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冬の森の死体安置所  作者: 山田太朗
第五幕「空が泣いて月が死んでる悲しい静かな『世界』」
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4.牢獄

 希望なんてどこにもなかった。

 絶望だけはそこかしこにあった。

 少女にとって世界とは、あらゆる絵の具を混ぜた何物でもない、病んだ色そのものだった。

 絶えず零れ続ける何かを拾い集めても、少女を表する色は変わらなかった。否、よりどす黒く、深く厚く塗られていた。


 歪に浮かんだカンバスには絵とも文字ともつかない何かが描かれていた。それは、白い無垢なる自身を隠すかのように、ただ忌避すべきものだけで重ねられていた。

 涙を一滴落とすことが出来たのであれば、世界は変わっていたのかも知れない。

 純然たる笑顔を持てば拾えたものかも知れない。

 

 あるいは、素直に感情を吐きだせば希望を掴めた世界があったかも知れない。


 だがそれは、決して訪れることはない遥か彼方の未来。

 だから決して少女は願わない。

 願いは叶わないことを知っているから。

 

 いつだって追い立てるように少女に覆いかぶさっているものは、現実そのものだった。


 指先、触れそうで、どこまでも遠い希望。それを掴もうともがいていた幼いあの日。

 陽炎は揺らぎを強め、やがて音になった。雑踏の最中にいるように煩い。音が羽根を広げ、そこかしこを飛び回っている。それはやがて少女の鼓膜を叩き、脳髄そのものを揺らしてゆく。でたらめな旋律はやがて形を成し、少女がよく知る単語の羅列となって意識を収束させた。


「おはよう」


 かさかさとした声。耳障りなはずなのに、水面に投げかけた小石のような音。それは紛れもなく古代語だった。


「誰!?」


 イルミナの意識ははっきりと覚醒した。身体の自由が利かない。片頬がやけに冷たかった。どうやら横になっていたようだ。

 立ち上がろうとした瞬間、じゃらん、と金属の触れ合う音が聞こえた。


「なに……これ……?」


 イルミナの手には鉄製の手錠がかけられている。足にも鎖が巻かれ、それは地面に固定されていた。思考を手繰ろうとしたが、色々な断片だけが通り過ぎてゆく。古代語、その単語だけが浮かび、文章を作る能力が喪われてしまった感覚だった。

 茫洋とした意識の中、イルミナは辺りを伺った。


 大小さまざまな石組みを積んだ建物と思われる。壁にいくつかの燭台が据えられ、蝋燭が頼りなく揺れている。微かな灯りはくっきりとした陰影を刻み、ここが地下だと推測させた。

 片面は石造りの壁があり、その反対にはイルミナを絶望に突き落とした根源が広がっている。


「だから……これは…………何よ……」


 鉄格子だった。

 首を動かせる範囲で分かる。ここは――ここは紛れもなく牢獄だ。


「おはよう」


 もう一度、声は繰り返した。

 おぼつかない視線をそちらに移し、イルミナは目を見開いた。


 そこにいたのは、イルミナが幼少の頃読んだ絵本に出てくる魔獣よりも存在感のある大男だった。

 牢獄の中、イルミナと同じように四肢を鎖で拘束されている。膝を抱えている男の頭は十フィートはありそうな天井に着かんばかりだった。手足は棒きれのように痩せこけ、それが不気味さに拍車をかけている。

 じゃらん。

 男が手を動かした。肘を曲げ、掌をイルミナに向ける。敵意はない――そう言いたいのだろう。だが、肘先だけでイルミナの身長ほどもある。それを見て怯えるなと言うほうが無茶な話だ。

 極めつけは男の顔……いや、頭だった。

 麻袋を被っている。そして目の部分を切り取っていた。目出し帽のようなもの。そこでイルミナの記憶、その奥底が微かに動いた。しかし、相変わらず思考は形を作れない。浮かんだ傍から消えゆく感覚。もどかしさを感じながら、男の瞳を見る。


「おはよう」


 男は繰り返す。漆黒の瞳からは一切の感情を読み取れない。イルミナの思考を読み取ったのか、はたまた同じ挨拶を繰り返すことに虚しさを覚えたのか、微かに肩を揺らすと今度は両手を上に向ける。降参と言いたいのか。


「君はイルミナ・ロッキンジーだね?」

「……はい」


「君は冬の森で働いているね?」

「……はい」


「君はザック・ノーガーを知っているね?」

「……はい」


「君は今自由に動けないね?」

「……はい」


「君は『埋葬』が出来るね?」

「……いいえ」


「それは困ったな」

 男は本当に困ったように瞳が動いた。目だけである程度の情報は得れる。いつかどこかで読んだっけ。


「申し訳ないんだけれどね」

 男は本当に申し訳なさそうに瞳が動いた。目だけである程度の情報は得れる。いつかどこかで読んだっけ。


「君の記憶をちょっとだけ読ませてもらった」

 男は本当にイルミナの記憶をちょっとだけ読んだように瞳が動いた。目だけである程度の情報は得れる。いつかどこかで読んだっけ。


「だからそろそろ記憶が()()はずなんだよ」

 男は本当にイルミナの記憶がそろそろ戻るように瞳が動いた。目だけである程度の情報は得れる。いつかどこかで読んだっけ。あれ? これはなんだ? これはなんだっけ?


「ぼくの名前はイザクというんだ」

 男は本当に自分の名前がイザクという男だというように瞳が動いた目だけである程度の情報は得れるいつかどこかで読んだっけあれこれはなんだこれはなんだっけイザクという名前にイルミナは心当たりがあった気もしたがそんなことはどうでもよくってこの目出し帽を被った男の名前はイザクという名前であれそんなことは――イザク?


「イザク」

「そう。イザクだよ」


 男はイルミナを見つめる。ただそれだけだった。


「君は思い出したね?」

「……はい」


「じゃあもう一度聞こう。君はザック・ノーガーを知っているね?」


 ()()()は質問の意図を理解したとき、涙が出てきた気がした。本当に気のせいだったことに気付いた瞬間、本当に涙が流れている理由を説明すべきだと思ったが、言葉がでてこなかった。思考回路が存在していないような気がして、ただ泣いた。散り散りになった感情を拾い集めることは、きっともうないのだろう。それを理解したからこそ、質問に答えなければいけない。


「……()()()

 男は満足そうに頷いた。


「じゃあ、今から『埋葬』を始めよう」




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