12.モーニングセットとWHAM!
12.モーニングセットとWHAM!
東京へ続く国道の脇で一人の女がヒッチハイクをしていた。 建築資材を運ぶトラックの運転手は彼女を見つけると、ウインカーを出して車を停めた。 女が車に近づいてくると、「どこまで行くんだい?」と声をかけた。 女は「東京」とだけ告げた。
俊彦はその日の仕事を終えると、若田部の事務所へ顔を出した。 健司の情報を聞くためだ。 ノックして部屋に入ると、向井が何やら報告しているところだった。
「おう! 黒木君か。 ちょうどいいところに来たな。」若田部が手で合図した。
「何か、つかんだんですか?」俊彦は若田部の机に駆け寄りながら言った。
「どうやら東京へ逃げ込んだらしい。 おそらく女に会うためだろう」と若田部。
「それじゃあ…。 まさか?」俊彦はそう言うと、踵を返して部屋を出ようとした。 それを向井が引きとめた。
「まあ、待て。 彼女にはっずっと監視を付けている。 野郎が現れたらすぐに捕まえられるさ」向井は得意気に言った。
「なめない方がいい。 ヤツは、あの警備が厳しい屋敷に忍びこんで仕事をこなして逃げ延びてるんだ。 どんな形でマリに接触してくるか分からないからな」俊彦は向井の胸ぐらをつかんで睨みつけた。 そして今度こそ部屋を出て行った。
俊彦は急いで部屋に戻った。 マリの姿はなかった。 少し早いが店に向かったのだろう。 俊彦は店に電話してマスターに「マリが着いたら連絡くれ」と伝えた。 そして、マリが携帯電話を持っていないのをもどかしく思った。 そしてマリの顔を思い出しながらつぶやいた。「もう二度とあんな思いをするのはごめんだ…」そして、オーディオラックに置かれたCDを手にした。
10年前。 都市開発を巡って若田部とやり合っていた頃、寝ないで仕事をすることも少なくなかった。 そんな時、決まって足を運んだのが駅前の喫茶店だった。 俊彦はそこで朝食を済ませると、コーヒーを飲みながら朝刊を読むのが習慣になっていた。
ミックスサンドとサラダ、それにコンソメスープ。 いつの頃からか、ベーコンと目玉焼きが付くようになっていた。
俊彦がその喫茶店に行くと、女性の声が「お疲れさま」と迎えてくれるようになった。 そして、店を出る時には「お休みなさい」と送り出してくれる。
若田部と折り合いをつけて、土地の売買が軌道に乗ると、俊彦も気持ちにも余裕が出てきた。 そして、初めて彼女の存在に気付いた。
いつものように徹夜明けで喫茶店に顔を出した。
「お疲れさまです」彼女が笑顔で迎えてくれた。 彼女の声がとても懐かしく感じられた。 俊彦はカウンターの向こうにいる彼女を初めて面と向かって見た。 “一目ぼれ”とは、まさにこのことだ。
どうして今まで気が付かなかったんだろう…。 店にはラジオから流れるWHAM!の『ラスト・クリスマス』がかすかに聞こえていた。
「君の名前は?」俊彦は彼女から目を離さずにそう聞いた。
「麻紀です。 遠藤麻紀」
翌年のクリスマスイブ。 二人は雪に包まれた軽井沢の教会で結婚式を挙げた。
マリは自分のクーペで、ヒッチハイクで東京にやってきた女に連れられ北へ向かっていた。 女は運転しながら、かつらを取りウエットティッシュで顔をぬぐった。 そこには女装していた健司の顔があった。
健司は仕事を受ける条件として、松波に奈美恵の居所を突き止めてもらうように頼んでいた。 そして、その情報を受け取ると、新聞配達を装って俊彦のマンションに行った。 部屋からマリを連れ出すと、駐車場に止めてあった、マリのクーペで脱出した。
俊彦のところに若田部から電話があったのは、俊彦が部屋に戻ってすぐのことだった。
「黒木君、まずいことになった。 ヤツがマリさんを連れてクーペで逃げたそうだ。 今、向井の部下が尾行している。」
俊彦はすぐに駐車場に行った。 マリのクーペがなくなっていた。 俊彦は若田部に電話した。「どっちへ向かってる?」話しながら、隣の駐車場へ走り、RV車に乗り込んだ。
「ウチの若いもんに任せておけ」という若田部の言葉を振り切り、強引に行き先を聞きだすと車を出した。
「麻紀の二の舞はごめんだ」そう言って電話を切った。
若田部は俊彦のその言葉を聞いてつぶやいた。「気持ちは分かるが、ムリするんじゃないぞ」




