第五話①
村で行われる屠殺は、亡命者の来訪に次ぐ大きなイベントだ。
その日は皆、朝から牧場に集まる。
牧場では仔が産めないオスや、出産適齢期を過ぎたメスが定期的に殺される。それらは皮から骨、内臓に至るまで、すべて人間が生きるための糧となる。
畜舎から大きく離れた場所にある屠場には、牛と羊が一頭ずつ、そして鶏が三羽いた。羊は昨日のうちに毛刈りを済ませていたらしく、少し寒そうに身を震わせている。
「じゃあみんな、順番にお別れを言おうか」
チャーリーが促して、村人たちが一人一人、動物たちに語りかける。
「いままでありがとう。みんなの命を無駄にしないよ」
「みんなありがとう。大好きよ」
生きていくには、他の命を食べる必要がある。それを忘れないように、彼らは思い思いに感謝を告げていく。中には泣き出す子どももいたが、そうした子でも「ありがとう」と言っていた。
「そういえば、動物がお肉になるのってあんまり見たことないかも」
後ろの方でそれを不思議そうに見ていたリリィが、隣に立つマーガレットにぽつりと言った。
「あら、そうなの?」
「うん。お店で売ってるのって、ちゃんと切られたお肉だったから」
本物の牛や羊を見たことがないと言って、グラウたちを変な顔にさせたのは記憶に新しい。
「ならいい機会かもね」
マーガレットがリリィの背中を押した。
「行きましょう」
先を歩くグラウの番になった。牛の頭をそっと撫でる。
「……ありがとう。一緒に生きてくれて」
同じように羊の頭も撫で、鶏は三羽それぞれをしっかり抱きしめた。皆大人しくしており、羊は返事をするように彼の手をべろりと舐めた。
リリィもそれに倣って、同じように呼びかける。
「ありがとう、い……」
一緒に生きてくれて。そう言おうとしたのに、喉になにか詰まったかのように言葉が出なかった。まるで、友達との別れを認めたくないかのように。
「どうしたの?」
後ろからマーガレットが覗き込む。
「ううん、なんでもない」
リリィはそう言って牛から離れた。羊や鶏にも同様に「ありがとう」と言うが、その後の言葉は出なかった。
「みんなお別れは済んだか? じゃあ、残りたい人だけ残ってね」
村人のほとんどは泣きじゃくる子どもをなだめながら、屠場を後にする。
動物たちがお肉になって、村中に配られるには少し時間がかかる。そのため、村人たちは別れの挨拶を終えると自分たちの仕事に戻っていった。
「殺すところは見なくていいの?」
「そこは強制しないわ。兄さんは手伝いがあるし、バラットは仕事を継ぎたいからって、残っているけどね」
マーガレットがちらと後ろを見る。ディートリヒはチャーリーと話し込んでいる。グラウと一緒に残るバラットは、牛の首にぎゅっと抱き着いていた。
自由意思を尊重してくれる分、血なまぐさいところを見なくて済む。ホッと胸を撫で下ろすが、少し遅れてグラウもあちらに残っていることに気付いた。
「グラウって、動物が死ぬ瞬間とか見るのが好きなの?」
ある程度屠場から離れたところで、リリィはマーガレットに訊ねる。マーガレットは少し困ったような顔をして、指先を顎に当てて考えた。
「うーん。あれはどちらかというと、義務感に近いかしら」
「義務? なんで?」
「そうねえ……」
マーガレットはしばらく言葉を選ぶように黙り、それからこう答える。
「命の重さを忘れたくないのよ、きっと」
「じゃあ、ディー。頼む」
「おう」
チャーリーからハンマーを受け取ったディートリヒが頷く。
屠殺は時間がかかる。同時に時間との勝負でもあった。
牛が動かないように、チャーリーが腰を落として鼻輪を引く。
立ち尽くす牛に向けて、ディートリヒがハンマーを振りかぶった。
反射的に目を瞑ったグラウの耳に聞こえたのは、ハンマーが牛の眉間を直撃する鈍い音。
次の瞬間に目を開けると、脳震盪を起こした牛がゆっくりと崩れ落ちるところだった。
チャーリーが腰に佩いていた大ぶりのナイフを抜く。頸動脈を切って血抜きの作業を行う。
温かい鉄の臭いがした。
「……で、貧血起こして毎回動けなくなるの? 馬鹿なの?」
「ぐうの音も出ねえ」
自宅のベッドで丸くなったグラウが、リリィの指摘を聞くまいと頭まで毛布をかぶった。
午後から予定していた魔法の訓練は当然中止。子どもたちはグラウを見舞うついでに、彼の家の周辺で遊ぶこととなった。ディートリヒやマーガレットと一緒に遊ぶ声がかすかに聞こえてくる。
一人暮らし用の小さな家は、キッチンとテーブルセット、ベッドとクローゼットで手狭になっていた。
ベッドの横に椅子を持ってきたリリィがそこに腰かける。
「見るのは勝手だから止めないけどさ。そんなに血が苦手なら見なきゃいいのに」
「んー」
毛布の中でグラウが寝返りを打つ。もごもごとくぐもった声が発せられた。
「……血が苦手、というわけではない」
「じゃあなんで?」
「…………。命が、奪われる瞬間は、ちゃんと見といた方がいいかなって」
一つずつ言葉を選ぶように答える。
「俺の殺し方は、他とは違うから。死ぬのがどういうことか、覚えて、理解しておかないと。じゃないと、女王みたいになりそうだから」
宝石を際限なく望んだ女王エデルガルト。グラウは彼女に命じられるまま、目の前の命を宝石に変えてきた。
それは紛れもない大量殺人。だというのに、女王やその周囲の人間はそれを喜んだ。女王以外は彼女の機嫌を損ねない配慮だろうが、それでも気持ち悪いと感じた。
村に亡命して身の安全が確保できたら、今度は平和ボケしそうで怖かった。いずれ来る復讐の時に、殺しをためらっては意味がない。
だから、身近な死で自分を戒めようと考えたのだ。
「んー……」
ぽつりぽつりと語られたそれに、腕を組んだリリィが唸る。
「あんたって、頭がいいんだか悪いんだか時々わからなくなるね」
「は?」
毛布の中からグラウが目を出した。リリィは自分の足に肘をついて、頬杖をついて彼を見下ろす。
「女王様との価値観が違うってとっくに気付いてんじゃん。それにあんた、何度も死んでるんでしょ? これ以上自分や誰かが死ぬところなんて見たくないんじゃないの?」
「…………」
黙り込む彼にリリィは畳みかける。
「もう殺す方向で決意してるんでしょ? だったらどうやったらあの女王様に一泡吹かせられるか考えた方がいいじゃない」
「さらっと言うなよ……。その通りだけどさ」
「半分他人事だからさらっと言うのよ」
リリィはふふん、と笑った。
「女王様を殺すだなんて暴挙、正直に言ってあたしはまだ信じられない。でもさ、その前にこんな風に寝込んでどうすんのよ」
正論を真正面から言われ、グラウは言葉に詰まる。
「それに、あんたってばあたしの目の前で例の呪いを使ったことないじゃん」
「当たり前だ。次に自分の意志で使うなら女王だって決めてんだ」
妖精の妄言や悪夢による魔力の暴走で、周囲を宝石にしたことはあった。だが、自らの意志でなにかや誰かを宝石に変えようと思ったことは、この村に来てから一度もない。
「じゃあいいじゃん」
「なにがだよ」
「宝石化が殺人行為だって気付いてるんでしょ? 自覚してるんならそれ以上考えなくてもよくない?」
挑戦的に笑うリリィを、グラウは驚いたように目を見開く。それから半眼になって見つめ返し、
「…………はぁ」
長い沈黙の末、グラウは小さくため息をついた。
再び頭まで毛布をかぶって背を向ける。
「調子狂う」
「はあ?」
「もう寝る。外で子どもたちと遊んで来い」
「えー、ちょ……んもう!」
急に突き放されて感情の行き場に困ったリリィがベッドの足を軽く蹴る。
「夜寝られなくなっても知らないからね!」
心配しているのかどうか微妙な捨て台詞を吐いて、わざと足を大きく踏み鳴らして出て行った。
ドアが閉まる音を聞いて、グラウはほっと息を吐く。
価値観の違い。命を奪う行為。その手段や意味。
「あーもう……」
今までぐるぐる考えて悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらい、絡まっていた思考の糸がほどけていく。
「なんだよあいつ……。ああ、むかつく……!」
そう、むかつく。この三年、復讐心を忘れないようにと自分に課していたものが、実はただの枷だったと気付かされて。しかもそれを軽く笑い飛ばすようにしてきしたものだから、後生大事に抱えていた自分が恥ずかしくなって。
はっきり言い切ったその姿を、格好いいと思ってしまった。
「…………寝よ」
毛布の中でさらに丸くなって、グラウは目を閉じる。
格好よく思えたのは、きっと活路を見出してくれたから。そう自分に言い訳しながら。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
よろしければ、下の☆☆☆☆☆で評価していただけると嬉しいです。
執筆の励みになります。
よろしくお願いします。




