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111/111

第111話

翌朝。

少し早めに起きて朝食を済ませる。

キャンプ場の朝は空気が澄んでいて気持ちがいい。

琵琶湖を見下ろす景色を眺めながらコーヒーを飲んでいると、親父が声を掛けてきた。

「今日は京都だ。」

「伏見稲荷には午後に伺うと連絡してある。」

「だから午前中は京都観光だな。」

「了解。」

キャンプ場を出発し、大津駅近くの駐車場へ車を停める。

お盆の京都は渋滞がひどいらしく、そこからは電車で移動することになっていた。

電車へ乗るのは、いなりも烈も静も初めてだ。

いなりは窓の外を見ながら楽しそうにしている。

「速いのです。」

「車とはまた違いますね。」

烈と静も興味深そうに車内を見回していた。

「人が多いですね。」

「お盆だからな。」

「京都は特に多いんだ。」

最初に向かったのは宇治。

母さんの希望で平等院を参拝する。

鳳凰堂を眺めながら、家族六人でゆっくり歩く。

いなりは池へ映る建物を見ながら感心していた。

「きれいなのです……。」

「これも昔の人が建てたんだよ。」

「すごいのです。」

参拝を終えると、宇治茶のアイスを食べながら商店街を歩く。

観光客は多かったが、不思議と慌ただしさは感じなかった。

旅行らしい、ゆったりとした時間が流れていく。

昼食を済ませると、JR奈良線へ乗り換え、稲荷駅へ向かった。

稲荷駅を降りる。

駅前には多くの観光客が行き交っていた。

外国人観光客の姿も多い。

表参道には土産物屋や食べ歩きの店が並び、とても賑やかだ。

「人がいっぱいなのです。」

いなりは少し俺の袖をつかんだ。

「大丈夫。」

「ゆっくり行こう。」

楼門をくぐる。

そこから先は、不思議と騒がしさが気にならなくなってきた。

本殿の前へ立つ。

家族そろって手を合わせる。

二礼二拍手一礼。

目を閉じた、その瞬間だった。

周囲の音がすっと消えた。

風も。

人の話し声も。

鳥の声さえ聞こえない。

静寂だけが広がる。

そして。

優しい女性の声が聞こえた。

『ようこそ。』

『透さん。』

『それに、いなりちゃん。』

『お久しぶりですね。』

ゆっくり目を開く。

そこには、一人の女性が立っていた。

神々しいほど美しい。

けれど、不思議と近寄りがたい雰囲気はない。

優しく微笑みながら、こちらを見ている。

「宇迦之御魂神様。」

俺は自然と頭を下げた。

「お久しぶりです。」

うか様は少し困ったように笑う。

「透さん。」

「私のことは、うかでいいですよ。」

俺は思わず聞き返した。

「え?」

「これから家族になるんですから。」

「家族……ですか?」

「尾張ダンジョンの稲荷神社へお迎えするとは聞いていますけど……。」

うか様は肩をすくめる。

「だって。」

「神社は小森家の土地に建っているでしょう?」

「つまり。」

「今日から同居です。」

「……。」

「ね?」

「家族でしょう?」

俺は苦笑するしかなかった。

「さすがに神様を『うか』とは呼べません。」

「うか様。」

「これでどうでしょう。」

うか様は少し考えてから笑う。

「まぁ、そのあたりが妥協点ですね。」

「いいですよ。」

「それで。」

俺は改めて頭を下げた。

「でも。」

「神様を家族って呼んでもいいんでしょうか。」

うか様は優しく笑う。

「私がそう呼んでほしいんです。」

「ねっ。」

そう言って、いなりを見る。

「いなりちゃん。」

「は、はい。」

「あなたも。」

「今日から『うか様』でお願いします。」

「う……。」

いなりは俺を見る。

助けてほしそうな目だ。

俺は苦笑しながら首を横に振る。

「……。」

いなりは観念したように小さく息を吐いた。

「分かりました。」

「うか様。」

うか様は満足そうに頷いた。

「そうそう。」

「それでいいんですよ。」

俺はその様子を見ながら、ふと思った。

「うか様。」

「なんか。」

「雰囲気変わりました?」

うか様は少し驚いた顔をしたあと、楽しそうに笑った。

「バレました?」

「今までは神様モードだったんです。」

「今日からは家族モードです♪」

俺は思わず笑ってしまう。

「だいぶ印象が違いますね。」

「そうですか?」

うか様はにっこり笑った。

「透さん。」

「びっくりしました?」

「しました。」

うか様は嬉しそうに両手を合わせる。

「やった♪」

   ◇

うか様は満足そうに頷くと、今度はいなりへ向き直った。

「そうそう。」

「いなりちゃん。」

「はい。」

「あなた、まだ学校は決まっていませんよね?」

「はい。」

「いつ決まるのかも聞いていないのです。」

うか様はくすっと笑う。

「それは私が止めていたんです。」

「えっ?」

俺も思わず聞き返した。

「止めていた?」

「そう。」

「もう少し待ってほしいってお願いしていたんです。」

「だって。」

「せっかくなら、一緒の学校へ通わせてあげたいじゃないですか。」

そう言って、いなりを見る。

「いなりちゃん。」

「透さんと同じ学校へ行きたい?」

いなりは間髪入れず答えた。

「行きたいです!」

あまりにも即答だったので、うか様は思わず笑ってしまった。

「即答ですね。」

「じゃあ。」

「今まで頑張ったご褒美と、これからへの期待を込めて。」

「これをあげます。」

うか様がそっと右手をいなりへ向ける。

その瞬間。

いなりの身体が柔らかな光に包まれた。

眩しくて思わず目を閉じる。

数秒後。

光がゆっくり消えていく。

目を開けると、

そこには高校生くらいの少女が立っていた。

腰まで届く金色の髪。

ふわりと揺れる狐色の耳。

柔らかな尻尾。

幼さは少し残っている。

それでも、思わず息を呑むほど美しかった。

だけど。

こちらを見て微笑む表情だけは、

俺の知っているいなり、そのままだった。

「……いなり?」

少女は嬉しそうに頷いた。

「あるじ様。」

「いなりです。」

俺はしばらく言葉が出なかった。

うか様が横から覗き込んでくる。

「透さん。」

「びっくりしました?」

「しました。」

うか様は両手を合わせる。

「やった♪」

俺は苦笑しながら頭をかく。

「うか様。」

「神様なのに、そういう反応を楽しむんですね。」

「もちろんです。」

「驚いてもらえた方が嬉しいじゃないですか。」

俺は笑うしかなかった。

「だいぶ親しみやすくなりましたね。」

「言ったでしょう?」

「今日から家族モードです♪」

その時。

いなりは自分の身体を見回していた。

耳を触る。

尻尾を抱く。

まだ実感が湧いていないようだ。

「どう?」

うか様が優しく聞く。

いなりは少し考えてから笑顔になる。

「びっくりしました。」

「でも……。」

「嬉しいです。」

「うか様、とってもきれいでした。」

「ありがとうございます。」

うか様は照れくさそうに笑った。

「喜んでもらえたなら良かった。」

そう言うと、

うか様はいなりの耳元へ顔を寄せる。

「実はね。」

「もう一つ。」

小さな声で何かを囁く。

「……。」

いなりの顔が一瞬で真っ赤になった。

「えっ。」

「ほ、本当にですか?」

「本当ですよ。」

「頑張ってくださいね。」

「は、はい。」

いなりは何度も頷いている。

俺だけが話についていけない。

「何の話?」

「内緒です。」

うか様は楽しそうに笑う。

「女の子同士の秘密ですよ。」

「気になるんだけど。」

「だめです♪」

俺が困っていると、

いなりがおずおずと近付いてきた。

「あるじ様。」

「うん?」

「……。」

少し恥ずかしそうに俯く。

「いなりは。」

「大きくなって……。」

「嫌でしたか?」


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