08_戦場でリハーサル
艦外式典デッキは、幅十二メートル、長さ三十メートル。
防護膜も重力も手すりもある。正面から連盟艦隊が撃ってくること以外は、よくできた舞台だった。
ルクが大太鼓を転がしてきた。
「これ固定するぞ」
ポロが床金具へ縛る。
退場したセラは指揮室に残り、内部通信を復旧している。
サリスと警備員たちは、ポロが式典用の幕で指揮室側へまとめて押し戻した。
両艦隊が攻撃態勢へ入った。
ミナはコルネットを構えた。
息が震える。
唇の薄い皮が、マウスピースの縁へ引っかかった。舌で剥がす。息を吸う。深すぎれば入りが遅れる。浅ければ、音が痩せる。
「ミナ」
ターラが言う。
「何」
「次の音、分かる?」
「音は分からない。でも、してはいけないことは分かる」
ミナは紙片を床へ置いた。
「音高は航路。航路は終止音で確定する。最後のハを吹けば、帝都への帰還航路が完成する」
ルクが続けた。
「拍は火器。終止打を叩けば、止まってる発射時計が次へ進む」
ポロは床の中央点を見た。
「ここに立てば、編隊は残る」
「冠は返した。皇后役も降りています」
セラの声が内部通信から言った。
ミナは紙片の五本の欄と、四人の位置を見比べた。
「組み方だ。新しい命令を入れるんじゃない。五つとも、どこにも属さない状態へ戻す」
ターラが手を上げる。
指揮棒はない。
手だけ。
ミナは四小節の続きから吹いた。
ハ長調は、帰る場所がよく見える調だった。
ソからシへ上がれば、次のハが欲しくなる。どれほど遠くへ曲がっても、最後には主音が待っている。
旋律はハへ。艦隊は帝都へ。臣民は皇帝へ。
その帰り道だけを、ミナは吹かなかった。
シを伸ばさず、ラへほどく。ファを短く渡り、もう一度ソへ置く。調の外へは逃げない。けれど、ハにも帰らない。
帰還句は終止しない。別の航路を選んだのではない。行き先を確定させなかった。
《航路指定 未確定》
《退役安全停止 移行》
旗艦の推進光が弱くなった。
二番艦、三番艦と、冠門へ向かう速度が落ちる。
「昔は、逃げる帝国艦の背中へ叩いた」
ルクは、撥を止めたまま言った。
「今は?」
ミナが聞く。
「降りる連中の後ろだ」
ルクは替え歌の拍子を叩き、最後の一打だけを空中へ残した。
砲塔の照準灯が消えた。火器時計が、打たれない拍を待って止まる。
《発射時計 時刻未設定》
ポロは床に残る五本の退場線を見た。中央へ集める線ではない。中央から五方向へ離す線だった。
彼は式典旗を支柱から外し、セラが返した額飾りの横へ置いた。儀礼剣も鞘ごと床へ寝かせる。
砲門が閉じる。
《武装権限 返納》
それから最初の退場線を踏んだ。
後列六隻が外へ開く。ターラが反対側の線へ移ると、前列も広がった。ルクが太鼓ごと中央を離れる。
二十四隻は、冠門へ進む縦列から、互いに艦首を向けない大きな輪へ変わった。
《艦隊編成 解除準備》
ポロは輪を見た。
「壊れてない」
「何が?」
ターラが聞く。
「この艦隊。直すんじゃない。止めて、降りるんだ」
連盟側はまだ止まらない。
セラの声が内部通信へ入る。
『管制につながりました。連盟側は“止まる根拠を示せ”と』
「今、演奏してる!」
『艦隊の変化を確認するまで、照準は維持すると』
連盟艦隊は、砲門を閉じた輪の外で速度を落とした。
セラの声が飛ぶ。
『サリス提督が幕を破ります』
終章の最後は近い。最後の一音なら分かっている。
ハだ。第一楽章で吹くはずだった、帰るための音。
なのに、どうしても吹く気になれない。
ルクの拍子は終わりへ向かっている。
ターラの手も、最後の拍を待っている。
ポロの足元に、舞台の最終位置が光った。
そこは中央ではなく、セラが退場したのと反対側の舞台端だった。
ミナは気づいた。
これは、全員が中央からいなくなる曲だ。
「ターラ!」
「何!」
「最後、指揮止めて!」
「止めたら連鎖が切れる!」
「切るの!」
ルクも分かった。
「退役だ」
ミナは頷く。
「最後に残すのは、命令じゃない」
冠門の光が最大になる。
「終わること」




