2.容貌
からからと。
イルミナを乗せた馬車は、王都外れの宿「安らぎの家」からセントラルへと向かって駆けている。殿下へと手紙を認めてから一週間ほどが経つ。その間に殿下からの呼び出しはおろか、返信すらもない。しびれを切らしたイルミナは再び手紙を記すと、速達を内府省へ向けて送った――それが数刻前。のんびりとした馬車より速達便が遅い道理がない。そう考えてからは早かった。
宿の女将に一月分の宿賃を叩きつけ、隣の厩で馬車を用意する旨を伝える。
「はん、なんでわっちがそんな事をせにゃならんのさ」
「金は払う、それに、あたしがどこからの客筋なのか知ってるよね?」
「そいつがどうした。お上が怖くてこんな宿やっていけるかってのさ」
「宿だけだったらね。夜になるといろいろと忙しいみたいだから今のうちに出てあげようって言ってるの」
そこで女将の顔色があからさまに変わった。
この宿の壁は非常に薄い。隣の鼾が聴こえるほどなのだ。ベッドの軋みも、女の嬌声だって筒抜け。イルミナは生娘だったが、その辺の知識くらいは持っている。更には終わった後に男が財布から金貨を取り出し、それを女が受け取る、そこまではっきりと聞こえていた。
つまり売春。
そしてここは売春宿としての許可は下りてない。と言うよりも、女王陛下の膝下である王都で売春宿を営むのは不可能である。つまりはもぐりでやっているのだ。当然法を破っていることになる。その罪は重い。禁固刑はもちろんのこと、その後王都で宿はおろか、商売を営むのが不可能になる。実質的な退去命令。下町で法を犯している時点で、この女将がまっとうな人間ではないと示している。余罪だってあるだろう。イルミナが普段相手をしている貴族に比べたら、女将なんて子供みたいなものだ。こういった輩に効果的な行動は心得ている。
だからイルミナはにっこりと笑んだ。
「五分で支度してね」
女将ではなく、隣で震えている黒髪の女の肩を叩き、荷物を纏めるために部屋へと戻った。
五分後。
荷物を持ち下りると、馬車はとうに用意されていた。女将自ら扉を開け、引きつった笑みを浮かべてイルミナが乗り込むのを待っている。
「この事はどうかヤードには……」
この期に及んで、女将は借りてきた猫そのものだった。お手本のような追従笑いにイルミナは心がざわつく。いつかの貴族たちがしたような下卑たもの。それら記憶の中には常にザックがいる。
深く息を吐いて、女将を見つめる。感情を支配する何もかもから目を背けるように無表情で、
「それは馬車の速度次第ね」
そう言って扉を乱暴に閉じた。女将の笑みなんか見たくもなかった。
何もかもが狂っている。イルミナはそう思った。出来の悪いグランギニョルを延々見せられている気分だ。歪な、決して嵌らないパズルを渡されて、右往左往しているような居心地の悪さを感じていた。殿下のことだけではない。ザックが証拠不十分の為に釈放されたという記事を見たと言うのに、冬の森はおろか、ギルドからも連絡ひとつないのだ。「安らぎの家」で待機していたのもギルドからの指示だったし、現在もイルミナは死体安置所の管理人なのは変わらない。なのに、何も知らされず、まるで部外者のような扱いなのもイルミナの癇に障った。
二人いる御者の笑い声が癇に障る。のんびりとした馬車を追い立てるように、強く窓を叩く。イルミナを振り返った二人の顔がこわばり、馬の速度が上がった。
いったいどんな顔をしていたと言うのだろう。鏡を見たいと思って苦笑した。
イルミナは鏡が嫌いだった。そこには残酷な現実がはっきりと現れるから。
そばかすだらけの頬。丸い顔。低い鼻。自慢の金髪を伸ばして顔の線を隠してみても大差はない。容貌に点数を付けるとしたら、平均以下だとイルミナは自覚している。
絵本に出てくるお姫様みたいに誰もが愛してくれると思っていた。
いつかは白馬に乗った王子様が迎えに来て、幸福な人生を送るはずだった。
イルミナはそんな夢をいつまでも見ていられるほど自信家でもなければ、甘い泡沫に逃げ続けるほど夢想家でもなかった。
彼女は自他共に認める現実主義者なのだ。だから何かが……いや、何もかもがおかしいと思えて仕方ない。事実それは当たっていた。だがイルミナにはそれに気づけなかった。眼前、いたるところに示唆は落ちていたが、それを拾い上げるだけの余裕は彼女にはない。
何故かと言うと、イルミナは――何もかもを諦めていた現実主義者(あるいは刹那主義者)は、生まれて初めて瞳に映らないもの、希望という感情を、心の奥底に見つけてしまったから。
それは。
あるいは、恋と呼称されるモノだったのかも知れない。
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