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その10


「どしたの、おじいちゃま。わざわざ二人でおでかけなんて」

 大地が体をくねくねさせながら、隣の運転席の直哉をいぶかしげに見つめた。

「うーん、何ていうかだな、ほら、それはその…」

 直哉は信号で停まると、一瞬、車の外に視線をはずし、言葉を濁したままだ。

「史緒ちゃんのこと? そんなの大人にならなきゃ、わかんないじょ」

「え?」

「でもさあ、あの子、不思議な子だよねえ」

「不思議というのは…その、つまり…」


「うん。今回のイベントの元になった人たちと同じってこと。お習字が上手なだけじゃないよ。きっと、奏子ちゃんみたいなことが出来ると思う」

「奏子ちゃんみたいなというと、壊し系…か?」

「でも、奏子ちゃんは前と違って、ちゃんと止めてる人がいる」

「そうなのか。いや、おじいちゃまは、あんまりよくわかんないからなあ」

 空笑いする直哉に、大地は口を尖らせる。

「子どもにウソはよくないじょ」

「大地…」


「でも、大事な人を守るためなら、いいのかにゃあ」また体をくねくねさせる大地。「史緒ちゃんは大好きだけど、今から僕の相手は決めすぎないほうがいいんじゃにゃーい? 会社やおじいちゃまがどうなってるかによって、相手は変わるんでしょ?」

「いや、そんなことは…。おまえが好きな子と結婚すればいいんだ」そう言いながら、直哉はハッとしたように大地を見つめた。「おまえ、おじいちゃまが会社目当てでおばあちゃまと結婚したとでも思ってるのか? そういうことが自分にも必要だと?」

「そんなことないじょ」ニコニコ顔の大地。「おじいちゃま、おばあちゃまのこと大好きだもの」


「う、うん。まあ、そうだ。…あ、さっきの話だが、会社のことを足かせにする必要はないんだぞ。会社は瑞樹も真里菜もいる」

「うーん、そうは行かないよ。真里菜は四辻家にお嫁に行くんだじょ。今のところ、僕は会社と関係なくなるわけには行かないんじゃなーい? パパがおじいちゃまの跡を継いだら、よけいにそうでしょ」

「でも、おまえ本当は医者になりたいんだろ?」

「風馬さんみたいに、普段の仕事は画家で、時々の仕事がヒーラーっていうのもあるからね。大人になるまで考えておく」

「ああ。ありがとう、大地」


「おじいちゃま、忙しいんでしょ? このままランチして帰っていいよ」

「いや。今日は遊園地だ。真里菜に遠慮せずに好きなだけ遊べるぞ」

「えへへ」

 うれしそうに自分の横顔を見つめる大地の視線を感じながら、直哉は仕事の疲れがすーっと消えていくように感じていた。


  *  *  *


「と、いうわけだ。大騒ぎする前に、おまえたちも大地の思慮深さを見習え」

 少々不機嫌そうに言う直哉に、和歌菜、夕紀菜、梨緒菜、真里菜の4人は黙ったままだった。

「まあまあ、お義父さん。皆、いろんな形で大地のことを案じてるんですよ。まあ、それにしても、大地がしっかりと自分の考えを持っていてくれてよかった。なあ、夕紀菜?」

「う、うん」

「おにいちゃま、ほんとうは、おいしゃさんになりたいのに、まりりんのせいで、なれないのかなあ…」

「そんなことないわよ、真里菜」梨緒菜が真里菜の頭を撫でた。「それに、私が男の子を生んで、お義兄さんの跡を継がせるという手もあるんだし、大丈夫」

「梨緒ちゃんと哲也さんの子だと、仕事できそうねえ」夕紀菜が何度も頷く。


「それに…俊ちゃん、捨てられちゃったら、戻ってくるんでしょ? パパが今から仕込めばいいわよ。お義兄さんレベルまで行くのは無理としても、元々税理士なんだから、多少は役に立つんじゃない?」

 淡々と言う梨緒菜に、和歌菜は深く溜息をついた。

「そうだわ。当面の問題、そっちもあったのよね…」


 嫁の実家から婿養子同然の扱いで、マスオさん状態となっている、久我家の長男にして末っ子の俊は現在、離婚の危機に直面していた。

 嫁・秋穂の実家である倉橋家は、どうやら俊のバックにある財力を当てにしていたらしく、直哉夫妻がそれを突っぱねると、途端に俊夫妻の間に亀裂が生じて来たのだ。

 元々、あまりにも久我家の財産目当てな嫁と、その親の言動に腹を立てていた和歌菜は、一度は俊を本当に嫁の実家に養子に入れることを考えていたのだが、利用価値がなくなった時点であからさまに掌を返す先方のやり方を許せないと感じていた。

 何だかんだ言っても、腹を痛めて生んだ可愛い息子なのだ。半ば自業自得とはいえ、あまりにも俊が不憫でたまらず、今度は早々に離婚を進め、呼び戻したいと考えるようになっていた。


「ごめんなさいね。私の教育が至らなかったばかりに、あんなお馬鹿さんに育ってしまって、家族皆に迷惑をかけて…」

「だいじょうぶだよ、おばあちゃま。これまでは、おにいちゃまがおバカさんのやくをやってきたけど、俊おじちゃまなら、ほんもののおバカさんだから、じょうずにやってもらえるとおもうなあ」

「そ、そうね…」

 引きつった笑顔の和歌菜をこっそり見ながら一同は思った。

“真里菜、それフォローになってない…”


「たっだいまー!」

「お帰りなさい、大…」

「おじゃまいたします」

 大地の後ろから現れたのは史緒だった。

「こ、こんばんは、史緒ちゃん」上ずった声で和歌菜があいさつする。

「おねえさまの撮影が長引いてるんだ。おかあさまは、京都から戻ってくる途中みたいだし。撮影終わるまで、うちで待ってることにしたんだよーん」

 大地が体をくねらせると、史緒もうれしそうにマネをした。


「どうぞ、どうぞ。こちらへいらっしゃいな、史緒ちゃん」夕紀菜が史緒を真里菜の隣に座らせようと促した。

「ありがとうございます」丁寧にお辞儀する史緒。

「いらっしゃい、史緒ちゃん」真里菜が目を輝かせる。「そうだ、ママ。史緒ちゃんもいっしょにごはん食べようよ。きょうはね、すんごくおいしいカレーの日なんだよ。からあげも上にのってるの。においがするからね、まりりん、わかっちゃうんだあ」

「うわあ…おいしそう」

「そうね、そうしましょう。撮影が終わって帰ってからご飯では、お腹が空いてしまうわ。夕紀菜、美智子さんに言って、すぐに用意してもらってちょうだい」

「ええ」


 楽しそうにおしゃべりする真里菜と史緒から、少し離れた位置に大地を呼び出した梨緒菜は、大地にそっと耳打ちした。

「何で大地が史緒ちゃんと一緒だったわけ?」

「スイミングの帰りに会社に行ったら、おねえさまが撮影してた。史緒ちゃんは待ってるの疲れて寝てたんだ。だから連れてきたんだよーん」

「何で会社に行ったの?」

「スイミング行く前に、僕の撮影があって、スタジオにPSP忘れてきたから」

「ああ、たまたま同じスタジオだったのね」

 大地はスタジオ使用部署一覧の紙で、“おねえさま”が次に撮影に使う“別の”スタジオを確認してあったのだが、それは言わずにおいた。


  *  *  *


 翌日の夕方、イベント打ち合わせの休憩時間、紗由、奏子、進子の3人はガールズトークにいそしんでいた。

「だから、まりりんちゃんは史緒ちゃんに急接近なのねえ」

 進は、真里菜が史緒の手をとり、大地のところへ走っていく様子を眺めながら微笑んだ。

「こじゅうとさんになるかもしれないものね、まりりんは。なかよくしないとです」奏子が大きく頷いた。

「大地くんも、史緒ちゃんのこと、すごく気に入ってるにおいがするんだって」

「あら、そうなの。大地くんて、まだそういうのに興味なさそうに見えるのにねえ」

「あのね、きのうも、くねくねおどりを、ふたりでいっぱいおどってたんですって。ねえ、紗由ちゃん」

「うん。それをね、みんなでジーっと見てたんだって」

 紗由に言われた進は、その様子を思い浮かべ、唇の端を緩ませた。


「哲ちゃんがね、あとから来て、“どうしたんですか。子どものおどりみつめて”って言ったら、史緒ちゃんがおどりやめちゃって、“くうきよんでよ!”って、梨緒ちゃんに、すんごくしかられたんだって」

「んまあ…お気の毒に、専務さん」

「うん。ちょっとかわいそうだから、紗由ね、さっき、アメあげてきた」

「奏子も、チョコあげてきました」

「二人とも優しいのねえ」

「まりりんは、からあげカレーをね、2杯おかわりしてあげたんだって」

「そ、そう…」進は一瞬、本気で哲也を気の毒に思った。


「そうそう。史緒ちゃんね…」紗由が進の耳元で囁く。「ほんとうは“えいっ”て、できるみたいだよ。奏子ちゃんとおんなじ」

「そうなの?」目を見開く進。

「大地くん、そういうのわかるようになったみたい」

「へえ…」

「奏子ちゃんもね…」再び耳元で囁く紗由。「なげっこできるようになったの」

「投げっこ?」

「奏子ちゃんをマークしてる人がね、“えいっ”て、してくるんだって」周囲を気にしながら、小声で言う紗由。

「奏子も、“えいっ”てしないと、たおされちゃうので、します」同じく耳元で囁く奏子。

「そうねえ。されたら、返さないとねえ。…でも、気をつけてね」


「れんしゅうじあいだから、だいじょうぶです」ニコニコ笑う奏子。

「練習試合…。ねえ、奏子ちゃんはその人と前に会ったことあるの?」

「うーん、わかりません。あったかなあっておもうけど、かんがえると…わからなくなって…」

「そう…」

「皆様、そろそろ続きに入らせていただきたいと思います。お席にお戻りくださいませ」

 玲香が参加者たちに声をかけたので、一同は元の席へと戻っていく。

「じゃあ、私たちも行きましょうか」

「はーい」

 スキップしながら席へ向かう紗由と奏子の後姿を見つめながら、進は窓際へ歩み寄り、外を眺めた。


  *  *  *


 その日の夜、哲也、弾、渉の3人は進の家を訪れていた。

「表から入ったのは弾だけか?」

「はい。ちょっと先の公園でママとはぐれて泣いていた悠斗くんを“送りに”うかがいました。なので、20分程度で失礼します。その後は、車内から会話をうかがいます」

「わかった」

「私と渉は、“お隣さん”3軒の地下を経由しています。フェイクの車を最初の“お隣さん”から発車させていますので、見張り2台のうちの1台はそちらを追っているかと」

 “お隣さん”というのは西園寺家所有の近隣マンションで、地下でつながっている。


「では、話は簡潔に。どうやら子どもたちの“力”が増しているようだ。奏子ちゃんの場合、それをバックアップしている人間がいる。奏子ちゃんをマークしているようだが、何か聞いているか?」

「いえ…」

 哲也が驚く。

「幼稚部には今、フィットネスから3人行かせています。清掃、給食食材搬入、教材会社営業という形で。

 彼らは“上級者”ですが、奏子ちゃんのマークについては何も報告がありません。人事関係の情報は、龍さまのおっしゃる通りでした」


「弾は玲香さまに確認したか?」

「はい。昨日、なんとか確認できました。多治見の人事課長の件は彼女も気になっていたようで、あの後、直通電話に連絡したんだそうです。そうしたら、2週間前に退社したと」

「どこから電話したんだろうな…」

 厳しい顔になる進に、弾が穏やかな声で答える。

「お得意様への贈り物をデパートで手配した後に、デパートの近所の公衆電話からだそうです。銀座ですので足はつかないかと思います」

「そうか…」


「それから、その関連と思われるんですが、これが玲香さま宛に届いていた郵便物です」哲也が書類を差し出す。「昼に届いてましたが、玲香さまにはお見せしていません。月曜日まで時間を稼ごうと思います。総研が子どもたちにしている実験内容が記されています。恭介くんに誘いが来た英才教育塾や、匠くんが通っている所とも授業内容が一致します」

「…脳波状態をコントロールした上で、様々なことを教え込むわけか。やりようによっては子どもの心身に危険が及ぶな。これが課長からのものだと?」

「はい。差出人はありませんが封筒が総研のものでした」

「明日以降、玲香さまと二人で話をする時間を作る必要がありそうだな…」腕組みして考え込む進。


「私がやりましょうか?」弾が言う。

「いや。やりすぎて警戒されて、敵方と勘違いされても困る。今は玲香さまも賢児さまも、かなり警戒モードになっている」

「そうしますと…例のパターンですか?」

「仕方ないな。理由をつけて、未那に奥様方を集めさせよう。旦那は旦那で集合させるように仕向けよう」


「あの…僕からもよろしいですか?」渉が声を掛ける。「多治見本社、セキュリティレベルが上がってます。以前ハックできたのは、明らかに“お誘い”ですね」

「なるほど」

「それで昨日ですね、子会社の多治見インストラクティングからイマジカへアタックしてきています。例のファイル、データを足したほうです、餌として置いておいたファイルを持って行きました」

「ほお…」ニヤリと笑う進。


「哲也さんに言われて、子会社と関連会社も一応“覘いて”みたんです」

「そうか。ご苦労さま」

「あの、先ほどの奏子ちゃんマークの件ですが…」哲也が言う。

「うん」

「マークされているのは、むしろ翼くんのほうかと思ったんですが」

「理由は?」

「まりりんちゃんによると、翼くんが習い事に出かけるとき、両親が付き添うことが増えているようなんです。奏子ちゃんは響子さんだけということが多いようです」

「普通に考えると逆だな」


「疾人くんが誰かを探している匂いがするとも、まりりんちゃんは言ってました」

「うちの“上級者”の目をかいくぐってるのに、力のない疾人さんが気づくレベルということですか?」渉がいぶかしむ。

「意図的に疾人さんに感じ取らせてるんだな。力の調整が自在な人間なんだろう」

「そんなレベルの人って、そう多くはないのでは…?」弾が険しい顔になる。

「仕方ないな…この件は直接、華織さまに“見て”いただこう」


「進ちゃん、年寄りをそんなにこきつかわないでちょうだい」

「華織さま!…いつからそこに」顔色を変える進。

「つまりその人は、うちの“上級者”たちも気づかぬように、こうやって気配を出したり消したりして、ついでに翼くんや奏子ちゃんの力の調整もするわけでしょう? 弾くんの言う通り、そんなに多くはないわ。一人ずつ呼び出して聞けばよくてよ」

「呼び出すと言われましても、呼び出しに応じるとは…」

「私に出向けと言うの? 面倒は嫌いな…きゃっ!」


「ばあ!」

「悠ちゃん…ん、もう、おいたして」華織は自分の足にそーっとしがみついた悠斗を抱き上げ、頬ずりをした。「悠ちゃんにも、できちゃったわねえ」

「ゆうとは、かおりちゃまをまもるカメンライダーだから、ちかくにいるんだよ!」

「そうね、悠ちゃん。守りたかったら、その人の近くにいないとね」

 華織は笑顔で悠斗を強く抱きしめた。


  *  *  *


 周子、夕紀菜、響子、玲香の4人は、白金のカフェに集まり、会話に花を咲かせていた。

「いいお店ねえ、ここ」夕紀菜が満足そうに辺りを見回す。

「でしょう?」周子が身を乗り出した。「躍太郎伯父様がオーナーの新店舗なの」

「本当にご商売がお上手よねえ。直哉小父様もそうだけど」響子が笑う。

「仕事や家事や子育てで大変な女性に癒しを、というのがコンセプトなんですって。要するに、邪魔が入らない空間。その代わり、スマホはあっちのスペースに行かないとつながらないけど」

 周子が手で示した先には、高めの椅子と丸テーブルが何セットか置かれているスペースがあった。

「でも予約客には、あちらのカウンターで電話やファックスを受け付けてくれるんですよね。緊急連絡でも安心です」


 玲香が言うと、ベビーカーの真琴が「あう」と声を出した。

「あら。まこちゃんも同じ意見なのね」笑う夕紀菜。

「すみません。今日は女同士でという集まりなのに、子連れになってしまって…」

 玲香が申し訳なさそうに言うと、コロコロと響子が笑う。

「女子会なんだから、まこちゃんも一緒でいいわよねえ」


「あうあう」うれしそうに腕を動かす真琴。

「て言うか、まこちゃん、女子会デビューしたかったのよねえ」夕紀菜が真琴の頬を撫でた。「玲香さんから離そうとすると大泣きして、そりゃあもう大変だったもの」

「お騒がせしました。でも、お土産にいただいたステキなお洋服も着せていただいて、完璧なデビューです」

「まこちゃん可愛いから、着せがいがあるわ」

「ありがとうございます」


「えーと、未那先生と雅さんと崇子さん、そろそろよねえ?」響子が入り口付近に注意を向ける。

「そうねえ。未那先生は用事を済ませてから来るということだから、少し遅くなるかも。

 雅さんも“さけみつる”に寄ってからということだから、時間が少々読みにくいわよね。

 恭介くんはうちに到着したって、さっき疾人からメール入ったし、崇子さんは、もうそろそろだと思うけど」


 今回の女子会の裏には男性陣の協力があった。

 四辻家で男性たちが集まり、子どもたちを預かった上で、女性たちに休憩タイムをあげようというイベントだったのだ。玲香が最近疲れているのではと賢児に進言した未那の一言が発端だった。

「あら、噂をすれば、3人一緒に登場ね」

 夕紀菜が入り口のほうに向かって手を振ると、先頭の未那が手を振り返した。

「遅くなりました」

「こっち、こっち」


「あー」真琴も声を上げる。

「まこちゃん、こんにちは」未那が真琴の手をとった。「顔色もいいし、今日も元気ですねえ」

「やだ、未那先生ったら。握手じゃなくて脈とってる」ケラケラと笑う響子。

「あ…いつもの癖で」未那がぺろりと舌を出す。

「充もやるんですよ。未那先生のマネだったんだわ」雅も笑う。

「じゃあ、恭介がやるのは、未那先生のマネをする充くんのマネ…」

 真剣な顔で呟く崇子の肩を、響子がポンポンと叩いて笑う。


「崇子さんて面白い人ねえ」

「す、すみません…」

「天然てやつね」

 夕紀菜がウフフと笑うと、周子が言う。

「よかったわね、夕紀菜さん。お仲間が増えて」

「まこちゃぁん、周子おばさまが意地悪なんですよぉ」

 夕紀菜が顔を覗き込むと、きゃっきゃと嬉しそうに笑う真琴。

「まこちゃんは周子おばさまの味方よねえ」

「もう、まこちゃんには可愛いお洋服あーげない」

 夕紀菜が口を尖らせると、ぴたりと笑うのをやめる真琴に、一同が笑い出した。


「今日のまこちゃんのワンピースも、夕紀菜さんのところのなんですか?」雅が聞く。

「そうなの。可愛いでしょ? うふふ」

「先日は悠斗にもパーカーをいただいて、ありがとうございました」

「いいえ。宣伝に協力していただいているだけですもの。こちらこそ、ありがとうございます。

 悠斗くんは後から探偵事務所に加わったから、他のメンバーが持ってるものは、お渡ししておかないとと思って」


「さてと。じゃあ、全員そろったところで、向こうの個室に移りましょうか」

 響子が言うと、夕紀菜も神妙な面持ちで応じる。

「そうでした。今日はいろんな意味で大切なミーティングですものね」

 女性陣にとって、今回の集まりは単なる息抜きではない。たどりついた情報の確認と、子どもたちのことを相談する意味合いが強かった。

「まこちゃんも行くわよ」

 周子が真琴の頬をちょんとつつくと、真琴は右手を振るようにしてそれに応えた。


  *  *  *


「ねえ。女子会ってさ、旦那の悪口とか言い合うの?」

 真面目な顔で聞く賢児の膝には、同じ顔でこぶしを握り締めている聖人が抱かれていて、涼一は答える前に笑い出してしまった。

 その横で充の父、花巻良彦が言う。

「賢児さん、悪口言われる要素ないでしょう。妻一筋で、仕事もバリバリこなして、子煩悩で」

「こいつ、妻一筋過ぎて盲目状態なんですよ。それが逆に弱点。まったくねえ」

「何だよ。兄貴みたいにフラフラしてるよりいいだろ」

「あー」聖人が声を上げる。

「まーくんは賢ちゃんの味方みたいだな」笑う疾人。


「パパはだいじだからね」いつのまにか父親たちの席に来ていた悠斗が頷く。

「悠斗くんのパパ、まだ来ないねえ。お仕事が大変なのかな?」瑞樹が尋ねた。

「パパのおしごとはたいへんだよ。みんなをまもるスパイだし!」

「そうかあ。悠斗くんは仮面ライダーで、パパはスパイなんだね。すごいなあ」

 疾人が頭を撫でると、悠斗はうれしそうにしがみついた。


「西川先生のご主人、単身赴任だっていうから、悠斗くんも寂しいんだろうな。…あ、充くんもですよね、ママが」賢児が良彦を気遣う。

「ええ。僕がいないよりも、雅がいないほうが寂しいだろうなと思ってます。でも、あと半月で東京に戻りますので」

「それはよかったですね」

「ええ。充も最近ご機嫌なんですよ」

 顔をくしゃくしゃにして笑う良彦を見ながら、仲のいい一家なんだろうなと賢児も思わず笑みがこぼれる。


「疾人さま。悠斗くんのお父さまがお見えになりました」

「お通しして下さい」

「失礼いたします。いつも息子がお世話になっております」男性バージョンの進が部屋に入り、深く頭を下げた。

 髪型、ファッション、眉の形等、いでたちがかなり変わっているので、目の前の人間が進だとは誰も気づかないようだが、賢児は何か既視感を感じてか、首をかしげる。


「パパ!」

「悠斗、いい子にしてなさい。パパは皆さんにご挨拶するからね」

 進が賢児の元へ赴くと、悠斗はこくんと頷き、3歩後ろに下がった。

「あ、あの…どこかでお会いしましたか?」

「兄の進がいつもお世話になっております、西園寺社長。高橋進の弟の高橋望と申します」

「高橋部長の弟さんなんですか?」賢児が思わず叫んだ。「いや…あの…未那先生の本名が西川さんではなくて高橋さんなのは存じていましたけど…えーと、高橋部長の弟さんだったとは…」

「すみません。兄は…まあ、あの通りなもので親類縁者とは絶縁状態でして、私にも遠慮して疎遠になっているんです。

 未那にも自分が身内だということは他の社員に一切言わないようにと言いつけていて。前社長には、その辺をご理解いただいていたようです」


「そうだったんですか…。あ、あの、でも、高橋部長はとても才能のある方で、イマジカにとってなくてはならない方なんです。伯父が社長をしていた時分からの主要メンバーで、御自分の才能で立場を築かれている方ですから、望さんも、その辺はご理解いただければと思います。

 もちろん、その、御家族なりの御懸念ですとか御事情はおありかとは思うんですが…」

「ありがとうございます。兄のことをそんなふうに仰っていただけて、うれしいです」

「すみません。御家族のことにまで立ち入るような…」

「あー…」賢児の横に座っている聖人が、困った顔になる。

「このイケメンくんが、噂のまーくんですね」笑う進。「こんにちは」

「あうー」右手をぷるぷると振る聖人。


「涼ちゃん、彼のお兄さん、皆も知ってる人なの?」恭介の父親、有川建介が聞く。

「うん」声を潜める涼一。「賢児の会社のエースだよ」

「じゃあ、最近のイマジカの会合でも会ってるんだ」

「それより前からだよ。玲香さんの甥の翔太くんの絵の師匠だし、紗由たちとも大の仲良しだよ」

「“兄はあの通り”って、どういうこと?」

「こっちの人なんだよ」頬に手を寄せる涼一。


「へえ…。兄弟似てるの?」

「体格はそっくりだな。お兄さんのほうは、いつもピッタリした感じの服でさ、マッチョだよ。オールバックで、赤い縁のおしゃれなメガネかけてる」

「ふうん、いかにもって感じか。弟は普通だな」

 建介は、ジーパンにTシャツ、上に長袖のシャツを羽織っているサラサラ髪の“弟”を、露骨にじろじろと見つめる。


「…おまえ、そういうとこ、恭介くんとそっくりだな」

 涼一が言うと、建介は不機嫌そうに言う。

「ああ、そうだよ。俺は親父とは違う。俗物だからね。恭介は間違いなく俺の息子だし」

「まあ、いいさ。別に、建造おじさんの跡を継ぐわけじゃないんだから、その性格でも今の仕事ができれば全然OK」

「恭介の教育環境はきっちり見守らないといけないから、いろいろ気になるだけだ」

「何言ってるんだよ、おまえ。崇子さんに丸投げなくせして」


「それを言ってくれるな…」途端に肩を落とす建介。

「何かあったのか?」

「恭介から、パパはもう要らないって言われた。おじいちゃんがいるから、いいって」

「…どうせお前、休みの日もヨット乗りに行って、恭介くんと遊んでやってないんだろ」

「幼稚園のお金は、まりりんちゃんの会社の雑誌のモデルで稼ぐから、パパのお給料は要らないんだとさ。足りなかったら、大人になるまでおじいちゃんに借りるって」

「なるほどねえ。恭介くん、最近しっかりしてきたもんなあ」

「総すかんなんだ、家だと」

「で、本日のパパ会参加ってわけか。相変わらず、その場しのぎだな」

「おまえも相変わらず居丈高だよな」

 にらみ合う涼一と建介。


「失礼します。高橋でございます」進が涼一と建介に頭を下げた。

「どうも初めまして。お忙しいのにありがとうございます」涼一もにこやかに頭を下げる。

「いえ。今まで失礼しておりまして。それに…西園寺さんには兄がお世話になっていますし、一度ご挨拶をとは思っていたんです」

「そうそう。うちの紗由は、高橋部長さんのことをすごく慕ってるんですよ」

「恐れ入ります」進が頭を下げた。


「どうも高橋さん。恭介の父の有川建介です」

「初めまして。よろしくお願いいたします。恭介くんにも、とてもよくしていただいてると、悠斗がいつも話してくれています」

「いやあ」まんざらでもないという顔になる建介。「妻の話だと、悠斗くんのほうがしっかりしていると」

「いえいえ、そんなことは。この前も恭介くん、悠斗が転んだときに絆創膏を貼ってくれたそうで。優しいお兄さんが出来て、悠斗は探偵事務所の会合を楽しみしてるようです」

「こちらこそ、一人っ子なもので、弟のような可愛い子と一緒に活動が出来て、楽しい限りですよ」


 さっきの言動とは裏腹に調子よく笑う建介を横目で見ながら、涼一は悠斗の様子が気になっていた。父親たちのところへ行っては、話を聞きながら移動しているように見えたからだ。紗由たち、探偵事務所のメンバーがいる場所に戻ろうとしない。

“普段、あのポジションは充くんだよな…”

 涼一が考えている間に、進は疾人と良彦にも淡々と挨拶を続けている。


「兄貴、あれ見て」賢児が涼一に近づき、耳元で囁いた。「子どもたち、目を丸くして高橋さんを見てるよ」

 涼一は、横目でちらりと紗由たちのほうを見た。

「…紗由のあの目はこの前、皆で別々にケーキを買ってきて、ホールが3つ目の前に置かれた時の目と同じだな」

「びっくりしながら喜んでるってこと?」

「ああ。間違いない」

「好みのタイプってことかな」

「いや、充くんと恭介くんも同じ顔になってる」

「子どもって、あの手の顔立ちが好きなのかな…?」

 首をかしげる二人。


「このごろ、へんそうのめいじんが多いねえ」腕組みする真里菜。

「よし。こんど、おねえさんとミニーちゃんをせんせいにして、へんそうきょうしつをしよう!」

「わあ。おもしろそうだねえ。奏子ね、おひなさまにへんそうしたいなあ」

「奏子ちゃん、いつもとおなじじゃあ、へんそうにならないよ」恭介が言う。

「では、せっしゃは和歌菜どのにへんそう!」

「なんですって…?」ものすごい形相で睨む真里菜。

「…しません」充が後ずさる。


「じゃあ、悠斗。お姉さんたちとお兄さんたちをパパに紹介してくれるかな」

「うん」悠斗が紗由たちの前に走り出て叫ぶ。「せいれつ!」

「え?」

 驚く進におかまいなしで、紗由を先頭に縦に並び変わる子どもたち。

「まえから、いくね」悠斗が進を見上げた。

「あ、ああ」

「さゆひめ、まりりんのあねご、マドモアゼルかなこ、にんじゃのみつるくん、にんじゃみならいのきょうすけくん」

「…皆、よろしくね。悠斗のパパです」頭を下げながら、手の汗を何気なくズボンで拭う進。

「よろしくおねがいします!」声をそろえる紗由たち。

「せいれつおわり!」

 悠斗が再び叫ぶと、何事もなかったかのように、元の位置に戻る紗由たち。


「…何で悠斗が号令をかけてるんだ?」

「ごうれいって、なに?」

「“整列!”とか、皆に命令することだよ」

「ひめがきめた」

「へえ」

 父親たちの話に耳を傾けるために、あえて男性の姿で訪れた進だったが、しばし父親の顔になり、息子とその友達の様子に目を細めた。


  *  *  *


「じゃあ、未那先生のおじいさまは、西園寺家のホームドクターだったんですね」崇子が言う。

「ええ。40年前までは」

「私も知らなかったわ。私が西園寺家に来た頃は、村上先生に診ていただいていたし」

「私は一度お会いしたことがあるの」響子が微笑む。「結婚前だけど、四辻の父が実家の宿に静養にいらした時に、ご一緒されていたことがあったから」

「あら。四辻家の主治医もなさってたの?」夕紀菜が響子に尋ねる。

「そういうわけじゃないんだけどね。ちょうど四辻の父が選挙前で、体の不調を他の陣営に知られてはならないということで、念のため、別のお医者様にお願いしていたらしいの。それが未那先生のおじいさまの西川重治先生。

 今の主治医の二ノ宮先生の師匠なのよ、未那先生のおじいさまは。確か、村上先生もお弟子筋よね」

「ええ」未那が微笑む。


「じゃあ、名医中の名医ですね」

 玲香が感心すると、膝の上の真琴も“あー”と叫ぶ。

「私は普通の産業医兼スポーツドクターですけれど、祖父は東西の名家との関わりが多く、その中で、不思議な力を持ったお子さんの体を診る機会もあったらしいんです」

「それで、悠斗くんが最近、不思議なことを言い出し始めて、おじいさまに相談したところ、“命”のことをお聞きになったということなのね。やっぱり紗由たちの影響というのもあるのかしら…」

「うちの恭介も、日本に戻ってからですし」

「うちもだわ。充が青蘭に通うようになってからですから」


「ええ。そういう影響はあるかと思います。うちも、祖父が仕事を通じて、そういう方々との接触はありましたが、それも昔のことですし、両親も離島の医者、主人の家系もいたって普通ですから、やはり青蘭のお子さんたちの影響があるのかと思います」

「でも心強いわ。昔、華織おばさまや、四辻先生を診たこともある大ベテランに子どもたちを診ていただけるなんて」夕紀菜が身を乗り出す。「やっぱりね、健康上の問題はないのかしらって心配な面もあったのよね。特に大地。ほら、ヒーリングする人って、悪いものを自分で吸い込んでしまって健康を害することもあるっていう話も聞いたものだから…」

「大丈夫ですよ、夕紀菜さん。この前のイマジカでの健康診断データを診る限り、大地くんはいたって健康体です」


「ところで、うちのクリニックだけで設備が足りるかしら?」

 響子が未那に確認する。今日、四辻家で父親と子どもたちが集まっているのは、隣接している疾人のクリニックで、西川重治が子どもたちの診察をするためでもあるのだ。

「十分だと思います。今日は基本的なデータを再度取って、前回のデータとの比較、問診が主になります。

 お父様たちからも、お母様たちからとは違った視点で話をうかがうと思います。一緒の時間が短いほうが逆に気がつく兆候というのもありますしね」


「うちの主人、ちゃんと答えられるかしら…。適当に調子のいいこと言いそうで」崇子が心配そうに言う。

「大丈夫よ。恭介くんが、きっちり訂正しそうだし」

 夕紀菜が言うと、周子と響子が笑い出した。

「あら、ごめんなさい…」響子がぺろりと舌を出す。

「未那先生。うちは私のほうが離れている時間が多いから、東京に戻る度に、充に関して気づいたことを書き留めておいたんですけど、そういうのもお渡ししたほうがいいかしら」

「そうですね。私にメール送ってください。こちらから祖父に転送します」

「未那先生、そういう記録というか、書式をいただければ、イベントまでつけておくようにしますけど、いかがかしら」

 周子が言うと、未那はカバンの中から用紙を取り出し、皆に配り始めた。


「お願いしようと思ってたんです」

 配られた紙を一同真剣な面持ちで眺めている。

「よかったわ。いろいろ配慮していただけて」響子が頷く。「ねえ、玲香さん。関西組のほうも、どなたかにメディカルチェックしていただくの?」

「それが…会社からはそう申し出たんですけど…」

「難色示してるっていうか、ちょっと揉めてたのよね?」夕紀菜が話に割って入る。

「揉めるって何をですか?」雅が不思議そうに首をかしげた。

「関西組8人のうち、神戸組3人は普通に検診を受けてたらしいんだけどね、京都組5人は、どうやらボスが反対してるようなのよ。何が問題なのかしらねえ」

「ボスって?」

「史緒ちゃんのお父さまの九条さん。あそこのグループは序列が厳しいらしいわ。すべてはボスの意向に従って動くようなの。序列は子どもたちの間でも、きっちりしてるわよ」


「もしかして席順のことですか?」

 玲香が聞くと、夕紀菜は大きく頷いた。

「それ、それ。会議の時に薬師寺静流ちゃんの席が、史緒ちゃんより上座になっちゃったのを、静流ちゃんは後で謝りに来たらしいわよ。クジの関係で仕方ないのにね」

「そう言えば、うちの充も常盤井大和くんから叱られたって言ってました。席をクジで決める時に、隣にいた史緒ちゃんと話してたら、“宮さまになれなれしいぞ”って言われたらしいです」

「そうだったの?」驚く夕紀菜。「でも、充くん、常盤井くんと仲良くしてなかった?」

「えーと…ちょっとおだてたらしいです。“さすがは宮様にお仕えする将軍殿でござるのお”とか、何とか」


「それこそ、さすがは充くん…」周子が感心する。「でも何だか時代錯誤よねえ。それに、うちに遊びに来たときの様子だと、史緒ちゃんて、威張った感じは全然なかったけど」

「そうそう。そこなのよ。史緒ちゃん自身は、そういうの、どうでもいいみたいなのね。親がいないところでは、席順も気にしてないって言ってたわ」

「親同士のけん制なわけね」

「そういうこと。ボスを皆で奉っている感じね。そして逆らわない。でも、子どもたちにしても、関東組に対する対抗意識はあるのかもね。常盤井くんみたいに」


「大丈夫なのかしら、子どもたちで協力し合うことが前提のイベントになったのに、3グループに分かれたりしないのかしら」周子が玲香を見つめる。

「それでしたら、高橋部長が仰ってましたが、充くんが関西組の好きな食べ物を調査済みのようです。今回の居酒屋屋台では、その辺を考慮して出すものを決めて、さらに作業分担することになりました」

「ああ、それで…。この前、充が“大師匠の命で忍者の仕事をする”と言ってました。それだったんですね」

「高橋部長って、本当に気配りの人よねえ。アートディレクターとしての腕も一流だし、久英社にスカウトしちゃおうかしら」

「あー!」真琴が怒った顔で声を出す。

「あらあら、まこちゃんが大反対ですって」笑う響子。

「はい。高橋部長はうちの4番ですから、さしあげる訳には参りません」神妙な顔になる玲香。


「でも、何で子どもたちのメディカルチェックに反対なのかしらね」夕紀菜が言う。

「知られたら困る何かがあるのかしらねえ。ドーピングとか」 周子が言うと響子が笑う。

「子どもたちの得意技は、お習字や生け花やお料理でしょう。何をどうドーピングするの?」尋ねる夕紀菜。

「字がうまくなるお薬があるかもしれないわよ」笑う周子。

「まあ、食事には気を使っていそうだわよね」

 響子の言葉に皆がうなづく。

「そう言えば、京都組は料理番を連れてきているんですよね。昼は世田谷にある九条家の別宅で、一緒に食事を取っていることが多いみたいですよ」

「何なのかしら。その、無駄にチーム戦な雰囲気」


「強い絆があることは事実なんでしょうね。メンバーを拝見する限り、元々親戚や姻戚関係の方々のようですし」

 玲香が言うと、周子が思い出したように言う。

「高橋部長も仰ってたわ。家系図をたどったら、ほとんどまとまる方たちだからって」

「東京の人間には、理解しがたい文化があるのかもしれませんね」雅がくすりと笑った。

「あの…その高橋部長のことなんですけど、ちょっと皆さんにお話しておきたいことがありまして…」

 未那は、玲香のほうを向き、少々気まずそうに会釈すると、話し始めた。


  *  *  *


「玲香。気持ちはわかるけど、そんなに落ち込むなよ。高橋部長だって、身内のことを考えてのことだったんじゃないのか?」

「それはわかりますけど…やっぱり淋しいです。何でも話し合える友人だと思ってたのに」

「加奈子さんや塩屋くんも知らなかったんだろうなあ…」

「水臭いです」

 玲香が口を尖らせると、真琴が“あー!”と叫ぶ。

「ちゃんと話を聞いたほうがいいな。明日は午後会議だし会社に出るんだろう?」

「はい。明日は午前中から出ます」

「じゃあ、仕事終わってから部長と食事でもしてきたら? 俺も、玲香がそんなふうだと、気になってダメだよ」

「賢児さま…」

 賢児が玲香の肩をそっと抱くと、玲香は小さい声で“ありがとうございます”と言って、賢児の胸に顔をうずめた。


  *  *  *


 翌朝、会社で郵便物を整理していた玲香は、自分宛の水色の封筒に目を留めた。差出人の名前がないが、封筒は多治見総研のものだ。

“多治見…?”

 怪訝に思いながら、ペーパーナイフで封を開け、中身を取り出す玲香。

「何、これ…!」

 その書類を食い入るように見つめながら、玲香は2度読み返した。


 書類には、多治見総研が子どもたちに対して行っている“実験”の内容が記されていた。

「総合子ども教室」というタイトルの下には、体操、絵画、音楽、トランプ、料理、IQ検査などの見出しが並んでいる。

“トランプと言っても、まるでESPカードのような使い方だわ。しかも脳波状態をコントロールしながらって…幼い子相手にまるで人体実験じゃない。料理もまるで料理レッスンじゃない。香辛料を材料とした嗅覚開発…いいえ、選り分けだわ。まりりんちゃんみたいな子を選別するための…”


 玲香はしばし考え込んだ。先日、人事部の先山課長らしき人を見かけたことと何か関係があるのだろうか。これはいったい誰が送って来たのだろう…?

 こんな時に限って、賢児は午後の会議まで外出中だ。

“賢児さまに見せるのは、帰宅してからにしよう。コピーも…やたらと残さないほうがいいかも…”

 玲香は書類を自分のバッグの底板の下に入れると、他の郵便物を再び仕分け始めた。


  *  *  *


「気分はどうだい?」

「あ…」声を掛けられベッドの上で目を開けた男は、辺りを見回した。

「安心して。私は医者のようなものだから」

「は、はい…」

「ほら、こうすると少し落ち着くはずだ」

 手を握られると、ベッドの上の男は、その手をまじまじと見つめた。

「きれいな手ですね」

「ははは。男に言う褒めぜりふじゃないなあ」

「きれいな手が好きなんです。面接でも顔よりに先に、手に目が行ってしまって…会社…?」自分の言葉に自問自答するベッドの上の男。


「会社で面接をしていたのかい?」

「……」

「大変だねえ。会社に合った人間を限られた時間で見分けるのは、難しい仕事だ」

「人間を見分けるのは…難しいことだと思います」

「失敗したことがあるような口ぶりだね」

「私は会社の……うぅ…」

 言いかけたベッドの上の男は、頭を抱え込むようにしてうずくまってしまった。

「大丈夫。無理はしなくていい。少し休みたまえ」

「失礼します、先生。今しがた、私のところに連絡が」

 息を切らしたサングラスの男が入ってきた。

「わかった」

 先生と呼ばれた男は、ベッドの上の男から自分の手をそっとはずし、布団を掛けなおすと部屋を出て行った。


  *  *  *


 玲香が午後からの会議に出席するため、会議室のあるフロアへ到着したとき、エレベーターホールの近くから声が聞こえてきた。

「何でそんなこと話しちゃうのよ、未那ちゃん! あなた、そんなにおバカさんだったの?」

「この会社じゃあ、誰も進ちゃんに偏見なんて持ってないわ」

「それはね、たまたま優しい人たちの集まりだからなの。私に偏見を持つ人間なんて、外に出ればいくらでもいるわ。悠ちゃんのこと、青蘭に入れたいんでしょう?

 だったら尚更じゃない。良家の師弟だらけの場所で、親戚筋だっていろいろと調べられるはずよ。良く思われるわけないじゃないの」


「奥様たちは、進ちゃんのこと、すごく評価してたわ。ご主人方も普通に接してくれたって」

「平行線みたいね」進がぷいと横を向く。「言ってしまったものは仕方ないけど、これ以上は言わないで。いいわね」

 進に言われた未那は、怒った顔でそのままエレベーターを呼び、黙って降りていってしまい、進は溜息をつくと会議室のほうへ向かっていった。

“進子ちゃん…”

 玲香は未那が乗ったエレベーターのドアを見つめながら思った。言えない進も辛いのだと。自分も賢児との結婚が確定するまでは、加奈子にすら状況を伝えずにいた。友人だからと何から何まで話せるわけではないのだ。


「あら、玲ちゃん、お疲れ様」玲香に気づいた進が笑顔で手を振る。

「お疲れ様です!…今日の会議、いろいろと提案したいことがあったから、資料山ほど作っちゃった」

「なに、なに?」小走りに玲香に駆け寄る進。

「参加する子どもたち、通常の健康診断の他に、心理テストもやってみたいの。もちろん、親御さんたちに許可をいただければだけど」

「ロールシャッハとか、バウムとか?」

「うん。そういう投影法だけじゃなくて、児童向けの5因子性格検査なんかも」

「性格検査だけ? 知能検査や発達検査は?」

「そっちは青蘭で定期的にやってるみたいだし、関西のほうもそうみたい。名門私学はその辺、チェック厳しいのかしらね」


「でも、関西組は渋るかもね。健康診断ですら進まないわけだから…」

「何とかならないかしらね」口を尖らす玲香。

「じゃあ、今日の会議ではその辺、皆でよく話し合いましょう。データとしても興味深いものね。せっかくこういうイベントをするんだし、いただかない手はないわ」

「では、フォローお願いいたします、進子隊長!」

「承知しました、玲香一等兵!」

 二人は笑いながら会議室へ歩き始めた。


  *  *  *


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