しおさいがとおくからきこえる
潮騒が遠くから聞こえる。
目前には緩やかに打ち付ける波と、白い砂浜が広がっていた。覚醒を始めた身体から軋むような音が聞こえる。遅れてやってくる感覚が、まだ生きていることを教えてくれていた。
起き上がろうとして無理だとすぐに悟った。身体を支配しているものは、ただひたすらに打ち付けるような痛みだけだった。辛うじて動かせる首で自身を見つめる。
無惨の一言だった。
俺の腰から下は吐き気を催すような肉の塊と化している。左足は膝から存在をなくしていた。まるで、そのまま産まれてきたかのように。右足は言葉にすることすら出来ない有様だ。残った骨や皮や流れ出る血からそれが俺の足だと理解した。腕も同じだろうと見てみると、右腕があらぬ方向を向いているものの、原形を留めていて何故かほっとした。残った左手でどうにか立ち上がろうとしたが、痛みでどうにかなりそうだった。
声にならぬ呻きを出した瞬間、視界の外から声がした。複数人いる。聞いたことのない言語を扱っているようだが、人間なのは間違いなさそうだ。
「でぃぱや、くれ! くれ!」
どうやら俺を見ているらしい。身体を捩って生きているということを伝える。それだけの事で痛みが全身を貫いた。痛み。それは脳から出る信号。つまり、俺の身体はまだ生きたがっている。だったらそれを司る俺自身が諦めてどうする。
「のーうぱ。れてぃ、くりなん、くれ! くらいふぁくれ!」
痛みに歯を食いしばろうとしたが、やって来たのはむき出しの神経に焼き鏝を突っ込んだような激痛。そこで、俺の下唇が抉れていることに気付けた。
果たして無事な箇所なんて存在しているのだろうか?
確実に言えることは、俺が人間らしい生活が二度と出来ないという事だけだった。
だが俺は生きている。この脳髄がまだ動いている。
船が壊れて、身体が壊れて、これ以上俺を破壊することがあるだろうか。
あの地獄のような世界から逃れることが出来たのは僥倖なのではないのか?
争うことはもう終わったのでは?
だが、人間が二人以上いる限り戦争はなくならない。俺はそれを知っている。その概念すら存在していない世界があるとしても、人間が神から授かった唯一無二のもの。それが戦争なのだ。
思想も概念も何もかも無くなったとして、闘争だけは絶対になくならない。
その螺旋から逃れられる方法を、今や俺は持っている。こんな足や腕じゃあ到底軍人や、元首としての役割は果たせない。何せ、ここの言葉を俺は一切知らない。言葉というものは争いに必要なものの一つだったから。
これこそが、貴方が俺に授けたギフトなのですね。薄れゆく意識の中で、俺は一切信じてなどいなかった神の存在を確信していた。これが宗教体験とかいうやつなのだろう。
すべてを捨てて、ただ一介のヒトとして死ねるのはどれだけ幸福なことか。
「大丈夫ですか? こちらの声は聞こえますか?」
俺の意識を覚醒へと引きずりだしたのは、良く知る王国公用語だった。
ここの連中はただひとつだけ間違ったことをした。俺を殺さなかったことではない。公用語を話せる人間と邂逅させたことだ。
そうしなければ。
そうしなければ、世界は滅ばずにすんだというのに。
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