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冬の森の死体安置所  作者: 山田太朗
第Ø幕 はじめてのおるすばん〜ザックの長い一日〜
44/75

冬への扉

「そうか、もう十年になるのか。それは分からないはずだ」

 男はそう言って豪快に笑った。その横に座ったプリエトも控えめに笑う。

 ザックはその対面で談笑する二人を眺めていた。


 死体安置所の応接室。


 先ほど訪ねて来た男は、イゼット・アンガーと名乗った。その名を聞いた瞬間にプリエトが大きな声を上げた。

「まさか、イゼットおじさまですか?」

 それを聞いて、アンガーは訝しげに少女を見つめていたが、やがてプリエトよりもはるかに大きな声を上げて肩を抱いた。

「おお、なんということだ。プリエトかい? 大きくなったものだ」

 どうやら、二人は既知の間柄らしい。ちょっと考えを巡らせると簡単に理解できる。この冬の森を訪ねてくる人間は大半が貴族である。そして、この国の貴族でサンダーランド家を知らぬものは存在しない。よって二人が知り合いであることに不思議はない。証明終了。

 その二人は、玄関から応接室に入っても途切れることなく昔話に花を咲かせている。ザックはそんな彼らをぼんやりと眺めていた。

 華奢なプリエトが隣にいるから、というのもあるだろうが、アンガーという男はかなり大きな身体をしている。縦も横も平均を遥かに超えているだろう。それにかなり毛深いようだ。大きな顔の半分近くが髭に覆われている。膝の上で握られている手の甲にも肌が見えないほどの毛が生えていた。


 ――熊だ。


 ザックでなくても、彼には誰でも熊だとあだ名をつけるだろう。だが、ザックはそれでは捻りがないと思ったのか、いくつかの生物を頭に思い浮かべた。

「おお、そうだ。管理人のザックさん、でしたな?」

 突然話を振られても、ザックはひとつ頷いて動揺した様子もなくアンガーを見つめる。彼は表情が乏しいので、こうやって思考を遮られてもそれが相手に伝わるということは、まずなかった。

「今日お伺いしたのは、他でもない『埋葬』についてです」

 もうひとつ頷いて続きを促す。

 アンガー家の『埋葬』を執り行うのは、以前ギルドから受け取った手紙に書いてあったので了承している。おそらく、今日はその日どりを決めるために赴いたのだろう。そうザックは考えていたのだが――。

「急なことで申し訳ないのだが、『埋葬』を本日お願いしたい」

 そう言ってアンガーは大きな身体を折り曲げて頭を下げた。イルミナが隣にいたら「こんな貴族もいたのか」と驚いていそうだったが、これにはさすがのザックも眉をひそめた。

 ちら、とアンガーの隣で笑みを浮かべているプリエトを見る。ザックの視線には気づいているだろうが、彼女は隣の貴族を見つめたままだった。

 こういった時に、イルミナがいてくれたらよいのに。ザックはそう思わずにはいられない。きっと彼女であれば即座に彼の視線の意味を汲み、客に告げるはずだ。

「申し訳ないが」ザックは、脳内で言葉を選びながら口を開いた。「申し訳ないが、アンガー氏の隣にいるプリエトは臨時の助手だ。知っての通り『埋葬』にはいくつかの条件がある。それを彼女と二人でこなすには、一日二日では時間が足りない」

「無理は承知。だが、こちらにも時間の猶予がないのです」

 アンガーの顔は真剣だった。ザックが無言のまま見つめても瞳をそらすことはない。


 ――どうやら本気のようだな。


 ザックは息を落とし、プリエトを見た。少女は、まるで試すかのようにザックの視線を受け、薄く笑っている。

「よろしい。では今より準備に入る。ただ、その間、今から案内する客間から一歩も出られないように、鍵をかけさせてもらう。食事は助手に持っていかせるし、バス、トイレは備えられている。準備には時間がかかる。ひょっとしたら開始は真夜中を過ぎるかもしれない。それでも大丈夫か?」

「もちろんです。おお、助かった! 神よ!」

 男は満面の笑みでザックの手を握り、上下に何度も振った。


「あんなこと言って良かったんすか?」

 モルグへの階段を下りながら、それまで黙りこくっていたプリエトがのんびりとした調子で話し出した。

「『埋葬』ってすごい時間をかけるものって聞いてるっすよ。それなのに、安請け合いしちゃって」

 その言葉を受けて、ザックは軽く肩をすくめた。言いたいこと、教えねばならぬことは山ほどあったが、今は口を開いているわずかな時間すらも、もどかしい。

 プリエトには、最低限のことだけをこなしてもらうつもりだった。幸い、彼女には『埋葬』に関する知識が、冬の森に来た当初のイルミナよりはあるはずだ。

 階段を下り両側にある棺には目もくれず、二人は最奥を目指す。

 その途中プリエトが立ち止り、ザックを呼び止める。

「センパイ、男爵の御遺体はここっすよ。礼拝堂に運ぶんじゃないんすか?」

「それはあとだ」

「ああ、なるほど。まずは『死者の書』からってことっすね」

 その言葉に今度はザックが足を止めることになった。表情のない瞳で、少女を見つめた。

 プリエトはそれに怯んだ様子もなく、頬をかいている。

「なんで知っているんだって顔してるっすよ。当たり前じゃないっすか。あたしはサンダーランド家の嫡子なんっすから」

 ザックはそれから少しだけ考え、まずはこの少女がどこまで知っているのかを聞いてみることにした。

「どこまでって言われても、知ってることだけっすよ。『埋葬』には必要な古代書があるとか、あたしは通訳だから古代語を話せないとだめとか、そのあたりくらいっす」

「それだけ知ってたら十分だ。じゃあそっちの準備は任せた」

「そっちって?」

「通訳、古代書、その他雑務」

 それだけ言うと、ザックは元来た入口へと駆け出した。


 冬の森の夕暮れは早い。

 年中雪が降りしきる特殊な場所というのも影響しているのかも知れない。気づけば、あたりは白い闇に包まれる。灯りなどどこにもないので、その濃さは他に類を見ない。

「――吸い込まれそうっすね」

 窓の外を見つめていたプリエトが声を漏らした。いつものようなものではなく、誰かに遠慮するかのような小声。

 厳かな礼拝堂の空気がそうさせているのだろう。そこでは、既に『埋葬』の準備が整えられていた。

 少女の声を聞いたザックは一瞬作業をしているその手を止めたが、それだけだった。

 準備自体はかなり前に終わっている。それこそ、この森では夜と呼ばれる時間帯ではあるが、本来は夕刻前には全てが滞りなく済んでいたのだ。

 最後の確認をしっかりと済ませて、あとは儀式を始めるだけ。


 そのはずだったのに。


 なんと、当のアンガーが眠ってしまっていて全く起きない。いくらプリエトが声をかけ、ザックがその身体をゆすっても、返ってくるのは部屋が揺れるほどの大きないびきだけだった。

「こうなったらしばらくは無理っすね」

 プリエトは顎髭をつまみながら、テーブルに乗ったワインの空き瓶を指さした。このモルグには酒を置いていない。単純に誰も飲まないからだ。彼が持ち込んだものだろう。

「おじさんは昔からこうっす。でかい図体してるくせに小心なんすよ。こうやってアルコールで誤魔化そうとするんすけど、それすらも弱いときたもんで……」

 このざまっす――呆れ顔でひげを指で弾いた。

「とにかく、このまま待つしかないっすよ。遅くとも朝には起きるはずっす」

 書置きを残し部屋を出たはいいが、どうしようもない二人はそのまま礼拝堂へと向かった。

 

 そして、こうやってプリエトは窓の外を、ザックはもう幾度目にかなる『埋葬』の確認をしている。

「もうすぐ日付変わっちゃうっすね」

 窓を見つめたまま、ぽつりとプリエトがつぶやいた。まるで窓と会話しているかのようだ。

「『埋葬』は体力を使う、今のうちに休んでおけ」と言うザックの言葉に曖昧な笑みで返し、彼女はずっと同じ方向を見ている。

「もう一回様子を見てくるっす」

 そう残し、プリエトはゆっくりと礼拝堂を出ていった。

 ザックは長椅子に身体を横たえ、体力を無駄に使わないように努めている。本来はとっくに眠っている時間だったからか、頭がぼんやりとしている。頭を振って眠気を追い払おうとしたが無理だった。忍び寄る睡魔がザックの意識を刈り取るまで、さほど時間はかからなかった。


 どこかで子供の泣き声が聞こえる。

 辺りは、一面真っ赤な絵の具を散らしたかのようだった。強く立ち上る生臭い匂いが、どうしようもない現実を告げている。

 子供が、がれきの山を泣きながら歩いていた。返り血なのか、それとも自分のものなのか、子供は血にまみれている。特に、顔の左半分は動物にでもやられたのか、かぎ爪でひっかいたような跡から歩くたびに血が噴き出していた。

 空を仰ぎ、母親の名を叫びながらよたよたと歩き、時折がれきに足を取られ転んだ。そのたびにいたるところを擦りむいて血が流れた。左目は潰れ、硝子体と混じったゼリー状の血が涙のように頬を伝い、やがて足元に落ちた。だが、子供にとっては痛みよりも母親がいないことの方が遥かに深刻であった。

 声に返事を寄越すものはない。

 がれきだけではない。そこいらに倒れ伏している人間にも足を引っかけた。子供はそれを気にも留めず、ただ母の姿を求めて歩き続ける。

 泣き声は段々と大きくなってゆく。

 誰も返事はしない。

 子供がかつて王だった者の頭を蹴った。隣にあった奴隷の足を踏みつけた。それを咎める者も称えるものもいなかった。

 当然だ。

 この地に住む全員が子供の足元に転がり、誰もが血と肉の詰まった生命の欠片すらも存在しない袋になり果てている。

 

 ――センパイ。


 未だ燃え続ける建物が崩れ落ちた。ゆっくりと、スローモーションのように。

 その下にあった死体の上に残骸が降り注ぎ、押しつぶした。ガスが溜まっていたのだろう「ごえええ」というまるで蛙の断末魔のような音が漏れ、それを聞いた子供はびくりと身体をすくませる。


 ――センパイ、起きてください。


 誰もが目を背けたくなる惨状であるのに、子供はただひたすらに「ママ! ママ!」と声を枯らして叫び続けた。

 いや、本当は気づいていたのだ。

 いくら泣こうが、叫ぼうが、母親は返事をしないことを。

 とっくにその辺りのがれきに押しつぶされていることを、子供は知っている。

 そればかりか、この地獄のような光景を作り出したのは、他ならぬ自分であるということも。

 彼は知っている。誰もが口を開かないことを。

 そう。


 死体は――死者は言葉を話せない。


「センパイってば!」

 ザックが瞳を開くと、鼻先が当たりそうな目前にプリエトの顔があった。その隣には、顔を赤くしたアンガーもいる。二三度目を走らせ、居場所を確認する。礼拝堂の長椅子にいるというのをすぐに思い出した。どうやら、横になったまま眠ってしまったようだ。

「やっと起きたっすね。おじさんもやっと起きてくれたっすよ」

 大きな身体を申し訳なさそうに小さくし、アンガーもまたザックを見つめていた。

 二人に頷き、ゆっくり立ち上がる。少し足元がふらついたが、特に異常はなさそうだ。睡眠が圧倒的に足りていないのが気にかかったが、仕方ない。

 ザックが軽く身体をほぐしている間に、プリエトはアンガーを礼拝堂の中央――遺体のある場所へと案内している。

 その場所を中心に数本の蝋燭がぼんやりと周囲を照らしていた。

 これは単純に暗いから。今回は特殊なことはしなくてよいので、準備も幾分楽だった。

「……おお」

 遺体を見たアンガーが声を漏らす。

 今回呼び出される死者の名は、フェリーリ・クリミナンド卿。アンガーと姓が違うのは、単純に母方の祖父だからだ。

 そのクリミナンド卿の身体は薄く発光している。蝋燭の灯りと相まって、幻想的に見えるだろう。

 

 ――急場だったが、なんとかなったようだ。


 ザックは二人に気づかれないように、安堵の息をそっと吐きだした。

 今回、普段の『埋葬』と違う箇所があるとすれば、ここだった。ある程度詠唱を済ませ、死者を呼び出す一歩手前で止めてある。

 このことをザックに教えてくれたのは、プリエトだった。


「あれ? センパイ、知らないんすか?」

 時間を逆算し、明け方には終わるだろうとザックがお手製の時間表を眺めていたときのことである。

 ザックが「なんのことだ?」と眉を寄せると、少女は得意げに話し出した。

「『埋葬』って一気にやらなきゃみたいなイメージあると思うんすけど、区切ることもできるんすよ。今回みたいなこともあるだろうし、参加者が急に倒れてしまうことだってあるもんす。だから、ここまでにある程度を進めておいて――」

「ちょっと待て」

「ん? なんすか?」

「そんなこと、初めて聞いたぞ」

「あれ? そうっすか? 結構有名だと思ってたっすよ」

「親父――いや、先代もそんなことをしていなかったはずだ」

「そりゃあ、いわば緊急用っすからね」

 そこでザックは腕を組み、少し考えた。確かに、プリエトの言うとおりにすれば、ある程度の時間は短縮できる。しかし。

「どうやってやるんだ?」

「へ? 簡単っすよ。普段通りに進めて、途中で止めておくだけっす」

 そう、事もなげにプリエト。

 要するに、ザックがいつも行っている詠唱をある部分で止めるだけ、といった本当に単純なことだった。とはいえ、ザックは文盲である。肝心な()()()()()止めればいいのかが分からない。

「そのためにあたしがいるっすよ。さ、センパイ。これから特訓っす」

 

 確かにプリエトの言う通りだった。

 かすかに発光するクリミナンドの状態は落ち着いているように見える。ノーガーの()()でザックにはそれが分かった。

 とはいえ、これからどうなるかが分からない。早めに済ませてしまうため、ザックはいつものように厳かに声を上げる。


「それでは、これよりフェリーリ・クリミナンドの『埋葬』を始める」


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