オーク(前職:城門破壊係)
「前職は?」
「城門破壊係です」
「大型構造物解体経験あり、と」
俺が履歴書にそう書き込むと、椅子がぎしりと鳴った。
オークは悪くない。体重が悪い。いや、体重というより、体格と筋肉と、膝の上に置かれた両腕の太さが悪い。
待合室の魔物たちが、さりげなく距離を取った。スケルトンは番号札を胸骨の奥へしまい、ハーピーは天井近くまで上がり、志望動機欄に悩んでいたゴブリンは履歴書を盾のように構えた。
本人だけが、申し訳なさそうに肩を縮めている。
縮めても大きい。
「すみません。椅子、壊れますか」
「まだ壊れていない。壊れた場合は、座り方、椅子の状態、業務上必要な着席だったかを確認する」
「弁償ですか」
「状況次第だ」
オークは、少しだけほっとした顔をした。
横に立つ新人補佐のリィナが、椅子とオークを交互に見た。
「局長、椅子の不安より求職者の不安を優先するんですね」
「椅子はまだ壊れていない。求職者はすでに不安だ」
「それは……そうですね」
リィナは小悪魔族の新人補佐だ。書類整理は速いが、求職者の前職に対する耐性はまだ育成中である。
今回の求職者はオーク。
名前はボルガ。大きな肩、厚い首、古傷の残る額。牙は立派だが、目つきは妙に真面目だった。膝の上には、折れないように両手で支えられた履歴書がある。
字は大きい。
力も入っている。
ところどころ紙がへこんでいた。
所属:第三攻城大隊
業務内容:敵城門の破壊、破城槌運搬、突入口確保
役職:破壊班班長
部下:十二名
離職理由:魔王軍解散による部隊消滅
リィナが履歴書を覗き込み、羽をぴたりと止めた。
「局長。念のため確認しますが、これは建築業ではありませんよね」
「逆だな」
「逆ですよね。分かっていましたが、確認したかったんです」
ボルガが太い首をさらに縮めた。
「すみません。城門を壊していました」
「謝る必要はない。命令されていたのだろう。まずは仕事として分解する。罪悪感は後で扱う。今ここで腹は膨れない」
ボルガは少しだけ目を上げた。
リィナも何か言いかけて、やめた。
俺はボルガに向き直る。
「具体的な業務手順を説明しろ」
ボルガは背筋を伸ばした。椅子がまた鳴ったが、本人は膝の上の履歴書を潰さないよう、腕の位置を少しずらした。
「朝に集合して、破城槌を持って、並んで、走って、城門にぶつけます。壊れたら中に入ります。部下には、横へ広がるな、足を止めるな、合図を聞け、と言っていました」
俺は履歴書の余白にまとめて書き込んだ。
時間厳守。
重量物運搬。
隊列行動。
短距離高負荷作業。
衝撃作業。
対象物破壊。
搬入口確保。
班長経験あり。
集団作業の指示経験あり。
リィナの表情が、じわじわ曇っていく。
「局長、城門破壊が物流と現場管理に見えてきました」
「実際、大半は重量物運搬と集団作業だ。最後に門が壊れる。そこが問題だな」
ボルガは真剣に頷いた。
「問題です。壊すのは得意ですが、壊さないのは難しいです。部下にも言っていました。壊していいものだけ壊せ、と。でも、戦場ではだいたい壊していいものが前にありました」
ボルガは膝の上の履歴書を見下ろした。
大きな拳が少しだけ丸まる。普通の魔物なら頭くらいある拳だが、紙を破らないように、力を逃がして握っている。
「今は、何を壊していいのか分かりません」
待合室が少し静かになった。
ハーピーの羽音が止まり、スケルトンの骨が小さく鳴った。
「志望動機欄が空欄だな」
「あ……書けませんでした。何を書けばいいか、分からなくて」
「食うため、でもよい」
「食うためでいいんですか」
「飯は大事だ。特に失業直後はな」
ボルガの目に、初めて力がこもった。
「魔王軍でも、飯は出ました。城門を壊した日は肉が出ました。失敗した日は薄いスープでした。でも、何かは出ました。解散してから、部下たちが毎日聞くんです。班長、明日は何を壊せば飯が出ますかって」
ボルガは恥ずかしそうに目を伏せた。
「答えられませんでした。城門はもうありません。敵もいません。壊すものもない。でも、腹は減ります」
リィナの表情が変わった。
さっきまでの警戒ではなく、少し困ったような顔だった。
俺は求人棚へ手を伸ばした。
「なら、壊さずに運ぶ仕事だ」
求人票を一枚抜く。
リィナが受け取り、声に出して読む。
大型荷物搬入補助。
家具、石材、食糧箱、寝台、炉具の運搬。
未経験可。
力のある者歓迎。
食事付き。
寮あり。
怪我補償あり。
ボルガの視線が、一箇所で止まった。
「食事付き。寮あり。怪我補償あり……部下たちも、いつか紹介できますか」
「まずはお前の試用だ。問題なければ、同じ班の者も履歴書を持って来い」
「書くところから教えます」
「紙は破るな」
「そこから教えます」
ボルガは求人票を両手で持った。
紙が少し折れたが、破れなかった。
しばらく黙っている。
城門を壊す仕事なら分かる。破城槌を持ち、走り、ぶつけ、壊れたら進む。だが、この求人票には「壊さず運ぶ」と書いてある。
「局長。この仕事は、破城槌も使わず、走らず、何も壊さずに終えるんですね」
「そうだ。壊さず運ぶ。ぶつけず通す。落とさず置く。大声で押し切るのではなく、声をかけてから進む」
「城門より難しいです」
「だから見習いだ」
リィナが求人票を見下ろし、小さく言った。
「家具の方が、城門より繊細ですからね」
「家具は、反撃しませんよね」
「反撃はしませんが、壊すと請求が来ます」
「強いですね」
「請求書は強いです」
ボルガは深く頷いた。
妙なところで納得したらしい。
「声かけの練習をする。言葉は短くていい。威圧ではなく、通ります、搬入します、置きます。この三つから始めろ」
「通ります。搬入します。置きます」
低くて太い声だった。
待合のゴブリンがびくっとした。
リィナが首を振る。
「もう少し、相手が逃げない音量でお願いします」
「通ります。搬入します。置きます」
「まだ城門前です」
「通ります。搬入します。置きます」
「今のは少し良いです」
ボルガは真剣に頷いた。
「覚えます」
俺は採用仮通知を出した。
「試用期間は三日。初日は大型荷物の持ち上げ方、通路での方向転換、声かけ、荷物を置く速度の確認だ。急に置くと床が死ぬ。床は職場だ。床を殺すな」
「床も守るんですね」
「守れ」
「分かりました。床を殺しません」
リィナが額を押さえた。
「言い方が、ぎりぎり職場研修ではないです」
「意味は合っている」
「合っているから困ります」
ボルガは採用仮通知を受け取った。
紙を大事そうに見る。その目は、条件欄へ何度も戻った。
食事付き。
寮あり。
怪我補償あり。
ボルガは、ゆっくり頭を下げた。
大きな体が折れると、待合室の床が少し鳴った。
「ありがとうございます。壊さない仕事、やってみます」
「明日も来いと言われるまでが仕事だ」
「はい。あ、いえ……搬入します」
リィナが少し笑った。
「それは返事ではないです。でも、前より優しい音量です」
「そこは評価する」
ボルガは通知書を胸に抱え、椅子から立ち上がった。
椅子が助かったように、ぎしりと小さく鳴る。
出口へ向かう途中、待合の魔物たちが自然に道を開けた。ボルガはいつもの癖で肩をいからせかけ、すぐに力を抜く。
「通ります」
声はまだ大きい。
だが、さっきより少しだけ職場向けだった。
リィナがその背中を見送る。
「局長。城門破壊係が、引っ越し補助になるんですね」
「城門を壊せるなら、箪笥は持てる」
「壊さないでくださいね」
「そこは訓練だ。不安な者ほど、見習いに向いている」
リィナは次の履歴書を確認した。
列はまだ長い。ハーピーは天井で順番を待ち、スケルトンは履歴書を何度も見直している。さっきまで黙っていたオークの仲間らしい者たちが、待合室の外でボルガを囲んでいた。
「どうだった、班長」
「飯がある」
「何を壊すんですか」
「壊さない」
「え」
ボルガは、採用仮通知を少しだけ持ち上げた。
「壊さない仕事だ」
部下たちは、まるで新種の魔法でも聞いたような顔をした。
俺は新しい履歴書を開く。
リィナが深く息を吸った。
「次の方、どうぞ」
骨の鳴る音がした。
スケルトンが、妙に姿勢よく椅子に座った。
履歴書の職歴欄には、一行だけ書かれていた。
前職:無限湧き。
リィナは天井を見上げた。
「局長」
「何だ」
「どういう職務経歴にするんですか、これ」
「聞いてから考える」
俺は羽ペンを取った。
「前職は?」
スケルトンは胸を張った。
「無限湧きです」
待合室の誰かが、こらえきれずに吹き出した。




