第五話③
「…………は?」
一瞬、パスカルがなにを言っているのか理解できなかった。
「え、契約? 国を、自分を巻き込んで宝石化? …………正気?」
「正気だったら自分で舌噛んで死んでるね」
パスカルがくつくつと笑う。気が緩んだ拍子に感情が笑いへ振り切ったようだ。笑顔の形で引きつる頬が痛い。少しでもこの滅茶苦茶な情緒を安定させようと、乱暴に安楽椅子を前後に揺らした。
「いやーもう、想像の斜め上を行ったよ。王都の国民は砕かれないように息を殺しているし、隣国はうかつに攻め込めないし、女王のご機嫌伺に必死だし……。あのまま放っておいたら、間違いなく西側は滅ぶね」
「え……」
タオルを大量に持ってきたリリィが立ち尽くす。力の抜けた手からタオルがばらばらと落ちた。
「……みんな、は?」
「見た限り、全員宝石になっていたよ。生身の人間はおろか、生き物一匹いなかった」
「……そんな」
「おい、リリィ!?」
「わっ、危ない!」
リリィがへたり込んだ。大鍋に湯を沸かしたマーガレットがその横を通り過ぎ、パスカルの脇にドンと置く。
「兄さんとグラウはタオルを回収して! リリィちゃん、立てる?」
「お、おう!」
グラウとディートリヒが急いでタオルを回収し、マーガレットがリリィをソファに座らせた。
「というか、父さん。その口ぶりだと、もしかして女王と戦ったの?」
グラウから受け取ったタオルをお湯に浸したマーガレットが訊ねる。そこで初めて気付いた三人が一斉にパスカルを見た。
視線を浴びた張本人はゆらゆらしながら肩をすくめる。
「戦ってはいないな。会った……と言っていいのかも怪しいね。文字通り宝石になった国の中で、一人だけ黄金に輝く様は傑作だったよ」
◆ ◆ ◆
パスカルは風と光の魔法を得意としている。風を使って音を消し、光で姿をくらませる。この二つを掛け合わせた高度な隠密魔法によって、彼はその正体を知られることなく堂々と情報を集められた。これを利用して馬車を急襲し、グラウを救出した実績もある。
そして、東西を行き来して長い彼は、過去に王都ヴィモールを訪ねたこともあった。何度か立ち寄ってみて思ったのは、貧富の差がひどい、というものだった。
たしかにリリィのように、平民でも豊かな暮らしをしている者もいる。だが、病気や怪我で働けない人へのサポートはない。金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、家賃が払えなくなったら即日叩き出す光景も日常茶飯事だった。収入のない貧民層は王都の外へ放り出されるか、廃屋やどこかの屋根裏などに潜んで生き延びている。
手段はどうあれ、宝石を産出するようになっても、その印象は覆らなかった。
(あの宝石たち、ほとんどエデルガルトの懐にあるんだとしたら、やるせないな)
宝石化の手段と材料を知っているだけに、陰鬱な気分になる。
しかも、グラウが失踪した後は政の立て直しもせず、悪魔に頼って呪いを発動させる始末。リリィのSOSがなかったら正直近付きたくない状況だった。
とはいえ、期限はまだ数週間ある。周辺国で情報を集めるだけの時間は十分にあった。
情報収集に一週間。それらを元に王都ヴィモールの上空へと彼は飛んだ。
「うっわー。なにこれ」
風魔法で声が漏れないのをいいことに、大きめの独り言が出る。
そこは、すべてが宝石でできていた。
城門はダイヤモンド。城壁はラピスラズリ。石畳は水晶。街路樹は幹がメテオライトで葉はエメラルド。他にも数え切れないほどの色と種類の宝石で、国が埋め尽くされていた。
「屋根と家屋だけで何通りあるんだよ……。ルビーにサファイア、アメジスト、トパーズにジルコン、オパール? これだけで宝石の見本市じゃん」
そして当然のことながら、あらゆる生き物が宝石になっていた。人間はもちろん、犬や猫、鳥に虫まで、すべてだ。
人間はそれぞれ微妙に違うカッティングと色で、かろうじて個人を識別できる。だが統一された服装の兵士は、全身がフローライトで覆われていた。兜の着用も相まってただの人形に見えてしまう。定期的に彼らが巡回や交代で動くから、まだ辛うじて生き物だと思えるくらいだ。
(宝石にされてなお、“生きてる”って言っていいのかは疑問だけど)
姿かたちが変わっても、彼らは人の営みを送っている。子どもたちは遊び回り、大人たちは世間話に興じたり自らの仕事に従事する。それが人間の形をした宝石であること、若い男女がほとんどいないことを除けば、どこにでもある風景だ。だからこそ、それがあまりにも滑稽で、吐き気を催すほどむごかった。
「これは周囲も迂闊に刺激できないな」
西側を旅する上で、パスカルには独自の情報源がある。それはとある王室であったり、裏道にひっそりと建つ怪しげな店であったり、流浪の情報屋であったり……。彼らと時に酒を酌み交わし、対価を払い、あるいは駆け引きをして、欲しい情報を得る。
その過程でわかったのは、ヴィモールで起こった暴動と宝石化、そして女王の乱心だった。
「わたくしは黄金。黄金はわたくし。この世の美しさはすべてわたくしのもの。それを脅かすなら容赦しない」
ある王室に届いた宝石の手紙には、そんな文面が何枚にもわたって綴られていた。時に見とれるほどの筆致で、時に判別不可能なほどめちゃくちゃに表面を削られて。
ある裏通りに住む情報屋の魔法使いは、派遣していた式神が暴動の一部始終を捉えていた。
武器や松明を手にした集団が城へ乗り込む。しかし王城の一室が金に輝いたかと思うと、城、壁、地面、樹木、そして人や動物が瞬く間に宝石になった。式神も宝石となり、そこで交信が途絶えたという。
彼らが口をそろえて言うことはただ一つ。
「あの国は終わりだ。そして、滅ぼさなければ我々も終わる」
別に頼まれたわけではない。だが、望みを託せるのが自分しかいないのも、彼はわかっていた。
「さて……。例の女王様はどこだ?」
周囲の人間や建造物は宝石に。そして自分は黄金に。自分だけが光り輝く黄金になると明言するなんて、よほどの自信か傲慢さがなければ実行できない。
パスカルは魔力とマナを結び付けた。風が彼の周りに集まり、綿毛のように彼を城へ飛ばす。
城全体も、眩しいほどのダイヤモンドで埋め尽くされていた。廊下を兵や召使たちが行き交う。メイドの一人が持ち歩くモップは毛先までターコイズで固まっている。アクアマリンのバケツには水が張られ、ジャスパーの雑巾が二つ折りの形で沈んでいた。
宝石にされたせいでその表情は読み取りにくいが、彼女らが沈んでいるのは雰囲気でも読み取れた。
その時、バケツを持っていたメイドが床の目地につまずいた。
「あっ」
と気付いた時には遅かった。バケツの中の水はぶちまけられ、雑巾が転がり出る。宝石同士がぶつかる澄んだ音が響いた。
「も、申し訳ございません」
誰に言うわけでもなくメイドが謝る。すぐに片付けようとするが、布製品がないこの環境で水は片付けられない。
周りが遠巻きにする中、兵士が二人、メイドに近付いた。気付いたメイドが、自分の手で水を隅に押しやる。床と手がこすれた場所から、小さくキイキイと音が鳴った。
「……来い」
兵士の一人が、メイドの腕を掴みあげた。もう一人の兵士も同じようにし、メイドは両腕を抱えられるようにして立たされる。
引きずられるようにしてどこかに連れていかれるメイドが、首を激しく振って抵抗した。
「や、いや……! 待って! 死にたくない! 許して! 助けて、誰か!!」
悲鳴にも似た命乞いに、他の兵士や召使たちは目を逸らし、足早に去る。
パスカルは連行されるメイドをそっと尾行した。その先に、もしかしたら女王がいるかもしれなかった。
だがメイドが連れてこられたのは、ブラックオニキスの小さな塔。城の裏手にあるそこの周りにはなにもない。見張りらしき兵がドアを開けると、中はひどく殺風景だった。高い場所にトルマリンの格子のついた窓があるが、日の光は満足に届かない。かつては木箱だったらしいトパーズの箱が乱雑に置かれ、壁には金色に輝く大きな槌が一つ、立てかけられていた。
初めて見る光景だが、内装は聞き覚えがある。
グラウが監禁されていた場所と酷似していた。箱や槌は後から用意されたのだろう。
パスカルは窓の近くまで上昇する。眼下で、部屋の中央に連れてこられたメイドが兵の一人に組み伏せられる。床の目地に埋まった砂が、じゃり、と音を立てた。
「嫌だ……嫌だ……」
ぶつぶつと呟く声は、高い天井に吸い込まれるようにして消える。
手が空いた一人が、重そうな金の槌を手に近付いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
槌が振り上げられる。元の肌なら、引きつった顔や縋る目もよく見えただろう。しかし宝石の顔では、光の屈折も邪魔してすぐに判断できない。
涙が一滴もこぼれないのは、かえって処理しやすかったかもしれない。
現実逃避するパスカルの目の前で、槌が振り下ろされた。
ぐわしゃん、と砂を握りつぶすような音がする。
頭を破壊されたメイドは、それきり動かなくなった。彼女を押さえつけていた兵士が離れ、さらに胴体や足も粉々にしていく。物言わぬ宝石になったそれらを、兵士たちは二人がかりでトパーズの箱に入れていった。集めきれないほど細かくなった宝石は、適当に床に均される。砂状の宝石の中に、また一種類追加された。
パスカルは消音の魔法の範囲を、塔内部に広げた。
「ずいぶんと手慣れているんだね」
塔の中を声が反響する。箱を持って出ようとした兵士たちが、飛び上がって周囲を見回した。
「そうして何人、人を殺してきた?」
「な、な、なんだ? なんなんだ?」
「敵襲!! 敵襲だ!!」
姿を見せないまま、パスカルは問う。兵士の片方はうろたえ、もう片方は声を張り上げた。
「無駄だよ。この塔の内側の声は、絶対に外に届かない」
パスカルの風魔法は強力だ。壁にぴったりと張り付くように広がったそれは二重構造。間に真空を挟んで音を吸収する。パスカルの声はもちろん、兵士たちの声も外には届かなかった。
「さあ答えろ。この数日で何人殺した? ……答えられないなら、外に出て応援を呼ぶか?」
わざと煽るようにゆっくりと喋る。声が反響する。位置を特定できない。トパーズの箱を抱えた二人の兵士は、パスカルが提示した後者の選択肢を取った。
重い宝石が入った、さらに重い宝石の箱を持ってよたよたとドアへ向かう。ドアノブのないそれを叩けば、すんなりと開いた。
ドアの隙間から体をねじ込むようにして外に転がり出る。それでも宝石の箱をひっくり返さなかったのは、自分たちも同じ末路を辿るやも知れなかったからだろうか。
「え、なに、どうした?」
「敵襲、敵襲だ!!」
「は?」
見張りがうろたえるのも無視して、兵士の一人が叫んだ。
「塔の中に誰かいる、いやもう逃げているかもしれない!」
「待て待て、落ち着け! おおい、誰か!」
錯乱している兵士たちを置いて、パスカルはさっさと塔から離れた。これで城内は多少パニックになる。城の間取りはわからずとも、こうした異常事態で情報が真っ先に集約する場所は限られた。
「女王陛下! 女王陛下はいずこ!?」
すぐに目当ての探し物をしている人が見つかった。慌てながら女王を探す兵士に、メイドの一人が答える。
「中庭のガゼボにございます」
「ありがとう!」
兵士はすぐに中庭に走った。パスカルもそれに続く。
先ほどの塔とは反対側に中庭はあった。エメラルドの葉が生い茂る中、色とりどりの宝石で象られた花が咲いている。
それらに囲まれた水晶のガゼボの中で、金色の像が音楽隊の音色に耳を傾けていた。ダイヤモンドのサークレットや真珠とタイガーアイのネックレス。ドレスの随所を飾るのは、種類も数も馬鹿にならない大小さまざまな宝石たち。
パスカルは確信した。あの黄金像が女王エデルガルトだ。
彼女の正面には、宝石人間による楽団がある。自分たち同様に宝石となった楽器で奏でる音色は驚くほど澄んでいて、そこだけ別世界のようだった。
「美しき女王陛下にご報告申し上げます!」
そこに兵士が飛び込み、敬礼する。
楽団の音が止まり、金色のまぶたがゆっくりと上げられた。
「……なにかしら?」
「侵入者です!」
「特徴は?」
「はっ……それが……」
兵士が言い淀む。当然だ。相手の姿が見えないのだから、特徴もなにもない。
エデルガルトが人差し指で、カツン、と薔薇色のテーブルを叩いた。
「答えられないの?」
「はっ! 姿が見えません!」
直立した姿勢をさらにまっすぐに伸ばし、兵士は言った。
「声のみです! 北の塔で“処理”中の兵が聞いたとのことです!」
「……そう」
エデルガルトは静かに言った。
「幻聴が聞こえたのなら、そうおっしゃいなさい」
「は……」
「わたくしの手を煩わせないで。迅速に“処理”なさい」
「……はっ、失礼いたしました」
再度敬礼し、兵士は踵を返す。
エデルガルトは楽団の方に向き直った。
「続けて」
「はい、麗しき女王陛下」
指揮者が恭しく礼をし、ガーネットのタクトを構える。
再び、澄んだ音楽が流れ始めた。
エデルガルトは目を閉じ、うっとりとそれに聞き惚れる。
今日中にあの二人の兵士も、メイドと同じようにただの石の塊に砕かれるのだろう。暴動を起こした兵士や捜索隊も、同様に“処理”された後だろう。そうして自分に不必要だと判断した者たちを見せしめに殺して、恐怖で統治していくのだ。
グラウが“処理”を任されていた三年前と、なんら変わりなかった。
「哀れなものだな」
静かに言葉がこぼれる。
女王自身も、この国の国民も。朽ちない宝石として呪われた以上、もはや普通の死は望めない。
グラウ一人がいなくなっただけで面白いほど転落したが、グラウを宝石製造機兼スケープゴートにしていた当然の末路と言える。
リリィにかけられた呪いが発動するギリギリまで放置するか。
そう結論付けたパスカルの目が、黄金の目とかち合う。
「誰ぞ」
音楽が止まる。
落ちるのではないかと思うほど大きく見開かれた黄金の目。姿は見えないはずなのに、その視線は驚くほどパスカルの視線と絡み合った。
「え、――っ!」
疑問の音が口からこぼれ落ちる。それが反響しないことで気付いた。
塔の中に風魔法を置いてきた。消音魔法がない。声がダダ漏れだった!
「曲者!!」
エデルガルトが水晶の呼び鈴を振り回した。
同時に溢れ出る魔力を感じ取り、パスカルは慌てて空中へ身を躍らせる。
後ろにあったグリーンジャスパーの低木が、ネフライトに変化した。
「うっそだろマジか!」
低空飛行で毒づく。すかさず上昇すれば、城壁の一部がアレキサンドライトに変わった。
「誰かおらぬか! 曲者ぞ!!」
エデルガルトが叫ぶ。あたりかまわず魔力をぶつけ、宝石が新たな宝石に変わっていく。
楽団が楽器を抱えて逃げ惑う。槍を持った兵がガゼボの周辺に集まる。城壁の上から弓を持った兵が駆けつける。
幸いにも、姿を隠す光魔法は継続している。パスカルは弓の届かないさらに上空で声を張り上げた。
「気狂いの女王、耳かっぽじってよぉーく聞け! お前が探している魔法使いは僕が保護している! 取り戻したかったら屍竜山脈を越えてみろ、ばぁーーか!!」
そのまま背を向けて、風をまとって一気に離れる。女王がなにか言っていたが、聞き取れなかったし聞く気もなかった。
勢いを緩めず飛び続け、屍竜山脈を越えて村に戻る。
夕食のいい匂いに気が抜けて、今頃笑い出した膝に足を取られてすっ転んだ。
《やっべー。立てない。ディー、マリー、ちょっと助けて》
子ども二人に向けて飛ばしたはずの念話は、気が動転してディートリヒにしか届かなかった。
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