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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第二章
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……殺すか

「……何だよ?」


 兄の登場に、芽木(めぎ)が威嚇するように問う。

 兄はボリボリと首のあたりを掻きながら、


「あー。俺の妹なんだけど」

「そうなの? てか服装だっさ」


 ちょっと笑いそうになってしまった。

 でもこうしたストレートな意見は重宝しないと。少なくともファッションセンスは芽木の方がある。方向性はさておき。


「そうかな? 今は、そういう女の子みたいな服装が流行ってるんだ?」

「女の子? あー、スキニー? 今時普通っしょ」

「それ、もしかして化粧とかもしてる?」

「そりゃするでしょふつー。おにーさんもしかしてすっぴん? 恥ずかしくない?」

「嘘っ、普通男は化粧しないだろ?」

「原始時代ですかー? おにーさん面白いね、馬鹿で」


 私に同意を求めないでほしい。

 うんと頷きたくなってしまうから。


「あーでも、男でも化粧する民族があったな、確か」

「民族?」

「そう。男がね、戦いに行くときに特別にするんだって」

「まじで原始時代。わろた。やってやるぜ、みたいな?」

「まあそんなところ。たしか化粧の意味は……『絶対に殺す』」


 一瞬、雰囲気が変わった。

 兄を取り巻く穏やかな空気感が、突如どす黒い闇のようなものに覆われたかのような。

 寒気。

 これは一瞬、あの取りたての男を叩きのめした時にも感じた。


「あはは、なに。化粧してたら、相手に殺意があるってことになんの?」


 芽木はそう言って茶化すが、兄は少しずつその歩を進めて芽木に近寄っていく。

 やはりあの時と同じだ。借金取りを叩きのめした時と同じ。


「落ち着いて!」


 慌ててそう制止し、兄を睨みつける。

 みなまでは言わないけれど、この視線でわかってほしい。

 余計なことはしないでほしい。目立たないでほしい。兄がとても強いことはわかったけれど、それで人を傷つけていては余計な問題を生むだけだ。

 兄はその睨みに根負けしたように、表情を少し緩めた。

 しかし喧嘩の意志を見せた兄に対し、芽木の取り巻き2人が兄に殴りかかった。

 それを兄はひょいひょいと、ポケットに手を入れたまま避けて見せる。

 今わざわざポケットに手を入れたことがなかなかむかつくポイントだ。余裕っぷりを見せなければ気が済まないのだろう。


「できれば大事にはしたくないんだ。志津香に怒られるし。充分実力差は伝わったろ? まだやるのか?」


 余裕綽々(しゃくしゃく)で言ってのける兄に、しかし芽木は特に驚いた様子も見せない。

 むしろ、不適に笑った。



 その時、誰よりも早く、兄がその身をひるがえして振り返った。



 そこにいたのは、目の前の人たちとは別の男子。いや、男性と言った方がいい。

 私たちより大人びた体格で、とてもがっしりしている。その口には煙草をくわえ、顔はごつごつと岩のように堅そうだ。その身体は兄とそう変わらないが、筋肉や顔の凄みは兄のそれを遥かに超えている。浮き出た血管が恐ろしい。

 兄は、少し警戒したように目を細める。


「シュ-エン、やっちゃって」


 芽木の軽快さとは裏腹に、兄とそのシューエンという男を取り巻く空気はあからさまに危険な空気が漂っている。

 シューエンは芽木の言葉に返すことなく、黙って煙草を上に投げた。

 そして母の仇でも見るような深く鋭い瞳で兄を睨んだと思ったら、それまでのゆったりした動きからは想像もつかない速度で、兄との間合いを一瞬にして詰めた。

 そして腕を振るった。私がそうわかったのは、シューエンが腕を横に振るった後だった。


「っ」


 気が付いた時には、兄は一、二歩後ろによろめき、その鼻から数滴血を流していた。

 赤い血に、一気に背筋に寒気が走る。

 シューエンは落ちてきた煙草を再度二本の指で拾い、そのまま口に戻した。


「お兄さん!?」


 叫んだのは私ではなく、愛ちゃんだった。

 少し遠巻きに様子をうかがっていたのだろう。


「ってー。久しぶりに殴られたな……」

「よく倒れなかったね。おにーさん。ふつーワンパンなのに」


 芽木が馬鹿にするように言う。

 兄の鼻からはドバドバと今も血が流れている。


「シューエンは台湾出身で元ボクシングの高校チャンピオン。でもまあ暴力沙汰を起こして退学になってからは、こうして傭兵みたいなことをしてるってわけ。ほら、僕敵多いからさ」

「どうりで、恐ろしく速いわけだ」

「多分日本じゃ勝てる人ほとんどいないと思うよー」

「だろうな。こっちの人間じゃ、ほとんど対応できない速度だ」

「こっちの人間?」


 芽木がその違和感を感じ取った。

 まずい。

 しかし兄は周囲に気を遣う余裕もなさそうで、ただじっと目の前の大男を睨みつけた。


「……殺すか」


 兄が小さな声で言う。

 馬鹿! それはダメだって言ってる――だが兄が一歩前に足を踏み出すと、それよりも早くシューエンが間合いを詰めて兄の出した足を払った。そして兄の振り上げようとしていた右腕を払い、どてっ腹に遠慮のない一撃を食らわした。


「うっ……」


 兄が吐きそうな声を漏らして、そのまま地面に沈んだ。

 あの兄が、抵抗する余地もなく叩き伏せられた。

 そんな。

 ことが。

 すると地面にひざまずいた兄に芽木が近寄っていき、そして頭をぐっと地面に寄せて下から兄の顔を覗き込んだ。


「ん〜? やっぱり、君って……」

「あー! 警備員さんこっちです!!」


 割って入るように、愛ちゃんの叫びが芽木の言葉を掻き消した。

 見ると愛ちゃんが呼んできてくれたであろう警備の人が2名ほど駆けつけていて、ほっと胸を撫で下ろす。

 しかし気が付けば、芽木たちは既にその場を去っていた。

 面倒事を察知して避ける機能が人一倍働くのだろう。

 警備員さんは一言二言兄を心配したくらいで、特にそれ以上大事にすることなくその場を立ち去って行った。


「……大丈夫?」


 愛ちゃんからもらったティッシュを鼻にあてがう兄に近寄ってたずねる。


「ん。ああ……不覚を取った」

「不覚って……さすがに元ボクサーには勝てないわよ」

「ああ、めちゃくちゃ速かった。しかもたいして構えずにあれだからな。本気になられたら、今の俺だと厳しかったかも」

「殺すか、とか言ってたじゃない……今それ言うの半端なくダサイよ」


 とにかくまあ、大きな怪我とかがなくてよかった。

 兄に怪我でも負わせようものなら、母が過保護になるに違いない。母にとってはまだあの頃の子供の兄なのだから。

 すると、兄は血が流れる鼻を右手で持ち、あろうことかその場で思いきり引っ張った。

 ゴリゴリ、と骨が折れるような音がする。


「なにしてるの?!」

「いや、鼻折れてたから戻したんだ」

「戻したって……いまここで?」

「大丈夫だよ。ほっとけばすぐ治る。鼻は鍛えられないからよく折れるんだ。慣れてる」


 さすがの私も心配せざるを得ない。

 しかし兄が平気そうな顔で言うのだから大丈夫なのだろう。

 軍隊仕込みなのはいいが、心臓に悪いからよしてほしい。


「俺、変なことしてないよな?」


 兄が私の顔色をうかがって言う。


「いろいろ際どかったけど……まあよく我慢してくれたわ」

「よかった」


 そう言って笑う兄の笑顔に、少しだけ昔の横顔が被った。

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