ハーピー(前職:空中伝令兵)
005 ハーピー(前職:空中伝令兵)
「前職は?」
「空中伝令兵です!」
「危険空域での航空配送経験あり、と」
アーベルが履歴書にそう書き込むと、補佐のリィナは机に散った羽根と書類を押さえながら顔を上げた。
「局長。危険空域というのは、どの程度の危険でしょうか」
「矢と火球が飛ぶ空だ」
「配送業務に含めていい空ではありません」
「だから経験としては貴重だ」
若いハーピーは、椅子の上で胸を張った。
張った拍子に翼が少し広がり、机の上の紙がまた一枚浮いた。リィナが無言で押さえる。
窓から来たわけではない。
今回は玄関を通った。
ただし、待合室の天井近くで順番を待っている間に羽ばたきすぎ、書類を数枚飛ばし、着席時に椅子の背へ翼を引っかけた。
玄関から来ても、問題は起きる。
それがハーピーだった。
氏名はフレア。
種族はハーピー。
職歴欄には、大きな字でこう書かれていた。
前職:空中伝令兵。
リィナは飛びかけた履歴書を重しで押さえながら、フレアを見た。
「フレアさん。面接中は、できるだけ羽ばたかないでください。ここは戦場ではありませんので、翼も休ませていただけると助かります」
「急いで来たので、まだ翼が仕事中なんです」
「すぐ飛ばないための面接です」
フレアは少しだけ不服そうに翼を畳んだ。
畳んでも大きい。
椅子の背に羽先が触れ、また紙が一枚揺れた。
アーベルは判子を机の端から中央へ戻した。
さっき一度、翼の風で転がったからだ。
「担当業務を説明しろ」
「前線と本部の間を飛んで、命令書を届けていました。敵の弓が届く高さを避けて、霧の日は低く飛んで、火矢が上がったら迂回します。負傷者が出たら後方へ知らせて、撤退命令が出たら、一番早く部隊へ届けます」
リィナの羽ペンが止まった。
「思ったより、ちゃんと伝令ですね」
「空を飛んでいただけではないな」
「飛ぶだけなら撃たれます。飛ぶ前に見るんです。煙、塔、森の切れ目、弓兵の位置、味方の旗。あと、逃げている部隊の顔」
「顔?」
「撤退命令が間に合うかどうか、だいたい顔で分かります」
アーベルは履歴書の空欄へ目を落とした。
地形把握。
敵射程の観察。
味方の移動確認。
撤退連絡。
負傷報告。
危険空域での経路判断。
「航空配送だけではないな」
「はい! 速いですけど、速いだけじゃないです!」
フレアは得意げに翼を広げかけた。
リィナが目だけで止める。
フレアは途中で翼を戻した。少しだけ進歩している。
アーベルは羽ペンを動かした。
広域索敵経験。
危険空域での経路判断。
航空配送経験。
撤退誘導補助。
上空からの混雑把握。
天候、煙、敵射程の観察。
リィナが覗き込み、小さく息を吐いた。
「局長。これは、普通の配送ではありませんね」
「配送に回すと失敗する」
「危険空域で届けられるのにですか」
「速すぎる。説明を聞く前に飛ぶ。受領確認を待たない。狭い場所へ突っ込む。今の時点で配送事故の見本市だ」
フレアが気まずそうに目を逸らした。
「命令書を届けるのは得意です」
「届けたあと、相手の返事を待ったことは」
「急いで次へ行きます」
「そこが配送員としては危ない。渡して終わりではない。相手が受け取ったか、中身が破損していないか、もう一度来る必要があるか、そこまで見る」
フレアは、初めて怖い言葉を聞いたような顔をした。
「再配達……同じ場所へ、もう一度行くんですか」
「客がいなければな」
「戦場より難しいです」
「だから配送ではない」
リィナが少し感心した顔でアーベルを見る。
「速度を買うんじゃないんですね」
「本人の長所は速度だけではない」
「私、速いですよ」
「速いだけなら、さっき書類を飛ばした時点で減点だ」
「あれは待合室の天井が低かったので」
「低い場所で働く仕事には向いていない」
「ぐう」
ハーピーは翼ごとしょんぼりした。
アーベルは求人棚から一枚抜いた。
「こちらだ」
求人票を机に置く。
リィナが読み上げた。
職種:空中巡回および避難誘導補助。
業務内容:上空からの混雑確認、危険箇所の報告、搬入経路の誘導、緊急時の避難案内。
歓迎経験:飛行、索敵、地形把握、伝令、危険回避。
注意事項:室内で羽ばたかない。着地前に周囲確認。書類を飛ばさない。
最後の行で、リィナの声が少し強くなった。
「これ、今書き足しましたね」
「必要な注意事項だ」
「私のせいですか」
「お前のせいだ」
フレアは求人票を両手で持った。
爪が紙に食い込みそうになり、リィナが慌てて厚紙の下敷きを挟む。
「空中巡回……飛んでいいんですか」
「飛ぶ仕事だ。ただし、普段は急ぐ仕事ではない」
「飛ぶのに急がないんですか」
「飛びながら、どの通路が混んでいるか、どこで荷物が詰まっているか、どこに危険があるかを見つける。見つけたら報告する。必要なら避難誘導する」
フレアは求人票を見つめた。
広げかけた翼が、今度は少しだけ静かになった。
「戦場じゃないのに?」
「戦場にするな」
「見つけるだけで、仕事になりますか」
「なる。敵を撃ち落とす必要はない。矢を避ける状況も、できれば作るな。命令書ではなく、報告を出せ」
フレアは口を開きかけ、閉じた。
それから、少し小さな声で言う。
「私、戦場で飛ぶのは得意でした。でも、戦争が終わったら、ただ飛ぶだけになって。飛ぶと、みんな怒るんです。埃が舞うとか、荷物が落ちるとか、子どもが泣くとか」
「全部正しい苦情だ」
「局長、追い打ちです」
リィナが小声で言った。
アーベルは求人票を指で叩いた。
「だから、飛び方を仕事用に変えろ。速さを見せるな。上から見えるものを使え」
「上から見えるもの」
「混雑。危険。迷子。倒れた荷物。火の気。詰まった列。室内で羽ばたいて書類を飛ばすハーピー」
「最後、私ですね」
「自覚があるなら改善できる」
フレアは求人票を胸に抱えた。
今度は破らなかった。
「やってみたいです」
「試用期間は三日。初日は空中巡回ではなく、低空歩行研修からだ。飛ぶ前に、歩いて通路を覚えろ」
「ハーピーなのに」
アーベルはフレアの翼ではなく、足元を見た。
「ハーピーだからだ。上から見える者ほど、足元を知らない」
リィナの羽ペンが止まった。
「局長、たまに良いことを言いますね」
「必要事項だ」
「良いこと扱いされたくないんですね」
「業務に戻れ」
リィナは採用仮通知の用紙を出した。
フレアのために、通常より厚い紙を選ぶ。爪で破れにくいものだ。
配属先:空中巡回準備班。
雇用形態:試用。
業務内容:通路確認、混雑観察、危険箇所報告、避難誘導補助。
初日研修:低空歩行、着地確認、声量調整、室内羽ばたき禁止。
フレアは最後の行を見て、少しだけ目を逸らした。
「室内、だめですか」
「だめだ。急いでいても歩け。敵襲なら警報。翼で書類を飛ばすな」
「分かりました。歩く場所を覚えます」
リィナが印を押す。
その音を聞いて、フレアの翼がぱっと広がりかけた。
アーベルが言う。
「広げるな」
フレアは途中で止まった。
机の上の書類は飛ばなかった。
リィナが目を丸くする。
「止まりました」
「第一改善点だ」
「私、改善しました?」
「した」
フレアは、求人票と仮通知を両手で持ったまま、椅子から立ち上がった。
今度は飛ばない。
一歩。
二歩。
歩く。
待合室の魔物たちが、少し不思議そうに見る。
ハーピーが歩いているからだ。
フレアは途中で一度振り返った。
「局長。急がない仕事、遅れたらどうなりますか」
「急ぐ前に報告しろ。飛ぶ前に、誰に何を知らせるか決める」
「分かりました。たぶん、その方が撃たれにくいです」
「ここでは撃たれないように働け」
フレアは笑った。
「それ、いい職場ですね」
今度こそ玄関から出ていった。
窓ではない。
天井でもない。
リィナは飛び散った羽根を拾い集めながら、深く息を吐いた。
「局長。今日は判子が無事でした」
「書類は飛んだ」
「次回から天井にも注意書きを貼ります。応募者は床へ」
「ハーピー語でも書け」
「ありますか、ハーピー語」
「絵でいい。翼に罰印を描け」
リィナは真剣にメモを取った。
受付の外では、列がまだ続いている。
ゴブリン、オーク、スケルトン、インプ、魔犬、そして一体だけ、やけに大きな影があった。
リィナが次の履歴書を取る。
「次は……ミノタウロスです」
入口の外で、太い声がした。
「入れません」
リィナは玄関を見た。
巨大な角が、扉の枠に引っかかっている。
「局長」
「何だ」
「玄関から来ても、問題は起きるんですね」
アーベルは新しい求人票を取り出した。
「扉を壊す前に、面接を始める」
どうやら次も忙しい。




