06_俳優は艦橋に立つ
式典指揮室は、艦橋の真上にあった。
軍艦の中とは思えない。
半円形の小劇場。
客席はない。
代わりに、正面の窓いっぱいに宇宙が見える。
床には円と線が刻まれ、中央に指揮台。両脇に打楽器台。後方に歌唱位置。
《金冠劇場》を小さくしたような作りだった。
「全部ここから写したのね」
ミナが言う。
「逆だ」
サリスが答えた。
「劇場が、ここを写した」
ターラが感心したふりをする。
「軍艦に劇場を作って、あとで劇場に軍艦を入れた。やっぱり欲張り」
「帝国だったからな」
「それ気に入ってるでしょ」
サリスは答えなかった。
五人はそれぞれの位置へ立たされた。
第三楽章。
これを最後まで演奏すれば、《アステリア》を中心に二十四隻が冠門へ進入する。
しなければ、式典連鎖が前楽章へ戻り、連盟艦隊と向き合ったまま制御不能になる。
どちらも悪い。
ミナは譜面を開いた。
指先が少し震えている。
コルネットの管はもう温まっていた。それでも唇は乾いていた。舌先でマウスピースの縁を確かめる。指なら何度でも同じ位置へ戻せる。息だけは、怖さを隠してくれない。
サリスがそれを見た。
「一音も外すな」
ミナは顔を上げた。
「あなたにだけは言われたくない」
「何?」
「あなたは一楽章ぶん、丸ごと消した」
サリスの眉が動いた。
折れた指揮棒の代わりに、ポロが細いレンチを渡した。
「曲げないで」
ターラは頷いた。
サリスは五人の足元へ、第三楽章の正規位置を白い枠で投影させた。舞台の左右に警備員を二人ずつ。ルクの横には軍楽用の計時器が置かれ、太鼓の一打ごとに許容誤差が表示される。儀礼旗と剣の前にも、それぞれ一人がついた。
「位置、拍、儀礼具。譜面にない変更があれば、その小節で演奏を止める」
抜け道を知っている人間の配置だった。
「止めれば式典連鎖は前楽章へ戻る」
ミナが言うと、サリスは頷いた。
「だから、君たちも逸脱できない」
彼自身は指揮室後方の艦隊制御席へ座った。
正面に冠門が見える。
巨大な環状構造が、ゆっくり光を増している。
連盟艦隊が左右から迫る。
通信が開いた。
『旧帝国艦隊へ。進路を停止せよ。門境界を越えた場合、休戦監視規則に基づき推進系を無力化する』
サリスは返信せず、銃を制御卓へ置いた。
「始めろ」
ターラがレンチを上げる。
ミナは息を吸った。
第三楽章は、第一、第二より華やかだった。
凱旋。
帰還。
勝利。
そういう言葉が似合う曲。
嫌いではない。
音楽は、使われる。
今は二十四隻の戦艦を動かしている。
レンチが下りた。
ルクが太鼓を叩く。
セラが歌う。
ミナは吹いた。
コルネットの旋律は低いハから一息にソへ上がり、セラの声がその上へ金色の弧をかけた。太鼓が鳴るたび、《アステリア》の船体が巨大な共鳴箱のように震える。足元から返る低音が、ミナの吹いた音を自分のもののように太くした。
華やかだった。
だから余計に、何を運んでいる曲なのかが怖かった。
旗艦が加速した。
二十四隻が続く。
連盟艦隊から再警告。
ターラは指揮を止めない。
三十二小節。
正しい。
四十六小節。
正しい。
ミナの呼吸は戻ってきた。
怖さが、拍に変わっていく。
いつもそうだ。
本番だけは、始まってしまえば楽になる。
正しい音が次の正しい音を呼ぶ。
譜面がある限り。
六十八小節。
旗艦の前方に、門の通過光が開いた。
連盟艦隊の一隻が前へ出る。
『最終警告』
サリスが低く笑った。
「遅い」
その言葉を、セラが聞いた。
歌いながら、目だけをミナへ向ける。
次の瞬間、セラが転んだ。
ミナの頭に、サリスの説明が戻る。
楽章そのものは鍵。認証されたあとの「差分」が命令になる。
なら、曲を壊さず、舞台だけをずらせばいい。
譜面にある一回転の中で、派手に。
完璧な受け身で。
金糸のドレスが舞い、彼女は歌唱位置から半歩だけ外れた。
計時器は歌唱の継続を示していた。警備員が腕を伸ばす。だが、歌の途中でセラを引き起こせば、主唱入力そのものが切れる。
サリスが立ち上がる。
「何をしている!」
セラは歌を止めない。
ただし、位置が違う。
艦隊の通信灯が一斉に点滅した。
先頭の《アステリア》が、編隊の中央からわずかに左へずれる。
門進入線の正面が空いた。
ターラが即座に理解した。
レンチを振りながら、ポロを見る。
ポロは自分の白枠から出ず、正規の転換取っ手へ手を掛けた。指定大道具の軍旗台を、譜面にある転換方向へ、予定より半歩ぶん深く滑らせる。
後列の巡洋艦六隻が編隊の外へ開く。
ルクは譜面にある装飾休止を、計時器の許容ぎりぎりまで伸ばした。
駆逐艦八隻の火器作動灯が、一拍ぶん暗くなる。
ミナは吹きながら思った。
やってる。
旋律を保ったまま、決められた領域だけを一つずつ変えている。
サリスが叫ぶ。
「位置へ戻れ!」
セラは床に横たわったまま歌った。
驚くほど美しい声だった。
そして、どう見ても喜劇だった。
サリスが警備員へ命じる。
「次の息継ぎで戻せ!」
警備員がセラの退路へ回る。
ポロは軍旗台の転換を止めず、その支柱を天井幕の綱へ触れさせた。舞台転換では、幕を落とす合図になる位置だった。
天井から式典幕が下りた。
警備員二人と舞台の間を塞ぐ。
幕の裾が儀礼旗の留め具を押し、旗が台から外れた。艦隊の武装状態が《礼砲待機》へ落ちた。
ルクは次の二打を急がず、譜面上の位置まで待った。
砲塔の追尾時計が、その空白ぶん遅れた。連盟艦隊の移動に照準が追いつかない。
「やめろ!」
サリスは制御卓の銃へ手を置いたが、抜かなかった。舞台へ撃てば、どの入力が欠けるか彼自身が一番よく知っている。
ターラはレンチを持ち替えた。その一瞬だけ、指揮が途切れた。
式典連鎖が警告を出す。
《拍 指揮入力欠落》
《前拍保持 四秒》
ミナの胸が縮んだ。
「ターラ!」
ターラは手を空中で振った。
棒はない。
それでも指揮だった。
認証が戻る。
演奏は続く。
サリスが警備員を向かわせる。
ポロは制御席への通路へ肩を入れた。二人が左右へ分かれるたび、同じだけ動いて通さなかった。
第三楽章は終盤へ入った。
冠門の輪が、艦橋窓いっぱいに広がる。
ミナは譜面の先を見る。
このままなら第三楽章が終わる。
その後、第四終章が必要だ。
でも譜面は四小節しかない。
旋律も途中まで。
サリスが制御席へ戻ろうとする。
ルクが撥を投げ、制御席への通路を塞いだ。
セラが立ち上がった。
歌いながら、ミナの横を通る。
ほんの一瞬だけ、小声で言った。
「第四終章、皇后役は私が降ります」
ミナは吹きながら頷いた。
主唱者退場後も演奏を継続すること。
独奏者の復帰を待たない。
その指示が、頭の中で響く。
問題はその後だ。
何を吹けばいい。
楽譜はない。
ルクの替え歌の拍子しかない。
第三楽章最後の音へ近づく。
ミナの指が硬くなる。
ターラがこちらを見る。
目で聞いている。
行ける?
ミナは答えられなかった。
正しい音が分からない。
それは、ミナにとって、宇宙より広い穴だった。




