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沙羅双樹  作者: 九JACK
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松子の魂

 竹仁を絶望のどん底に落とすには、充分すぎる言葉の数々だった。

 竹仁が間違って、まつの双子として生まれてしまったから、まつを不自由に縛りつけている。竹仁の感情はまつのためにしかはたらかない。けれど、まつの足枷になっているという事実は竹仁を打ちのめしてあまりあるほどだった。

 恋慕が生存本能ゆえ、というのが、まるであまりにも人間らしくて、笑えてくるほどだ。全然笑いは零れないけれど。とにかく梅衣の宣告が竹仁に与えた衝撃たるや、計り知れない。

 竹仁が自害でもすれば、まつは健常者になれるかもしれない。けれど、まつのためとはいえ、竹仁は死を選ぶことはできない。それが絶望を加速させていく。

 だって、自分が死んだら、誰がまつを守るというのだろう? まつを守ることは天命と思えるほどに、竹仁の中で大きなものだった。

 そんな沈みかけた心の中から、一つの疑問が浮かび上がる。

「梅衣、……いや、梅衣かもしれない誰か、あなたは何故、そんなことを知っている? 確信的な言い方をできる?」

 その竹仁の掠れ、苦しみながら絞り出した問いに、梅衣はふっと表情を和らげた。

 それは梅衣の見た目には似合わない人生経験豊富な大人を彷彿とさせるしっとりとした笑みだった。

「梅衣の中に押し込められた無数の魂は一つの魂に融合されそうになって、それに必死に抗っているために、凶暴性を増したり、錯乱したり、幼児返りをしたりしている。そんな中で私がこうして理性的に対話をできるのは、私がまだ死んだばかりの自我がはっきりとしている魂だからだ」

「死んだばかり……」

「といっても、もう十年は経つか。手鞠ソカナの叔母だ。あくまで梅衣を尊重するので、名前は名乗らないが」

 手鞠家は雨野家の分家の一つだ。強力な能力者がよく生まれるということは竹仁も聞き知っていた。その血族が複数の魂の中に紛れていたところで、今更驚くこともない。

 その能力者としての資質故に、人格としての表出が任意でできる。ただ、梅衣の性質を尊重するため、無理に統率を執る気はないらしい。

「確信的なのは、私が魂を見ることができるからだ。数年、梅衣としてお前の側でお前の魂と松子の魂を観察、分析してきた。その結果、先に述べた通り、お前の魂は元々、松子の一部だったものだと判明した。つまり松子は魂を損っている状態だ。お前がお前として生まれてしまったから」

「まるで悪いことのように言うね」

「悪いことだろう? お前にとって」

 梅衣の断定的な物言いに、竹仁は返す言葉がない。

 竹仁はまつのことを第一に考えて生きている。否、まつのことしか考えていない。双子の妹であるまつは竹仁にとって唯一無二の存在だ。他のどんなものにも変えられない。

 だからまつを傷つけようとするものは排除する。だが、梅衣の言っている通りなら、まつを一番傷つけているのは、竹仁自身だ。

「魂が損われると、その影響は身体にも及ぶ。魂の綻びは身体の頑強さと強い繋がりを持ち、魂が損われていれば、健康も損われる。精神病のような表現になるが、松子のはもっと根深いものだ」

 魂魄という言葉がある。魂と魄は心と体のことを表す。心が損われれば、体、健康状態が損われるといった感じで心と体には切っても切れない関係があるのだ。

 心とは魂とほぼ同一のものである。竹仁の魂は損われているのではなく、虚無という感情を抱えているだけだ。それに付け加えて、まつへの恋慕、生存本能がある。

 それらの感情はどこから来たのか。そう、まつという存在から切り離された竹仁は元々はまつのものだった生存本能や自己愛の部分を所持しているのである。

 竹仁が生まれたことで、まつから奪ってしまった、と言える。

 存在してはいけない忌み子。双子。凶星。それらの言葉が竹仁にぶつけられ、吸収されていく。

 まつという存在に大きく関わることだからこそ、竹仁は傷ついた。

「別に私は、竹仁に死ね、と言っているわけじゃない。お前はまつのおかげで存在している。だから、過ぎたことは願うな、と言いたいんだ」

「過ぎたこと?」

 竹仁は目の中に絶望を宿し、にへ、と笑う。

「まつのことが好きだって、思うことすら駄目なの?」

 兄弟愛ではない愛である時点で、世間的に許されざる感情だ。それでも、秘めるくらいしたっていいだろう。それが竹仁の主張だ。

 だが、梅衣は違った。

「お前はもうまつとは違う存在としてこの世に生を受けた。それはもう、どうやったって取り返しのつかないことだ。だから、まつのために生きるんじゃなくて、自分のために生きろ。まつのために死を選ぶんじゃなくて、自分のために生きろ。事実を全て知った上で、自分の命のありがたみを噛みしめろ」

「……ひどいね」

 竹仁の中には「まつと一つになりたい」「一つに戻りたい」という願望があった。その欲求も梅衣の話が本当なら、辻褄が合う。だが、その願いを捨てろ、と梅衣は言うのだ。

 竹仁が死んだところで、まつは元には戻らない。

 竹仁の逃避手段を梅衣は絶っているのだ。

「ひどくない。真っ当なことだ」

「真っ当じゃない人間に、真っ当なことを要求するのがひどいんだよ。無理難題じゃん」

「無理ってことはないだろう。死ななければいいのだから」

 簡単に言ってくれる、と竹仁は梅衣を睨んだ。

 自分だって、死人のくせに。生き続けることは、死ぬことよりずうっと難しいのだ。

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