終幕
二〇三一年八月 永田町
昼食後。風光は執務室で〈ガルガンチュワ〉のクッキーをボリボリと頬張っていた。コンコン、とノック音のあとに扉が開き、「総理、失礼します」と秘書官が顔を出す。
「十三時二十五分より情報庁長官レクが入りました。十五分ほど急ぎで時間をいただきたいとのことです」
「ほーい」
気の抜けた返事をしたあと、はあーあ、と風光は思わず溜め息をついた。「どうかなさいましたか?」と秘書官に尋ねられ、「いや、まあ」と言葉を濁す。
「あの人の話、絶妙につまんなくて眠たくなるんだよなあ。目新しい情報も特にないし」
「はは。これは手厳しい」
「日本の警察は優秀だが、もちっと柔らかーく考えられないものか。官僚のポンチ絵レクほど目が霞む代物はないと思ったね」
「総理が就任されてから、どの省庁もペンパッドを使ってインフォグラフィックを駆使したレクに様変わりしましたよね」
うんうん、と目を輝かせた秘書官が誇らしげに頷く。そのとき、ジャケットの胸ポケットが震えた。一本のペンホに着信があった。秘書官に部屋を出るよう目で指示する。このペンホは、かけてきた人物専用に作ったものだった。秘書官が「失礼します」と慇懃に部屋を出て扉を閉めたのを確認して、風光は通話に出た。
「Hey.」
『やあ、ルーク。今回の選挙も圧勝だったそうじゃないか。おめでとう』
「ありがとう悪友」
通話の相手は正真正銘の米大統領だ。風光の学友でもある。今あちらはちょうど真夜中か。先の参院選での勝利を祝福され、風光は礼を返した。
――これでやっと参議院の老害どもを一掃できた。
将棋の駒が盤上で思った通りに進んでいくのを、風光はこの上なく楽しんでいた。
『君のおかげでこちらも暴君を追放できたのは忘れないよ。ほんと、なぜ年寄りという生き物は自分の引き際がわからないのかね。爺の小便のようにいつまで経っても途切れず細々と後を引きたがるんだ』
彼は戦争で暴走しまくった前大統領を蹴落とし、二〇二八年に三十七歳で当選。翌年一月、米国史上最年少の大統領が誕生した。風光は〝松〟として入手した情報に基づき、システムの脆弱性を突いて、日本海潜航中の米原子力潜水艦をハッキングした。核弾道ミサイルを日本に向けて発射させたのは四年前のことだ。
「そちらの国民性はまだ理解できるよ。やられたらやり返すが信条だからな。我が国なぞ、ミサイルが領土で炸裂し、一度他国に蹂躙されねば目が醒めぬほど、国民がバカなんでね。それでも、戦争と震災を同等の災禍と捉えているから笑ってしまうよ」
『そうは言っても自分の故郷まで攻めさせるとは、なかなかクレイジーだ』
「〈故郷の喪失〉って物語はキングメークにふさわしいだろ? 狂ってなきゃ一国の首脳なんざならないさ」
『まったくその通りだ』
ははは、と互いに乾いた笑い声を上げる。
「ああ、そちらの訊きたいことはわかっているよ。高くつくがな」
『話が早くて助かる。それはまったく構わないよ』
「――王主席だが、愛娘に裏切られ、挙句の果てには死なれた。最近は半狂乱で手がつけられないだと。いま表に出ているのは影武者だ」
『まるで本当にリア王のようだね。どうせその道化は君が用意していたんだろう?』
「まあな。王が心不全で死ねば流れは変わる」
『しかし〈中華革命〉は失敗したじゃないか』
「おいおい。散々、民主化を信じて援助してきた自国を棚に上げるなよ。すべてはシナリオ通りさ。姫が悲劇の死を遂げたことで、いっそう人民の熱は高まり、声も大きくなった。既に制脳権はこちらが押さえつつある。予定通りAI革命に移行するよ」
種は蒔いた。と風光が通話には使っていない他のペンホを手でくるりと回しながら言った。
『分割統治の比率は?』
「もちろん山分けだ。俺は小村寿太郎のように愚かじゃないんでね。エドワード・ハリマンは知ってるか?」
『ああ。鉄道王か』
「満鉄の二の舞は演じないよ。アングロサクソンと手を組んでいるときの日本は調子がいいそうなんでね」
『はは。誰がそんなこと言っていたんだい?』
「なかなか面白い子がいるんだ」
風光はクッキーを一つ手に取り、片手でパキと二つに割った。
『じゃあ、決行日が決まったら教えてくれ』
「ああ」
『Farewell, fair cruelty.』
通話が切れる。最後の取ってつけたような台詞に風光は思わず目を眇めた。
Fair-weather friendとはよく言ったものだ。タイモンのようにmouth-friendsを数えればキリはないが、優秀な手駒は多ければ多いほど都合がいい。
二つに割ったクッキーの片方を口に入れ、モゴモゴさせていると、再びノック音が鳴った。
「総理、情報庁長官入ります」
「はい、はい」
よっこらせ。と立ち上がる。国家情報庁長官が現れ、部屋の扉が閉められた。
「総理、外遊前のお忙しいところ失礼いたします」
「構わないよ。座って」
風光が応接用のソファーに腰かけ、テーブルの角を挟んだ席に長官が座る。NIIAの総理レクは、なんとまだ、紙、で行われていた。製紙業者に人質でもとられているのだろうか。
長官の語りを右から左に聞き流しながら資料を見て、急ぎで伝えたいことがこれか、と風光は思わず溜め息を呑み込んだ。そしてそれにとどまらず、なぜこんなにも目が滑る資料しか作れないのか。と反対の意味で目を瞠る。逆にその才能は褒めてやりたいと風光は思った。
――やれやれ。部下の苦労が目に浮かぶ、と以前言われたが、風光は手足となって働く彼らの苦労が目に浮かんだ。
「All the world's a stage, And all the men and women merely players.《この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ》[1] ってね」
「……は。何かの引用、ですか?」
「まあ、そんなものだよ」
「すまない。続けてくれ」風光がニコリと微笑む。そろそろこの駒も替え時だなと思いながら。
国際政治は歌舞伎だ。エージェントとして世界中を飛び回っていた頃から、表に出ているものは氷山の一角にすぎないことはわかっている。いがみ合っているように見せかけて裏では堅く手を握り、仲睦まじく見せておいて、裏では蛇蝎のように相手を唾棄する。だが風光は、そんな人間喜劇に興味はない。すべては所詮、暇つぶしだった。
報告を終えた長官が部屋を出て行ったあと、風光は立ち上がり、んーっ、と腕を高く上げて、伸びをした。コキコキ、と首を軽快に鳴らし、ふう、と息をついて笑う。
さて、と。
新たな遊戯の始まりだ。
――――――――Fin.
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[1] シェイクスピア、小田島雄志訳(一九八三年)『お気に召すまま』、白水社、第二幕第七場




