第二話①
リリィにとって、ネヒター国の魔法使いは雲の上の存在だった。
宝石の管理者。国の根底を支える者。しかしその姿を見た者は誰もいない。
王都ヴィモールの下町で生まれ育ったリリィは、そんないるかどうかもわからない存在よりも、両親が営むパン屋が好きだった。朝から晩まで仕込みや販売で忙しかったが、パン屋はいつも常連客で賑わった。時には貴族がお忍びで買いに来るほどで、リリィはそれが誇らしかった。
雲行きが急に怪しくなったのは、三年前のこと。
国の経済の根幹である宝石が、突如として産出されなくなった。兵士が慌ただしく行き交うのを、店先から不思議そうに眺めていた覚えがある。
財源がなくなったら交易できなくなる。輸入していた食べ物が届かなくなるのに、そう時間はかからなかった。同時期に、国から魔法使い捜索隊の要請が飛び込んできた。宝石の鉱脈が尽きたのは、その魔法使いの仕業だという。
小麦を仕入れられなくなった父親は店をたたみ、捜索隊に志願した。同じように生活が成り立たなくなった男たちが、家族を養うために次々に志願していく。
捜索隊を見送った半年後、リリィの母親をはじめとした、二十代から四十代の女性たちが城に招かれた。重要なお役目を果たすためだと言われ、従わない者はいなかった。
だが、一年後に帰ってきた女性たちは、皆気が狂っていた。ベッドから起き上がれない、なにもない場所を見て怯え、物を投げるのは序の口。突然笑い出したり、心配する我が子の首を絞めて殺しかけることもあった。
リリィの母親もそうだった。娘が持ってきたパン粥に毒が入っていると言い出し、まだ熱いそれを彼女に向けて投げつけた。そうしたことが何度も続くと、自然と離れて暮らすようになる。町はずれの廃屋に、同じように家を出た友達と集まって寝泊まりした。
着替えを取りに帰った時、母は首を吊って死んでいた。遺体は兵士がどこかに持っていった。葬式を挙げるお金はなかった。
そして、ついに女王が宝石の呪いをかけた。
黄昏色の髪の魔法使いが国に戻ってこなければ、すべてが宝石に変わる。まだ子どもだからと、最後は国が守ってくれると思って甘えていたリリィたちは、この時に守護者を失った。
父は帰ってこない。母は死んでしまった。
半狂乱の友達の言葉も、明るい髪色を黄昏色と疑って殴り合う少年たちも心に響かない。
死にたくない。
その一心でリリィは王都を出た。門番はいなかった。足が棒になるほどさまよい歩き、真っ暗闇の中、廃教会に辿り着いた。
寒さをしのごうと思って中に入ると、祭壇の前に角の生えた美しい女性が立っていた。彼女はリリィを見て驚いたような顔をし、すぐに微笑みかける。
「いらっしゃい、お嬢さん。ここは生き直したいと願う人が辿り着く場所。……あなたは、どんな風に生き直したい?」
聖母のような微笑を前に、リリィはようやく楽園の話を思い出した。
それは親から子に語り継がれた、寝物語の一つ。朽ちた教会の形をした楽園の入り口。生き直したいと願う人のみが辿り着ける場所。心清らかな者が聖職者の問いに答えれば、道は開かれる。
リリィは引きつる喉をなんとか震わせて答えた。
「……パンを作りたい。また、お父さんやお母さんと一緒に、パンを作って、売りたい……!」
自分がどうしてこういう目に遭ったのかわからない。会ったこともない魔法使いを何度も恨んだ。
この三年で、リリィの生活は瞬く間に崩れた。父も母もいない。自分もいずれ宝石になって死ぬ。叶わない夢だとわかっていても、リリィはもう一度あの幸せな日々に戻りたかった。
「そう」
女性――マーガレットは泣きそうな笑顔で一つ頷いて、手を差し伸べる。
「おいで。お父さんとお母さんはいないけど、代わりに私たちがあなたを守るわ。あなたの作るパン、ぜひ食べさせて」
「…………うん!」
あの地獄から抜け出せる。それだけで涙は止まらず、リリィは抱き着くようにして彼女の手を取った。
――まさか、その先にすべての元凶がいるなど、夢にも思わなかったが。
◆ ◆ ◆
リリィの亡命とパスカルの帰還から一週間が経った。
まだ太陽が地上を暖めきれていない早朝。大きなカバンに着替えや食糧を詰めたパスカルが、再び旅立とうとしていた。
「それじゃ、行ってくるね!」
「おう、土産待ってるぞ」
「気を付けてね」
ディートリヒとマーガレットが頷く。
見送りに集まった村人たちからも、口々に声援が上がった。
「気を付けてー!」
「土産話、楽しみにしてるぞ!」
「お兄ちゃん、また遊んでね!」
「もちろんだ」
パスカルは彼らに笑い返し、頷く。
彼はこの一週間を、グラウやリリィのケア、村人たちとの情報交換に費やした。朝から晩まで村を見て回り、言葉を交わしても、たった一週間だ。もっと話したい、まだ遊び足りないと顔に出ている村人たちの視線を切り、パスカルはディートリヒの隣に立つグラウを見る。
「じゃ、行ってくる」
「ん。……気を付けて」
「ああ」
短く頷き合う。それからリリィの方にも顔を向けた。
「それじゃあ、行ってくるから。みんなと仲良くね」
「……うん」
リリィも控えめに頷く。
彼女が亡命する直前、ネヒター国の女王エデルガルトが悪魔と契約した。それによる宝石の呪いは看過できるものではなかった。
子どものリリィが亡命を望むなんて尋常ではない。もしかしたら、一ヵ月の期限を待たずにネヒターが滅びるかもしれなかった。あちらの情勢なんて知ったことではないが、新たな村人の危機をおいそれと見逃すわけにはいかない。
パスカルの足元に風が集まる。ふわりと体が上昇し、彼が軽く跳ねるように空中を蹴った。
ケープに似た外套が翻る。風に巻き上げられた木の葉のように、パスカルの体がはるか上空に飛んでいった。
「ちぇっ。いいなー、村長は」
パスカルを見送った青年の一人が、うらやましそうに呟く。
「俺も魔法を極められたら良かったのに」
「無理無理。屍竜山脈を越えられずに死ぬって」
側にいた別の青年が笑い飛ばした。
屍竜山脈は虹色の霧に包まれている。それは本来、目に見えないはずのマナが高濃度で溢れているためだ。水を飲み過ぎると毒になるように、常人がどれほど万全に対策をしたところで、その濃さに圧迫されて窒息死してしまう。
だが竜人のパスカルは、長命であると同時に魔法の扱いにも長けていた。妖精と同様、詠唱せずに魔法を行使できる。しかも屍竜山脈の霧に耐えられるだけの結界を張って、易々と飛び越えてしまうのだ。
無論、同じく竜の血を引いているディートリヒやマーガレットも同様に屍竜山脈を攻略できる。並の人間があの山を越えるなら、彼らの協力を仰ぐ必要があった。
「ねえねえ」
女の子が父親らしい男の手を引っ張った。
「おじちゃん、いつ帰ってくる?」
まだ幼い彼女にとって、パスカルは村長というよりもたまに帰ってくる親戚という認識だ。また、その若々しい見た目から「お兄ちゃん」「おじちゃん」と呼ぶ子も多い。
父親が肩をすくめて答える。
「んー、そのうち帰ってくるさ」
「そのうちっていつ? 明日?」
「明日は……無理かな」
「じゃあ明後日?」
「えーっと……」
目を潤ませる女の子に父親がたじろぐ。マーガレットが小さく苦笑して助け舟を出した。
「そうね、向こうに行って帰ってくるにはちょっと時間がかかるから、早くても一ヵ月くらいかしら」
「一ヵ月って?」
「満月がまたやって来る頃ね。ちょうどこの間が満月だったし」
「ん、わかった!」
女の子がニパッと笑う。母親らしい女性に手を引かれて、他の親子と一緒に洗濯に向かった。
その姿を見送り、父親がこっそりと礼を言う。
「助かったよ、マリー」
「いいのよ。ただ、今回はネヒター絡みだから、もうちょっと早く帰ってくるかも」
「え……そうか」
父親がグラウの方を見る。その視線の先では、グラウがバラットとケインに両手を掴まれていた。じっと見つめる彼の肩をマーガレットが叩く。
「いつも通りに接してあげて。その方が変にプレッシャーがかからないから」
「ああ、わかった」
頷いた二人の耳に、兄弟の声が聞こえた。
「ねえねえ、グラウ兄ちゃん! はやく遊ぼう!」
「違うよ、ケイン。グラウ兄ちゃんはうちの手伝いに行くんだ!」
「バラットの言う通りだぞ、ケイン」
北へ引っ張っていこうとするバラットとケインにディートリヒが答えた。
「ついでに、父ちゃんや兄ちゃんたちのお手伝いをしていたら、いっぱい遊べるかもな」
「ほんと!?」
ケインがパッと顔を輝かせ、はやくはやくとグラウたちを急かす。
「はいはい、わかったって。じゃ、行ってくる」
「おう。午後になったら東の原っぱな」
ディートリヒと午後の約束を確認し、グラウはバラットたちに連れられて歩き出した。
「グラウ、ちょっと待って!」
その背中をマーガレットが呼び止める。
「ねえ、リリィちゃんも一緒に行っていい?」
「え?」
振り返ったグラウは驚いて少女――リリィを見る。マーガレットの後ろにいる彼女は、心配しているような、怒っているような顔で彼を見ていた。
「この間来た人?」
それを知らないバラットがマーガレットに訊ねる。数日前に、リリィは新しい村人として紹介されたばかりだ。
「ええ、そうよ。みんなのことを知りたいんですって」
マーガレットが頷く。主語をわざと大きくしたのは、子どもたちにグラウとの因縁を悟らせないためだろう。
「へー。俺、バラット! こっちは弟のケイン! それとグラウ兄ちゃん!」
「さらっと俺を混ぜるな」
そうとは知らないバラットが自己紹介した。グラウが仕返しに髪を乱暴に撫でてやると、バラットがひゃあと笑った。ケインがそれを見てずるいずるいとねだる。
「で、大丈夫かしら?」
マーガレットが気遣わしげに訊ねた。グラウが嫌なら無理強いはしない、と言外に言われる。だが、それを理由に断ればこの小さな兄弟が文句を言うだろう。
グラウは頷いた。
「チャーリーさんがいいって言うなら」
ただし、逃げ道はちゃんと用意しておく。勝手に人数が増えても問題はないだろうが、一言許可をもらっておくだけでトラブルの芽は摘める。
「オッケー。チャーリー、ちょっといい?」
「ん?」
他の村人と話し込んでいたチャーリーを呼び、リリィ参加の許可を取り付ける。
二つ返事で許しが出たので、バラットたちが歓声を上げて彼女の手を取った。
「こっち! 俺んちの牧場って広いんだぜ?」
「そりゃあ、村唯一の牧場だからな」
グラウが苦笑交じりに言うが、聞いていない。南に畑が広がっているように、北はそこがまるっと牧場になってるのだ。
「うちーのぎゅーにゅーはせっかいーいちー♪」
「うちーのぎゅーにゅーはせっかいーいちー♪」
バラットとケインが交互に歌いながら、グラウとリリィを牧場に連れて行く。
「……ねえ」
その背を見つめながら、リリィはぽつりと言った。
「本当に、女王様を殺すの?」
「しつこいぞ」
温度のない声が出た。
「まだ諦めていなかったのか?」
「そりゃそうよ。バレたら死刑だよ? この村も滅ぼされるのかもしれないのに」
するとグラウは、ジトッと半眼になってリリィを見た。
「……お前、この村がどこにあるのかちゃんとわかってんのか?」
「え?」
「ここ、屍竜山脈を挟んだ東側だぞ」
リリィが頭の中で地図を描く。大陸を二分するように横たわる屍竜山脈。その西側が、人間が住む場所。東側は精霊の住処。そう教わってきた。
「嘘でしょ?」
「本当。じゃなかったらこんな平穏な暮らし、できてねえ」
屍竜山脈を登れば窒息死。海から回り込もうにも、急な崖や岩礁が着岸を阻み、荒れ狂う波で船はひっくり返る。そもそも村の存在自体、西側に知られていない。天然の要塞に守られたこの村は、まさに楽園と呼ぶに相応しい場所だった。
「ポータルを利用して乗り込もうとしてきた奴は、ディートリヒたちが速攻で叩き出すし」
「ポータルってなによ」
「向こうに師匠が山ほど置いてきた、転送用の魔法。ボロボロの教会の形をしてただろ?」
「あれがそうだったの!?」
ひっくり返ったリリィの声に、「今気付いたのかよ」とグラウが肩を落とす。
「あれ、本気で亡命を希望する奴にしか見えないように細工がしてあるんだと。だから亡命を阻止しようとしても、そもそも見つからない」
「……まあ、あたしもマーガレットに会うまでおとぎ話だとは思っていたし」
「師匠が設置ついでに話もばらまいてきたみたいだからな。口伝えの話ってなかなか根絶が難しいらしい」
本なら焚書にしてしまえばいい。しかし人間の脳に刻まれた言葉は、それこそ呪いを使わない限り奪えない。
「だから、女王を殺してすぐにこっちに戻れば、俺は完全に自由になれる」
嬉しそうにグラウは語る。たしかに、パスカルたちの手引きで捕まる前に屍竜山脈を越えられれば、彼は二度と西側の法で裁けなくなる。
「だからって、女王様を殺すなんてどう考えてもおかしいじゃない」
リリィは唇を尖らせた。この一週間、リリィは何度もグラウたちに女王暗殺の撤回を訴え続けていた。しかし彼らが首を縦に振ることはなく、逆にリリィの方が説得されかける始末。議論は平行線のまま、最大の協力者であるパスカルは旅に出てしまった。
「なら、その女王様のために宝石になれって言われて、お前は素直に頷いたのか?」
「それは……」
言葉に詰まる。それくらい女王を盲信していたら、今頃ここにはいない。
「俺は自由になりたいんだよ。そのためなら殺人だってためらわない」
「……今すでに自由なんじゃないの?」
「宝石の呪いを持っている以上、女王は俺を諦めない。この三年がその証拠だろ? 被害が拡大する前に、悪魔も女王も両方片付ける」
「もう被害出てるじゃない。しかも、そのための準備を村長さんに丸投げするのはどうかと思うけど?」
「適材適所だ。俺自身に屍竜山脈を越える技術がないんだし、そもそも追われている身の俺がほいほい現れたら大騒ぎだ」
ああ言えばこう言う。こんな感じで一週間、リリィの努力は徒労に終わっていた。
彼の言い分もわかる。人間を宝石にし続けるなんて正気を疑う所業の中心にいさせられていたのだ。リリィだったらたぶん発狂している。だが、彼がいなくなったことで自分たちの日常を壊されたのも事実なのだ。彼の帰還ですべてが元通りになる。そう思って捕まえようとしているのに、相手は蜃気楼のようにのらりくらりと消えてしまう。
「……じゃあ、もし復讐が、女王様の暗殺が成功したら、どうするの?」
リリィは話題を変える。復讐をやめさせようにも、その意志はあまりに硬い。しかも彼には竜人という強い後ろ盾がある。だったら、せめてその先の未来を知りたかった。
「どうもしないさ」
グラウはあっけらかんと答えた。
「女王を殺して、この呪いの力も還したら、村に戻って、またみんなの手伝いをしながら村でゆっくり過ごす。自分だけの畑を持つのもいいし、今みたいにいろんな仕事を手伝うのもいいし。そういう人生を、死ぬまで送りたい」
そう語る彼の横顔は、とても穏やかだった。一国の長の殺害を企てているとは思えない表情に、リリィの方が呆気にとられる。
「……それだけ?」
「それだけだ。なんだ? 他になにかあると思ったのか?」
「だって、あんたの持ってる呪いで宝石が作れるんでしょ? 無限に財産を築けるじゃない」
「こんな力いらねえっつーの。それに宝石が食えるか? それなら土いじりしている方がいい」
「えええ……。一生働かずに済むじゃん」
「俺は人間らしい生き方をしたいだけだ。ほら、そろそろ牧場に着くぞ」
会話を切り上げたグラウが指さす先には、いくつもの建物が点在していた。木製のそれは窓の代わりに板を部分的に外して換気している。人が暮らすようにできていないのは明らかだった。
同時に、ぷうんと嫌な臭いが鼻につく。
「……ねえ」
手で鼻を覆って、リリィは問う。
「なんか、臭うんだけど」
「そりゃあ、牧場だからな」
グラウが不思議そうに答える。少し考えて、ああ、と一人頷く。
「動物も生き物だからな。ウンコとかするぞ」
リリィが青ざめた。
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