かつての悪役令嬢は今では無邪気な少女のように見える
これはこの物語の最新エピソードです。皆さんに楽しんでいただけたら嬉しいです。
ガリーとヴィクトリアは、南へと続く風の街道を歩いていた。
目的地は――ガディガル。
それはレディアの中でも特に広大な土地であり、
風と共に生きる民の国だった。
地平線の果てまで続く草原。
絶えず吹き抜ける強い風。
その風を、彼らは“力”として扱う。
巨大な風車が幾重にも並び、
風の流れを制御し、収穫や運搬を容易にする。
ガディガルの民は、黒く焼けた肌を持ち、
風と共に働き、風と共に生きていた。
そして――
この地には、もう一つの異質な存在がいた。
カンガルー。
大地を跳ねるその獣は、ただの動物ではない。
過去、現在、未来。
三つの時間を同時に視る存在。
ガディガルの賢者たちは、
日々そのカンガルーと共に過ごし、
“時間を読む術”を学び続けているという。
だが。
この穏やかな土地にも、傷は残っていた。
数年前。
北部一帯は、クインツス帝国の侵攻を受けた。
指揮を執っていたのは――
ヴィクトリア・クインツス。
村は焼かれ、民は追われ、
多くの者が命を落とした。
生き残った者たちは、
中央部と南部へと逃れ、
今もなお、その傷を抱えている。
つまり。
この地においてヴィクトリアは――
最も憎まれる存在だった。
「……」
国境の手前。
ガリーは足を止めた。
視線の先には、
風に揺れる広大な大地。
そして、その背後にいる女。
「……どうするべきだ」
誰にも届かない独り言。
このまま入れば、どうなるかは明白だった。
彼女は見つかり、
石を投げられ、
刃を向けられる。
その時。
もし、彼女が――
反射的に自らを守ろうとしたら。
もし、その瞬間に、何かを思い出したら。
――その時こそ。
ガリーは、剣に手をかけた。
終わらせられる。
この世界に刻まれた“悪”を。
だが。
「……」
振り返る。
ヴィクトリアは、風に揺れる草をじっと見ていた。
まるで、初めて見るもののように。
その瞳には、
恐怖も、悪意もなかった。
ただの――好奇心。
ガリーは目を閉じた。
そして。
「……入るぞ」
低く言った。
結論は出ていた。
彼は右手をかざし、魔力を練る。
淡い光が、ヴィクトリアを包み込んだ。
次の瞬間。
黄金の髪は、静かに黒へと沈み。
蒼い瞳は、深い褐色へと変わった。
「……え?」
ヴィクトリアは自分の髪に触れ、
不思議そうに首を傾げる。
ガリーは答えない。
ただ、前を向いた。
「行くぞ」
ヴィクトリアは小さく頷き、
その後を追った。
こうして二人は、
ガディガルの大地へと足を踏み入れた。
――だが。
何も起こらなかった。
人々は二人を見ても、
ただの旅人としか認識しない。
視線は向けられる。
だが、それ以上はない。
憎悪も、殺意も。
そこには存在しなかった。
「……」
ガリーは周囲を観察しながら歩いた。
やがて、彼は足を止める。
大きな岩の前だった。
風に削られ、奇妙な形をした岩。
その前に立ち、ガリーは目を閉じる。
そして――歌い始めた。
低く、静かに。
ガディガルの古き歴史。
風と共に生きた民の物語。
時に滑稽に。
時に勇壮に。
時に悲劇として。
その声は風に乗り、
周囲へと広がっていく。
これは、武僧団の務めの一つ。
戦うだけではない。
歴史を語り、記録し、伝える者でもある。
やがて。
数人の人々が足を止めた。
「……いい声だな」
「懐かしい歌だ」
小さな硬貨が、いくつか投げられる。
ガリーは歌を終え、軽く頭を下げた。
何も言わない。
それだけで十分だった。
彼は懐から、小さな袋を取り出す。
中には、種が入っていた。
遠い土地で手に入れた果実の種。
珍しく、そして価値のあるもの。
「……これは?」
「植えれば、甘い実がなる」
短いやり取り。
やがて、いくつかは売れた。
ガリーは静かに袋を閉じる。
――その時。
「……?」
視線が、横へと動いた。
ヴィクトリアの姿がない。
一瞬の沈黙。
そしてすぐに見つけた。
少し離れた場所。
ヴィクトリアは、地元の子供たちと遊んでいた。
笑っている。
無邪気に。
地面に線を引き、何かの遊びをしているらしい。
子供たちも、笑っていた。
誰一人として、疑っていない。
その光景を見て、ガリーは一瞬、動きを止めた。
だが。
すぐに歩き出す。
「……行くぞ」
短く言い、ヴィクトリアの手首を掴む。
「え、あ……!」
彼女は少し驚いたが、抵抗はしない。
子供たちが手を振る。
「またねー!」
ヴィクトリアも、小さく手を振り返した。
ガリーは何も言わず、歩き出す。
そのまま、風の中へと。
――この女は。
本当に、“あの皇帝”なのか。
その疑問は、
風の音に紛れて、消えなかった。
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