7話 撃退
目が覚める。目覚めというのは随分唐突なものだ。時計が無いから何時間寝たかは分からないが、体が怠くなる程度には寝た。上体を起こし、軽く伸びをしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「はい、起きてます」
「朝ご飯の用意が出来ましたが、如何がなさいますか?」
昨日のベルダさんでは無く、若い女性が声を掛けてきた。どうやら丁度朝食の時間だったようだ。まだ若干意識が眠っているので、有難く頂くとしよう。
「いただきます。」
そう言いながらベッドから体を出す。ううむ、ベッドから出る時に温度差で体が震えるが、この寒さはいつになっても慣れる気がしない。そんな思いを汲んだのか、『魔法創造』が作動する
"魔法『温暖化』を獲得しました"
温暖化。悪いイメージが付きかねないが、ファンタジーなこの世界は地球温暖化とは無縁だろう。無縁であると信じたい。正直、転生してまで環境問題に頭を捻るのは御免だった。
朝から解決しようのない疑問を抱えながら、下の階、食堂に降る。今日の朝食は、至って普通の朝食だった。茶碗に入ったご飯に、コンソメスープの様な半透明の液体や、サラダやソーセージ。朝から食欲のそそる内容だ。
いただきますを言うのももどかしく、椅子に座りながら手を合わせ、ぺこりと頭を下げてから素早く手をつけ始める。
昨日の夜は疲労から直ぐに寝てしまった為、異世界初飲食だ。ここまで耐えた身体を褒め称えるべきである。長い時間を掛けて飯を咀嚼していると、眠そうな顔をしたリーラが降りてきた。
「おはよー...」
「おはようリーラ...姉さん。まだ寝てていいのに」
一応姉弟という事になっているので、名前の後に姉さんをつける。リーラを「姉」とすることに、多少違和感を感じるが、顔に出すことはない。
「...ああ、いいのよ。私も朝ご飯食べたいし。」
返答に時間が掛かったのは、勿論寝惚けていたから、もあるかもしれないが、恐らく「姉さん」という単語に引っ掛かったのだろう。昨晩はリーラに説明していなかったので、多少なりとも困惑するのは致し方ない。寧ろ、表情に出さずに乗り切ったのは、評価すべき点だろう。
「そっか。」
短くそう返し、また食事に手をつけ始める。今日はこっちの言語を学ぶつもりだ。その手の『異能力』は手に入れてないので、どうにかして術を身につけなければならない。入試まで二週間も無いので、早急に覚えねばならない。音声言語が一致してるぶん、幾らか楽だろう。もっとも、『異能力』を手に入れられれば、そんな苦労はしなくていいのだが。便利すぎるものが、多少也とも人間を後退させている事は否めない。エアコン、車、テレビ、etc...人間の役に立つ側面、また人間の劣化へと繋がるものは多数ある。それを生み出したのも人間なのだから、何か堪えるものがある。少し飽き飽きしたものを感じながら箸を動かし続けていたが、ふとある感情がよぎる。
(箸、か。)
たかだか十数年と言えど、日本という独自文化の塊の中に生きてきた俺にとって、箸というのは自然に生活の中に溶け込んでいるものだった。だが、ここは異世界である。この世界に箸があるというのは、些細な事であるが、俺にとって安堵すべき発見であった。短時間に精霊等に触れ合ったが、面には出さぬものの、多少也とも不信感や警戒心を無意識下に抱いていたのかもしれない。だが、自分が元いた世界との共通点を見つけた事で、安堵感を抱かせたのは、紛れもない事実だろう。そんな思考を巡らせている内に、皿はすっかり空になっていた。
「ん、ご馳走様でした。」
「はい、お粗末様でした。」
このやり取りも、習慣に溶け込んだものだった。意外と、些細な場で共通点を見出す事が出来るかもしれない。箸を置き、女性に一礼してから食堂を出る。ロビーの階段から外に出ようとすると、背後から声を掛けられた。
「おう、ゼルじゃねえか。」
「ベルダさん、御早う御座います。」
後ろを向き、先程と同じように一礼する。文字に起こすと随分と無関心に感じるが、実際はそうでも無い。顔には驚きが伴っている上、一礼する際には笑顔を見せている。多少作り笑顔感が出たのは否めないが。
「なんだ、随分と固いな。」
「まあ。昨日は落ち着かない一日でしたし、一眠りして落ち着きを取り戻したのかも知れません。」
「ははは、そうか。」
笑い飛ばして、と言うには少し勢いが足りないが、そう言っても問題ない程の豪快な顔でそう納得を示すベルダ。咄嗟の質問でありながら、「転生」という単語を出さなかっただけ、及第点である。
「今日は、どこか行くのか?」
「今日は、書店にいこうかと。欲しい本があるので。」
もっとも、買ったところで読めないので、どうにかしなければいけないが。
「そうか。この近くというと、ここを出て西、高校の丁度反対側だな。そっちに歩いてけば、一つ大きな所があったはずだ。」
「分かりました。有難う御座います。」
一礼して、扉から外に出る。ここで一つ、駄目元で挑戦する事がある。
(───言語に纏わる能力が手に入れば充分なんだが...)
───異能力『動物対話』を獲得しました。
(...やはり駄目か。)
この『異能生成(劣)』という異能力は、『魔法創造』とは違い、「能力の可能範囲内で想像したものに最も近似した能力を得る」。よって、能力の範囲外でのものは、限りなく類似した能力になるということ。出鱈目な変化はないものの、今回の様に多少誤差が伴ってしまう場合がある。少し残念な気持ちを抱くが、首を横に振りネガティブなそれを追い出す。諦めて前を向き、言われた通り西側に歩いてゆく。土地勘どころか地理すら理解出来ていないが、方角程度は理解出来ていた。都会といえど朝方、人は少なく、肌寒い空気が顔を包んでいた。天気は秋晴れといった様子だ。この世界に四季が存在するかはともかくとして、気分を害する様な天気では無かった。
"ゼル。そちらの裏路地に何か害意を捉えた。"
突然声をかけられるが、驚く様なことは無かった。体の内側...精神を依代としている彼だが、意識の是非は感覚的に把握することが出来る。話を戻すとして、"害意"という単語に敏感に反応した。歩みを止め、顔を多少傾け視線で闇を睨む。
"ゼクス、暗視補正はかけられるか?"
"暗視だな、心得た。"
多少のラグを伴い、闇の中が鮮明に可視化される。女性二、男性三...視認できるのはそれが限界だった。九分九厘、チンピラだろう。
(気配を消す異能力)
───異能力『気配霧散』を獲得しました。
『異能生成(劣)』の範囲に留まったようで、無事異能力を獲得することが出来た。異能力を使い、気配を消す。国家に認められた「冒険者」ではあるが、一流の殺し屋でも、忍でもない。気配を消すことは、十数年の人生において必要とされなかった行為だ。気配を消しながら物陰に潜み、耳を欹てる。
「───ぜ。」
「──てください──」
「───法さえ──れば──」
途切れ途切れしか聴き取れないが、チンピラという線で間違いは無いだろう。最後の台詞、恐らく「魔法さえ使えれば」と言ったのだろう。街中での魔法使用は禁じられていると、ギルド登録の際に説明を受けたが、正当防衛となる際でも例外では無い様だ。
(武術に関する能力)
───常駐異能力『武術ノ心得』を獲得しました。
武術の心得が、果たしてどのようなレベルなのか気になるが、チンピラ程度には充分なものだろう。常駐異能力という単語に聞き覚えはないが、恐らくそのままの意味だろう。
『気配霧散』を解き、決して小さくない歩幅で近付いていく。
「...?なんだお前は?」
「こっちの台詞だ。朝っぱらから面倒くさい事を。」
短いやり取りだったが、"害意"が明らかにこちら側へ向く。が、飽く迄"害意"だ。"殺気"には遠く及ばない。転生して僅か一日だが、ダークオークとの戦闘で"殺気"を学び、この場で"害意"と"殺気"の差異を理解した。この経験は、決して小さなものではない。
「気になったから寄った。辞めてくれないかな、そういうの。」
自分より少し背の高い相手を、感情の乏しい目で睨む。感情表現が少ない方ではないが、この場合のこの「目」は、要するに「冷たい目」だ。
「ガキが...調子に乗んじゃ、っねぇ!」
一人が殴りを繰り出す。...が、遅い。『武術ノ心得』の効果?いや、『加速』か。体感時間の引き伸ばし。だが、これにより、思考をまとめる時間が出来た。体重が乗った、重い殴り。素人では少なくともないだろう。が、重心が前に偏っている。それこそ脚をかければ、簡単に倒れてしまいそうな程に。それが視て理解出来たこと。だが、それだけで充分だった。脚を払い、転ばす。男は思惑通り倒れる。状況をいち早く飲み込んだ一人がまた殴りかかってくる。殴りに重みはないが、その分重心は足腰にあり体を固定している。深く体を下げ、交わしたあと三人目に突っ込む。三人目は、状況理解に時間が掛かったものの、状況呑み込んだ様子で、同じように殴りかかってくる。懐に潜り、みぞおちを殴る。少し浮いた体を、背負投の要領で二人目にぶつける。柔道の経験が無いに等しいにも関わらず、自分より大柄な男性三人相手を圧倒することが出来る。『武術ノ心得』という異能力は、中々恐ろしいものだ。三人連なり倒れている様子を一瞥し、女性に顔を向ける。
「大丈夫ですか。」
表情はなかなか変えることが出来ず、感情の乏しい顔で訊ねる事になってしまった。
「あ、大丈夫、です。ありがとうございます。」
一人は、白い髪を長く下ろした、丁寧な物腰。
「助けてくれてありがとう。」
一人は、茶髪を短く切った、陽気な印象を受ける女性。どちらとも同い年ぐらいの女性だった。
「いつ起きるか分からない。早く表に出よう。」
そう言って、一先ず大通りに出ていった。
「助けて頂いて有難う御座います、私、シルヴィア・ハーヴェストと申します。」
「レイン・スカーレットよ。有難う。」
「ゼル=クリスタだ。偶然見つけただけだし、誉められるようなことはしてないよ。」
謙遜の様にも聞こえるが、実際勝てるかどうかは賭けに近かったし、誉められるようなことは実際していないと、心から思っていた。
「魔法が使えればあんな奴ら一発だったんだけでなぁ...」
そう茶髪の女性、レインは独り言のように呟く。
「それはしょうがない。市街地での魔法使用は全般的に禁止されている...でも、男性三人相手でも余裕なんて、魔法の腕に自信があるのか?」
「まぁね。これでも私達、『魔導院』の入学目指してるのよ。」
「『魔導院』?」
「国立魔導高等第二学院の略称です。長いので、みんな『魔導院』と呼んでいるのですが...ご存知、ありませんでしたか?」
白髪の、シルヴィアという女性が質問の応答をしてくれた。国立魔導高等第二学院。受験校が同じ人と偶然出会った事に、顔に出ないものの驚いた。
「そうなのか、知らなかった。教えてくれて有難う。だが、奇遇だな。俺もその、『魔導院』を受けるんだ。お互い、合格出来るといいな。」
「そうなんですか?お互い頑張りましょう。」
はにかむような笑みを見せるシルヴィア。前世ならアイドルにでもなっていたかもしれない。それ程美人だった。
「それじゃ、俺は用があるから。機会があれば、また。」
そう言って、軽く手を振り、また書店を目指し、歩を進めていった。