第一話:二つの世界
二つの世界が衝突して十四年。
私達がいるこちらが機械世界で、もう一方のあちらが魔法世界。
行ったこともない魔法世界だけど、それでも私は、その存在を実感している。
それは、確かに、この手の中に。
この小さなスマホの中に――。
◆
『友情マギカプリ』
◆
九月十五日。今日の授業が、ようやく全て終了した。
「真保ちゃん」
そこで、私の名前を呼ぶ声がした。まるで歌うようなその声に、私は、帰り支度をする手を止めた。部活へと向かうクラスメイト達とは違い、私はすぐに帰宅できるのに。
呼びかけられた通り、私の名前は塚井真保。
目の前に大きな鏡があれば、黒髪を頭の後ろでポニーテールにしている、どこにでもいそうな女子中学生が映ることだろう。ついでに、銀色のフレームのメガネの奥から、不機嫌な表情が見返してくるはずだ。制服である灰色のブレザーを着てはいるけど、正直、まだ暑くて不快。
声の主は、クラスメイトの対馬優香だった。
私と同じブレザー姿のはずなのに、小柄な彼女には不思議とよく似合っている。明るく見える髪色も、肩に届かないくらいでふわりとさせた髪型も、どちらも彼女の可愛らしさに一役買っていた。私と違って、いつも笑顔を絶やさない、明るく朗らかな人物だ。コミュニケーション能力も高く、友達が百人はいるに違いない。
「対馬、何か用?」
上機嫌な彼女とは対照的に、私の返事は不機嫌に近い。
「もう。対馬じゃなくって、優香って呼んでくれれば良いのにー」
対馬はそう言って口をとがらせたが、すぐに気を取り直して、私の質問に応えた。
「パフェ。瀬尾駅前の喫茶店『カフェ・ド・セオ』で、季節の新作が出たらしいよ。一緒に食べに行こーよー。友情を育もーよー」
「断る」
対馬の誘いを、私は切って捨てた。帰り支度を再開し、カバンを片手に席を立った。対馬も、慌てて自席からカバンを持って、私についてきた。私に断られたからと言って、他のクラスメイトをパフェに誘う気はないらしい。私と一緒に帰路に着くようだ。
「私にとって、友情は大切じゃないの」
「そんなぁ」
「パフェよりも、家でマギカプリの開発をしていた方がよっぽど有意義」
「マギカプリかぁ。マギカプリって楽しい?」
私の言葉を受けて、対馬がそう尋ねてきた。
マギカプリ――。
その名称は、魔法を意味するマギカと、スマホで動くアプリケーションとを、合わせて縮めて作られた。その名前が示す通り、『魔法が使えるスマホアプリ』である。
歴史の話をするなら、二つの世界が衝突して以降、機械世界の人間は自分達も魔法が使いたいと夢物語ではなく考え始めた。しかし、どれほど原理を勉強しても、どれほど厳しい修行を積んでも、機械世界の人間には魔法は使えなかった。そんな機械世界の人間でも、スマホを使って簡単に魔法を使えるようにと開発されたのが、マギカプリだった。
技術の話をするなら、二つの世界の技術交流の結果、様々な機器が開発された。代表的な物を挙げるなら、電気を魔法に変換する電魔変換器と、魔法をプログラムで操作するためのマジック・プロセッシング・ユニット略称MPUだろう。開発当初は、広いサーバールーム一面に置かれた機器を総動員して、ほんの小さな魔法を作り出せるだけだったらしい。それが、構成部品の革新的な省スペース化、省電力化、高効率化により、たった十四年でスマホへと実装できるようになったのだ。今となっては、MPU搭載の最新スマホとマギカプリがあれば、機械世界の人間でも――私でも、魔法が使えるという訳だ。
ちなみに、電魔変換器やMPUのようなハードウェアの開発は、アメリカをはじめとする欧米諸国で盛んだった。一方で、魔法を操るためのプログラムのようなソフトウェアの開発は、日本を中心とするアジア諸国で発展した。
専門的な話をするなら、マギカプリは、オープンソースというプログラムの中身を公開して全世界の人達で良いものにして行こうという仕組みで運用されている。つまり、私のような趣味でプログラムを書くような人間でも、マギカプリの開発に関われるのだ。
それから――。
と、私はそこで思考にブレーキをかけた。大好きなマギカプリの事になると、我を忘れて話し続けたり、考え込んだりしてしまう。良くないクセだ。
「もちろん、マギカプリで魔法を使って遊ぶのは楽しいよ」
ようやく私は、対馬の先程の問いに応えた。
マギカプリの最大の魅力は、魔法を使えることだ。それでも、ただ魔法を使って終わり、という訳ではない。色々な魔法を組合せて驚くような効果を実現してみたり、様々な条件で魔法を使って記録に挑戦してみたり、魔法バトルという魔法使い同士の真剣勝負を模したゲームを楽しんだりもできる。どれも時間を忘れてのめり込めるほど面白いのだ。
面白いけど。それでも、私は――。
「でもね。私は、自分でプログラムを書いて、マギカプリを開発するのが一番好き」
その応えに、対馬は小首を傾げて見せた。
「プログラムって、学校でやったみたいに、パソコンを使って書くんだよね。授業は聞いてたけど、そんなに楽しかったかなぁ」
「好みは人それぞれ」
私はそう言った。プログラミングの面白さを、対馬に熱く説いても意味はない。
「わたしのスマホは、マギカプリが使えない古いやつだからなー」
対馬は残念そうにそう言った。まるで、マギカプリさえあれば共通の話題になるのに、とでも言いたそうだった。
そんなやりとりをしている内に、私達の帰り道が右と左に分かれる、公園の前の交差点まで来てしまった。
「真保ちゃん。バイバイ、また明――」
対馬が別れの挨拶を口にした、まさにその瞬間――。衝撃をともなうほどの轟音が、私の体を震わせた。パキィンともドゴォンとも聞こえた。破砕と爆発の音だ。
「きゃっ!」
対馬が小さな悲鳴を上げた。私は、反射的に音のした方――目の前の公園へと視線を向けた。空中に、赤と青の光の粒がキラキラと舞っていた。
「魔法の消失反応!?」
私は、思いつくままに声に出していた。それは、私にとって、良く見知った物だった。見間違うはずもない。魔法同士がぶつかって消滅した時に残る、消失反応と呼ばれる発光だ。しかし、先程の音や衝撃は、私が見聞きしてきたものよりはるかに大きかった。マギカプリを使った、小さな魔法の消失反応ではない。つまり、これは――。
「――本物の魔法!」
そう叫んで、私は思わず走り出していた。
「ちょっと待って、真保ちゃん!」
対馬の声が、私を止めようと投げかけられた。それでも、走り出してしまった足は止まらなかった。あれが本物の魔法使いによる本物の魔法なら、もっと近くで、もっとしっかりと見たかった。
「ごめん、対馬は帰って!」
自分勝手な私の言葉に返事を返さず、対馬も走り出したようだ。地面を蹴る音が、背後から私を追いかけ始めた。私は、公園の入口にある自転車止めを飛び越すようにして、敷地内へと飛び込んだ。その瞬間――。
視界に入ったのは、左と右、二つの人影だった。左の人影は、銀髪で白銀の鎧。炎の魔法による大きな盾を、今まさに発現させたところだった。右の人影は、金髪で黒衣。驚くことに宙に浮いていて、その周囲をいくつもの黒い球体が旋回していた。
「――っ!」
私は、息を飲んだ。本物の魔法が、もっとしっかり見たいなんて、とんでもなかった。その程度の覚悟で飛び込んで良い場所ではなかった。ここは――本物の魔法使いによる、本物の魔法を使った、本物の魔法バトルの真っ只中だったのだ。
「真保ちゃん、危ない――!」
対馬が、私のそれ以上の前進を止めようと、背中から抱きついてきた。そんな私達の行動と声に反応して――。
「えっ、誰――?」
「これで終わりです」
左右の人影の声が、ほぼ同時に聞こえた。銀髪の人影の驚きの声と、金髪の人影の冷静な声。どちらも女性の物だ。私は、どこか冷静にそう認識していた。
空中の黒い球体の全てが、一瞬で、それぞれ黒い槍へと姿を変えた。瞬間の後、その槍の全てが、ぎゅん、と音を上げて放たれた。銀髪の人物に向けて。いや。
そのうちの一本は、なぜか、真っ直ぐにこちらに向かって――。
「危ないっ!」
突如、視界に飛び込んできた銀色が、私達と黒い槍の間へと立ちふさがった。黒い槍と炎の盾がぶつかり、衝撃音を響かせた。二つの魔法は相殺しあい、キラキラ輝く赤と黒の消失反応になった。
「――ケガはない?」
そう尋ねた人物は、驚くことに、私達と同年代の女の子だった。
背中まで流した銀色の髪が、こちらを振り向いた動作でふわりと広がった。青い瞳が、まっすぐに私へと向けられている。髪色に合わせたかのような白銀色の金属が、頭や肩や心臓などを守っている。袖やスカートに使われている厚手の布の粗い質感が、それがファンタジーではなく現実であると主張していた。
大丈夫と返事をするために、息を吸ったタイミングで――。
「隙あり、ですね」
別の声が割り込んできた。魔法バトルの最中だというのに、落ち着きすら感じさせる大人の女性の声。声の主は、流れるような金髪を持つ、黒衣の美女だった。ローブというのだろうか、フードがついたワンピースを腰のベルトで絞った衣装。そして驚くことに、額の右側に鬼を思わせる角が一本生えていた。初めて見た。魔法世界の、魔族の人だ。
「【影の拘束】」
その声は、影の魔法を呼び出す言葉だった。
「しまった――!」
銀髪の少女が声を上げた時には、もう遅かった。彼女の足元で、彼女自身の影が立ち上がり、主であるはずの少女の体にぐるぐると巻き付いてしまったのだ。苦しそうに体を動かそうとするが、影に拘束された首から下は微動だにしない。
「魔法騎士さんには、私達の邪魔ができない姿になってもらいましょう」
黒衣の女性は、銀髪の少女の前に着地して、そう言った。彼女は、すっ、と右手の人差し指を少女の額へと向けた。
「【変身の強制】」
その言葉が終わると同時に。激しい光が銀髪の少女の体全体から発せられ、数秒の後に消えた。そして残されたのは、少女の姿からは想像もできない――小動物の姿だった。
「お、オコジョ?」
同じ光景を見ていた対馬が、驚きの声を上げた。その言葉が示す通り、その小動物はオコジョのようだった。特徴的な白く長い体と短い手足、尻尾の先だけが黒色だ。
「プルナス! よくも――【炎の投擲】っ!」
驚くことに、そのオコジョは、喋ることができるようだ。唱えたのは炎の魔法。強力な攻撃魔法を作り出すものだ。しかし、それに応える魔法の発現は、なかった。
「なっ――!? か、【風の斬撃】っ!」
再度の呪文にも、何も起こらなかった。
「そんな……」
呆然と呟かれるオコジョの言葉に、金髪の女性は余裕を持って微笑んで見せた。
「さあ、私と一緒に来てもらいますよ」
オコジョを捕らえようと、金髪の女性が手を伸ばし――。ああダメだ、見ていられない。
「対馬どいて」
私はそう言って、背中に張り付いたままの対馬を跳ね除けた。そして、私は、ブレザーのポケットから自分のスマホを取り出していた。
「真保ちゃん、まさか――」
対馬の言葉を聞いている暇はない。私は、マギカプリを起動していた。
「マギカプリ、オープン!」
音声入力で、ロックを解除。魔法使用モードから、魔法を選択。
「【風の矢】!」
カメラアプリのように金髪の女性を画面の中心に捉えて、狙いを定め――タップ。私の目の前で、風がねじれて渦巻き、矢の形に固定されて――一瞬の後に打ち出された。
「っ! ――何です?」
風の矢は、金髪の女性の目の前を通り過ぎた。攻撃としてはハズレも良いところだ。しかし、金髪の女性の気を引くことができた。彼女が、驚いたようにこちらを見た。
「【炎の矢】!」
私が次に放った魔法は、派手に炎の欠片を散らしながら、女性に迫った。
「【水の盾】」
女性の言葉は、水属性の防御魔法。私の攻撃魔法を受け、なおそこに存在している。
「まさか魔法使いがいるとは。分かりました、ここは一時、撤退するとしましょう」
金髪の女性はそう言うと、ふわりと、再び宙へと浮かび上った。そして、どこへともなく去って行った。……終わった、かな。ふぅ、と私は長く息を吐いた。
「真保ちゃん、なんて危ないことするの!? あの人に反撃されていたら、ケガだけじゃすまなかったかも知れないんだよ!」
対馬が怒鳴った。しかし、彼女が言葉を続けられたのはそこまでだった。先程のオコジョが、私の腕の中に飛び込んで来たからだ。
「わ、何?」
「まさか機械世界で魔法使いに会えるなんて。マギアモンドの出身? どんな用事でこっちへ来てるの?」
「待って待って。私は機械世界の人間。マギカプリ――スマホの機能で魔法を使っただけ。分かる?」
「マギカプリ? ああ、そっか。うん、分かるよ。魔法は使えなくなったけど、翻訳魔法はちゃんと機能してるみたい。ボクの魔法じゃないからかな」
そう言って、私の腕から下りると、改めてオコジョは背筋を伸ばしてこちらを見た。
「助けてくれてありがとう。ボクは、ミカエラ。ミカエラ=プライマルシールド。魔法世界の魔法騎士だよ」
私は、そう言って差し出されたオコジョの前足を、握手の代わりにちょんとつまんだ。
「こちらこそ、攻撃魔法から守ってもらったよね。私は塚井真保。機械世界の中学生」
「私は対馬優香。真保ちゃんと同じ中学生だよ」
「真保に優香だね。魔法バトルに巻き込んじゃって、ごめんなさい」
「なんで、機械世界のこんな公園で、魔法バトルなんてしてたの?」
「さっき相手にしていたプルナス――それにアンデザイトという人物が、二つの世界を切り離そうと企んでいるんだ」
「えっ? 二つの世界を、切り離す?」
衝突して以来ずっと結合している、機械世界と魔法世界を? 突然告げられたあまりにも大きな話に、私は、そのまま聞き返していた。
「うん。もし二つの世界が切り離されちゃったら、すごい衝撃が生まれて、二つの世界で大きな災害が起こる。それを防ぐために、ボクは魔法世界から機械世界に来たんだ」
すごい衝撃? 大きな災害? 話の規模が大きすぎて、理解が追いつかない。
「探し出したプルナスに追いついたのがこの公園で、そのまま魔法バトルになっちゃったんだ。お互いの魔法がぶつかって、本格的にバトルが始まるって時に、真保と優香がここに飛び込んできたんだ」
「そうだったんだ。わたし達、邪魔しちゃったんだね」
「気にしなくて良いよ。さて、そろそろボクはプルナスを追いかけないと。二人とも、ありがとう。それじゃあ――」
簡単な挨拶だけを残して、ミカエラはこちらに背中を向けた。去りゆく背中はオコジョのものだったけど、悲壮感が漂っているような気がした。
このまま行かせていいのだろうか。彼女は、この世界にも関係する、大事な任務の最中らしい。まさか、そんな重大な出来事を、一人で解決しようとしているのだろうか。魔法を自在に操れる魔法騎士から、魔法の使えないオコジョの姿になってまで。
私は――。私は、去りゆくミカエラへ向けて右手を上げ――。
「ま――」
「待って、ミカちゃん!」
私の、待って、の言葉より対馬の声が先だった。
「み、ミカちゃん?」
「一人でなんとかしようとしてるんじゃないよね?」
対馬の問いに、ミカエラは体を固めた。やはり、そうか。ミカエラは一人なのだ。
「わたし、ミカちゃんに協力するよ。――行く当てもないんでしょ? ご飯はどうするの? さっきの人――プルナス? を追いかけるにしても拠点が必要じゃない?」
「優香、ありがとう。でも、これはボクが、一人でなんとかすべき問題で」
「ミカちゃん、意地を張らないの。とりあえず、わたしの家まで一緒に行こう。ね?」
対馬は、そうミカエラに伝えた。彼女は両手をミカエラへと差し出して、地面へと降ろした。観念したらしいミカエラは、ひょいひょいと移動すると、対馬の手の上に乗った。それを持ち上げて、対馬は満足そうに笑顔を見せるのだった。




