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魔法使いの卵  作者: 青生翅
ウルとラスディ
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14 新月の夜

 狭い世界に生きていた僕にとって、宮廷という場所が抱える深い渦はとても目まぐるしい。 師匠やラスディのように一般的には、世の中の概念をぽんと軽く飛び越す人たちと一緒にいる割に、僕という人間は非常に無知だなぁと感じるしかない。


 そしてこのときの僕は、新しく知る世界というものに恐れを抱きながら――ぞくぞくするような興奮も感じていた。人の欲望一つが百にも千にも膨れ上がる宮廷という場所に、少しばかりの楽しみを覚えていた。


 ……弁明したい。

 それは麻疹にも似た一瞬の高揚であって、病気のようなものであったのに違いはなかった。 あまりに刺激のない毎日に(魔術師の弟子だっていうのに不思議だけど)比べて、新鮮なもののように感じていた宮廷生活。それが僕にとって暗黒に染まったのは、潜入から半月ほど経った頃。師匠に託された任務って何だっけ……とぼんやりする程度には、小間使いでいることに慣れてしまった日のことだった。



**********



 その日の僕は、騎士団の兵舎の地下――つまり小間使いやらが寝起きする寝所から抜け出して、一人世闇の中を小走りに移動していた。新月であったのは幸いだけれども、誰かに誰何されれば言い訳もつらい怪しさだ。

 半月ちょっと潜入した知識で以て警備の薄い、または担当のやる気がほとほと薄い場所を選んで移動しているとは言え、かなり心臓に悪い行為だった。


 こんなことをしなければいけないのは、レナ姉さんと合流するためだった。普段は互いの休憩時間の合間に柱の陰で会話して、仕入れたどうでも良さそうな情報を交換するに留めていたんだけど、この日は極々小さな蜥蜴の形をした使い魔が、寝ようとした僕の手元に飛んできて『今すぐ会おう』と連絡を運んできたからだ。


 ――何か重大な発見でもあったかな。


 急を要するのか、と怪しくも思った。けれど僕よりずっと仕事熱心そうなレナ姉さんだから、無理でも無茶でもして仕入れた何かがあるのかもしれない。うん、素晴らしい師弟愛だ。ラスディ様のためなら、と口癖のように言っているだけある。僕のところにはきっと一生縁がないだろうけれど。他所は他所、うちはうち。


 待ち合わせ場所と指定されたのは、騎士団の訓練場の裏だ。僕の行動範囲であるから迷いはしない。こちらに合わせてくれたんだろうかと意外に思いながら、足を運ぶことに集中する。


 そこまであと少しというところで、僕の耳には小さな足音が聞こえた。まずい。誰かいる。


 万全の準備……とは言っても、びっくりしない程度の心の準備で息をひそめていたら、「リオン」と聞いたことのある声で名を呼ばれた。


「あ、レナ姉さんか」


「――何よ。あんた視えていないの?」


 たぶん姉さんは暗視の術か何かをかけているんだろう。こういうときに便利な術だ。僕もかけ方だけは知っている。実際に発動出来ないその知識は、空しさを煽るだけでもあるけど。


 僕が答えないのをどう受け取ったかはわからないけれど、暗闇の中でも尊大な姿勢が伝わってくる様子で、レナ姉さんは僕に言う。


「ま、いいわ。それで何の用?」


「……」


「ちょっと! 呼び出しといてだんまりとかやめてよ」


「…………あれ、まずいな」


 僕の呟きにレナ姉さんが不審な顔をしたのが気配でわかった。

 でもそれを気にしていられないほど、僕の心臓は急激にバクバク鳴り出している。やばいやばいやばい。唱えてもどうしようもないけれど、これはやばい。非常にやばい。


「……レナ姉さん、僕に使い魔を送ったよね?」


 実際は帰ってくる答えをわかっちゃいるが、聞かずにはいられない。


「は? 何言ってんの。あんたの使い魔ならこっちに来たけど」


 僕は……何度も言うけど術が使えないのであって、それでいけば使い魔を召喚することだって不可能なわけです。

 はい、レナ姉さんの返答は予想通りだった。大変だぁ、これは。


 使い魔の召喚主を明らかにするのは、使い魔自身からあの手この手で聞き出すか、名明かしにも近い術を用いないといけないってことを思い出す。

 僕もレナ姉さんも警戒心が足りなかった。互いに使い魔を持っていることなんか確認したこともないくせに、自分に連絡を取ってくるのが、僕からすれば“レニエラ”であり、レナ姉さんからすれば“リオン”であると疑いもしなかったのだ。――素直で純粋な子供が褒められないとは、まったく酷い世の中だ。


 とはいえ、気休めにでもレナ姉さんの誤解を解かねば。


「それ、僕じゃないかなーなんて」


「……じゃあ誰よ」


「うーん……誰だろうか」


「あんた、ふざけてるの!」


「いやいや、すごく真面目です。本当に」


 これまでにないほど、と付け足しておいた。


 考えたってわかりっこないが、少しばかり足りない頭を働かせてみる。

 ――僕とレナ姉さんに同時に使い魔を送った誰かは、僕たち二人を同じ場所に集める目的があった。それはここで完遂だろうか。それとも、集める場所にも意味があるんだろうか。

 だとしたら……どうする? やっちゃう? やめとく? 


「……レナ姉さん、進むのと退くのとどっちがいい?」


「は、何?」


「深く考えずに直感でお願いします」


「…………す、進む?」


 よし、行こう。嫌な予感しかしないけど、それは進んでも退いても一緒だ。たぶん僕と姉さんが合流した時点で、変わり映えのしない明日は来ないことだろう。ならもう、どっちを選んでもたいした違いはない。僕的には、だけど。


「訓練場の裏だよね。あ、何か術の類をかけてたら全部解いて。魔力は出さないほうがいい」


「え、ああ、うん」


 いまいち状況が飲み込めてないレナ姉さんは、珍しく僕の言い分を聞いてくれた。混乱していない頭だったらきっと、調子にのるんじゃないわよ、とかなんとか怒鳴られていただろう。


「ね、どうするの」


「使い魔を寄越した人の思惑を一応は確かめないと、でしょ」


「……でも罠なんでしょ、コレ」


「まあ、そうだろうね」


「ちょっ、嫌よ! 確かめた時点で終わりじゃないの!」


 落とし穴に自分から落ちる人間がいるか――いるんだな、これが。落ちてみなければ深さも広さもわからないし、落ちてしまった人間を嘲笑いに来る下手人の顔も拝めない。まあ、穴から出られるかどうかは別だ。僕が無謀なことをしようとしているのは、前方の穴を回避しても、後ろの少し下がったところにまた穴が掘ってあるのを感じているからだ。前を避けて安心したら、ドスンと尻から落ちる羽目になる。それくらいなら、ちゃんと受け身くらいは取れる方がいいじゃないか。


 レナ姉さんはまったく納得がいかないと、ずり足で後退しようとする。そうはさせじ、だ。


「しー。声大きいよ。あ、はい、手でも繋ぐ? 暗いし。怖いし。……僕だけ置いて逃げられるの嫌だし」


「あ、あんた最後のだけが本音でしょっ」


「そんないことないない。もうすぐだよ。静かにね」


 かなり無理矢理レナ姉さんの手を拘束……じゃなくて握って、僕は引きずるように訓練場の裏を目指した。


 しゃり、と土を踏む音でさえ煩わしい。僕の足音は小さい方だけど、それは少なからず武芸を嗜んでいるからであって、きっとそんなものに縁のないレナ姉さんの布靴はそれなりに大きく音を立てる。


 ふと、レナ姉さんが身体を揺らした。それが密かな怯えを含んでいるように感じて、僕は肩越しに振り返る。どうせ顔は見えないんだけど、気分的に。


「……魔力だわ。残り滓くらいだけど」


 だから誰のものかはわからない――そう言ったレナ姉さんの言葉を信じるならば、この先の目的地からは魔力が。状況から考えて、僕らに使い魔を寄越した人の可能性が高いけれど、どうだかなぁ。使い魔の召喚主を特定出来ない時点で、レナ姉さんにもわからないだろう。僕はもちろん魔力自体が感知できないから無理に決まっている。


 暗闇の訓練場は、もちろんだけど人の気配はない。裏ともなればなおさらだろう。巡回の騎士もまだ来ていない。


 星の輝きと、遠く城壁に焚かれた松明くらいしか光源はない。訓練場周辺に目立った建物がないために、窓の内側から見える灯りもないのだ。


「…………何か、ある」


 訓練場の裏手に足を踏み入れる手前で、僕はレナ姉さんとともに動きを止めた。

 黒が凝っているようにしか見えないそこに、たしかな質量があるように思うのだ。硬い地面に這うように置かれた、僕の重量を倍以上にしたほどの。動きや熱は感じられない。でも、ある(・・)と感じられる違和感。

 それと、三年前まえは毎日のように感じていたあの――。


「――血だ」


「え?」


「匂いがする」


 僕はレナ姉さんの手を離して、さっとその質量に近寄った。直感でしかない。けれど僕は自分のそれをけっこう信じている。だから、嫌な予感というのがばっちり的中したのを悟った。


 かすかな。本当にかすかでしかない仄灯りに、黒い質量の何かが煌めいた。その側にしゃがみ込んだ僕は、煌めきの元に手を這わす。硬いようで柔らかいものを覆うざらついた布の質感、そして指先に当たった硬いもの。


 ……円錐を三つ組み合わせたような特殊な形。握り拳より一回り小さい平面のそれは、薄く伸ばした金属のもので。僕はそれを知っている。騎士団のある人しか身に着けられない、それの正体。

 そして夜目の中で、質量の輪郭にさらなる見覚えを覚える。大柄な髭の――。


「――……グザー騎士団長」


 その、死体だった。 



 

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