act-0 prologue 仕事はありがたく頂戴します
本作品はフィクションです。
登場する人物、団体、企業、学校、事件等は架空のものであり、実在するものとは関係ありません。
また、作中には実在する神社仏閣、伝承、民話、地域名等を参考にした表現が含まれますが、物語上の演出および独自解釈によるものであり、実際の歴史・信仰・伝承とは異なる場合があります。
ひとつの原稿を脱稿する。
しがないフリーランスは1稿1稿を大事にする。
そのはずなのに…フリーとは忙殺されても驚かないブラックな仕事のようだ。
確かに頼まれた関西は滋賀県。竹生島を中心としたトラベル情報記事だったはず。
それが旅行記に、事件記事にと色々と飛び火した。
一度で3度おいしいともいえるが…世の中それほど甘くない。
原稿料が値切られる。
特に経費部分はシビアに処理される。
もっとも、二重に取る気はないが…少しは色を付けてほしい。
原稿は似ていても内容と視点を変えているのだから…とそんな説明をさせられた帰りだった。
仕事を押し付けられた…もとい…いただいたお礼に編集部を訪ねることにする。
一仕事終わり、少しは足取りも軽く、経費精算も終わり…
ただ、前出しされた経費から返金が発生し、ちょっと損した気になってしまう。
何も損はしていないのだが…人というのは不思議なものだ。
そんなことを思っていたせいか?
編集部の区画になっているところに足を踏み入れた瞬間。
不意打ちのように一撃が飛んできた。
パンッ!
乾いた音が、編集部の通路に響いた。
仕事をしていた数人が顔を上げる。
でも、それだけ。
誰も止めない…どころか立ち上がろうともしない。
「莫迦なの!?」
三枝美里の目には涙がいっぱいになっていた。
見事に振り切られた手は、スナップまで利いていた。
興奮冷めやまないまま、美里は背を向けて去っていく。
って、完全に怒りを頂点にして…
溜息が一つ漏れ、苛立ったような足音だけが、通路の奥へ遠ざかっていく。
通路の真ん中で、紘一は頬を優しく撫でて立ち尽くしていた。
そこに一言…
「鳴海!」
どう考えてもお説教が始まる呼びかけ…
「震災復興のいまを…いくつか観光地もお願い」
「……へ?」
説教ではなかった。
新しい仕事の依頼だった。
ありがたいけれど…ちょっと冷たい。
って心配もなく仕事依頼。
「仙台。宮城県に行ってほしいんだけど」
もう依頼というレベルではなく、命令というレベルにしか聞こえない。
その原因は、声をかけるタイミングを奪われたからだが…
それでも笑いを堪えて言うせいか、声が震えている。
「仙台を起点にして、復興の現在と観光を絡めた記事で」
「宮城……」
「ええ。それと、ちょうど七夕の時期だしね」
「暑いよ」
呟きながら編集長の席に近づく紘一に、副編集長を務める小田切がピッと紙を一枚、二本指で挟んで顔の前に出してくれる。
なんとも息の合ったコンビネーションを見せてくれる。
『仙台七夕まつり』の資料だ。
そこに、もう一枚の資料が重なった。
「それから、観光大使との取材も組んである」
「観光大使?」
「神谷美咲さん。知ってるよね?」
知らないわけがない。
テレビでも見る名前だった。
宮城県の観光大使を務めるタレント。
「七夕の取材と、復興関連の観光記事。そこは彼女と一緒に回ってもらう」
「……俺が?」
「他に誰がいるの?」
ごもっともだ。
フリーランスに助手はいない。
というか助手が持てるほどギャラはいただけない。
不況というのは、そういう部分でも発揮されている。
紘一は、小田切がヒラヒラと揺らす資料を手に取る。
七夕祭り。
震災復興。
観光。
そして、神谷美咲。
どうやら、一本の原稿で終わる話ではなさそうだった。
「それと、もう一つ」
朝倉葉月が何気なく続けた。
しれっと挟み込むように言うのは彼女の悪い癖だ。
続く言葉が事のついでで処理できることは、ままありえない。
「金華山」
「………」
さて…岐阜県だったかな。
もうついでの基準ではない。
「固まるな。女川の方だよ…」
「宮城県?」
「ルポライターのわりに地理が疎いよね」
葉月がニヤッと口角を上げた。
そもそも紘一はルポライターではない。
事件記者…それも評判の良い記者だった。
それがフリーライターとして何でも屋になっている。
その原因の一端はこの編集部にある。
元々遊軍記者の集まる部署。
それがいまでは企画を預かる部門として頑張っている。
時代は常に動く。
アナログからデジタルへ、紙からモニターへ。
追い詰められるのはいつのときもアナログでしか働けない存在かもしれない。
「寺社仏閣特集…何故か評判いいんだよね」
紘一は資料から顔を上げた。
「一本の原稿……だよな?」
「もちろん」
「……本当?」
「私がだましたことある?」
紘一は、もう一度資料を見る。
どう考えても、一件の記事に収まる仕事量ではない。
それでも……この顔には勝てない。
友人以上、恋人未満、ついでに告白というタイミングを失った相手…
紘一は小さく息を吐き、資料をまとめた。
「ないけど」
「けど?」
「俺を売る」
「………」
「その沈黙は何?」
「はいはい、行くの行かないの?」
「行くけど…」
こうして、紘一の次の旅が始まった。
ただ、このときの紘一は、まだ知らなかった。
仙台で待っているのが、一本の原稿だけではないことを。
七夕の街で出会う女性が、自分の旅を大きく変えることも。
そして、今回もまた。
妙なものに巻き込まれることも……
「鳴海! 変なナレーション呟かずに行く!」
「はい!」
紘一は脱兎の如く編集部を後に…できずに戻ってきた。
「…はい」
葉月が苦笑しながら一枚の書類をくれる。
経費の前出し承諾書。
「ありがとう。愛しているよ」
「たく…」
葉月は苦笑を浮かべながら紘一の背を見送った。
人の気も知らないで…
そんなことを思いながら、美里はデスクの上の時計へ視線を流した。
女性の細腕に嵌めることなど、最初から考えていない代物。
自分の趣味を押し付けただけの、武骨な腕時計が視線の先にある。
それをくれたのは、と記憶を手繰るほど前のことだ。
いまでは、この時計が……どこか紘一自身を見ているような気すらする。
それを選んだ頃の男の姿が、ふと頭に浮かぶ。
歳を重ねた。
それ以外はそれほど変わらない。
長身で、すらりとしている。
黒髪はいつも少し無造作で、整えているのかいないのか分からない。
顔立ちだけを見れば、かなりの二枚目だと思う。
切れ長の目元には知性があって、黙っていれば少し近寄りがたいくらいなのに……
笑うと、その印象があっさり崩れる。
どこか人懐っこくて、飄々としていて。
格好をつけているようで、肝心なところでは格好がつかない。
それが鳴海紘一という男だった。
仕事では意外なほど真面目で、頼まれれば嫌とは言えない。
人の面倒まで背負い込んで、そのくせ本人は大したことではないような顔をしている。
今回も、AI作成画像だの、CG画像だのと騒がれたネットの投稿サイトをバズらせたとある医療生協病院での事件に首を突っ込んでいた。
『竹生島を中心にした観光情報を…』と、確かにそう伝えたはずなのに…
何故か『+α』をしてしまう。
葉月から見れば、昔からそういう男だから驚くことはない。
そして、決まって損をする。
だから……目が離せない。
ただ、それが妙に紘一らしいと思ってしまう。
飾り気がなくて、少し無骨な腕時計。
それなのに手に取れば不思議と馴染む。
まるで、あの男そのもののように。
腕に嵌めることもないまま…デスクウォッチになっている。
これに気づけないあたり、恋が巧くいかないことも納得できてしまう。
ただアイツは知りもしない。
莫迦…
美里は小さく息を吐いた。
人の気も知らないで。
「今度は何ですか? 編集長」
小田切がため息を添えて、声を掛けてくれる。
「ん? 美里?」
「ええ」
「まぁ…美里の手に余るかもね」
「…美里ちゃんだけじゃないですよ」
小田切は、はにかんだような苦笑を浮かべた。
「フェイク騒ぎ動画のやつよ…」
「俺、見てないんですけど」
「小田切~!」
「それ藪蛇でしょ…」
小田切は、鞄と上着をサッと取ると「お疲れ様です」と走っていく。
彼は、紘一を意識している。
記者としてのノウハウを教えた…叩き込んだ…勝手に覚えさせた…
とりあえず影響を与えたのが紘一だった。
色々な意味で、小田切とも長い付き合いだ。
葉月が仕事を回すように、小田切も仕事を回してくれている。
会社を去ったフリーランスなのに…何気に愛されているのが紘一だった。
小田切はいつものように階段へと足を向けた。
エレベーターを待てばいいのだが、新人時代の癖か一人だと階段を下りてしまう。
2階ほど降りたところで小田切は足を止めた。
半階下からため息が聞こえてきた。
その強気なため息の吐き方をするのは三枝美里だ。
反省しているときに、自分に対してするため息。
聞かなくても、紘一を叩いたことだろう。
いつも理由を聞くのが暴力の後になる。
感情的になって手を挙げる癖はなかなか直らない。
ただ、何故かクリティカルヒットするのは紘一にだけだ。
「副編…」
脱出しようとドアノブに手をかけた瞬間、その声が下から届いた。
『知らんぞ』と背を向けたい気分だが、美里に関しては放置できない。
新人時代の三枝と紘一を組ませたのは小田切だった。
言い方が悪いが小田切の汚点ともいえるミスだ。
正直、紘一は良い男だ。
そこに余計な装飾をしている。
無造作に伸びた黒髪に、少し疲れの滲んだ目。
整った顔立ちをしているくせに、本人にはそれを気にする様子のなさ。
長身で、細身なのに華奢に見えない。
服装が洒落ているわけでもないどころか無頓着。
少し大人に憧れる新卒はそれにやられた。
問題は、飲みすぎた紘一は女に滅法だらしなくなる。
美里にどんな先輩かと聞かれたときに気づくべきだった。
素直に自分の憧れのまま答えてしまった。
一見するとどこにでもいる普通の男に見える。
ただ、ふとした瞬間に目を引く存在感。
人の話を聞くときの真っ直ぐな目。
誰かを助けるときに見せる、少しだけ困ったような笑顔。
そして……妙なところで頑固なところ。
総じて『頼りになる裏切らないいい男』。
それを頼りに美里は告白した。
フリーだった紘一とお試しとはいえ、無事に恋人になった。
ただ、びっくりするくらい何度も別れている。
「おう。派手にやったな」
諦めて階段を降りながら声をかける。
声が上擦っているのが自分でもわかる。
「もうダメかな…」
その言葉を聞くのは何度目だろう…と思っても口には出せない。
「飲みにでも行くか?」
「うん」
「かみさんに遅くなるってメッセージだけな」
小田切はそういうとスマホを取り出してメッセージアプリを起動する。
「お疲れ…」
カチン。
グラスがぶつかる音が響く。
出版社近くの居酒屋のカウンター席に座り美里と小田切は飲み始めた。
「いらっしゃいませ」
その声に顔を上げると葉月が入ってきたところだった。
指を一本立て、一人だとカウンターの中で料理をする将に伝える。
大将の前の席を示され、座ろうとしたところで小田切たちに気づく。
そして、一言二言大将に伝えて帰ろうとする。
「副編! 捕まえますよ!」
「まて!」
その声が届く前に美里は駆け出す。
正直に言えば、紘一との騒ぎの後の美里は面倒くさい。
落ち着く前の美里に捕まると正体が分からなくなるまで飲まれる。
そして、美里の毎回同じ話を聞くことになる。
格好つけることが苦手で…不器用で…それなのに、人から頼まれると断れない。
だから、いつも自分で面倒を背負い込む本当に、損な男だと思う。
それでも、不思議と人が離れていかない。
そんな紘一が好き。
仲直りできるかな……となる。
この騒ぎを知らないのは、紘一と美里だけのはずだ。
(あれ…もしかすると…)
小田切は、ニヤッと笑みをこぼした。
「小田切さん、悪い顔をしているよ」
馴染みの店員が声をかけてくれる。
ただでさえ酒に弱い美里の行動だ。
もう戻ってこないだろう。
ここは編集長に任せようと思う。
「あいつの困るのは、酔っているのが分からないところだね」
「美里ちゃん? まぁ、店的にはお上品で帰るから問題ないですけどね」
「それが問題だっての」
小田切は苦笑を向けた。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です。
よろしければお付き合いください。




