第一話②
「あっはっはっはっは! それでみっちりお説教を食らったら、足がしびれて動けなくなったのか!」
「そう。もう散々だった」
声を上げて笑うセドリックに、グラウは肩を落とした。
村の南に広がる広大な畑。様々な野菜が実るその一角で、二人は夏野菜の種まきをしていた。
軽く盛った土に指で穴をあけ、そこに種を撒いていく。単調な作業のついでに遅刻の理由を説明していたのだ。
「凍った魚はちゃっかり持って帰ってたし」
「それはそれ、これはこれだろ?」
八つ当たり気味に深く穴をあけるグラウに、セドリックはくつくつと声を震わせる。
「ちょっと魔法を使っただけで川を凍らせられたんだからすごいじゃないか。妖精たちにはいいお灸になったんじゃないか?」
「まあ……」
グラウは曖昧に頷いた。緊急事態だったから、魔法の使用については咎められなかった。が、いかんせん範囲が広すぎた。
「グラウの持っている魔力は常人の数十倍。それを自覚してコントロールできなかったら、いつか自分も周りも危うくなるんだよ。というか、今回はそうなりかかったって理解してる?」
川を解凍して岸に上がってきたグラウを正座させ、ディートリヒはそう説教した。
洗濯をしていた村人たちが、彼の呼びかけで全員避難できていたから惨事は免れた。グラウが無意識に凍結の範囲を川に限定していたのも幸運の一つである。だが、誰かが川に残っていたら? 凍結の範囲が無制限だったら? 氷漬けになっていたのは川だけでは済まなかった。
「…………してませんでした」
グラウは泥を吐くように答えた。
正直、妖精の相手で手いっぱいで、そこまで頭が回っていなかった。何度も口酸っぱく言われてきたことだったのに、それを実感したのはついさっきだ。
これにはディートリヒも天を仰ぐ。
「……グラウ。さすがに怒るよ?」
今までは怒ってなかったの? とは口が裂けても言えなかった。
結局、グラウが解放されたのは足がしびれて感覚がなくなる直前だった。
「午後になったらみっちり鍛錬するからねー」
なんて捨て台詞を置いて、凍った魚を回収したディートリヒはさっさと帰っている。グラウは立てなくて倒れたところを子どもたちのおもちゃにされたので、畑に来れたのは太陽がだいぶ昇った頃だった。
グラウの洗濯物を他の村人たちが引き受けてくれて助かった。ケインを助けるために籠を放り投げていたので、せっかく洗った服がまた汚れてしまっていたのだ。
「今更言い訳をするなら、久々に妖精がちょっかいをかけてきたから、ちょっと気持ちが昂っていたのかもしれない」
「そうか。……あいつら、まだグラウのことを悪魔の子だって言ってるのか?」
セドリックの問いにグラウは唇を噛んで頷く。
「うん」
「ひどいな」
セドリックの口からため息が出た。グラウが首を横に振る。
「いや、事実なんだけどさ」
「だからって、攻撃していい理由にはならないんだぞ」
グラウとセドリックは、それぞれ穴の中に種をまいて土をかぶせる。
「前にグラウを襲って返り討ちに遭ったこと、覚えてないのかねえ?」
「覚えているから、周りを使って攻撃してるんだろ」
グラウはげんなりとした顔で言った。
「でなかったら俺の宝石化が使えない水場に引き込まねえって」
「なるほど、ちょっとは学習してるのか」
セドリックが皮肉っぽく吐き捨てる。
「森の半分が宝石になったのは、さすがにトラウマになったか」
「むしろ竜人と精霊の双方からギッチギチに絞められた方が、トラウマとして残っていると思うぞ」
でなければ、またグラウにちょっかいをかけるなんて愚は犯さない。かつての逃げ回ることしかできなかった自分を思い出して苦い顔になった。
「そういえば、ヘレンさんは?」
「元気だよ。今日も畑に来るって言ってたんだけど、俺が無理を言って休んでもらったんだよ」
「臨月だっけ? ここ坂だもんな」
「臨月の一歩手前。動き回っている方が母子の健康にはいいって、村長やマリーからも言われてるんだけどさ。こけたらって思うと、やっぱり心配なんだよ。……って、噂をすれば、だ」
腰を上げたセドリックが、坂の上の方を見やる。
グラウもつられてそちらを見れば、畑の方にお腹の大きな女性が一人下りてくるのが見えた。
「グラウ君、今日は手伝いに来てくれてありがとうね」
セドリックの妻ヘレンに声をかけられたグラウは、困ったように視線を彷徨わせる。
「いや……俺も色々と教わってるから」
「あらまあ、謙遜しちゃって」
ごにょごにょ言いながら目を逸らすと、ヘレンの手がグラウに向けて伸ばされた。反射的にグラウは目を瞑ったが、頭を軽く撫でられただけだった。
「私がなかなか動けないから、あなたみたいないい子が手伝いに来てくれただけでも大助かりなの。ね、手伝ってくれたお礼に、お昼はうちで食べていかない?」
「えっ……っと……」
一瞬、グラウの目が輝いたが、すぐに伏せて逡巡する。だがヘレンはその輝きを見逃さなかった。がしっと肩を掴まれ、グラウが小さく飛び上がる。
「ぅぇっ」
「というか、食べて行って! 朝の仕事を代わりにやってくれたんだもの! ね!」
「ええ?」
「じゃあ準備してくるから!」
そう言い残して、ヘレンは先ほど来た道を足早に戻っていった。
呆然と見送るグラウの後ろで、セドリックがくつくつと笑う。
「子どもがもうすぐ生まれるから、緊張してるんだ。ヘレンのやつ、グラウのことを勝手にお兄ちゃんに認定しているぞ」
「ええ……」
呆れてものも言えない。でも、悪い気はしない。
むず痒い気持ちを持て余しながら、グラウは残りの種を植えるべく土に指を突っ込んだ。
◆ ◆ ◆
ヘレンが用意してくれた食事は、干し肉と野菜を煮込んだスープと黒パンだった。それを御馳走になったグラウは、ディートリヒを呼ぶべくその足で屋敷に向かう。午後になったら特訓するとか言っていたが、亡命者の世話で手一杯の可能性もある。手が離せないようなら自習するつもりだった。
亡命者は、今までの生活を捨ててこの村で一から人生をやり直す。それは戦争のどさくさで姿を消した脱走兵だったり。あるいは飢饉で水の貯えも尽きた親子だったり。ただ心穏やかな暮らしを望む彼らは、まず屋敷で心と体を十分に休める。
屋敷と言っても、村の中で一番大きな家、という意味だ。貴族が住むような豪華さはなく、大きさを除けば木と石で造られた普通の家である。隣に建つ教会が大きいので見劣りしがちだが、十人以上住めるのでかなり大きい。
そこに現在住んでいるのが、ディートリヒと彼の妹のマーガレットだった。
「ディートリヒー、いるー?」
屋敷にやってきたグラウは、ノックもなしにドアを開ける。空き巣や強盗と無縁の村では、ドアや窓には鍵が存在しないのだ。
ドアをくぐるとすぐにリビングが広がる。広い空間にダイニングテーブルとソファ、それに安楽椅子が置かれていた。一冬の仕事を終えて休眠を始めた暖炉が沈黙で出迎える。屋根の一部をくりぬいて作った採光窓から、リビングに光が降り注いでいた。
がらんどうのリビングで、しかしソファの方でなにかが動いた。
ゆっくりと起き上がったのは、長い金髪の少女だ。グラウと同い年くらいだろうか。村では見たことがない顔だった。
年季の入った、だけど手入れを欠かしていないソファで寝ていたらしい。寝ぼけた彼女にかかっていた毛布が、力なく床に落ちた。
「ごめん、起こした?」
グラウが呼びかける。夢うつつだった少女が首を動かしてこちらを見た。
「ディートリヒやマーガレットに用があったんだ。どこにいるか知らないか?」
見慣れない人は十中八九、亡命者だ。最初に接触するのがディートリヒたちなので、名前を出せばどこにいるかもざっくりわかるはず。
だが少女は答えず、完全に開いた目をさらに見開かせてグラウを見た。澄んだ青空のような瞳に彼の姿が映り込む。
なぜだかとても驚いている少女に、グラウは内心で首をかしげた。
「……どうした? 俺の顔になにかついてるか?」
さっき御馳走になった食事の食べかすでもついていたか、と口周りを触るが、どうやら違う。
「……ね、ねえ」
ようやく少女が口を開いた。ソファから立ち、グラウを凝視しながらゆっくりと近付く。近くで見ると、彼女の方が若干背が高かった。
「あんた、もしかして、ネヒターにいた?」
「…………」
その問いかけに、グラウは静かに青ざめる。心臓が嫌な速度で早鐘を打つ。呼吸が浅くなりかけて、意識して深呼吸をする。
かつて金鉱山で栄華を極め、今も宝石の一大産出国として名を馳せるネヒター国。グラウが一番聞きたくて、聞きたくなかったその名が、なぜ少女の口から出るのか。
「どうしてそう思う?」
冷静を装って訊ねる。
「だって、その髪、手配書にあった」
少女が指さすのはグラウの髪。その色は黄昏に染まる空のように赤かった。一度見たら忘れられない。よく目立つ。村でもそう言われたことはあったが、手配書は初めてだった。
「手配書? なんだそれは」
「探してって。女王様が、連れ戻してって」
グラウの息が止まった。少女が彼の肩をがっしと掴む。
「ねえお願い、ネヒターに戻って! このままだとあたしたち死んじゃうの!」
「はあ?」
悲鳴を飲み込んだグラウの喉から素っ頓狂な声が出た。
「ちょっと待て、話が見えない」
「女王様が、悪魔と契約して、あたしたちを……国民を全員宝石に変えるって! 呪いを解くには、あんたと同じ髪色の魔法使いが一ヵ月以内にネヒターに戻ってこないといけないの! お願い、今すぐ帰ってきて! あたしたちを助けて!」
少女が泣きそうなほど顔を歪めてグラウに迫った。いや、すでにその目には涙が浮かんでいる。一歩踏み出した拍子にそれが一つ、頬を伝って落ちた。
精霊の魔法とは似ても似つかない“呪い”は、冥府に住まう悪魔がかけるもう一つの奇跡。
それは死者の蘇生であったり、ただの岩山を金鉱山に変えたり、あるいは人々を魅了してやまない術を授けたり……。
必要なのは、呪いの内容に応じた対価。それを無事に支払えれば、悪魔は人知を超えた奇跡をもたらしてくれる。
その呪いを、女王が国民にかけた。端的に言って正気を疑うものだった。
「あ、もしかしてお父さんかおじいちゃんが魔法使い? ねえだったらその人たちを呼んで!」
少女が体をがくがく揺さぶってくる。意外と容赦のない彼女に、グラウは額を覆うようにしてこめかみを押さえた。
「…………。ちょっと、待って」
「待てない! このまま死にたくない!」
「いや、ほんと……。とりあえず座って。俺も座るから」
やんわりと少女の両手をほどき、ソファに導く。ついでに毛布を拾い、彼女に渡しながらソファに座らせた。
そのまま足早に奥のドアに向かう。
「ん? え?」
ほぼ走っているような速度でさっさとドアの向こうに消えた。一拍遅れて少女は騙されたと気付く。
「ちょっ……!」
抗議しようと立ち上がって、
「ディートリヒー!! マーガレットー!! どこ行ったー!!」
「ひぇ」
耳をつんざく怒声にすくみ上がった。
なんだかよくわからないけれど、とてつもなく怒っている。少女より小さいあの体のどこにそんなエネルギーがあるのか知らないが、怒髪天を衝いているのは確かだった。
閉めきれていないドアをそっと開け、様子を見る。
「ディートリヒー!! マーガレットー!! どこ行ったー!!」
グラウは同じセリフを何度も叫びながら、ドアも壁も関係なく拳で叩いて回っていた。ドアノブがあったらそれも回して部屋の中を探していく。どこぞの強盗か強行突入する治安組織のようだった。
「ディートリヒ! マーガレット!」
「え、えっ、グラウ?」
三つ目のドアを開けたところで、彼は目当ての人物を探し出す。ディートリヒともう一人、竜人の女性だ。膝を突き合わせていた彼女――マーガレットは、栗色の髪を翻してグラウを見やる。
「なに、どうしたの?」
「こっちのセリフなんだけど?」
怒りが冷めない。腸が煮えくり返る、なんて表現があるが、それよりも体内に噴火寸前のマグマがあるかのようだった。
「リビングにいたの、亡命者だよな? ネヒター出身だって言ってたぞ?」
自分の体で入り口を塞いで、何度も爪先で床を叩く。二人が青ざめたのを見て、どうやら自分に知られたくない様子だったと理解した。
「しかも女王が国民全員に宝石の呪いをかけた? 一ヵ月以内に俺が帰ってこないと宝石になるって?」
「待って待って待って」
ディートリヒが慌ててグラウの口を止めた。
「あの子そこまで話したの!?」
「勝手に自分からベラベラ喋ってくれたけど?」
「マジか」
焦るディートリヒに棘が十分に含まれた言葉で返す。彼がその場に崩れ落ちたが、気にかけるだけの余裕は持っていなかった。
「……で? あいつ、俺のことまったく知らなかったんだけど」
親指でドアを指さす。そこにいるかどうかは関係ない。この部屋の外にいる人物なんて、あの少女だけだ。
「まさか女王の奴、マジで俺のことを隠し通してたのか?」
「「…………」」
二人が視線を交わしたきり、沈黙する。それが答えだった。
「ふーん」
グラウが半眼になる。
「へー。そうかそうか」
「あのね、グラウ。リリィちゃん……亡命者のあの子は、もうちょっとしてから紹介するつもりだったのよ」
マーガレットが手の平を前後に動かして「落ち着いて」とジェスチャーする。
「ああ、そっちは怒ってないから大丈夫」
いや全然大丈夫じゃない。二人してそう言いたかったが、グラウの目があまりにも据わっていて言えなかった。
「あいつがそんだけ俺のことを舐めてたんだなって。ついでに、舐められてた過去の自分にもものすごいむかっ腹が立ってる」
人間、怒りすぎると感情が変な方向に振り切れるらしい。なぜか口角が上がって、でもそれがよくわからないけど楽しい。
怒りながら笑うという異常事態は、ディートリヒたちにとっても非常事態だった。
このままあの子に会わせたら、なんかとんでもないことになりそうな気がする。
「グラウ、もうちょっとで親父が帰ってくるから、その時にまた改めて色々と……」
「いや、そんなの待てない」
「あっ、ちょっと待ってグラウ!」
ディートリヒの制止を振り切り、グラウは踵を返した。後ろでどったんばったんと音がする。二人して同時に廊下に出ようとして衝突したようだ。それを無視して大股で来た道を戻れば、ドアの前で少女――リリィが棒立ちになっている。聞き耳を立てていたらしいが、グラウは咎める気が起きなかった。それよりも言いたいことがたくさんある。
「待ってグラウ、ほんとに待って!!」
「いい機会だから教えてやるよ」
ディートリヒの声を無視し、怒りに満ちた笑顔のまま、グラウは言う。
「俺はネヒター国の女王エデルガルト様が、悪魔と人間を使って産ませた宝石製造機だ。石だろうが木だろうが、人間だろうがなんでも宝石に変えられる。女王様にとって邪魔な人間はぜんぶ俺が宝石にした。国が豊かになる財源になった。殺人を犯した大罪人も、税金を下げろと言ってきた平民も、政策の転換を求めた大臣も、働かないスラム街の住人も、国境沿いの小さな村も。ぜぇーんぶ、俺が宝石にした」
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