在りし日の日常
見渡す限り新緑の山々に囲まれた田舎道。離れて並ぶ家々の間には田んぼが広がり、緑色の少し伸びた稲がさわさわと風に揺れて心地の良い音を鳴らす。
学校帰り。結は高校の制服のまま、昼間の明るい道を歩いて本家に向かっていた。
昨夜、御役目が長引いたらしく、柊士が学校を休んだと聞いたのだ。
怪我でもしていたらと気になって柊士にメールを送っても、相変わらず返ってこない。いつものように無視されているのか、返事も返せないほどの状態なのか、それすらも分からない。
かと言って、本家に電話をして忙しい村田さんの手を煩わせるのも申し訳ない。
そう思ったら、気づけば足が本家に向いていた。
途中、小学生がランドセルをガチャガチャ鳴らしながら、パタパタと自分を追い越して走っていくのが見えた。
「奏太! そんなに慌てて走ると転ぶよ!」
従弟だということに気づいて呼びかけると、奏太はチラっとこちらを振り返ったあと、後ろ手に手を振った。
「大丈夫! 友だちと約束してるんだ!」
そう言った途端、何かにつまずいたのか、奏太はビタンッ! と道路の上で派手に転んだ。
「ちょっと!」
慌てて駆け寄ると、奏太はウゥーと唸り声をあげて蹲り、膝を抱えて丸くなっていた。
「っいった〜……」
「もう! 気をつけないと!」
結は奏太の側にしゃがみ込み、バッグの中をゴソゴソと漁る。昼間にも変な事に巻き込まれる事は時々あるので、簡易救急セットは必需品だ。
「ちょっと痛いけど、我慢してね」
「えぇ!?」
「このままにしておけないでしょ。我慢しなさい」
少し強めに言うと、奏太は涙目でギュッと奥歯を噛んだ。
奏太は十歳の祭りの時に、大岩様の儀式で手のひらを光らせたらしい。
本家から見たら、前当主の甥。結と同じ立場だ。間違いなく、もう少ししたら守り手の役目を担うようになる。
そうなれば、こんな小さな怪我では済まないような事態にたくさん遭遇するだろう。
結は、少し広めに擦りむいて血が滲んだ膝にペットボトルの水をかけて洗い流し、消毒液をかけてからガーゼで覆ってテープで固定する。
途中、ウッと奏太の呻く声が聞こえたが、無視してそのまま処置を進めた。手際よく進めた方が、痛みは少なくて済む。
「はい、これでよし。家に帰ったら、ちゃんと洗って叔母さんに手当てしてもらいなさいよ」
「……うん。ありがとう、結ちゃん」
奏太は素直にコクと頷いた。
そこへ、二人に影を落とすように、一人の男が間に入ってこちらを覗き込んできた。
「どうしたんだ?」
見上げると、そこには制服を着崩し大きな通学バッグを背負った遼がいた。
「奏太が勢いよく転んじゃって、結構擦りむいてたから手当てしてたの」
「ああ、アスファルトの上だと痛いよな。歩けるか? 奏太」
「うん。大丈夫」
遼は奏太の腕をグイッと引っ張り上げて立たせる。
「送ってってやろうか? すぐそこだし」
「ありがとう、遼ちゃん。でも平気」
奏太はパッパと自分の服を叩いて砂埃を落とした。それから、二人に目を向けてニコリと屈託なく笑う。
「じゃあ俺、行くね。二人とも、ありがと!」
そう言うと、奏太は性懲りもなく、またランドセルをガチャガチャ揺らしながら走っていった。
「ありゃ、また転ぶな」
遼が小さく呟く。
重いランドセルで重心が安定しない状態。結から見ても、どうしても危なっかしく見えた。
「遼も帰り? 今日部活は?」
「今日は休み。もうすぐ大会だから、明日からはずっと部活だけど」
「そっか」
結が言うと、遼は少しだけ言いにくそうにソワソワとした顔になる。
「……どうかした?」
「あ、あのさ、次の大会なんだけど、俺、試合に出してもらえそうなんだ。だから、その……えーっと……」
遼はそこで、ゴニャゴニャと口ごもり、ガシガシと頭を掻く。その耳は真っ赤に染まっていた。
「ええっと……お前に、応援に来て……ほしいんだけど……」
「うん、いいよ。いつ?」
さらっと結が答えると、遼は目を丸くして結を見た。
「え、良いのか!?」
「もちろん。幼馴染が頑張ってるんだもん、応援するよ。あ、ちょうどこれから柊士のとこに行くの! 柊士も誘ってみるね!」
「は? 柊士も?」
遼は明らかに戸惑うような声になる。
「ダメ?」
結が首を傾げれば、遼は慌てて顔の前で両手を横に振った。
「い、いや、そういうわけじゃないんだ! そういうわけじゃないんだけど……俺は、お前に応援してほしいっていうか……」
「うん、だから、ちゃんと応援するね!」
遼が妙に挙動不審なのが気になりながらも、結はニコッと笑ってみせた。
遼は諦めたようにガクリと肩を落とす。
「……お前、いつも柊士の事ばっかりだな」
「うん。従兄だし、小さいころにお母さん亡くしちゃってるから、私が近くにいてあげないと。ああ見えて寂しがりだからね」
茶化しながら結が言うと遼は苦い顔になる。
「もう子どもじゃないんだ。あいつはあいつで、自分でどうにかするだろ」
「そうかもしれないけど、私が気になっちゃうんだよね。こっちが気にかけないと、何にも言わないんだもん」
柊士の性格的に、自分から誰かを頼るようなタイプではない。ただ一人で傷ついて、一人で抱え込んで、一人で処理しようとする。だから、結はどれ程鬱陶しがられても、口出しせずに居られない。
それに、柊士の母が亡くなった事件には、結自身も関わっている。
幼い頃のことだから、詳しいことは分からない。ただ、伯母さんの葬儀の日、柊士と抱き合って涙が枯れるまで泣いた事だけはハッキリと覚えていた。
ずっと辛い思いをしてきたのだ。柊士がもう少し楽に生きられたらいいのにと、心底そう思う。
「それじゃ、私も行くね。試合の日程、分かったら連絡して!」
結はそう言うと、タッと駆け出した。
「え!? あ、結!?」
遼が自分を呼び止めようとする声が追ってくる。それに、結は小さく手を振った。
また、自分の部屋に閉じこもっているであろう柊士の事が心配になってきたのだ。
本家に着き、村田に挨拶して、結は柊士の部屋に駆け込む。
「柊士、大丈夫!?」
そう言ってガバッとドアを開ければ、柊士は思った通り怪我をしていたようで、足に包帯を巻いたまま自分の勉強机の前に座っていた。
「……ノックくらいしろよ」
柊士は呆れた声で言う。
いつも通りの様子に、結はほっと胸を撫で下ろした。
「メール送ったのに、全然返ってこないんだもん。学校も休んでるし、何かあったんじゃないかって、心配するでしょ?」
結はノックの件には触れずに、トサッと柊士のベッドに腰掛けながら言う。
柊士は諦めたように小さく息を吐いた。
「軽い怪我だよ。淕が大袈裟に騒いだから、念の為に休んだだけで」
「メールの返信くらいしてよ」
「……気づかなかったんだよ」
面倒そうな顔だ。気づいていて無視していたと、その顔にハッキリ書いてある。
「もう、いつもそうなんだから」
結はムッと頬を膨らまして不満を示したあと、プーと息を尖った口から出した。
これ以上言っても、柊士には暖簾に腕押しだ。
「あ、そう言えば、ここに来る途中で遼にあったの。部活の試合に出るから、応援に来てほしいって。一緒に行かない?」
「……は? それ、お前が誘われたんじゃないのか?」
柊士はポカンとした顔で結を見る。
「うん? そうだけど、柊士も誘うねって伝えたよ」
そう言うと、柊士は完全に呆れた顔になった。
「いや、だから、それはお前に来てほしいって意味で……」
「だから、柊士と一緒に行こうって誘ってるんだけど」
結は、柊士が言っている意味が理解できずに首を傾げる。すると柊士は今度こそ、深々とため息をついた。
「……鈍感すぎて、あいつが哀れになってくるな」
「え?」
「いや、何でもない」
「えぇ!? ちょっと、教えてよ!」
「あいつに直接聞けよ。俺は関係ない」
柊士はそう言ったきり、結局、何も教えてはくれなかった。
遼の試合当日、柊士は約束していたにも関わらず、当日になってドタキャンした。前日の御役目がどうのと言ってたけど、絶対に面倒くさくなったに違いない。
結は仕方なく、一人で試合会場に向かうことになったのだった。




