第1話:3歳の覚醒と、めんどくさい王子様
「……は?」
それが、3歳になった私――侯爵令嬢セレナが、生まれて初めて口にした、令嬢らしからぬ一言だった。
きらびやかな公爵邸の子供部屋。目の前には、絵の具をひっくり返したような美貌を持つ、私と同い年の第一王子ジュリアスが立っている。
大人たちが「まぁ、なんて可愛らしい天使たちかしら!」と微笑ましそうに見守る中、ジュリアスはすでに完成された冷徹な笑みを浮かべ、傲慢に言い放った。
「セレナ。お前を俺の婚約者にしてやってもいい。泣いて喜ぶといい」
おそるべき3歳児。将来はさぞかし立派なクソ王子に育つことだろう。
本来の私なら、ここで顔を赤らめて喜ぶか、あるいは身分の高さに怯えるべきだった。
しかし、私の頭の中はそれどころではなかった。
彼の傲慢なセリフが引き金となり、私の脳内に、濁流のような「前世の記憶」がブチ込まれたからだ。
(……いや、ここどこだよ。っていうか私、日本の居酒屋で生ビール片手に焼き鳥食べてた記憶があるんだけど。え、何これ、転生? しかも、目の前のこの生意気なガキ、誰?)
記憶が戻ったからといって、前世に未練があるわけではない。ただ、今の私にとって、目の前のきらびやかな王子様は「最高にどうでもいい存在」だった。
「……興味ないです」
私はすん、と真顔に戻り、ジュリアスからパッと目をそらした。
そして、お気に入りの木馬のおもちゃへとトコトコ歩いていき、王子を完全に無視して遊び始める。
「……っ!?」
後ろで、ジュリアスが息を呑む気配がした。
この国の誰もが、王族である彼に媚び、機嫌を伺う。ましてや同年代の女の子なら、彼の美貌を見ただけで赤面して固まるのが常だった。
それなのに、目の前の少女は、自分をまるで路傍の石ころか何かのように一瞥し、スルーしたのだ。
ジュリアスのプライドが、ピキリと音を立てた。
だがそれと同時に、彼の青い瞳の奥に、今まで誰も灯したことのない「執着」の炎が小さく揺らめいたのを、当時の私はまだ知る由もなかった。
◇
その日の夜。
大人の目を盗んでベッドを抜け出した私は、自分の部屋のクローゼットの奥に、不思議な「空間の歪み」を見つけていた。
(……これ、私の魔力? なんだか、すごく懐かしい匂いがする……)
引き寄せられるようにその歪みに手を伸ばし、壁をすり抜けるようにして奥へと進む。
光が弾け、次に私の足が踏みしめたのは、ふかふかの絨毯ではなかった。
冷たい、だけどひんやりと心地いいフローリングの床。
見上げれば、白い壁紙。そこは、異世界のどこを探しても存在しない、**【現代日本の、新築一軒家】**だった。
「うわぁ……! マジで日本の家じゃん……!」
キッチンには冷蔵庫、リビングにはふかふかのソファと、液晶テレビ。
私の固有魔法は、前世の「日本の家」をそのまま異空間に丸ごと具現化する、とんでもない秘密基地作成能力だったらしい。
しかも、壁にかかった時計を見て、私はさらに驚いた。
(あれ? 異世界では夜の9時だったのに、こっちの時計はまだ朝の9時……? 待って、もしかして時間の進み方が全然違う?)
そうなのだ。
【異世界の1時間は、この日本の家の中では24時間(丸1日)】。
つまり、異世界でみんなが1時間お昼寝をしている間に、私はこの日本の家で丸1日、誰にも邪魔されずにポテチを食べ、ゲームをし、アニメを見てダラダラ過ごせるという、究極の引きこもり天国だった。
「最高すぎる。あのアホ王子に関わってる暇なんて、1ミリもないわ」
私はさっそく、チートで冷蔵庫の中に具現化させたキンキンのコーラを喉に流し込み、ソファに寝転がってゲーム機の電源を入れた。
こうして、私の「最高の二重生活」が始まった。
異世界では一見、おとなしくマイペースな公爵令嬢。
だが裏では、時間のディレイをフル活用して、日本のカルチャーを浴びるように吸収するオタク幼児。
しかし、そんな私の平穏な秘密基地ライフは、そう長くは続かなかった。
数日後。私が異世界の公爵邸の庭園で、日本のポテトチップスの味を思い出しながらぼんやりしていると――。
「見つけたぞ、セレナ」
ガサリと茂みを分けて現れたのは、またしてもあの第一王子、ジュリアスだった。
彼はなぜか、私の顔を見るなり、フイッと不機嫌そうに顔をそむけ、だけど耳を少し赤くしながらツカツカと歩み寄ってくる。
「お前、この前のパーティー以来、一度も俺に手紙を寄こさないな。他の令嬢たちは毎日山のように送ってくるというのに」
「はぁ……。お忙しいかと思いまして」
「嘘をつけ。お前の目は、完全に俺に興味がないと言っている」
図星である。
めんどくさいなぁ、早く日本の家に帰ってゲームの続きがしたいのに、と私が心の底から遠い目をしていると、ジュリアスは私の腕をぎゅっと掴み、その綺麗な顔を至近距離まで近づけてきた。
「……面白い。この俺を無視し続けられるとでも思うなよ。お前が俺こっちを向くまで、俺は何度でもお前の前に現れてやる」
(うわ、めちゃくちゃ顔はいいのに、中身がめんどくさすぎる……!)
自分に一切興味を示さない私に、あろうことか「極上の独占欲」を拗らせ始めてしまった王子様。
これが、世界の運命をハッキングでひっくり返すことになる私たちの、すべての始まりだった。




