第八章4 ~契約を破るのは文字通り命がけなのです~
死告龍の眷族たちはいずれも強大な力を持っていたが、森は大妖精の独壇場だった。
一頭一頭分断し、人間たちの協力もあって、危なげなく各個撃破していく。
最後に残った眷族も、四方八方から襲いかかる植物の蔦に四肢を絡め取られ、動きを制限されてしまった。
その隙を突いて放たれたオルフィルドの攻撃魔法が、その眷族の心臓を穿る。
断末魔の悲鳴をあげた最後の眷族が倒れ、動かなくなったことを確認してから、オルフィルドは手にしていた剣を鞘に収めた。
「ふぅ……これで終いか? 皆、無事だな?」
言いながら周りを見渡すオルフィルドに対し、その場にいる各々が無事を知らせる。
激しい戦いを経て疲労こそ濃かったが、いまの戦いで大きな負傷をしている者はほとんどいないようだ。
それを確認して安堵の息を吐くオルフィルドの側に、テーナルクが勢いよく近付く。
思わず体を引いたオルフィルドに対し、彼女はキラキラとした、憧憬の輝きを放つ目を向けていた。
「さすがはオルフィルド叔父様ですわ! 戦場に立つ叔父様を見る機会はありませんでしたが……噂に聞く以上の戦巧者っぷりでした。わたくし、改めて叔父様を尊敬いたします!」
「あ、ああ。ありがとう、テーナルク」
テーナルクの掛け値無しの賛辞を、オルフィルドは苦笑しながら受け容れる。
そんなふたりの様子を見ていたバラノが、ルレンティアとアーミアにこっそり尋ねた。
「もしかして、テーナルク様は……?」
言外に含まれた言葉の続きを、ルレンティアとアーミアは正確に理解する。
ルレンティアはニヤニヤと、アーミアは淡々とバラノの問いに応えた。
「お察しの通りだにゃあ」
「テーナルクは叔父様が好き。……いえ、年上好き?」
「なるほど……なかなか渋い趣味ですね」
「にゃはは。あんまり相手にされてないみたいだけどにゃー」
「親子ほども歳が離れてるから仕方ない」
「聞こえてましてよ? お三方?」
三人はこそこそと話していたが、その内容は離れた場所にいたテーナルクにも聞こえていたようだ。
微笑みながら怒る、という器用な顔をしたテーナルクがいつの間にか彼女たちのすぐ側に立っていた。
テーナルクも加えた四国の女子たちが、やいのやいのと姦しく騒ぎ始める。
溜息を吐くオルフィルドの肩を、ヴォールドが優しく叩いた。
もっとも、その優しげな手つきとは裏腹に、ヴォールドは揶揄するような笑みを浮かべていたが。
「お前も、いや、オルフィルド様も苦労しますなぁ」
「……うるさいぞ、兄貴。中途半端に取り繕うくらいなら敬語なんて使わなくていい」
「おっ、そうか? じゃあお言葉に甘えて。お前も苦労するなぁ」
あっさりと言葉遣いを元に戻すヴォールド。
オルフィルドはもう一度溜息を吐いた。
「全く……王族の身分を捨てた兄貴は気楽でいいよな。俺はこれからのことを考えると頭が痛いよ……」
「まあまあ。それはまずこの状況を切り抜けてからだろ。態勢を整えたら、すぐキヨズミ様を助けにいかねえと」
言いながらオルフィルドがいる方向とは別の方向をみやるヴォールド。
向けた視線の先では、大妖精・ヨウの眷族である大鹿が全身から血を流し、ヨウの目の前で死んでいくところだった。
そんな大鹿の最期を、その主であるヨウは悲しげな表情で見送る。
『馬鹿な子……みんなのことを考えてのことだったのはわかるけど、独りで死告龍に挑むなんて、いくらあなたでも無謀過ぎるわ』
呟いてから、ヨウは小さく咳き込む。すこし苦しげだった。
彼女が大鹿の骸に手を翳すと、地面から噴き出すように蔓が生え、大鹿の骸に絡みつき、地面に飲み込んでしまう。
彼女の眷族は死ぬと森に還る。彼女たちなりの葬送方法だった。
大鹿を森に還したヨウに、オルフィルドが近付く。
「いまの眷族……契約違反を犯したのか?」
『……ええ。私と死告龍の契約に反したのよ。私にもすこし影響が出てる。眷族達には死告龍と和解したことは伝えていたのだけど……死告龍への憎悪と畏怖は、私の想像した以上に濃く、深いようね。あの子を抑えきれなかったのは、私の責任だわ』
悔いるようにヨウは呟いた。
たとえ眷族の独断専行であったとしても、眷族が契約違反を犯せば、その主にも契約違反の影響が出る。
自分は知らなかった、部下が勝手にやったこと、というような詭弁はこの世界では通用しないのだ。
「……まだ、戦えるか?」
『もちろん……といいたいけど、しばらくは影響が残りそうだわ。あの八つ首の眷族が相手だと、相当厳しいわね』
ヨウは自分の手を見詰めて、息を吐いた。
その目が死告龍本体へと向けられる。
死告龍の本体は、聖羅が連れ去られた方向を睨み付けていた。
その小さな体には怒りのオーラがまとわりついているように見え、いまにも飛び出しそうな様子だ。
『死告龍、逸らないで。セイラを助けるためには、人間たちと協力しないといけないわ』
「……グルル」
不満げに唸るリューを宥めるように、ヴォールドが声をかける。
「あの八つ首の奴に主導権を握られるのはヤバそうだからな。もちろん俺たちも協力するぜ。八つ首を相手にしようってんだ。こっちも頭数くらいは揃えないといけないだろ? あんたも万全じゃないんだしな」
弱体化しているとはいえ、死告龍相手に全く怯む様子もないヴォールド。
そんな彼に驚きつつ、他の人間たちも声を揃えた。
「当然、わたくしたちも協力しますわ」
最初に声をあげたのはテーナルクだ。
ルレンティアやアーミア、バラノも続く。
「安全圏なんてないからにゃあ。攪乱程度には役に立って見せるにゃ」
「あの眷族はまだ赤子。圧倒的な潜在能力ではあるけど、戦闘経験は浅い。八つの首があっても、魔力源になる体はひとつ。意識を四方八方に散らせれば……勝機はある」
逆に言えば、八つ首の眷族が完全に成長を遂げた時、死告龍以上に止められる者はいなくなるだろうと考えられた。
死告龍最大の武器は、即死属性を宿したブレスだ。しかし、連続で放てるにしても、ブレスを吐く口はひとつしかない。
八つ首の竜は同時にブレスを放つことが出来る。
その分、一発ずつの威力は落ちるだろうが、即死属性を持つブレスは単発よりも複数放てる方が良いに決まっていた。
扱いこなす前に仕留めなければ、死告龍以上の脅威になるであろうことは容易に想像がつく。
「より効率的に意識を散らすための戦略を考えてみます。私は直接戦闘には参加できませんから……」
バラノはあくまで軍略家である。
正面に立って戦える戦闘力は持ち合わせていなかった。
そんなバラノに対し、同じく軍略家であるオルフィルドが微笑みを向ける。
「戦略は重要です。知恵を出し合いましょう」
なお、オルフィルドが微笑んだ際、彼に懸想しているテーナルクはなんとも形容しがたい顔をしてバラノを見ていた。
さすがに差し迫った状況であり、ただならぬ事態である今、表だって何かいうことはなかったが、彼女の友人でもあるルレンティアとアーミアは、そんな彼女に同情し、優しく肩を叩いてあげていた。
そんな若々しい乙女たちのやり取りを目の端で把握して苦笑しつつ、ヴォールドが話を先に進める。
「少し頭数が足りないな……大妖精様。眷族に戦ってもらうことは可能か?」
ヴォールドに視線を向けられた大妖精が頷くと、その背後に兎と鳥が並び立つ。
どちらも普通の兎と鳥程度の大きさしかなかったが、その体に宿った魔力は並みの魔物を遙かに凌駕していた。
『眷族たちも契約違反の影響は受けているわ。力を集中させて、二頭が限度ね。もう少し時間があれば、森を修復して力を回復できるのだけど……』
森は散々荒らされており、そこから得られる魔力も少なくなっていた。
ヨウが森を修復することは可能だが、それには長い時間がかかる。
「時間をかけるわけにはいかんな」
「ああ。キヨズミ嬢を助けるためには、時間の猶予はそこまでないだろう」
ヴォールドの言葉に、オルフィルドが同意する。
「キヨズミ嬢は攫われた時、バスタオルをきちんと身に付けていなかった。つまり兄……イージェルド陛下の魔法を弾くほどの、絶対防御の加護が発動している状態にない。捕まっている状態では整える余裕もないだろう」
「完全な加護の元にいてくださるのなら、時間をかけて準備を整えることも出来たのですけど……やむを得ませんわね」
オルフィルドやテーナルクの分析に対し、ヨウも賛同する。
『加護が完全な状態でなければ、脱がされることを防いでいる神々の加護を一時的に解除して、あのばすたおるを奪うことが出来てしまうわ』
かつて、加護が緩んだ状態だった時に、聖羅からバスタオルを奪ったことがあるヨウがいうと説得力が違った。
そのヨウに、テーナルクが尋ねる。
「しかし、加護が緩んでいて、さらに解除するのは一瞬でいいとはいえ……あのレベルの神々の加護を解除するのは至難の業であるはずですわ。あの八つ首の眷族は誕生したてとは思えない実力ですが……果たして、可能ですの?」
『そこまでは私にもわからないわ。ただ、楽観すべきではないわね』
ヨウはそう断じた。
ヨウがバスタオルを強奪するに至ったのは、身に付け方によって加護が緩んでいたということもあるが、ヨウ自身が魔法に長けた種族で、それ相応の年月を生きてきた経験があるためだ。
いかに八つ首の眷族の潜在能力が計り知れないものであったとしても、発生間もない魔物が簡単に解除できるような加護ではない。
しかし、今回の相手は、規格外に規格外を積み重ねて生まれた存在だった。
これまでの経験から『出来ないはず』という認識であっていいとは、この場にいる誰も考えていなかった。
「一刻も早くセイラさんを救出するのが肝要、ということですわね……」
「……気になっていたのですが」
バラノが口を開く。
「死告龍様とセイラさんの間で『危害を加えない』といった契約は交わしていないのでしょうか? もし交わしているのであれば、眷族は主が交わした契約に縛られるはず。仮に加護が解除されてしまったとしても、即座に危害は加えられないはずですが」
バラノがした質問の内容に、その場にいた人間達の間に緊張が走った。
一見、バラノの質問は聖羅を救出するまでの猶予を確認しているだけに聞こえる。
しかし約束や契約が重いこの世界において、他者と他者が交わした約束事に関しては基本的に触れないのが礼儀だ。
約束事に、当事者以外の他者の思惑が絡むと、それは間違いなく揉め事の元になるためである。
今の場合、もし聖羅と死告龍の間に「危害を加えない」という制約があったのだとすれば、死告龍と対決する最悪の事態になった際に、聖羅を盾にすることが出来る。
絶対防御の加護以外何もない聖羅をどうにかする方が、死告龍を直接相手にするよりはまだ希望が持てるためだ。
こういった情報を集めることはこの世界の争いにおいて基本であり、侵略国家の戦略家であるバラノはそれをよく理解していた。
状況を利用し、聖羅と死告龍の間にどんな制約が存在するのか、確かめているのだ。
(まったく……これだからザズグドズ帝国の人間は油断ならないんだ……)
(いまの状況からすると、重要で必要な情報なだけに、答えないわけにもいかないですしね……ああ、本当に厄介な方ですわ)
オルフィルドやテーナルクがそう考えている前で、ヨウが彼女の疑問に応える。
『私の知る限りでは、そういった約束は交わしていないはずね。さっき私もろともセイラを結界で縛り上げることもしていたし……交わされていないと考えた方がいいわ』
誠実であることに重きが置かれる世界だからこそ、明確に行動を縛る約束や契約は滅多なことでは交わされない。
なお、ヨウは聖羅と死告龍に対して『裏切らず助けになる』という契約を結んでいるが、それもそれ相応の理由があってのことだ。
死告龍とは、元々敵対関係にあったことや、真正面から戦いを挑んで敗北したこともあって、半ば強制的な契約として結ばされている。とはいえ、死告龍側も『森にブレスを吐かない』という条件を呑んでいるため、妥当な契約の範疇だ。
一方、聖羅とはヨウが一方的に『裏切らず助けになる』というものであり、聖羅にはヨウに対して何の制約もない。
これには、聖羅を騙してバスタオルを強奪したことに対する償いと、聖羅が命を張ってヨウを救ったことに対する恩義があるためだ。
それでも一方的な契約はかなり重い。ヨウが契約を交わした際、リューが驚いていたのはそれが極めて重い契約だったからだ。
「そう……ですか。そういった約束があれば、救出するまでの時間に少し余裕が持てたのですが」
行動を縛るような重い契約が、聖羅と死告龍の間に存在しないことを確認したバラノは、少し残念そうな様子だった。
そんなバラノをフォローするように、ルレンティアが口を開く。
「仕方ないにゃ。せいらんと死告龍様は敵対する間柄になかったわけだしにゃ」
四国の中でルィテ王国と敵対関係にあるバラノが唯一「ルィテ王国に危害を加えない」という契約を結んで入国しているように、友好関係にある者同士で「相手に害を与えない」という制約が結ばれることは基本的にはない。
聖羅の元いた世界でいうならば、親しい友人と「お互い仲良くし続けよう」「私はあなたを裏切らない」などと言い続けることはないのと同じだ。
まして誠実であることが求められるこの世界で、友好関係にある相手を騙し討ちなどすれば、例え契約による代償がなくとも、それを実行した者は未来永劫誰からも信用されなくなる。
一時的に得られるアドバンテージを考えても、普通は取られることがない選択肢だ。
無論、国を背負う彼ら彼女らはただ相手の善意を信じるだけでは成り立たないので、互いに裏切らずに済むための道を模索し続けてはいるが、それはそれ、これはこれである。
「あとは、あの眷族がどの程度キヨズミ嬢のことを重視し、加護の解除にどの程度の力を割くかが問題だな」
「死告龍様の本体を含む私たちは最大の脅威であるはずです。まるきり無視するとは思えません。確実になんらかの攻撃をしてくるはずですが……」
戦略家のバラノがそう呟いた時、森全体が揺れた。
否、森が存在する魔界そのものが揺れ始めていた。
警戒を強めた全員が違和感を覚えて上空を見上げる。
その見上げた空にヒビが入り、開いた空の隙間から次々と瓦礫が飛来するのを確認した。
その現象の理由を即座に看破したバラノが声を上げる。
「なんて、豪快な……! 魔界の一部を放棄することで、私たちに攻撃を仕掛けるなんて!」
「魔界を放棄。長期的に見れば愚策だが、いまに限っては会心の一打だな……! ただ魔界の制御を放棄しただけなら……全ての力をキヨズミ嬢へと割ける!」
「オルフィルド! どうやら迷っている暇はないようだぜ!」
落下してくる魔界の瓦礫。
その中には、死告龍の眷族と思わしきモノ以外にも、自然発生したと思われる魔物たちが混ざっていた。
自然発生した魔物は、居た場所の崩壊に巻きこまれて落ちてきているだけだが、眷族達は明確な意思を持って、オルフィルドたちに襲いかかって来ようとしている。
オルフィルドが戦闘態勢を取り、仲間達に檄を飛ばした。
「全員、俺の側に集まれ! 一点突破だ!」
「……っ、それしか、ありませんね!」
バラノは言いかけた言葉を飲み込み、オルフィルドの方針に従う。
本来は、即死属性の攻撃を行う敵に対し、一カ所に固まるという行為は愚策である。
集まればその場所に攻撃を受けた際、一網打尽になってしまう可能性があるためだ。
しかし、一刻も早く聖羅の元に行かなければならない現状では、散開して対処している暇はない。
一か八か、全員の力を合わせて一点突破を試みるのが最善であった。
オルフィルドの周囲に集まった者達の足下に、彼が生み出した魔法の足場が出現する。
「魔力消費は激しいが……仕方ない!」
オルフィルドが合図を出すと、全員を乗せた足場が勢いよく上昇し始める。
彼ら目がけて魔法やブレスが飛んでくるが、それらは的確にヨウやその眷族が撃ち落としていく。
生じた爆煙を突っ切って、彼らは高速で上昇していった。
一方、八つ首の竜に連れ去られた聖羅は、彼が魔法で生み出した結界術によって、体を絡め取られていた。
四肢を絡め取られ、中空に磔にされた聖羅に抵抗する余地はない。
むき出しになってしまっている胸を隠すことも出来ないのだ。
拘束を解くなど、不可能に等しい。
抗うことも逃げることもできない彼女は、目の前に迫る死の恐怖に震えるしかない――はずだった。
しかし彼女は取り乱さず、ただ恐怖に震えるわけでもなく、八つ首の竜をまっすぐ見詰めていた。
その瞳に、絶対優位にいるはずの八つ首の竜の方が怯んでいた。
聖羅は恐怖を感じていないわけではない。体が震えているのを、結界術を通して、八つ首の竜は感じていた。
なのに、瞳はまっすぐに八つ首の竜を見据えている。
それが八つ首の竜には理解出来ず、恐ろしいものに映っていた。
だが、様々な種族の強者と戦ってきた経験の豊富な死告龍本体であれば、それはよく見てきた瞳だった。
志を持って決意を秘め、誰しもが当たり前に持つ死への恐怖を押し殺し、絶望的な戦いに挑まんとする勇者の瞳だったからだ。
そういった意思の強さこそ、人間の強さの根源だと、死告龍ならば知っている。
得体の知れない恐怖を感じるものではなく、敬意を持って相対すべき瞳だと判っている。
だが、八つ首の竜にはそれがわからない。
発生したてで、ほとんど容易な戦いしか経て来ていない経験の浅さが恐れに繋がった。
『……何か言いたいことでもあるのか、人間』
だからそう尋ねてしまったのは必然であった。
得体の知れないものを恐れるあまり、問うことで把握しようとしてしまった。
そんな八つ首の竜に対し、聖羅は震えながらも口を開く。
八つ首の竜の方から質問しなければ、彼女は口を利けなかったかもしれないのに。
彼から聞いてしまったことで、最後の後押しをしてしまった。
そして聖羅は、八つ首の竜にとって、想定外の問いを口にする。
「あなたは本当に――本気で、リューさんを殺す気なんですか?」
つづく