条が沈黙する。
「かおりちゃまなら、わかるかなあ…」
「かおりちゃま?」
二条は、悠斗の出した名前にハッとした。進を横目で確認し、頭の中を覗こうとするが、それができないのがわかり、まじまじと進を見つめる。
「悠斗はね、かおりちゃまをまもるカメンライダーなんだよ」自慢げな悠斗。
「かおりちゃまのこと…好きかい?」
「だいすき!」
悠斗の笑顔に釣られるように二条も笑顔になった時、電話が掛かってきた。
相手が電話の向こうから怒鳴っているのがわかり、二条は眉間にしわを寄せ、黙ってそれを聞いている。
悠斗はその横で脚をばたつかせながらも、電話が終わるのを静かに待っていた。
二条も少々嫌気がさしているのか、無意識に電話を耳から少しずつ遠ざけるため、隣のベンチにいる進にも声が漏れ聞こえてくる。
“相変わらずだな、“麿”は…。まったり喋るけど粘着質だ”内心苦笑する進。
「わかりました。イマジカ向かいの公園でお待ちしています」
やっと電話を切った二条が小さく溜息をつくと、悠斗が二条の袖を引っ張る。
「こまったことはね、かおりちゃまにきけばいいよ」
「かおりちゃまに…?」
「うーん、でも…しょしんしゃは“マドモアゼルかなこの、おなやみそうだんしつ”か、“マダムまりりんの、うらないのやかた”か、“プリンセスさゆの、おやつパーティー”が、いいかなあ」腕組みをして考える悠斗。
“お悩み相談室以外、初耳だな。紗由さまのは毎日のような気がするし…”進が悠斗を見つめる。“まあ、いい。彼が来る前に退散だ”
「悠ちゃーん。帰るわよぉ」
「もお?」つまらなそうな悠斗だが、素直に言葉に従い、ベンチを降りた。「じゃあね、おじちゃん。バイバイ」
「あ…バイバイ」
「相手をしていただいて、ありがとうございました」進が二条に頭を下げる。
「こちらこそ…」二条は硬い表情で一礼した。
進が悠斗を抱き上げ歩き出してしばらくすると、血相を変えた男が小走りに進たちの横を通り抜けて行った。男は進に気付く様子はない。
悠斗は彼をじっと見つめている。
「いまのひと、いじめっこ?」
「いや。威張りん坊だ」
「ふーん。かおりちゃまに、おせっきょうされればいいのに」
「怖くて泣いちゃうだろ」
進が笑うと、胸ポケットのスマホが鳴った。華織からだった。
「はい」
「進ちゃん、怖くても泣かずに聞いてね」
「はい…」
「もう一人の仮面ライダーに折り紙でもプレゼントしようかと思うの。悠ちゃんに、どんなモチーフがいいか聞いておいてちょうだい」
「…あちらの式神作りもマスターされたんですか?」
「前に恭介くんのところに送られたものは壊しちゃったから、お詫びにもっと高性能なものを贈ろうかと思って」
「親切すぎませんか、弟子でもない相手に。高度な技術を伝授するようなものです」
「ふふ。そういう言われ方、焼きもちみたいで何か嬉しいわ。
そうそう…“麿”ちゃんにも差し上げましょうか。イマジカ在任中は、偶然とはいえ、だいぶ“覗かせて”いただいて、今やっとそれが役に立ちそうなわけだから」
「わかりました」
進が電話を切ったとき、悠斗はすでに夢の中だった。進は、一度男たちのほうを振り返ると、悠斗を抱きなおし歩調を速めた。
* * *
翼は誠の元へ走りより、石を両手で包み込みながら前に差し出した。
「誠さん、お願いします。これから一緒に伊勢へ行ってください」
「今から?」
「はい。この子、うちの子と話をしてます。でも、ここじゃあ、よく聞こえない。多分、禊側を警戒してひそひそ話になってるんだ。
伊勢なら聞こえるでしょう? 僕、ちゃんと聞きたいんだ。四辻に起きたこと、これから起きようとしていること、早く明らかにしたいんだ」
「翼くん…」誠は複雑な表情で翼を見つめた。
「やはり弐の位は四辻先生によく似ていらっしゃる」央司が後ろから翼に声を掛けた。
「先の宮さま。なぜ、ここに?…」意外な人物の登場に驚く翼。
「急ぎすぎですよ。もう少し、ゆったりとまいりましょう。頭が良すぎる人間が明らかにした真実には、世間はなかなか、ついては来れぬものなのです」
そう言われて翼は、龍がクラスで少し浮いているらしいという噂話を思い出した。
クラスメイトからすれば、総理の孫で、美貌、学力、日頃の振る舞いともに文句のつけようがない彼に対し、憧憬の念を持つとともに、話についていけない、近寄りがたいという気持ちも持ってしまうのだろう。
「いやいや、あなたも同じです」
「あ…」自分の頭を覗かれたと思った翼は、少し頬を赤らめた。
「退位した身で申し上げるのは畏れ多いのですが、私は今、両家の石から話を聞くのが最善とは思えません」
「では、どうしたらよろしいとお思いなのですか?」
「あなた方をお守りするために、いろんな人間がすでに動いているのです。あなたは…それを、その結果が出るまでのプロセスを見守る能力を身につけられることでしょうな」
「どうしたら、そうできるんですか?」
「相手を信頼しつつ、思いはきちんと伝えるということでしょう。一人で何もかもしようとせずに」
央司はそれだけ言うと、待たせてあった車に乗り込み帰って行った。
* * *
子どもたちが時間差であちらこちらへ好き勝手に動いてしまうので、イベント練習会は、子どもたちの練習という意味では、もはやその呈をなしていなかった。
だが、ナイフで襲われたことは伏せてあったものの、恭介たちに近づいた不審者がいたという連絡は各所に回ったため、そのぶん親同士の本番へ向けての話し合いは進んでいた。
会場での器具取り扱いに関する注意事項、子どもたちを見守る体制を含む、今現在、不備があると思われる点など、それまで地域ごとにけん制し合っていた親同士も、切羽詰って忌憚なく意見を言い合えるようになっていたからだ。
「一時はどうなることかと思いましたけど、必要な事柄は親御さんたちとじっくり話ができましたね」
「玲香も疲れただろ。あっちこっちから、この子がいない、あの子がいないと連絡が入って、そのたびに走り回って」
「いえ。最近、運動不足でしたから、ちょうどよかったです。でも、大人たちも油断しすぎですよね。ことごとく突破されてるようなんですもの」笑う玲香。
「本当だよな。学生バイトじゃなくて、全員社員にしておけばよかったと反省してる」賢児が小さく溜息をついた。「俺はこの後、式次第の変更を話し合ってくるから、申し訳ないけど、子どもたちの相手、よろしくな。じゃあ、行ってくるよ」
「はい。お任せください。行ってらっしゃいませ」
玲香が笑顔で手を振る後ろから、翔太の声がした。
「玲ちゃん! 翼くん、見んかった?」
「え? 今度は翼くんが行方不明なの?」
「ちゃうちゃう。龍が様子見てきてくれ言うてんやけど、小学生のブースにおらへんのや。会社側で移動指示したかと思うて」
「ちょっと待って」
玲香がブース近辺の案内所にいる坊城に連絡した。午後になってからは、児童たちがブースの外に出かけるときに、案内所に行き先を報告してから移動するようにということになっていた。
「すみません、西園寺です。四辻翼くん、そちらに立ち寄りましたか?」
坊城が電話口を押えて、近くにいる誰かに“少々お待ち下さい”と断りを入れている声が聞こえた。
「…記録にはないですね」坊城が手元の記録を見ながら答える。「あ…お客様、な、何を…」
しばし沈黙が続いたので、玲香は、客と坊城の間で何かあったのかと思い、声を荒げた。
「坊城さん? どうかなさいました?」
「…翼くんなら…玄関ロビーにいます」
「玄関ロビー…ですか? 坊城さん、大丈夫ですか?」怪訝そうな玲香。
「玲ちゃん、ちょっと電話貸してや」玲香の答えを待たずに電話を取り上げる翔太。「見えたんですね?」
「玄関ロビー…窓から…空を見上げて……」
「わかりました。おおきに!」電話を切り、玲香に返して走り出そうとする翔太。
「待って、翔太!」玲香が先に回りこんで制止する。「今の、どういうことなの?」
「彼女の傍にいる誰かが、彼女のピカピカ、変えたんや。だから彼女、映像で他所の場所が見える人になっちょる」
「誰かって誰?」
「後で確認しとくわ。それより今は翼くんや」
翔太は玲香の腕をすり抜け、イマジカビルの玄関ロビー目指して走り出した。
* * *
「翼くん!」
「あ…翔太くん」
坊城の言った通り、窓から空を仰ぎ眺めていた翼は、振り返ると、いつものように穏やかな笑顔で応えた。
「龍が心配しとったで」
「龍くんが?…そうか、龍くんは何でもお見通しなんだね」
「そないなこと、あらへん。全部はわからへんて言いとうないから、俺に来させて確認させたんや。そゆとこ、けっこう、せこいねんで、あいつ」ニーッと笑う翔太。
「仲いいんだね、やっぱり」翼が笑い出した。「龍くんのこと、そんなふうに言えるの、翔太くんだけだよ」
「でも、龍はある意味、俺より翼くんのこと、気にしてんのやで」
「…何で?」
「ライバルやからな」
「僕は龍くんと同じレベルじゃない」
「赤丸急上昇中やないか」笑う翔太。「それに、そもそも龍には華織さまが付いとるんやで。翼くんちは“命”不在でハンディありすぎや。焦りすぎ、急ぎすぎや」
「今日、二度目だ」笑う翼。
「何が?」
「急ぎすぎだって言われた」そう言うと、翼は黙り込んだ。
「ま、そんなもんやとも思うけどな…」
「どうして?」
「急に力が伸びる時って、急ぐ気持ちも急になるんや。サッカーでシュート連発決まると、次ははずせん、もっともっとやと思う」
「なるほどね…」
「焦りすぎいうことなら、龍かて華織さまに言われとるで」
「そう…なの?」驚く翼。
「力あるもんの跡継ぎは辛いねんな。風馬はんは、ほら、しばらく華織さまのところを離れてたから、それで淡々と段階を踏めるんやろうな。
でも、龍は違う。紗由ちゃんに力が出始めた頃から、急加速で教育中や。焦るな言われても無理やろ」
「うん…」
「力のない、おとんとおかんに心配かけんように気も遣うしなあ」
「うん」
「可愛い妹も守らなあかん」
「そうだね」
「爺ちゃんが有名な政治家で、おとんも有名人で、下手なことはできひん。ストレスもたまるし、かなわんで」
「そうだよ」翼が拳をぎゅっと握る。
「俺のような人間は、そういう王子さまの息抜きをさせるためにおるねん」
「え?」
「龍なんて、俺に何かと八つ当たりしとるわ。…まあ、俺もするけどな。旅館の仕事、楽やないし。でもな、それでええんちゃうか? 翼くんも、試しにそないにしてみたらええねん」
「僕…そんな相手いないから」うつむく翼。
「いないて思うたら、おらへんのは当たり前や。友だちいうんは、作ろう思うて作るもんや。降ってくるもんやない」
翔太が翼を見つめる。
「友だちになりたい人間、よーく考えてみたらええ。顔が浮かんだから、片っ端からわがまま言うてみ」
「翔太くん…」
「どしても誰も浮かばんかったら、我慢して俺にしとき」ニーッと笑う翔太。「じゃあ」
「翔太くん、ありがとう。…龍くんにも、ありがとうって言っておいて。僕のこと心配してくれて、ありがとうって」
「知らんがな」翔太が肩をすくめる。「自分で言いや。俺も忙しいねんで」
「あ…」
翼が何か言おうとするのに構いもせず、翔太は走り去った。
* * *
休憩時間で案内所から出た坊城は、ふらふらと公園に歩いていった。
“私、何でこんなところに……さっきの人は誰…?”
「ごめんね、呼び出しちゃって。ちょっと聞いてもらいたい話があるんだ」
「…ミッキー?」
「幹也、下がっていい。あとは二人で話す」
「承知いたしました」
心配そうに坊城を見ながらも、その場を離れていく幹也。
「ミッキー!…あの、あなたいったい何なんですか? 保護者の方ではなかったんですか?」
「九条清隆です。モデルのMinnieの父と言ったほうがわかりやすいでしょうか」
「Minnieちゃんの…。あの、何で私に…さっきのは、いったい…」
「坊城慶子さん、あなたは我が九条家が探し求めていた人間なんです。あなたが以前、蔵の中で見つけたお母さまの育児日記の意味をお伝えしましょう」
坊城は、狐につままれた気分になりながらも、何故か素直に清隆の話に耳を傾けた。
* * *
翼は、小学生ブースの前で入るのをしばしためらっていた。
“親友になってくださいって、いきなり言うの、変だよな…。わがまま言うのも急だと変だし…”
いったん幼稚園ブースで奏子の顔を見ようかと思い、小学生ブースに背を向けた翼だったが、歩を進める前に考え直した。
“ダメだ、ここで逃げちゃ。僕は僕なりに、いろんな人に素直に気持ちを伝えなくちゃ。きっとそれが、先の宮さまの言う、見守ることにも通じるんだ…”
翼は、ブースにそろりと入ると龍の姿を探した。
「僕を探してるの?」
「うわぁ」気配もなく現れた龍を、驚いて振り返る翼。
「何か用?」
興味なさそうに言う龍に、翼はなぜか無性に腹が立ってきて、珍しくきつい口調で言い放った。
「用があるから来たんだよ」
「何?」
「忘れた」
翼がムッとして、その場を立ち去ろうとした時、涼一がブースに入ってくるのを見つけた龍は、慌てて翼の後ろに隠れながら、翼を裏側の出入り口へ引っ張っていく。
「な、何?」
「今、とうさまに見つかるとまずいんだ。今日は紗由たちのこと、危ない目に遭わないように、ちゃんと見張ってるって約束してたから…」
「龍くんのほうが危なかったじゃない」
「それも一緒に怒られるよ。そういうとこ、ちっとも理性的じゃないから」
「だったら、どうせ怒られるんでしょ?」
冷たい口調とは裏腹に、龍を隠すようにして、そっと出口へ一緒に向かう翼。
「ふー、助かった。サンキュー、翼」
「…こちらこそありがとう。さっきは奏子たちを助けてくれて」
「こういう言い方も何だけど」龍が翼を見つめる。「奏子ちゃんがいたから助けたっていうことじゃないよ」
「え?」
「ここで傷害沙汰なんて起きたら、賢ちゃんが責任を問われるだけじゃない。子どもたち全員にいろんな調査が及んで、“命”自体の存在が危うくなるかもしれない」
「龍くん…」翼がうつむき加減に苦笑する。「やっぱりすごいや、龍くんは。いつでも全体のことを考えてるんだね」
「なーんてね」ニッコリ笑う龍。「そんなわけないじゃん。後付けだよ。僕が自分で奏子ちゃんたちを助けに行った理由のね。とうさまへの言い訳と、おばあさまへのもっともらしい報告のネタ」
「えー…それって…」
「がっかりした?」
「ちょっとだけ…」
「でもさ、僕たちは所詮子どもで、世間的には出来ないこともたくさんある。一生懸命考えられるところは考えて、実際動くのは大人にやってもらうのが現実的だよ」
「見守るっていうこと…?」先ほどの央司の言葉を思い出す翼。
「それそれ。紗由がよく言うだろ、じいじの真似して。“ここはもう少し様子を見ましょう”って」
「紗由ちゃん、見守るの上手だよね。探偵事務所の子たちのこと、いちいち干渉しすぎないし」
「人にやらせるのが上手なんだよ」
「僕、紗由ちゃんに弟子入りしようかな」
「翔太にお菓子を持って行かせて頼ませれば、一発OKだと思うよ」
「なるほどね。そうやって人にやらせるんだ」
気持ちが少し楽になった翼が、何かを吐き出すように笑うと、龍も一緒になって笑う。
「今、翼と僕の周りで起きていること、一緒にきちんと見守らないとね」
「うん」
「でも、人にやらせて見守った後の責任は、見守った側の人間が取るんだ。それは大人も子どもも変わらない。それが“命”になる人間の役目。頑張ろうな、一緒に」
「うん」翼は力強く頷いた。
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