業務報告書 スライム(仮採用一日目)
002.5 業務報告書 スライム(仮採用一日目)
プルムは、石板通知を触手の先に乗せて、下層排水路の入口に立っていた。
紙ではなく石に刻まれた通知書は、触れても溶けない。だから少しだけ安心できる。
プルムは、そこに刻まれた文字を何度も読んだ。
配属先:下層排水路保守班。
雇用形態:試用。
業務内容:詰まり除去、汚泥分解、危険物判別。
注意事項:配管を溶かさない。作業員を溶かさない。休憩中に床を消化しない。
「配管を溶かさない。作業員を溶かさない。床を食べない」
プルムは、ぷるぷると復唱した。
床は場所によって味が違う。古い石、魔力のしみた土、誰かがこぼした油。プルムにとって床はただの床ではなく、大きな皿に近い。
けれど、今日は食べてはいけない。働きに来たのだ。
排水路の入口には、三つ目のネズミ男がいた。灰色の作業服を着て、腰に工具袋を下げている。
「新入りか」
「プルムです。冒険者は溶かしません」
「いきなり何の宣言だ。まあ、ここでは大事だな」
ネズミ男は石板通知を受け取り、目を通した。
「下層排水路保守班、班長のチッチだ。まず言っておく。配管は俺の命だ。作業員も工具も溶かすな。工具は高い」
「高いものは残します」
「安くても残せ。床も残せ」
「床も残します」
「よし。最低限の会話はできるな」
プルムは少しだけ丸くなった。
第三階層の酸沼通路では、会話などほとんどなかった。冒険者が来る。沈む。溶ける。来なければ、石を舐める。それだけだった。
チッチはランプを持って、排水路の奥へ進んだ。
通路は暗く、湿っている。壁にはぬめりがあり、足元には黒い水が流れていた。懐かしい場所に似ている。けれど、ここには悲鳴がない。代わりに、遠くで食堂の鍋を洗う音がしている。
「今日の仕事は詰まり取りだ。食堂の排水が遅い。油と骨粉と、たぶんオークの食べ残しだ」
「食堂」
「顔を輝かせるな。業務だぞ」
「業務として分解します」
「その言い方ならいい」
チッチは古い格子の前で止まった。
黒い塊が詰まっている。油、布くず、骨、謎の肉片、折れた木べら。水がそこで止まり、嫌な匂いを放っていた。
プルムの体内に、小さな泡が浮く。
「布は残しますか」
「残せるのか」
「頑張れば」
「じゃあ残せ。あとで回収する」
プルムは黒い塊に触れた。
油を分解する。骨粉を砕く。汚泥を溶かす。布くずは残す。木べらも残す。
水が少しずつ動き出した。
ちょろちょろ。
ごぼ。
ごぼごぼ。
「速いな」
「前職で、鎧の隙間に入るのは得意でした」
「例えが嫌すぎる。だが仕事は速い」
プルムは丸く膨らんだ。
今度は、はっきり褒められた気がした。
次の詰まりは、もっと奥の細い管にあった。
脂と石灰と、古い魔力の焦げた味がする。チッチは工具を取り出し、管の横に赤い布を巻いた。
「赤は補修済みだ。触るな。黄色い汚れだけ処理しろ。青い塊は相談」
「黄色は処理。青は相談。赤は残す」
「それでいい」
プルムは細い触手を管の中へ入れた。
暗い。狭い。詰まりの味がする。黄色い汚れを溶かし、青い塊の前で止まる。
「相談です」
「古い薬品だ。少しずつ」
プルムは言われた通り、少しずつ溶かした。塊がほどける。水が動く。気持ちいい。
もう少し。もう少しだけ。
「おい。管も食ってる」
プルムは触手を止めた。
「食べてません。味見です」
「味見をやめろ。初日から配管を薄くするな」
プルムは慌てて触手を引っ込めた。
管の内側が、ほんの少し薄くなっている。
「すみません」
「謝る前に止まれ。お前、うまいが危ないな」
「前職でも、たまにそう言われました」
「前職で言われた言葉をここに持ち込むな」
プルムは小さくなった。
溶かすのは得意だ。
でも、残すのは難しい。
第三階層では、残せと言われたことがなかった。通ったものは溶かす。落ちたものは溶かす。それが仕事だった。
「おれ、向いてませんか」
排水路の水音が、狭い通路で響いた。
チッチは薄くなった管を見てから、プルムを見た。
「向いてる。だから見習いだ。全部できる奴は、ここに見習いで来ない。できない部分を覚えるから見習いだ」
プルムの体内で泡がひとつ浮かび、消えた。
「明日も来い。管を溶かさない練習からだ。あと、味見という言葉は禁止」
「業務確認にします」
「それならまだ許す」
そこからの作業は遅くなった。
黄色は分解。青は相談。赤は触らない。床も食べない。工具も溶かさない。作業員も溶かさない。
配管は、残す。
最後の格子から黒い水が抜けると、食堂の方から声が飛んだ。
「流れたぞ!」
「鍋が洗える!」
「今日の粥、間に合うな!」
プルムは動かなかった。
酸沼通路にいた頃、誰かを溶かしても、そんな声は聞こえなかった。
「今の、おれの仕事ですか」
「そうだ。お前が詰まりを取ったから、鍋が洗える」
「粥が出るんですか」
「スライム用の栄養液もな」
プルムの体が、ゆっくり丸く膨らんだ。
作業が終わると、チッチが石でできた小さな食券を投げてよこした。
プルムは慌てて触手で受け止める。
食券には、黒い字でこう刻まれていた。
排水路見習い。
「それを持って食堂へ行け。今日は働いた」
「床を食べなかったから?」
「そこも評価に入る。配管は明日補修する。お前も手伝え」
「行きます」
プルムは石の食券を高く掲げた。溶かさないように。落とさないように。
食堂へ向かう通路で、オークが大鍋を運んでいた。ガルが炭の袋を抱えて歩いていた。スケルトンが掃除用具を持ち、壁に貼られた求人票を眺めている。
武器ではなく、仕事の道具が通路を行き交っていた。
食堂の窓口で、プルムは石の食券を見せた。
「下層排水路です」
食堂係のマンドラゴラが葉を揺らした。
「ありがとう。今日は鍋が詰まらずに済んだよ」
プルムは、ぷるんと震えた。
「おれ、溶かしました」
「助かったよ」
「人じゃないです」
「それも助かるね」
栄養液の入った小さな器を受け取る。
飲み込むのは早かった。
床にこぼれた一滴には、触らなかった。
その夜、魔物職業安定所に一枚の業務報告書が届いた。
【業務報告書】
配属者:プルム
配属先:下層排水路保守班
雇用形態:試用一日目
担当業務:詰まり除去、汚泥分解、危険物判別
良好点:油脂汚れ、骨粉、汚泥の分解能力。成分判別。狭所作業
注意点:作業対象と設備の境界認識に不安あり。味見発言あり
破損物:配管一部に軽微な薄化
誤溶解:作業員なし、工具なし、床なし
復旧状況:食堂排水復旧。夕食提供時刻への影響なし
備考:明日も出勤を許可。配管を残す訓練を継続




